ガチ百合ハーレム戦記

ナガハシ

決意、宿の一夜

「ガルルゥ……ムニャ、スヤァ……」


 リーンの腕の中で、ランが心地よさそうな寝息を立てている。
 ランは先ほどまで、リーンに性的ないたずらをされて七転八倒していたが、喉元と首筋を集中的に撫でまわされると、あっという間にゴロゴロと眠りに落ちてしまった。


「まるでおっきな猫だな」


 ランは一言で言って毛深い。
 頭、首の周り、腕と足の先、胸元。
 フサフサの群青色の毛が生えている。
 寝巻きは一応着ているが、毛がない場所を隠すための最低限のもの。
 白いショートパンツと袖なしのシャツ、それだけだった。


「ふさふさもふもふ」
「ムニュぅ……ゴロゴロゴロ」


 リーンが眠っているランの首毛をもてあそんでいると、仕事を終えてパジャマに着替えたヨアシュがやってきた。


「お姉さま」
「お、仕事終わったんだな」
「はい。もう少し働きたかったのですけど、お母さんとメイリーさんが早く寝なさいって」
「もう少しで真夜中だ、十分さ。俺なんかランと一緒に一番に休ませてもらってるしな」
「お姉さまは、明日がありますから。今夜はしっかり休んでおかないと」


 部屋の真ん中に三つ並べられたベッド。
 その脇に立って、ヨアシュはためらいがちに聞いた。


「あ、あの。本当にご一緒してよいのですか? みんなが入れ替わり立ち替わりだと、落ち着いて休めないのでは……」
「いんや、気にしないでくれ。俺は誰かが側にいてくれた方が良く休めるんだ」


 と言ってリーンは、ヨアシュのためにシーツをめくってやる。


「そ、そうですか? じゃあ……」


 ヨアシュは少し照れくさそうにはにかんで、するりとシーツの中にもぐりこんだ。


「ていっ」
「ひぁっ」


 すかさずリーンの腕に抱きしめられて、頭の先までシーツに埋もれてしまう。


「お、お姉さま、くすぐったいですっ」
「さっきランにもこうしてやったんだ」


 と言ってリーンは、ヨアシュの背中をなで、首筋をさすり、そして髪の毛を丹念になでた。


「は、はぁぅう……」


 ヨアシュの目がトロンとしてくる。
 今にも眠りに落ちそうだ。


「わ、はわわ……本当にお姉さまはテクニシャンなのです……ふわぁ」
「え? なんだって?」


 ヨアシュらしくないその言葉に、リーンは手を止めてしまう。


「え? メイリーさんがそう言っていたのです」
「ああ、メイリーか」
「はい、お姉さまはテクニシャンだから気をつけるのよって、さっき。でもどう気をつけたらよいのでしょう?」
「……うーん、あとでお仕置きだな、メイリー」
「ふえっ?」


 リーンの腕のなかで、ヨアシュはその大きな瞳をぱちくりさせた。


 
 * * *


 
 結局、全ての判断はリーンに委ねられた。
 魔術師団は、リーンの突入を待って動き出す。
 もし突入がなければ、そのまま何事もなく業務を続ける。
 その場合、ハーレムの女達にはメイリーがその旨を伝えることになった。


 ギリギリまで考えて判断すべし。
 それが、話し合った末の結論だった。


「いよいよ明日か」
「はいです、お姉さま」
「思えば色々あったな」
「はいなのです」
「なあヨアシュ、俺と初めて会った時のこと覚えているか?」
「もちろんです。魔術師様に連れられてきたお姉さまを見て、ヨアシュは一目ですごい方なのだと思ったのです。もう、頭が真っ白になって、何がなにやらさっぱりわからなくなってしまったのです」
「そんなにかっ?」
「はい、本当に勇者さまなんだって思いました。ヨアシュ達のことを幸せな方向に導いてくださる方なんだって……」
「買いかぶりすぎだぜ……、俺、滅茶苦茶みんなに迷惑かけちまった」


