ラヴ・パンデミック

ロドリゲス

部屋を出た俺は夢の中で丸崎が教えてくれた通りに、建物の中を駆け巡った。
途中何人か建物内の係の人に出くわしたが、都度都度ブン殴ったり蹴っぱくったりして殲滅し、オールクリアとなったところでまた先を急いだ。
それでも出くわした人数は丸崎のおかげで少く済んだはずだ。
丸崎のルートは奇をてらっており、時にはダクトの中を行き、時にはエレベーターの天井をこじ開けて上に登り、最終的にはダストボックスの中から滑り落ち、地上階のゴミ捨て場から建物を脱出することに成功した。
おかげで返り血を浴びたり、煤がついたり、ゴミにまみれたりして白衣は赤だったり灰色だったり茶色だったりと、もはや白衣とは呼べず、「汚い事この上ない迷彩色衣」になってしまった。おまけに臭い。
しかし、そんな風にならなければ到底脱出などできなかったろう。
それにしても、逃げている間は何だかゲームや映画の中の主人公にでもなったようで、ぶっちゃけて言うとちょっと楽しかった。
やはりリアルとメタワールドでは全然違う。迫真性が段違いだ。
今回の経験で、次にメタワールドのゲームをやってもお遊戯くらいにしか感じられないかもしれない。
しかしながら、今回の逃走や格闘にはゲームでの体の動かし方をまんま転用したので、ゲームはゲームで非常に役に立ったのだ。

外に出てみると、辺りは真っ暗だった。
詳しい時間はわからないが、日が暮れたばかりの暗さではない。
真夜中近くではあるかもしれない。
しかも月も出ていない。逃げるには都合が良い。
振り向くと、如何せん暗いのではっきりとは見えないが、立方体やら直方体を幾つも合わせたような巨大な建物がそびえている。
あまり窓はなく、見るからに閉鎖的な感じだ。
留置所のようにも見えるし、何かの研究所のようにも見える。
いい加減、俺が抜け出したことがバレたらしく、中が騒がしくなってきたような気がする。
早いところずらかろう。
俺は車両の搬入口を目指した。そこで丸崎と落ち合うことになっている。
丸崎に教えてもらった通りゴミ捨て場を出て、左に進み、建物の角を曲がる。
するとそこに人影が見えた。
バイクにまたがっている。これで脱出するのか。
俺は汚れた白衣をなびかせて駆け寄った。

そこにいたのは白石由記だった。

あまりにも迂闊すぎた。ここは敵の本拠地だった。
何で俺は人影が丸崎かどうか確認しなかったのか。
それに、なぜ気づかなかったのか。
丸崎にしてはあまりにもスタイルが良すぎではないか。
万事休す!
しかし、悲鳴を上げたのは白石だった。

「きゃー」

夜のしじまに少女の悲鳴が響く。何がどうした?

「何て格好してンのよ!」
「え?」

見ると、白衣の前のボタンが全て外れており、俺のミラクルタワーはもちろん、ヘソから乳首から全て丸出しだ。
無理もない。
格闘をしたり、エレベーターの上によじ登ったり、挙句ダストボックスに飛び込んだりしたのだから、白衣のボタンなど残っている方が奇跡に近い。
そういえば走っている間、やけに解放されている感じはした。

「着るものないの?」
「あ? 仕方ねぇだろ、気付いたら全裸で寝かされてたんだから」
「あぁ、そっかぁ……」

白石は頭を抱えた。やはり事情は知っているようだ。

「それよりてめぇ……」
「もういいや! 早く乗って!」
「ふざけんな。乗るわけねーだろ」
「もー! わがまま言わないでよ」
「今度はどこへ連れてく気だよ」
「ここから逃げたくないの?」
「え?」
「オデブチャンから聞いてないの?」

オデブチャン、といえば丸崎のことだろう。
丸崎と白石とでは手を組んでいるのか?
俺が寝ている間に何があったんだ?

