ラヴ・パンデミック
策
「え……! 何? 突然?」
言っちまった。だがもう止まらん。
「だから! 俺は、白石由記のことが、好きなんだって!」
「え? え? あ、そうなの? え? いや、それって……、いやあの……」
辛抱たまらず言ってしまった。
俺もなぜだかわからない。
言われた丸崎の方でもあまりにも予想外だったのだろう。
かなり混乱しているようだ。
そりゃそうだ。
この時代、恋愛する奴なんていやしない。
しかも丸崎は女嫌い。
自分の思考の範囲を大幅に逸脱していたのだろう。
言った俺自身も何でこんなタイミングで言ってしまったのかわからない。
もう一人で溜め込んでるのも限界だったのかもしれない。
違うこととして相談し始めたが最後、タガが外れてしまったか。
いや正直に言おう。
本当は誰かに聞いて欲しかったのだ。
その誰かとは、今や明確に丸崎だったのだ。
だから丸崎が湖水地方に来てくれた時は本当に嬉しかった。
しかしその丸崎は呆然と俺を見ている。
そりゃそうだ。
彼は女嫌いなのだから。
勢いで言ってしまったが、これは嫌われたかな。
「君は女のことが好きだったのか! 何て汚らわしい……。出てけ! 僕の家から今すぐ出てけ!」
などと言われたとしても仕方がない。
しかしまぁ、そう言われたとしてもそれは普通だ。
なぜなら今はそういう社会だし、実際普通じゃないのは俺の方なのだから。
「そうかぁ。まぁ言われてみれば、そうだろうなぁ、という感じかなぁ」
しかし、意外にも丸崎が言ったのはそんな台詞だった。
「え?」
今度は俺が呆然と丸崎を見た。
「だって君、一緒に映画観てても出てくる女優のことばっかり見てたぜ。しかもすげえニヤニヤして」
「見られてたか」
「気配すごかった」
「そうか……」
「それに、僕が女を嫌いなんだから、逆に女を好きな男がいても別段不思議じゃないでしょ」
「俺のことが、気持ち悪く、ないのか?」
「気持ち悪かったよ」
「そうか……」
「女優見てる時の顔、ホントすごいぜ。顔が土砂崩れ起こしてる。今度写真撮って見せてあげるよ」
それは丁重に断った。
「それは君に気があるのじゃないか?」
俺がこれまでの経緯を話すと、丸崎はそんなことを言った。
「なんでそうなるんだよ!」
俺は心の動揺を抑え、つとめて冷静に問いただした。
「いや、そんな大声出さなくても。もうちょっと冷静になりなよ」
「おぉ、悪い……」
「だって、君は映画の中にお気に入りの女優や気になった女優、有り体に言えば好きな女優が出てきたら、その人のことばかり見てるだろ?」
「おぉ、まぁ」
「だから、そういうことだよ。逆のことが起こっただけだよ。好きでもない人の顔なんて、あんまり見たくないだろ。逆に僕なんかは特に嫌いな女の顔は見ちゃうけどね」
「え、そうなのか! なんでだよ?」
「こいつこの間のテストで僕より成績上だった、とか、こいつ僕より頭一つ分も背が高い、とか思うと悔しくて逆に見ちゃう」
「そうなんだ」
そんなこともあるのか。
「まぁいずれにしろ、良きにつけ悪しきにつけ、興味のない人間の顔は見ない。興味のある人間の顔は見る。好きなら見るし、嫌いなら見る」
「じゃあ、逆に言うと、大抵の奴は人には興味ないってことか?」
「まぁ、そういうことになるね」
「まぁそれが普通だよな。そういや、俺、同じ奴から何度も顔見られたことなんてなかったなぁ」
「ほら。そのことが僕が今言ったことを証明しているよ」
なるほど、確かにその通りかもしれない。
「それに、君が女を好きなら、女の中にも男が好きな奴がいても不思議はない。一人きりしかいない例外なんて、考えられないからね」
なるほど。いちいちもっともだ。
やはり底知れぬ男だ。
そういや、異性のことを好きな奴は日本全国で俺だけ、なんてことはよくよく考えたら確率が低すぎる。
そうか、恋愛に憧れてる奴は俺だけじゃないかもしれない。
そう考えるとなんだか嬉しくなってきた。
そして、ももよ先生の顔が頭をよぎった……。
「どうしたの? ニヤニヤしたり、浮かない顔になったり」
「え? あぁ……。いや別に……」
「情緒不安定だなぁ。まぁ無理もないか」
無理もない?
まさか、こいつ俺の思考を……。
もしやエスパーか?