 ヨアシュはベッドの上でぶんぶんと首を振った。


「そんなことありませんっ、それもこれもみんな、明日のためだったんです。王様になるような方のお手伝いが出来て、ヨアシュ達はみんな嬉しく思っているのです」


 そう言って、キラキラとした眼差しをリーンに向けてくる。


「お姉さまは必ずやり遂げてくれます。だからヨアシュは、何があってもついていくんです」
「そうか……」


 リーンは憂うような目で天上を見上げた。
 まだ11歳の少女に、これほどまでに期待されてしまっている。
 それはどこか、罪深いことのように思えた。


「あ、あの、お姉さま。もしかしてヨアシュは、何か良くないことを……」
「うんにゃ、その気持ち嬉しいぜ」
「そうですか? よかったです。もうヨアシュには、お姉さまを応援することしか出来ませんから……」
「ありがとな、ヨアシュ」


 と言ってリーンは、ヨアシュの頭を撫でた。


 そして思う。
 これもきっと、自分の魂の力が成したことなのだろうと。
 自分の中には、人に期待を持たせてしまう何かが備わっているのだろうと。


 こうも期待されては、いまさら作戦を中止するとは言えない。
 リーン自身もまた、自分の魂が作り出した状況に絡め取られているのだ。
 まさにゲンリの言う通りだった。
 もうどうすることもできない。
 リーン自身にも、他の誰かにも。


「なあヨアシュ、いつだったか俺の部屋で二人っきりで話したことを覚えているか?」
「はい……魔物さんのお話です」
「どうして人間が好きで近づいてくる魔物を、次から次へと退治しなきゃいけないのか。そういう話をしたんだったな」
「はい、覚えています」
「実はな、ヨアシュ。国王のおっちゃんのハーレムには、魔物の女が沢山いるんだ」
「えっ!? そうなのですか?」
「ああ、そうなんだ。それでな、地下運河には黒ボウズっていう、人に良く懐く魔物まで飼われている」
「ふえええ……」
「どっちもな、隙あらば俺たちを食おうとしてくるんだが、ちゃんと距離をとって向き合えば、別にどうってことはないんだ」
「距離を……とる、ですか?」
「そうだ、距離が大切なんだ。魔物の様子を、そうやって距離を置いて見てるとさ、なんだか自分達のことみたいに思えてくる。やたらと欲深かったり、短絡的だったり、頭が悪かったり。そういう、人間の良くないところが見えてくるんだ。もしかしたら魔物ってのは、俺たち人間に、そういうことを教えてくれる奴らなのかもしれねえな」


 ヨアシュは微かに揺れる瞳をジッとリーンに向けて、その話を聞いていた。


「それと、人間にとってなくちゃならない部分もだ。人間から魔物の部分を全部とっちまったら、その人は本当に良い人になると思うか? ヨアシュ。俺にはそうは思えねえ。何一つ悪いところのない人間なんて人間じゃねえさ。そんなのはある意味、魔物よりおっかねえ生き物だ」
「なんとなく……わかります。ヨアシュもおっちょこちょいで、色々とよくわかってなくて、人から変に思われることがあるんです。でも、それがなくなってしまったらきっと、ヨアシュはヨアシュでなくなってしまうのです」
「ああ、そうだな。ヨアシュはそこんとこ含めてヨアシュなんだ」


 リーンは言ってきかせるように、ヨアシュの胸をポンポンと叩いた。


「魔物の女に会ってみたいか?」
「えっ……」


 ヨアシュの瞳が大きく揺れる。
 かつて、自分の報告のせいで惨殺されてしまった、人間に化けた魔物のことを思い出している。


「ヨアシュは……」


 会ってみたいと素直に思った。
 魔物の女の人と会って、どれだけ言葉を重ねたとしても、あの魔物さんは生き返らないけど。
 それでも、魔物の人と会って話しをすれば、何かが変わるきっかけになるかもしれない。
 あの魔物さんの魂が、少しでも救われるかもしれない。
 ヨアシュはそんな思いとともに、リーンに言う。


