ラヴ・パンデミック

ロドリゲス

入学式も滞りなく終え、俺たち生徒は適当に(まぁ、適当ってわけでもないんだろうけど)振り分けられたクラスへと移動した。ちなみに俺は3組だった。
席は特に決められているわけではなく、言ってみれば早い者勝ちだ。
クラスは女男一緒。教室を真ん中で分け、廊下寄り半分が女、窓寄り半分が男、と誰が言い出したわけでもないのにキレイに分かれる。
俺は出遅れ、男子の中では一番廊下寄りの列にしか空いている席は残っていなった。
ということは、俺の右隣は必然的に女子ということになる。嬉しいような嬉しくないような、である。
そうは言っても仕方がない。俺は真ん中より少し後ろ寄りの席が空いていたので、そこを取った。
俺の右隣の席はまだ空いている。他の生徒は全員自分の席を確保しているので、一人遅れているようだ。

俺は席に着くなり、今朝、校門ですれ違った風のような女の子のことを思い出した。
可愛い子だった。
横顔だけでも超絶的に可愛いということがわかるくらい可愛い子だった。
それに、何と言うか、可憐だ。
校舎へと駆けていく足取りは軽く、体重なんかないんじゃないだろうかとすら思う。
重力という呪縛から解き放たれているのかもしれない。
いや、背中に羽が生えていたのだろう。
もちろん、真っ白いやつが。
美しいと可愛いと天上界を全て足した感じだ。
それだけではない。彼女を見た時、何か切なくなってきたのだ。
こう、胸がキューッと泣くような。郷愁感とでも言うのだろうか。
初めて会ったはずなのに、どこか懐かしいというか。
変な話だが、あの時、なんだか泣きたくなってきたのだ。

俺がそんな風に今朝のことを反芻している間も、隣の席は空いたままだった。
一体どんな子が来るのだろう?
……校門の少女だったらどうしよう?
可能性はなくはない。なんせこの学校の生徒なのだから。
急に緊張してきた。もしあの子が俺の隣に座ったら天国のようだが、地獄でもある。
俺は狂った俺を抑えられるだろうか?
そう考えると自信がない。
何年生なのだろうか? 学年が違ったらそれまでだが、同じであってほしいと心の奥底の俺が言う。
しかし心の表層的なところでプカプカと浮かんでいる俺が、いやいや隣に来たらヤバいでしょ、と一応言っている。
だが、同じ学年だとしてもクラスは全部で三つある。
一クラスは三十人前後だから隣に来る人が校門の女の子である確率は大体九十分の一。
打率にして0割0分1厘。
ピッチャーでもそんな奴いないくらいの打率の低さだ。
しかし、千回打席に立てば一回はヒットだ。
そう考えると、あり得る話のような気がしてきた。

教室のドアが開く音が後方から聞こえた。
来た!
後ろからということは先生ではない。生徒だ。
足音がこちらに向かって来るのがわかる。
振り向いて誰だか確認したいのは山々だが、体が強張って振り向けない。
それどころか、特に見たくもないのに窓の外の空を見上げる始末だ。
空は晴れ渡っている。雲ひとつない、まさに入学式にうってつけの日だ。
そうこうするうち、足音は俺の右隣で止まり、ドッカと椅子に腰を落とす音が聞こえた。
随分乱暴で重量感のある音だなぁ、と俺は訝りつつ、そっと右隣を盗み見た。
そこにはむくつけき男子高校生が腰を下ろしていた。
女子ですらねえ!
俺はホッと安心したようなガッカリしたような、いやガッカリしたのだが、どうやらこのクラスは男の方が一人多いらしい。

その男は背は低そうだが、良く言えばガッシリとした、正直に言えば小太りな体型で、真ん中で切り揃えた真っ黒な直毛の下には平たい顔が収まっている。
どことなく何を考えているのかわからない顔つきで、一人遅れて来てるのに何事もなかったような顔をしているし、何より前後と右半分を全て女子に囲まれているのに実に平然としている。
俺ならとても平静ではいられない状況だが、よく考えたらこいつの方が普通なのである。
それを思うと自分の異常性が浮き彫りになるような思いで、やはり入学早々鬱々とした気分になってしまう。
何も損はしていないはずなのに何だかすごく損をした気持ちになって、それこそ大損なのだが、そんな入学早々朝っぱらからのクソ大損スパイラルに巻き込まれている時に、担任の先生が入ってきた。
イカした高校生活が開幕したようだ。

