勇者の名産地

ナガハシ

湖の精霊

「こんにちわー」
「おおっ、トンガス村のカトリ君じゃないか」


 タケシタは裏の畑で鍬を振るっていた。三姉妹は勝手に家に上がって休んでいる。


「勇者を広める旅に出ることになって、これからルジーナに行くんです」
「おお、君もそんな年頃になったか! はっはっは!」


 黒々とした髭を生やしたタケシタさんは、カトリの肩を叩きつつ豪快に笑った。彼はここで林業を営んでいる。それなりに名を馳せた戦士でもあり、大抵の魔物は自分一人で撃退できるので、こうして人里離れた場所で仕事をしているのだ。


「ちょうど勇者の種が欲しかったところなのだ。ネズミに食われてしまってな」
「それは丁度良かったです。俺も畑おこし手伝いますよ」


 そう言うとカトリは、腰に吊るしてあったスコップを手に取り、畑仕事に加わった。
 三姉妹は絶対に手伝ってくれないので、放っておく。


「あの、あいつら勝手にくつろいでるんですが……」
「はっはっは、かまわんよ、はっはっは」
「そ、そうですか」


 しばしカトリは、タケシタと二人で爽やかな汗を流した。


――そうして小一時間。


「とても良い土ですね。これなら、今年も立派な勇者が育つでしょう」


 二人は丸太に腰掛けて休んでいた。耕した畑にはさっそく勇者の種を撒いた。


「はっはっは、君にそう言ってもらえると安心するよ」


 カトリはリュックから勇者を一本取り出すと、二つに折ってタケシタに渡した。
 そして二人同時にかじる。


「「むおっ、青臭!」」


 誰もが叫ばずにはいられないセリフである。
 瑞々しくも青臭い勇者の汁が、五臓六腑に染み渡っていく。


 * * *


 カトリは土のついたスコップを洗うために、近くの沼まで来た。
 鬱蒼とした木々に囲まれた、薄茶色に濁った小さな沼である。


「ひとまず来てはみたけど……」


 夢の中で言われた通りにやってきた。カトリは辺りをキョロキョロと見渡すが、特に変わった気配はなかった。やはりただの夢だったのだろうか。
 沼のほとりにしゃがみこみ、濁った水でスコップを洗う。もう何年も使っているスコップだから、剣先がつぶれて丸くなっている。
 今ごろあの三姉妹は、タケシタさんにお茶でも淹れてもらっているのだろう。いや、もしかすると、勝手に食料を漁って食っているのかもしれない。
 普通だったら叩き出されるところだが、タケシタさんなら許してくれるだろう。人里離れた場所に暮らして退屈だっただろうし、お嫁さんも絶賛募集中なのだ。
 この際だから、ここで旅の仲間が一人減ってくれれば良いのにと、カトリはわりと本気で思ったりした。


「んっ?」


 その時カトリは、ふと沼の方向に視線を感じた。


「何だ?」


 顔を上げて見渡してみるが、静かに波紋を跳ね返している水面が見えるだけだった。


「いま誰かいたような……」


 首を傾げつつ、再びスコップを洗い始める。


――カサカサコソコソ


 すると今度は、後ろから落ち葉を踏み鳴らす音が聞こえた。


「誰かいるんですか?」


 振り返って声をかける。しかし返事はなかった。


「なんなんだ……? うわっ!」


 カトリが後ろに気を取られていると、突然何者かにスコップを引っ張られた。
 沼の中にスコップごと引きずり込まれそうになり、カトリは慌ててスコップを手放す。


「魔物か!?」


 もしや水棲の魔物の仕業だろうか? 即座にそう思い、その場から飛び退く。スコップは濁った水の中に吸い込まれていった。


「むむむ……」


 しんと静まり返った森の中、カトリは固唾を呑んで様子を見守った。
 するとその直後、沼の水面が激しく発光した。


「うっ!?」


 思わず手で目を覆う。光がやむのを待ってから、カトリはゆっくりと前方に目を向けた。
 するとなんと、沼の上に白い羽衣に身を包んだ女が立っていたのだ。


「こんにちは、カトリさんっ」
「え!? あ! はい! こんにちは!」


 奇麗な声で挨拶されて、カトリは慌てて返事をした。背筋が自然と伸びてしまった。
 その女は、間違いなく夢の中に出てきた女神だった。
 奥ゆかしい顔つきの、どこか妖艶さを感じさせる黒髪の美女である。