「はい、会いたいです」


 リーンの眼をじっと見て、もう一度言う。


「会ってお話したいです」


 リーンはただ一度頷くと、ヨアシュの肩に手をかけながら言った。


「そっか。それじゃあ、明日は頑張って城落とさないとなっ」




 * * *




 深夜を回ってしばらくした頃、今度は女将のマーリナがやってきた。


「やあ、マーリナさん、お疲れっ」
「あら、起してしまいました?」
「いんや、あんまり寝付けなくって」
「まあ……やっぱり一人で眠ったほうが……」
「いや、たぶん一人だともっと眠れねえ。こうしていた方が、暖かくていいんだ」


 マーリナはクリーム色の長いネグリジェを着ていた。
 いつもは病気がちで顔色も悪いマーリナだが、今朝からはずっと体調がよく、表情にも活気がある。


「では、今夜も勇者さまとご一緒して良いんですね」
「ああ、もちろんだぜ」


 マーリナは、リーンの隣で寝ているヨアシュを起さないように、そっとベッドにもぐりこむ。
 リーンはくんくんと鼻をならした。


「マーリナさんはいつもいい匂いだなぁ」
「そう?」
「ああ、きっとお母さんの匂いなんだろうな」


 ヨアシュがマーリナの存在に気付いて、その身をもそもそと寄せていく。
 母の胸元に顔をうずめ、なにやら寝言をつぶやく。


「むにゃ……もうちょっとだけ……」


 と言って、赤ん坊のように母の胸を掴む。
 リーンとマーリナは、顔を見合わせてクスリと笑った。


「いいなぁ、ヨアシュ」
「やっぱり、お母さんに甘えてみたかったですか、リーン」


 マーリナは、リーンに母親がいないことを知っている。


「そうだなー、一度でいいからおっかさんのおっぱい揉んでみたかったぜ」
「あらあら……だったら」


 マーリナは何も言わずにリーンの手をとる。


「甘えてもいいですよ? 私でよければ」
「えっ、ほんとにっ?」


 リーンはお言葉に甘えて、マーリナの胸を触らせてもらった。


「うわぁ……やわらけぇ」


 ネグリジェの上からむにむにと揉む。
 予想以上に大きい。
 マーリナは着やせするタイプだった。


「俺のと全然ちがうぜ」
「うふふ」


 リーンは自分の胸と揉み比べる。
 自分の胸がゴムだとすると、マーリナのそれはマシュマロだった。


「これがおっかさんのおっぱいか……」


 そうしてしばらく母親代わりになってくれたマーリナに甘えた後、リーンは明日の話を切り出した。


「なあ、マーリナさん。明日俺は、どうしたら良いと思う。正直迷ってるんだ」
「ええ……大変な決断だと思います」
「失敗したら、みんなきっとタダじゃすまない。そう思うと、やっぱり怖いんだ」
「私達でしたら、前にも言ったとおり、覚悟は出来ているのです」
「うん……。でも、何でそんなにみんな、俺のことを信じてくれるんだろう」
「それは……」
「俺のせいで、ヨアシュがさらわれかけたりした。それでも、どうしてマーリナさんは俺のことを応援してくれるんだ?」
「…………」


 ヨアシュを挟んで寝ている二人。
 マーリナは天上を見上げて、しばしそのまま考えていた。


「女の勘……としか、言いようがありませんね。いえむしろ……母親の勘かしら」
「母親の勘?」
「そう。どうやったら我が子を無事に育てられるか……といったことに関する勘、そういうもの……」


 マーリナは、自分で自分の気持ちを確かめるように言う。


「確かに、ヨアシュがさらわれそうになったと聞いた時は、とても恐ろしい気持ちになりました。でもそれ以上に、リーンがすぐに助けてくれたということに、とても安心したのです」
「安心した……」
「そう。きっと私は、リーンが側にいてくれたほうが、ヨアシュも満月亭も安全なのだと思っているんです」
「そうなのか……」


