アシアセラフィカ ―内なる獣―

ナガハシ

向かうべき場所

 リーシャンの森で一冬を過ごしたシェンを、ずっと守っていてくれた一つの『石』がある。それはネコのような形をしたほど良い大きさの石で、食料の多くをルゥに食べさせてしまっていたシェンは、その石を腹に抱えることで、冬の寒さと空腹をやり過ごしたのだ

 その石は冬の終わりの頃、あたかもその役割を終えたことを悟ったかのようにして、ひとりでに砕けた。
 その現象そのものは、単なる風化にすぎないものだった。だが、その時機はあまりにも宿命的だった。
 少年は、その割れた石の一片を細工して、首飾りにして身につけることにした。


 魂は万物に宿る。少年がそう思い始めたのはそれ以来のことだ。
 人も獣も草木も石も、それ自身にはけして窺い知ることの出来ない使命を帯びていて、そして何か巨大な力に突き動かされるようにしてこの星の上を巡っている。
 その巡りは、あらゆる場所で重なり合い、ぶつかりあい、時にその一部を損ないながらも、新たな状況に向けて、絶えず展開を続けていく。


 この広い世界においては、皆がただ一つの石ころにすぎない。だがその石ころでさえ、その形に与えられた可能性の限りに、何かのために在り続けることが出来る。守り続けることが出来る――。


 少年は思う。自分は砕けた石の欠片なのだと。
 他者を傷つけることしか出来ない、鋭く尖った石なのだと。
 だから逃げ続けてきた。他者から、環境から。この形で誰かを傷付けてしまわないように。そして自分をこの形でなくそうとする、世の摂理に逆らうように。


 今ある自分の形には、必ず何かの意味がある。今、少年はそう確信していた。
 それが何なのかはわからない。だが向かうべき場所はわかっていた。
 そこは自分を含めた、全ての者が望んでいる場所だった。


「ルゥ……頼む……!」


 少年をその背に乗せて、輝狼は激しくその身を躍動させる。
 胸の放熱毛から焼け焦げるような匂いが立ち昇り、零れ落ちたアウラの燐光が、きらきらと長い尾を引いていた。
 後方を走るグライトの走竜をも引き離すほどの速力で、ルゥは大地の上を駆ける。
 巨大なふいごを急きたてるような激しい呼吸が、ルゥの背中を通してシェンの全身に突き抜けてくる。


 急がなければならなかった。シェンとグライトはつい先ほど、チャプラール方面の夜空に、逆さまの流星が昇って行くのを見たのだ。
 何か大変なことが起っているのは間違いなかった。ともすれば村人達の命が、そしてアデハ達までもが危うい。その身を切り刻むような思いで、シェンはルゥを走らせた。口端から大量の泡を吹き出しながらも、その思いに答えるためにルゥは走った。


 シェンはその燃えるような背の上で、行くべき場所へと続く夜空を睨んだ。
 燃やし尽くそう。この身に与えられた可能性の、その全てを。
 少年の決意をその背に乗せ、輝狼は月夜の下を駆けていく。


 * * *


「離せアデハ! エランはやれる! あの獣をやっつける!」


 神駆の上でもがき狂うエランを、アデハはその身で抑え込んでいた。
 停止言令は三頭獣ではなくエランにかけられたのだ。
 そうしなければ、死ぬまで戦いかねなかったからだ。


「離せ! 離せー! わあああああ!」


 少女の悲痛な叫びが夜空に響いていく。その後ろから、三つの頭を振り乱しながら、暴走した石獣が突き進んでくる。アデハはあの一瞬で、自分達を囮にして獣を曳き付けるという判断を下したのだった。


「ゼン! 離れすぎてるわ! もっと速度を落として!」
「ひいいぃぃ!」


 操縦桿を握るのは、通人となったばかりのゼンだった。
 神駆の回避行動では、敵をおびき寄せるような軌道を取ることは難しい。ゼンは、その顔面をあらゆる液体でべとべとにしながらも、歯を食いしばって操縦桿を握っていた。
 村の者達がやられてしまえば、その痛みは、まるごとゼン自身のものとなって還ってきてしまう。まさに、命がけだった。


 三人を乗せた機体は、森の上部ぎりぎりの高度を飛行していた。その後ろを、次々と樹木を踏み倒しながら三頭獣が迫ってくる。
 無数の草木が破滅的な音を上げてなぎ倒され、文字通りの獣道が刻まれていく。
 どういうわけかその獣は、光り木の森から離れようとしない。そのため引き回す経路は、村を中心とした円心状にならざるを得なかった。


「これじゃ埒があかねえ! あねさん! どうすんだよぉ!」


 ゼンが叫ぶ。
 アデハは荒れ狂う獣に腕輪を向けて、その精神回路の解析を続けていた。まともに言令が効くようになれば、この状況を打破することは可能になるだろう。
 だが。


「……だめだわ。こんな拗れた中身は見たことが無い……。三つの頭が、互いの中身を書き換え合っている。これじゃ、どんな言令を打ち込んだって意味が無い……」


 その時、村の方角から炎の渦が舞い上がった。村人達が総出で火を起したのだ。
 それは、もはやどこにも逃げる場所がない村人達の、最後の自衛手段だった。
 だが同時に、自ら滅びを呼び寄せる、破滅的な行為でもあった。獣の注意は、否が応にも村の方へと向く。アデハ達もその炎に気をとられ、獣から注意をそらしてしまった。