「私は湖の精霊アーリヤです。わりと、どこの湖にもいるんです」
「ああ、はい……そうなんですか」


 何処にでもいるのかよ……。
 というか、ここは湖ではなく沼だけど……。


「あなたが今落としたのは、銀のスコップですか? 金のスコップですか?」
「はあっ?」


 出し抜けに聞いてきた湖の精霊に向かって、カトリは思いっきり顔をしかめた。


「いや……落としたというか、明らかに引っ張られましたよ?」


 なんとなくカトリは、このアーリアとかいう人の仕業なのではないかと推測している。


「細かいことはどうでも良いのです!」


 といって湖の精霊はニッコリと微笑んだ。明らかに誤魔化す気だ。


「いや……俺が落としたのは鉄のスコップです、返して下さい」
「うふふふ、それは無理です」
「えええ!? というか、俺のスコップを奪ったことを認めた!?」
「一度これがやって見たかったんです!」


 といって湖の精霊は、いつの間にか手にしていた金のスコップをカトリに示した。


「銀のスコップは?」
「実は金しかないんですー」
「何がしたいんだこの人!」


 厄介な人に、いや精霊にからまれた。俺の旅路がいきなり挫けそうだとカトリは思った。


「俺のスコップはどうなったんですか!?」
「えーっとねー、うーんとねー、この沼、底の方がずいぶんとヌマヌマで……」
「取れなくなっちゃったんですか!? というか、沼って認めた!」
「えへへへー、つい出来心でやっちゃったの。ごめんなさいね。これあげるから許して」


 と言って、自称湖の精霊アーリヤは、カトリに金のスコップを渡してきた。


「本当に金だよこれ……」


 こんな金ぴかを持って歩いたら、絶対悪い人に目を付けられる。というか、まず真っ先に三姉妹どもに狙われる。


「あなたは一体何者なんですか? 俺の夢に出てきてましたよね? 妹を復活させる方法を教えてくれたことは感謝します。でも、できれば鉄のスコップを返して欲しいです……」
「まあまあ、そんな謙虚なことを言っちゃって。おまけにもう一本貰おうという魂胆が見え見えですよ?」


 と言ってアーリヤはクスクスと笑い、やがて沼の底に沈んでいった。


「ひどい言われようだ……!」


 カトリは仕方なく剣先が金で出来ているスコップを抱えて、タケシタさんの家に戻っていった。
 一体なんだったのだろう。


 * * *


 タケシタの家に戻ると、カトリは窓際からそっと彼に手招きをした。
 三姉妹はお菓子とお喋りに夢中でまったく気づいていない。


「どうしたんだね。いま良い所だったのに」


 不満げな様子でタケシタが外に出てきた。
 それは申し訳ないことをしたと思いつつ、カトリは金のスコップを見せる。


「むむっ!? なんだねこれは!」


 カトリは委細説明を行う。沼でスコップを洗っていたら、湖の精霊なるお姉さんが現れて、この金のスコップを強制的に渡してきたのだ。


「ふむ……なるほど、きっとこんなものを拾ったせいで、気が動転しているんだね」


 タケシタは湖の精霊のことは信じなかった。しかしカトリのことは心配してくれた。金のスコップの先端を前歯で噛み、非常に純度の高い金であることを即座に看破する。
 流石は歴戦の戦士である。


「このまま持ち歩くのは目立ってしょうがないね。この麻袋を被せておこう」
「ありがとうございます、タケシタさん!」
「破れた時のために、予備も持っていくと良い」


 彼の親切な提案に、カトリは感激した。できればこの人と二人で勇者を広める旅をしたいとすら思った。


「よし、これで大丈夫だろう。大きな街なら貴金属を扱う店もあるはずだ。そこで売ってお金に換えると良い。間違ってもその辺の雑貨屋なんかに持ち込むんじゃないよ? 安く買い叩かれるからね」
「はい、わかりました」


 この辺りで大きな街となると、それはもうルジーナ城下町しかない。これは急いで向かわなければ。


「では、もう十分お世話になりましたので、出発しようと思います」
「むう……そうかね? 確かにこのままでは、あの娘さん達に食料を食い尽くされてしまいそうだとは思っていたが、もう少し居てくれてもよいのだよ?」


 そう言ってタケシタは己の髭を手で撫でた。
 三姉妹との交流を楽しみつつも、やはり手を焼いていたようだ。


「いえ、これ以上ご迷惑をおかけする訳には……」


 カトリはお辞儀をすると、人の家でくつろぎまくってる三姉妹を引きずり出しにかかった。
 ルジーナ城下町までは、急げば三日ほどで着く。









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