 マーリナの母親としての勘が、リーンを側に置いておけと告げていたのだ。
 その言葉を聞いた時、またもやリーンの脳裏に浮かんだのが「魂」という言葉だった。


――俺の中には、マーリナさんにさえ、そう思わせてしまう何かがある。


 だがそれでも、リーン自身は、いまだ不安を拭えなかった。


「むしろ私達の方こそ、リーンに大変な負担をかけてしまっていると思うの。だからもし、リーンが本当に無理だと思うのなら、迷わず作戦を中止して欲しい」
「ああ……うん」


 自分はみんなの負担にはなっていないんだ。
 マーリナの言葉によって、リーンはそう素直に思うことができた。


「辛いですか、リーン」
「そうだな、正直言って、辛い」
「無理はしないで下さいね? いつでも私達を頼ってくれていいんです」
「ありがとう、マーリナさん。じゃあ……後もう少しだけ……」
「ええ、もう少しだけ」
「おっぱい揉ませて下さい……!」
「あらっ」


 マーリナは一瞬、拍子抜けしたような顔をした。
 だがすぐに、その表情を綻ばた。


「うふふ、私でよければ、いくらでも」




 * * *




 マーリナが寝入ってから数刻。
 そろそろ夜が明け始める時間だ。


 まもなくランが眼をさまして、夜の当番をしているメイリーと交代になる。
 ランの体内時計は恐ろしく正確で、決められた時間になると、寸分の狂いもなく目覚めるのだ。


「ふう……」


 リーンは部屋の天上を眺めながら、特に意味もなくため息をついた。
 両隣には、ランとヨアシュとマーリナが、川の字になって眠っている。


――メイリーは俺になんて言うんだろう。


 そんなことを考える。
 ヨアシュは、何があってもついていくと言った。
 マーリナは、リーンの側が一番安心なのだと言った
 ランに至っては、もう何も言うことはないといった様子だ。


『迷っているなんて、リーンらしくないわ』


――うん、きっとそう言う。


 メイリーだったら絶対俺にそう言ってくる。
 そして、そう言わせているのは他でもない、俺自身の魂なんだ。
 リーンは再度そう確信する。


「むにゃむにゃガル……」


 ランが眼を覚ました。
 交代の時間だ。
 リーンはこれといった理由もなく、寝たふりをした。
 横を向いて、だらしなくシーツをはだけ、わざとらしくいびきをかく。


「くかー」
「ガル?」


 むくりと起き上がったランは、困った顔をしてリーンを見た。


「しかたないガルね……」


 そして、優しい手つきでリーンのはだけたシーツを直した。


「……風邪でもひいたらどうするガル」


 ベットから出たランは、一つ大きく伸びをすると、そのままスタスタと部屋を出て行った。
 なんだかんだ言って、リーンのことを好いてくれているラン。
 リーンはその事実を確認して、一人でくすくすと、ほくそえむ。


 しばらくして、入れ替わりでメイリーが入ってきた。


「うふふ……」


 黒い大胆なロングキャミソールを着たメイリーは、その眼を猫のように光らせてやってきた。
 ランが寝ていたあとに、音もなく忍び込む。


「くかー、すぴー」
「あら、寝てる……」


 いびきをかいて寝ているリーンを見て、メイリーは残念そうな顔をする。
 昨夜のリーンはちゃんと起きていて、夜勤明けの自分を熱く受け入れくれたのに、と。


「まあ、今日は仕方ないか……ふう」


 明日の作戦のために、今はしっかり休んでもらわなければならない。
 リーンとの甘い一時を楽しみにしていたメイリーは、仕方なくその隣で眼を閉じた。


 だが不意に、そんな彼女の太ももに、不埒な手が触れた。


「ひゃっ」


 その手が肌の上で怪しくうごめく。 
 メイリーは思わず声を出しそうになった。


「あっ、はあんっ」


 だがヨアシュ達を起してしまってはいけない。
 メイリーは口を手で押さえて、漏れ出そうになる淫らな声を押し殺した。
 だが、その不埒な手は、ますますその動きを激しくしていく。


「ん~~~~!」


 メイリーの我慢が限界に達し、その膝がガクガクと震え始めた時、ぴたりとその手の動きがとまった。


「どうだったい? メイリー」


 寝ていたはずのリーンが、しれっとした表情で振り向いてきた。


「リーンったら……!」


 起きてたのね?
 そして私にイジワルをしたのね?


