ツイートピア

ナガハシ

ツイートピア760~786



(760)
 その後ノルコはお風呂に入り、歯を磨き、明日の学校の準備をし、自室の床をコロコロで丹念に掃除した。そして寝る前に部屋TLを確認しようと、耳たぶをクリックした。ノルコ(あれ?) 部屋TLが開かない。どうやら壊れているようだ。ノルコは部屋のドアのすぐ横に取り付けてある部屋用TLを手にとった。


(761)
 部屋用のTLは、だいたいマッチ箱くらいの大きさだ。コンビニとかスーパーとかで簡単に入手できる。内部に組み込まれた各種センサーが部屋の大きさを認識し、部屋の範囲内でやりとりされる情報をTL上に記録していく、いわゆるユビキタスコンピューターの一種だ。これを部屋に取り付けることが、現在は常識になっている。


(762)
 ノルコ(新しいの買ってこなきゃ) 部屋用TLは電池が切れたり、踏んずけて壊したりしても大丈夫な仕様になっている。すぐ近くに別のTL機器があれば、そこに全てバックアップされる。ノルコが明日やるべきことは、部屋用TLを買ってきてスイッチを入れて部屋に置く、たったそれだけなのだ。


(763)
 ノルコの部屋のTLは、子供の部屋にふさわしい設定がすでになされているタイプだ。デザインも花柄だったりウサギの絵が描かれていたりと、いかにも子供用っぽい。ノルコはその部屋TLをひっくり返して、その裏側を見てみた。「サワニチエレクトロニクス」と書かれたステッカーが貼ってあった。


(764)
 ノルコは机の上のひよこ型BOT「ピヨッター」にアクセスし、今はもう電池が切れてしまった部屋TLの、情報バックアップを引き出した。ノルコ(ほおお) サワニチエレクトロニクスは、あのトイレ法の発起人ミタ・セイさんが経営する「さわやか日常」の関連企業だった。ノルコ(世の中せまいな)


(765)
 ノルコはその情報をたどって「さわやか日常」社のビジターTLにアクセスし、そこから社長室TLに飛んだ。ミタ・セイさんは今日の昼すぎに一時間ほど社長室にいて、秘書の人といくつかの会話をしたようだ。ノルコはそのTLをまじまじと眺める。ノルコはさながら、さわやか日常の社長室にいるようだった。


(766)
 セイ「きみの教えてくれたレストラン、すごく美味しかったよ。先方もずいぶんと気に入ってくれたみたいだ。何より知名度が低くて予約しやすいからね。またあんな隠れ家的な場所を見つけたら、是非とも教えてほしいよ」 秘書「お役に立てて何よりです。足で検索すると結構見つかるんですよ」


(767)
 セイ「そうなんだろうね、あれはネット検索じゃまず見つからないお店だよ。生垣で入口を隠してあるレストランなんて初めて見たね。とことん目立たないようにって店主の配慮がいたるところに伺えた。あるんだねえ、あんな店が」 秘書「とっておきですから。あと、あまり呟かれない方が」


(768)
 セイ「おっとそうだった。うっかりしてたよ、せっかくの隠れ家に行列でも出来たら大変だ、はははっ」 秘書「はい。ところで、取引の方はうまくいきそうなんですね?」 セイ「ああ、先方はこちらの提案にとても好意的だった。予定通り進めてかまわないよ」 秘書「かしこまりました」


(769)
 ノルコ(お仕事の話? レストランの話?) 社長室TLをちまちまと読んではみたが、それがどういうやり取りなのかは今ひとつわからなかった。B・ソーシャルの会社の社長さんが、誰とどんな取引をしているのかなど、ノルコには想像もつかない。ただ、人柄だけはなんとなくわかった。ミタ・セイさんは明るくて誠実そうな人だ。


(770)
 ヨコ「よるほーよるほー」 ノルコ(あっ) ノルコは時計を見た。夜の十時を回るところだった。ノルコ(寝なきゃ、ぁう?) キンッ……ノルコの頭に頭痛が走る。ノルコ(なんか頭痛が痛むな) ノルコはキンキン痛む頭を、両手で「ぎゅう」と圧迫する。ノルコ(治った!) そして何も気にせず眠りについてしまった。


(771)
 ――深夜11時。まもなく終電もなくなるという時間に、ギンザの街をうろつく男が一人……。アフレル「うぃぃ……ヒックッ」 ずいぶんと泥酔しているようだ。顔は赤いのを通り越して白みはじめており、髪の毛もボサボサだ。よろよろと千鳥足で、まっすぐ歩くこともままならない。アフレル「月がキレイだな、アハハ」


(772)
 昼間、ヨコの浮気現場を目撃した(と勘違いした)アフレルは、そのまま呟音駅に引き返し、あてもなく彷徨った。電車を何本か乗り継いで、どういうわけか海芝公園に行き着いた。神奈川県の鶴見工業地帯にある海芝浦駅は、昼間は利用者が殆どいない。出来るだけ人のいない電車をと、乗り継いでいった結果だった。