今日は入学式なので授業はない。
とは言え明日から早速始まるのだが、今日のところは学校の設備の紹介や注意事項、あとは先生と生徒の自己紹介が軽く行われ、午前中で終了となった。
長い長い『散り桜参道』を朝とは逆方向に歩きながら嫌いな勉強をやらなくて済んだ充実感に浸っていたが、道の半分も過ぎると明日からの諸々のことが頭をよぎり、すぐに気分が滅入った。
晴れた空は相変わらずで、俺の気分の滅入りさを浮き彫りにするようで腹が立ってきた。
雨でも降らねぇかなぁ、と思いつつバス停の列に並んだ。
ややあって俺のすぐ後ろに誰か生徒が並んだが、見ると教室で俺の隣になったオデブチンだった。
やはり背は低く、170は確実にないだろう。
俺よりも随分低い。つむじが丸見えだ。まぁ、俺がデカいのもあるが(ちなみに俺は188ある)、日本人の平均身長を大きく下回っているのは間違いない。
確か自己紹介の時、丸崎賢斗と名乗ってた。
ちなみに名前は人工出産施設で新生児の様々な特徴をデータ化し、それに見合ったものが割り振られる。
丸崎という苗字はまさにこいつの特徴に合致していると言っていい。
多分こいつは自分がギリギリデブではないと思ってる類のギリギリデブだろう。
しかしファーストネームの方は名前負けのように思える。あんま賢そうには見えん。
だけどやっぱりこいつも優秀ではあるのだろう。

現在の日本人は基本的には優秀な奴ばかりだ。しかも若年層になればなる程その傾向は強まっていく、はずだ。
というのも、現在の人作りは優秀な人材の卵子と精子を結合させることにより成されている。
以前は、これもやはり二〇三〇年頃までの話だが、人を作るのは人だったらしい。
もちろん、今も専用の施設で人は作られるので、人が作っていると言えるのだが、そうではない。
なんと恐っそろしいことに、人は人の腹の中から出て来ていたというではないか。
まさにホラー、まさにスプラッタである。
とはいえ、人間以外の哺乳類は大抵そうなのだが、どうも人間と他の動物とは全然違うもののように思えてしまう。
だから、初めて授業で習った時に身の毛もよだつ思いだったのを今でも覚えている。
女子の何人かは悲鳴を上げ、男子は皆一様に顔が青ざめていた。やはりそこら辺の感覚は皆俺と同じなのだろう。
また、他の哺乳類同様、人間も昔は女が子供を産んでいた、というのだが、ここで更に女子から悲鳴が上がり、自分の腹を抑える女子も少なくなかった。
非常にグロい想像をしてしまったが、その一方で、女しか子供を産めない、というのはなんだか非効率的なことであるようにも思った。
しかし一体どういう原理で女の腹の中から人間が出て来るのか、全く不可思議である。
そこまでは教えてくれなかったが、もうそれ以上は聞きたくもなかったので丁度よかった。
幸いなことに先生は、現在ではそのようなことはないから安心しなさい、と言ってくれた上、よくよく考えたら女の腹から人間が出てきた、なんて話は都市伝説でも聞いたことがない。
まぁ、遠い昔の出来事なので気にする必要もないし、現在ではちゃんと人は国の機関が作っている。

だからだろう、卵子バンクと精子バンクは国の最重要の施設という位置付けであり、またそのような施設に卵子や精子を提供できることはステイタスにもなっている。
従って、優秀な遺伝子同士が掛け合わされた子供がまた自分の卵子なり精子なりをそれらのバンクに提供し、更に優秀な人間が生まれる。
これを繰り返すのだから、世代が進む毎に、より優秀な人間が生み出されるのだ。まぁ、進化というやつだろう。
このような形で人間を作るようになったのは二〇二五年からだそうだ。
それから五十年以上もこの作業を毎年繰り返しているのだから、もう俺の世代では優秀な奴ばかりなのだ。

そんな世の中にあって俺はというと、さっきも言ったようにあまり優秀ではない。
というより、正直に言おう、劣等生だ。
それもほかの連中が似たり寄ったりの高い成績なので(俺から見れば高いが、悲しいかなこれが平均なのだ)、より俺の劣等っぷりが目立ってしまう。
一人勉強には何の興味も持てず、学年を追うごとに落ちこぼれていく俺はやはり狂っているのだろうか?
突然変異。
そんな言葉が浮かぶ。いくら優秀な卵子と精子をかけ合わせると言っても、イレギュラーはあるはずだ。
俺はそのイレギュラーなのかもしれない。
後ろに並んだ丸崎賢斗とはしばらくはお互い挨拶も交わさなかったが、やがてオデブチンが俺に声をかけた。
「君、今日クラスで僕の隣になった真島光一くんだよね?」
「あぁ、そうだと思うよ」
今、こいつと話すのは正直乗り気がしない。そんな気分じゃない。
「お願いがあるんだけど」

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