やはり底知れぬ男だ。
「白石由記が君に対して何らかの興味があることは確かだと思うけど、よくよく考えたら好意か嫌悪か今の段階では五分五分だもんね」
「え?」
なるほどそうか。
俺のことをよく見ている、というだけでは好きで見ているのか、嫌いで見ているのか、まだわからないわけだ。
実際、丸崎は嫌いな女子のことをよく見てしまうと言っていたし……。
浮かれていた俺が見過ごしていた点を指摘してくれたわけだ。
とはいえ、俺が心の内で思っていたことを勘違いしてアドバイスしたわけだから、全然エスパーなんかじゃなかった。
案外底の知れた男かもしれない。
「しかし、そんな五分五分の状況だけど、考えようによってはラッキーかもしれない」
「と言うと?」
「まさにこの『五分五分の状況』というのがそもそもラッキーなんだ」
底の知れた男が訳のわからないことを言い始めた。
「つまりね、君のことをそんなに頻繁に見てたということは、興味はない、ということだけはないということさ。興味があるということは好きか嫌いか。可能性は五十パーセント」
五分五分という言葉を五十パーセントという言葉に変えただけで、同じことを言ってるのに随分と可能性が高くなった気がする。
「つまり、可能性はゼロではないということさ」
ゼロではない、と言われると一気に可能性がなくなったように聞こえる。
「これが逆に、もし君のことを見もしない状況であったなら、残念ながら君には全く興味がない、つまり可能性はゼロ、なんにもなかったんだから」
なるほどそういうことか。
三年の階の廊下をあてどもなくほっつき歩く作戦を実行した時、あれほど恐怖だった白石由記の視線が実は希望の光だったのだ。
世の中うまくいかない、と思っていたことが案外吉兆だった、というこもあるのかもしれない。
今の俺の状況は可能性がある!
そう思えるだけでここ一ヶ月ほどの陰々滅々とした気分が一気に晴れ渡ったようだ。
我ながら単純でバカであるなぁとは思いつつ、人の感情の流れを押しとどめる術などないのだ。
というわけで、今俺は有頂天である。
「というわけで作戦なんだけどね」
「作戦?」
「そう。今のままだと可能性はあるとはいえ、うまくいく確率は半分しかない」
「お、おぅ……」
確率半分……。
「で、その確率を上げるためには、つまり白石が君のことを嫌いであったとしても、」
「おぅ……」
嫌い……。
「好きにさせる作戦が必要だと思うんだ」
好き!
「おう! で、その作戦って?」
俺たちは今、物陰に隠れている。
おあつらえ向きに幹の太い木が生えていた。
デブとデカいのがギリギリ隠れるくらい……いや、ちょっと嘘ついた。ちょっとだけはみ出るくらいには隠れられる太さは担保されている。
だから割と樹齢はあると思う。百年くらいか。……いや、わからんけど。
まぁ仮に百年とすると、百年分この国の変遷を見てきたわけだ。
まだこの国が幸せだった頃から(今は健全ではあるが、あまり幸せとは言い難い状況だ)、あの災厄があって、現在に至って。
そうか、あの災厄をこの木は耐えたわけだ。
大したもんだな、お前。
そして今はデブとデカを隠している。
お世話になります。
今は夕方、そろそろ陽も暮れかかってきている。
どれくらい待っただろうか。
白石由記はまだ来ない。
正確に言うと、白石由記を乗せたバス、ということになるのだが。
ところで、さっきから蚊に食われまくってる。
まだ夏服にはなってないので、主に肌が露出している手首やら首筋がいい加減かゆい。
それよりムカつくのはプゥーンという鳴き声だ。
正確に言うと羽音なのだが、最早鳴き声にしか聞こえん。
特に耳の穴に近づくか近づかないかの微妙な距離感での鳴き声が一番鼻に付く。
人の神経を逆撫ですることこの上ない。
待てどもバスは来ないわ、蚊はムカつくわで、俺のストレスも頂点に達した。
舌打ちを一発派手に鳴らし、
「まだかよ!」
と丸崎相手に悪態をついた。
振り向いた丸崎を見ると、顔が蚊に食われてボコボコになってる。
俺以上に食われているらしく、どうやら甘いもんばっかり食っている奴の血は蚊の方でもわかるらしい。
血も甘くてうまいのだろう。
殊の外、蚊はグルメのようだ。
「遅い方がバスに乗ってる人も少ないから、却って好都合だよ」
そう言った丸崎は左上まぶたが腫れ上がり、ほとんど視界は確保できていないであろう。なかなかの形相だ。