(773)
 その名の通り、海の上に浮かんだ芝地のような作りの海芝公園。アフレルはひとまずベンチに腰掛けて海を眺めた。ときおり魚がぴちゃんぴちゃんと跳ねる海原。その向こうに見える赤茶けた古い工場。アフレル(まるで世の果てだ……) そう思うアフレルの背後にあるのは、実は世界トップクラスの電気メーカーだったりするのだが。


(774)
 アフレルはそのままたっぷり1時間、そのまま海を眺めていた。子供のころから続く、ヨコとの思い出が、脳裏に駆け巡っていた。アフレル(思えば僕の人生は、失恋そのものだった……) 物心ついたころから思いを寄せていたその少女は、アフレルの目の前で次々と知らない男たちのものになっていったのだ。


(775)
 幼稚園児の時、知らない少年と手をつないで歩いているヨコを見て、アフレルはショックで体重が半減してしまった。小学3年の時。ヨコが知らない男子とキスをしたことを知って1週間学校に行けなくなった。中学1年の時、ヨコに恋の相談をもちかけられて、毎晩逆立ちして過ごすほど苦悶した。


(776)
 しかしアフレルは、めげずにその試練を一つ一つ克服していった。そして高校生になるころにはそのカタルシスをバネにして勉学に励めるまでになっていた。アフレル(だから今もきっと……) ヨコが浮気したという現実をバネにして、より仕事に精を出すことが出来るはずだ。アフレルは何度もそう自身に言い聞かせた。


(777)
 が。アフレル「…………」 何かが事切れていた。アフレルは何も言わずにバイオツイッターをログオフした。両耳をクリックしたまま5秒間。たったそれだけでアフレルは、この世界の誰ともつながらない状態になった。アフレル「……ふっ」 ほくそえんでも一人、その声はさざ波の音にかき消されていく。


(778)
 そしてアフレルは海芝浦を後にした。途中、鶴見駅のキオスクでワンカップ酒を大量購入した。キオスクのおばあちゃんはアフレルがログオフしていることに気がつかなかった。気づいてたら止められただろう。そしてアフレルは電車に乗りながらお酒を飲んだ。それから先の記憶は定かではない。


(779)
 ――深夜11時20分。うらぶれた夜のギンザを歩く男が一人。もう電車はなくなった。ログオンすれば車を呼べるけど、そんなことはしたくなかった。街角にはもう誰も歩いていない。店も開いてない。時折わら草の塊が風に吹かれて、砂っぽいアスファルトの上を転がっていった。まるでやすい西部劇のような光景だった。


(780) 
 歩きつかれたアフレルは、何に使われているかもわからない、薄汚れたビルの隙間にうずくまった。かつてバブルと呼ばれた時代があって、その時ギンザは世界の中心だった。地球上でもっとも高貴で、華やかで、富に溢れた場所だった。人々はこの場所にありったけの金と見栄とを持ち寄って、競うように消費したのだ。


(781)
 だがそれも昔の話。ありったけの金と見栄は、ありったけの借金と無気力に変わり、貨幣制度に基づいた大量消費社会の終焉とともに、この街は歴史の遺物となったのだ。東京のいたる場所が農地化され、人々は地方に分散して暮らすようになり、そして最後には、お金そのものが地上から消えうせた。


(782)
 ヒヒーン――どこからともなく、馬のいななきが聞こえてきた。アフレル(……誰が馬を飼っているのか?) 心なしか空気が馬くさい。昔々誰かが言っていた『ギンザでベコ飼う時代』というものが、もうそこまで迫ってきているかのようだ。アフレル(ああ……僕らはいったい、どこへ行くのだろう)


(783)
 アフレルは馬のいななきがどこから聞こえてくるのか気になった。その馬の姿を見てみたいと思った。ひとまず立ち上がり、いななきが聞こえる方角へヨロヨロと進んでいく。ヒヒヒーン、ブルルル――そう遠くはないようだ。そしてやっぱり馬くさい。アフレル「ここを曲がったところか……?」


(784)
 目の前にほのかな明かりが差し込んだ。ランタンの明かりだ。ボロボロのビルの間に、木造の馬小屋がある。ちょっと冗談みたいな光景だなとアフレルは思った。丸太を大雑把に組んだだけの簡単な馬小屋に馬が2頭つながれているのだ。アフレルは街灯にむらがる夏虫のごとく、その光景に引き寄せられていった。


(785)
 目の前には間違いなく馬がいた。栗毛の馬が二頭、つぶらな瞳でアフレルを見つめている。気にするわけでもなく、嫌がるわけでもなく、ただアフレルがそこにいることを認めている。アフレル「いい馬だなぁ」 そして馬がいるということは、飼い主もどこかにいるということだ。いったいどこに?


(786) 
 すぐ隣のおんぼろビルに目をやると、看板に一つだけ明かりがついていた。地下一階『BARオールドウェスト』 バー? いったい誰が来るんだろう? そう思いつつも気になって仕方なくなったアフレルは、そのビルの階段を降りていった。その先にはいかにも西部劇に出てきそうなあの扉、スイングドアが待ち構えていた。 





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