 メイリーは頬を膨らませ、抗議の意思をリーンに伝える。


「テクニシャンだったろう?」
「うん、すごいわリーン、指先だけでお空を飛びそうになっちゃった」
「今のはヨアシュに変なこと教えたお仕置きなんだぜ」
「あら、そうだったの」


 と言ってメイリーはニヤリと笑う。


「じゃあ、他にも色々教えなきゃ。もっとお仕置きしてもらうために」
「こいつぅ」
「きゃっ」


 リーンはメイリーを抱きくるめる。
 そうしてしばらく、二人は無言でもぞもぞしていた。


 
 * * *


 
「メイリー、俺はやるぜ」
「うん、リーンがそう言うなら、私は黙ってついていくだけよ。でもちょっと意外」
「意外?」
「流石のリーンも、少しは迷うんじゃないかって思ってたの。でもやっぱりリーンね」


 メイリーは、リーンに最後の相談をもちかけられると予想していたようだ。
 そしてもちろん、その相談に対する返答も考えてあった。


「もし、俺がやるかやらないか迷ってたら、メイリーは何て俺に言うつもりだったんだ?」
「そんなの決まってるじゃない」


 メイリーはにこりと笑って言う。


「らしくないわって言って、その背中を叩いてあげたわ」
「へへっ、やっぱりな」


 思っていた通りだった。


 そしてリーンは、それから夜明けまでの僅かな時間を、メイリーと肩を寄せ合って眠った。
 眠り際、これまで出会ってきた多くの人達のことを思い起こした。


 カテリーナは今頃どうしているだろう。
 まだ俺が死んだと思っていて、謙虚に喪に服しているのだろうか。
 俺が生きていることを知ったら何て言うだろう。
 顔がトマトのように腫れるまで引っぱたかれるだろうか。
 いや、その前に泣いて俺の胸に飛びこんでくるだろう。
 その光景が、リーンにはありありと思い描けた。


 もし俺が、ここで作戦を中止すると言ったら、「そんなの絶対ゆるしませんわ」と言われてしまうだろう。
 これだけ人にさんざん迷惑をかけておいて、いまさらやめるですって?
 そう言われて、すごい剣幕で迫られそうだ。


 もし、本当にこの作戦を中止したいと思ったら、自分はきっと人の世から離れて、どこか人知れぬ場所に雲隠れしなければならないだろう。
 そんなことまでリーンは考えた。
 そしてあの、森の奥で一人で暮しているオヤジのように、森にこもって一生を過ごすことになるだろう、と。


 それでみんなが救われるというのなら、別にそれでも構わないとリーンは思う。
 みんなを不幸にしてまで、自分の欲望を貫こうとは思わないのだ。
 むしろ、みんなを不幸にすることは、何より自分の望む所ではない。
 俺は幸せなみんなに囲まれることで、自分自身を幸せにするんだ。
 ただその場所が、ハーレムの中であるか、人里離れた森の奥であるか、それだけのことなのだと。


 でも、もしそうなったら。
 俺が国王を倒すことを諦めて、あのオヤジみたいな木こりになったら。
 あのオヤジは、俺のことを何と言うか。
 それさえも、今のリーンにはありありと思い描くことが出来た。


――魔物の言うことに興味などないわぁ!


 そう言って、物凄い形相で切りかかられるに違いない。
 あの偏屈極まりないオヤジに人間と認めてもらうためには、たぶん、王様になるくらいのことはしなければ駄目なのだ。
 王様になれば、王様権限で大体のことは出来るだろう。
 あの偏屈オヤジの棲家を大改造して、無理やり人間らしい生活に戻してしまうことだって出来るだろう。
 そう考えるとおかしくて、リーンはその寝顔をニヤけさせた。


 それくらいしてやらないと、シチューを引っくり返されたあの時の腹いせにならない。
 そんなことを思うのだった。




 * * *




 そして時が流れた。


 やがてヨアシュが目覚め、マーリナが目覚めた。
 だいぶ日が高くなった頃に、リーンは一人立ち上がって身支度を整える。
 今日はいつもの女中服ではない。
 グリムリールを経つ時に揃えた、旅の一式だ。