これなら白石由記もびびるだろう。効果てき面だ。
俺たちは今、白石由記が降りる停留所と生徒村を繋ぐ道のほぼ中央の雑木林に身を潜め、校門の少女こと白石由記の帰りを狙っている。
丸崎が立てた作戦を実行するためだ。
言っちまった。だがもう止まらん。
「だから! 俺は、白石由記のことが、好きなんだって!」
「え? え? あ、そうなの? え? いや、それって……、いやあの……」
辛抱たまらず言ってしまった。
俺もなぜだかわからない。
言われた丸崎の方でもあまりにも予想外だったのだろう。
かなり混乱しているようだ。
そりゃそうだ。
この時代、恋愛する奴なんていやしない。
しかも丸崎は女嫌い。
自分の思考の範囲を大幅に逸脱していたのだろう。
言った俺自身も何でこんなタイミングで言ってしまったのかわからない。
もう一人で溜め込んでるのも限界だったのかもしれない。
違うこととして相談し始めたが最後、タガが外れてしまったか。
いや正直に言おう。
本当は誰かに聞いて欲しかったのだ。
その誰かとは、今や明確に丸崎だったのだ。
だから丸崎が湖水地方に来てくれた時は本当に嬉しかった。
しかしその丸崎は呆然と俺を見ている。
そりゃそうだ。
彼は女嫌いなのだから。
勢いで言ってしまったが、これは嫌われたかな。
「君は女のことが好きだったのか! 何て汚らわしい……。出てけ! 僕の家から今すぐ出てけ!」
などと言われたとしても仕方がない。
しかしまぁ、そう言われたとしてもそれは普通だ。
なぜなら今はそういう社会だし、実際普通じゃないのは俺の方なのだから。
「そうかぁ。まぁ言われてみれば、そうだろうなぁ、という感じかなぁ」
しかし、意外にも丸崎が言ったのはそんな台詞だった。
「え?」
今度は俺が呆然と丸崎を見た。
「だって君、一緒に映画観てても出てくる女優のことばっかり見てたぜ。しかもすげえニヤニヤして」
「見られてたか」
「気配すごかった」
「そうか……」
「それに、僕が女を嫌いなんだから、逆に女を好きな男がいても別段不思議じゃないでしょ」
「俺のことが、気持ち悪く、ないのか?」
「気持ち悪かったよ」
「そうか……」
「女優見てる時の顔、ホントすごいぜ。顔が土砂崩れ起こしてる。今度写真撮って見せてあげるよ」
それは丁重に断った。
「それは君に気があるのじゃないか?」
俺がこれまでの経緯を話すと、丸崎はそんなことを言った。
「なんでそうなるんだよ!」
俺は心の動揺を抑え、つとめて冷静に問いただした。
「いや、そんな大声出さなくても。もうちょっと冷静になりなよ」
「おぉ、悪い……」
「だって、君は映画の中にお気に入りの女優や気になった女優、有り体に言えば好きな女優が出てきたら、その人のことばかり見てるだろ?」
「おぉ、まぁ」
「だから、そういうことだよ。逆のことが起こっただけだよ。好きでもない人の顔なんて、あんまり見たくないだろ。逆に僕なんかは特に嫌いな女の顔は見ちゃうけどね」
「え、そうなのか! なんでだよ?」
「こいつこの間のテストで僕より成績上だった、とか、こいつ僕より頭一つ分も背が高い、とか思うと悔しくて逆に見ちゃう」
「そうなんだ」
そんなこともあるのか。
「まぁいずれにしろ、良きにつけ悪しきにつけ、興味のない人間の顔は見ない。興味のある人間の顔は見る。好きなら見るし、嫌いなら見る」
「じゃあ、逆に言うと、大抵の奴は人には興味ないってことか?」
「まぁ、そういうことになるね」
「まぁそれが普通だよな。そういや、俺、同じ奴から何度も顔見られたことなんてなかったなぁ」
「ほら。そのことが僕が今言ったことを証明しているよ」
なるほど、確かにその通りかもしれない。
「それに、君が女を好きなら、女の中にも男が好きな奴がいても不思議はない。一人きりしかいない例外なんて、考えられないからね」
なるほど。いちいちもっともだ。
やはり底知れぬ男だ。
そういや、異性のことを好きな奴は日本全国で俺だけ、なんてことはよくよく考えたら確率が低すぎる。
そうか、恋愛に憧れてる奴は俺だけじゃないかもしれない。
そう考えるとなんだか嬉しくなってきた。
そして、ももよ先生の顔が頭をよぎった……。
「どうしたの? ニヤニヤしたり、浮かない顔になったり」
「え? あぁ……。いや別に……」
「情緒不安定だなぁ。まぁ無理もないか」
無理もない?
まさか、こいつ俺の思考を……。
もしやエスパーか?