「あ! ホラ人来た! 早く!」
「え? え?」

振り向くと、確かに追っ手が来た。

「わ、わかった」

白石は隠れるようにヘルメットを被り、俺の分も手渡した。
俺はメットを被り、後部シートにまたがった。

「おっ!」
「何?」
「いや、やっぱ直だと冷たいなと思って」
「あー! もー! やだー! 洗車したばっかなのに……」

俺を逃がしてくれるのかくれないのか、どっちかわからないことを言った。
信じていいのだろうか。

「飛ばすからしっかり捕まってよ」
「え? いいんですか?」

白石は黒のレザースーツを着ていた。
実は光沢感が妙にエロいなぁと思っていた。
まさかこんな状況でこんな夢のような事態が訪れようとは。
人生、一寸先は闇の向こうに光がありました。

「逃げたくないの?」
「あ、はい。じゃあ、失礼します……」

俺はお言葉に甘えて白石の腰に腕を回した。
革越しに細いながらもしっかりした腹筋と背筋を感じる。
さすがにいい蹴りを持ってるだけのことはある。
それでいて、暖かい。
俺はしっとりと……、いやしっかりと捕まった。

「あー! そんなにしっかり捕まんないでよ!」
「しっかり捕まれって言ったのはあんただろ!」
「押し当てないようにしっかり捕まってよ!」
「難しいなそれ……」
「もー、なんで……? 後で消毒しなきゃ……」
「え?」
「行くよ!」

白石はエンジンをかけると、いきなりフルスロットルでカッ飛ばした。
申し訳ないが、しっかり捕まった。
だって、落ちちゃうから。

「もー! やだー!」

夜のしじまに響いた少女の悲鳴は、爆音によってかき消された。


白石が目的地に着いた頃には、俺の精神はほとんど崩壊しかかっていた。
追っ手をまくため、白石は様々なドライビングテクニックを駆使してあっちへ行ったりこっちへ行ったり、もう方向感覚と平衡感覚は完全に麻痺していた。
おまけにその間、アクセルは全開だったので生きた心地がしなかった。
正直に告白すると、最初は俺もエロ目的全開で白石の腰に腕をぴったりと巻きつけていた。
やはり本物は違う。
仮想空間の俺ガールズたちとは、何というか、密度が違う感じだ。
しかも、憧れていた白石由記である。
三年の廊下をあてどもなくほっつき歩く作戦を敢行していた時の俺に報告してやりたいくらいだ。
現実世界に戻ってきて良かった。
そう、素直に思った。
しかしそんな余裕はすぐに消し飛んだ。
途中からは生存願望全開で白石の腰にしがみついていた。


バイクが止まると、俺は後部座席から崩れるように降り、地面に手をつき、しばらく四つん這いになっていた。
生きてて良かった。
そう、素直に思った。
こんなにも地面ってやさしいものだったんだ。
ただいま、地球。
サンキュー、地面。

「ねぇ、ちょっと来て」

白石に呼ばれたので、まだちょっと気分と呼吸が落ち着いていなかったが立ち上がった。
白石は俺が座っていた後部座席を覗き込んでいた。

「この汁なあに?」

見ると、俺が座っていたシートには水滴が残っていた。

「あぁ……………大丈夫じゃねぇかなぁ」
「大丈夫って何が?」

食い気味に聞いてきた。

「えぇ……………そうだな……………汗だと思うよ」
「思う、って何? 自分のことなのにわかんないの?」
「汗だよ。汗。うん」
「こんなに溜まるもの?」
「結構長いこと乗ってたから」
「前の方に偏ってるのはなんで?」
「真島くん!」

その時、丸崎が現れた。
この男は俺のピンチをいつも救ってくれる。
やはり底知れぬ男だ。
見ると、俺たちはとある建物の前に立っていた。
周囲は森に囲まれている。
この家の他には灯りもなく、暗くてよくわからないが他には家らしきものもないようだ。
家は何やら黒っぽい高い壁に囲まれている。
その壁には玄関らしきものが付いており、そこから出て来たであろう丸崎は俺に駆け寄った。
さすがに抱きつきはしなかったが(ほぼ全裸だし)、俺の存在を確かめるように左腕を掴み、ポンポンと叩き、

「よく帰って来れたなぁ……」

と今にも泣き出さんばかりだ。

「丸崎、その……ありがとう」

ようやく、お礼が言えた気がする。
自然と、ありがとうが出てきた。
あんなに苦労したのに、いざ言える時はそんなもんだ。
丸崎は嬉しそうに笑顔になって、

「いいんだよ、そんなこと。とにかく疲れてるだろ? 早く入って」
「あ、あぁ」

せっかくこう言ってくれていることだし、俺はこれ幸いとばかりに丸崎の後に続いた。
俺の背後からは、

「廃車かなぁ……」

という悲し気な一言が漏れ聞こえた。
それを聞いて、俺も悲しい気持ちになった。
というより、ちょっと傷ついた。
なんとなく俺という存在を根本から否定されたような気分になったからだ。

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