 皮の胸当てに銅の篭手。
 膝丈までしっかりと覆われた丈夫な革靴。
 腰のベルトに吊るした、なんの変哲もない剣の鞘。


 鏡に向かって、伸びた髪をナイフで削ぎ落とす。
 真っ青に染めた時の染料は殆ど落ちて、今は純粋な赤に近づいていた。


「よし」


 ピンと跳ね上がった髪を手ぐしで整える。
 その鏡に映っているのは、まさにリーン本来の姿だった。


「いっちょ、やってやるか」


 パンッと頬を叩いて気合を入れる。
 そして、鏡の横に立てかけてあった、スプレンディアをその手に取る。
 透明な刀身に曇りがないことを確かめてから、腰の鞘にするりと収めた。


 カウンター裏の事務室に行くと、机の上に朝食が用意されていた。
 それを食べて、戦の前の腹仕度をしていると、アルメダのブローチが光った。


『おはようございます、リーン、良い朝ですね』
「ああ、おはようだぜアルメダ。調子はどうだ?」
『わたくしには何の問題もありません』
「俺も絶好調だ」
『その様子だと、もう迷いはないようですね』
「ああ、やる気も満々なんだぜ」
『ではリーン、この国を……いえ、この世界を変えましょう。私達の力で』


 アルメダの瞳には、いつになく沢山の星が輝いていた。
 全身に黄金のオーラが満ち満ちていて、その体も、いつもより大きく見えていた。


『あと半刻で、お父様が大防壁の儀に臨まれます。宮殿の真ん中の、一番高い屋根の上から、西の彼方へ向けて膨大な魔力が放たれます。突入の時機はその時です』


 リーンはしかと頷いた。


『勇者の剣に、天のご加護があらんことを』


 食事を終えたリーンは、いよいよ宿のロビーに出た。
 カウンターの中にはヨアシュとマーリナ。
 玄関の側にメイリーとラン。
 四人そろって、リーンを振り向く。


「じゃあみんな、行ってくる」
「お姉さま、お気をつけて……これ、こっそり作っていたお守りですっ」


 と言ってヨアシュは、細かい刺繍のされたお守りを手渡してきた。


「ありがとう、ヨアシュ」


 リーンはそのお守りを首にかけて、服の中に入れる。


「ご武運を、リーン」


 マーリナはリーンの手をとって握り締める。


「ありがとう、マーリナさん」


 二人に礼を言って、リーンはカウンターを出る。
 そして、玄関の横に立っているメイリーとランに言った。


「宿のことは頼んだぜ」


 リーンの留守中に、またヨアシュが襲われるかもしれない。
 それが唯一の気がかりだった。


「まかせてリーン」
「安心して暴れてくるガル」


 二人は毅然とした口調でそう返した。
 リーンはしかと頷く。
 そしてついに、宿の外へと足を踏み出した。


「うん、いい天気だ」


 空を見上げて、天を仰ぐ。
 腕を回して準備運動。
 その場で何度か膝の屈伸をする。


 街の様子はいつもと変わらなかった。
 むしろ、いつも以上に穏やかな風が流れているようだった。 
 リーンは深呼吸して気持ちを落ち着かせ、一度、満月亭を振り返った。
 エヴァーハルに来て以来、我が家のようにお世話になったその宿は、今日も変わらず旅人達を待っていた。


 玄関の向こうには、宿の四人。
 みんな力強い眼差しで、リーンを送り出してくれている。
 ヨアシュ、マーリナ、ラン、メイリー。
 順番に視線を交わしてから、リーンは宮殿に向けてその足を踏み出した。


 肩の力を抜いて、どこかふてぶてしい態度で通りの真ん中を歩いていく。
 気持ちはまったく浮ついていなかった。


 遂にやってきた決戦の日だ。
 まるで散歩に出掛けるような気楽さで、勇者は世界を変えに行く。



















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