「速度を落として!」


 そう叫ぶも遅かった。追走してきていた獣は、一瞬にして標的を切り替えると、炎の上がった方へと走り出してしまった。


「神駆! 自律行動に変更! あの獣を追って! なんとしてでも動きを止めて!」


 神駆は機体が垂直になるほどの急旋回を行って、村へと向かっていく獣の後を追った。
 ゼンが絶叫する。しかし獣の動きは早かった。最大加速で追撃するもその距離は思うように縮まらない。そしてあっと言う間に、炎が焚かれてる村の広場へと到達する。
 身を寄せ合って震える村人達の姿が、アデハ達の目に飛び込んできた。


《てやんでえええー!》


 神駆は獣の背中に決死の体当たりを敢行した。さらに勢いづいた狂獣の体が、そのまま火の渦の中に突っ込んだ。獣は飛び跳ねるようにして炎の中から逃げ出し、周囲の民家を押しつぶして転げまわった。
 その上に馬乗りになるようにして神駆が覆いかぶさる。そして全回転翼を逆転させ、ありったけの推力でもって抑え込んだ。
 エランが叫んだ。


「アデハ! いまならやれる! エランを動かせ!」


 暴れる獣の動きで何度も跳ね上げられる神駆の上で、アデハは険しい表情を浮かべていた。今、最も強力な戦力はエランだった。そして確かに、今以上の好機はなかった。


「……無茶しないって約束できる? エラン!」
「エランは死なない! あの獣をやっつけて戻ってくる! だからおねがい!」


 アデハは意を決して解除言令を唱えた。


「――ペルミット」


 直ちにエランの体が開放され、次の瞬間には神駆の上から消えていた。エランはその遥か上空にいた。


「――ヤアアアアア!」


 そして急降下。全身が真っ白なアウラ光に包まれ、その体の全てが刃と化した。
 そのまま鋭い姿勢で獣に突き刺さる。真ん中の頭が八つに裂け、黒い血飛沫が吹き出した。


「――タアアアアア!」


 そこからエランはさらに跳躍。隣の頭の頚椎を、その手刀でもって切り裂いた。
 アデハはすかさず腕輪で獣の状態を確認した。三つあった命令系が一つになっていた。
 いまなら。


「サブシステ!」


 言令は効いた。獣は呻き声を上げながらその動きを硬直させる。
 エランが再び高く跳躍した。最後の頭が潰れれば、さすがにあの狂獣とて動きを止めるだろう。そう、その場にいた誰しもが思った――だが。


「「「――グオオオオオオ!!」」」


 三重に連なった獣の咆哮が大地を震撼させた。頭を裂かれた獣がその口だけで咆えたのだ。
 言令を打ち消して再び活動を始める。恐ろしい力で神駆の体が跳ね上げられる。


《いやああああああ!》


 神駆はそのままひっくり返るようにして吹き飛んだ。
 アデハはゼンの襟首を引っつかむと、そのまま外に放り投げる。そして自身も神駆から身を投げ出す。神駆はそのまま逆さまになって地面に落ちていく。
 直後、生き残っていた獣の頭をめがけてエランが突っ込んだ。だがそれを待ち構えていたかのように獣は牙をむき出す。


 そして落下してきたエランをその口に受けた。その衝撃で、獣の頭が胴体にめり込まんばかりに押し込まれる。
 だが獣はその勢いをも利用して、エランの体を飲み込んでしまったのだ。


「エラン!!」


 アデハは叫んだ。エランの体を飲み込んだ獣は、あろうことか損傷した頭部を復元させ始めた。ぐちゃぐちゃに飛び散った脳髄が、無数のイモムシのように蠢きながらその形を取り戻していく。
 腹の中でエランが暴れている。獣の胴体が、爆発するように何度も膨張し、エランがその中から突き抜けてきた。夥しい量の臓物を吐き出して、獣の腹が破裂する。


「――ウェニー!」


 すかさずアデハは言令をかけた。
 それに従い、エランは最後の力を振り絞って跳躍。飛び込んできたその身体を、アデハは全身で受け止める。
 全アウラを放出したエランの体は弱りきっていた。さらに体液で溶けかけている。その無残な姿に、アデハは言葉を失う。


「あ、アデ……は、……あの獣は……あの獣は!」


 アデハはその体を抱えつつ、突き破られた臓物をも復元させようとしている獣を見た。


「どうなってるの……あの回復力は……一体どこから来ているの!?」


 そして獣の背後に目を凝らす。先ほどからずっと、黒い霧のようなものが漂っているのだ。そして相変わらず光り木の森は、一切の光りを失ってしまっている。


「まさか……森のアウラを……」


 信じられないといった様子でアデハは言った。だがそう考えれば、獣が光り木の森から離れようとしなかったことに説明が付く。何が起こっても不思議ではない――それはまさに、アデハ自身の言葉ではなかったか。


 その体の大方を復元させた獣は、再びアデハ達に向かって目を光らせた。
 見るもの全てを石に変えてしまうほどの狂気が、その瞳にはこもっていた。
 純粋な殺意。食い尽くし、殺し尽くすことのみをその存在理由とする、その他どんな代償をもってしても埋めようのない、破滅への意志。
 その狂眸に漆黒の絶望を滲ませて。獣はアデハに向かってその足を踏み出した。


「くっ、シェン……!」


 最後の盾たる神駆は未だ身動きを取れないでいる。
 もはや打つ手のない状況で、アデハは少年の名を口ずさむ。その言葉が意味するものは悔いか、それとも祈りか。アデハはきつく歯を食いしばり、眼前の獣を睨みつけた。


 黒い血にまみれた獣の牙が、ゆっくりと開かれていく。


――アデハ!


 だが瞬間、何者かの叫びが宙に閃いた。
 それと同時に、復元しかけていた獣の首筋に、白磁の槍が突き刺さった。


「シェン!」


 アデハは咄嗟にそう叫んでいた。









「SF」の人気作品

コメント

コメントを書く