やはり底知れぬ男だ。
「白石由記が君に対して何らかの興味があることは確かだと思うけど、よくよく考えたら好意か嫌悪か今の段階では五分五分だもんね」
「え?」
なるほどそうか。
俺のことをよく見ている、というだけでは好きで見ているのか、嫌いで見ているのか、まだわからないわけだ。
実際、丸崎は嫌いな女子のことをよく見てしまうと言っていたし……。
浮かれていた俺が見過ごしていた点を指摘してくれたわけだ。
とはいえ、俺が心の内で思っていたことを勘違いしてアドバイスしたわけだから、全然エスパーなんかじゃなかった。
案外底の知れた男かもしれない。
「しかし、そんな五分五分の状況だけど、考えようによってはラッキーかもしれない」
「と言うと?」
「まさにこの『五分五分の状況』というのがそもそもラッキーなんだ」
底の知れた男が訳のわからないことを言い始めた。
「つまりね、君のことをそんなに頻繁に見てたということは、興味はない、ということだけはないということさ。興味があるということは好きか嫌いか。可能性は五十パーセント」
五分五分という言葉を五十パーセントという言葉に変えただけで、同じことを言ってるのに随分と可能性が高くなった気がする。
「つまり、可能性はゼロではないということさ」
ゼロではない、と言われると一気に可能性がなくなったように聞こえる。
「これが逆に、もし君のことを見もしない状況であったなら、残念ながら君には全く興味がない、つまり可能性はゼロ、なんにもなかったんだから」
なるほどそういうことか。
三年の階の廊下をあてどもなくほっつき歩く作戦を実行した時、あれほど恐怖だった白石由記の視線が実は希望の光だったのだ。
世の中うまくいかない、と思っていたことが案外吉兆だった、というこもあるのかもしれない。
今の俺の状況は可能性がある!
そう思えるだけでここ一ヶ月ほどの陰々滅々とした気分が一気に晴れ渡ったようだ。
我ながら単純でバカであるなぁとは思いつつ、人の感情の流れを押しとどめる術などないのだ。
というわけで、今俺は有頂天である。
「というわけで作戦なんだけどね」
「作戦?」
「そう。今のままだと可能性はあるとはいえ、うまくいく確率は半分しかない」
「お、おぅ……」
確率半分……。
「で、その確率を上げるためには、つまり白石が君のことを嫌いであったとしても、」
「おぅ……」
嫌い……。
「好きにさせる作戦が必要だと思うんだ」
好き!
「おう! で、その作戦って?」
俺たちは今、物陰に隠れている。
おあつらえ向きに幹の太い木が生えていた。
デブとデカいのがギリギリ隠れるくらい……いや、ちょっと嘘ついた。ちょっとだけはみ出るくらいには隠れられる太さは担保されている。
だから割と樹齢はあると思う。百年くらいか。……いや、わからんけど。
まぁ仮に百年とすると、百年分この国の変遷を見てきたわけだ。
まだこの国が幸せだった頃から(今は健全ではあるが、あまり幸せとは言い難い状況だ)、あの災厄があって、現在に至って。
そうか、あの災厄をこの木は耐えたわけだ。
大したもんだな、お前。
そして今はデブとデカを隠している。
お世話になります。
今は夕方、そろそろ陽も暮れかかってきている。
どれくらい待っただろうか。
白石由記はまだ来ない。
正確に言うと、白石由記を乗せたバス、ということになるのだが。
ところで、さっきから蚊に食われまくってる。
まだ夏服にはなってないので、主に肌が露出している手首やら首筋がいい加減かゆい。
それよりムカつくのはプゥーンという鳴き声だ。
正確に言うと羽音なのだが、最早鳴き声にしか聞こえん。
特に耳の穴に近づくか近づかないかの微妙な距離感での鳴き声が一番鼻に付く。
人の神経を逆撫ですることこの上ない。
待てどもバスは来ないわ、蚊はムカつくわで、俺のストレスも頂点に達した。
舌打ちを一発派手に鳴らし、
「まだかよ!」
と丸崎相手に悪態をついた。
振り向いた丸崎を見ると、顔が蚊に食われてボコボコになってる。
俺以上に食われているらしく、どうやら甘いもんばっかり食っている奴の血は蚊の方でもわかるらしい。
血も甘くてうまいのだろう。
殊の外、蚊はグルメのようだ。
「遅い方がバスに乗ってる人も少ないから、却って好都合だよ」
そう言った丸崎は左上まぶたが腫れ上がり、ほとんど視界は確保できていないであろう。なかなかの形相だ。
これなら白石由記もびびるだろう。効果てき面だ。
俺たちは今、白石由記が降りる停留所と生徒村を繋ぐ道のほぼ中央の雑木林に身を潜め、校門の少女こと白石由記の帰りを狙っている。
丸崎が立てた作戦を実行するためだ。
「SF」の人気作品
書籍化作品
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