アシアセラフィカ ―内なる獣―

ナガハシ

別離

 丸太に腰を下ろし、目の前でふつふつと煮える小鍋を眺めながら、アデハは呟いた。


「冬瓜って……夏の野菜なのよね」


 グライトが小鍋の中身を椀によそいつつ、それに答えた。


「夏に採れて冬まで貯蔵がきく野菜です。貴重な青物ですよ、どうぞ」


 アデハは椀を受け取り、鶏の骨から煮出した汁をすする。
 冬瓜は旅先の食料として海那方から積んできたものだ。朝食は質素にしようと言ったら、本当にこれだけになってしまった。


「ふう……」


 朝の冷えた空気の中、口から湯気が立ち昇る。二人は黙って箸を動かす。
 シェンの右腕はマウソレムの裏手の茂みに捨てられていた。エランが見つけなければ、山の獣が持っていってしまったかもしれない。
 今は石床の機能で保存されているが、いつまでもそのままにしておくわけにはいかなかった。石床の数は限られている。


「どうなさるのです、アデハ様」


 険しい表情でグライトが言う。


「なんのことよ?」


 だがアデハは、不機嫌そうに目をそらした。まるで食事中にそんな話はしたくないといわんばかりに。
 シェンについての話は、暗黙のうちに避けられていた。


「もちろんあの腕のことです。あそこに置いておけるのは精々今日一日。皆さん何も言われませんが、相当な拒否反応が村人達の中から出ています。早く彼を見つけないと」
「……知らないわよ。あんなひねくれ小僧」


 と言ってアデハはそっぽを向いた。
 グライトはやれやれと首を振った。ではなぜ、あの腕を保存されているのですかと、問いたげな面持ちだった。


「最悪……もう、ほんっとうに最悪よ!」 


 アデハは椀をかきこみ、混ざっていた鶏の骨までがりがりと噛み砕いてしまった。


「ごちそうさま!」
「お粗末さまです」
「ちょっと村を歩いてくるわ。貴方も自分に何か出来ることがないか、考えておくのよ」


 そう言ってアデハは、グライトを置いて一人、ぷりぷりと歩き去ってしまった。


 * * *


 アデハは村の間に流れる川にそって歩いていた。川からはうっすらと蒸気が上がっていた。
 ためしに手を入れてみる。川には温泉の湯が混ざっており、外気温に比べると幾分温かい。
 その川のほとりで、一人の女が洗濯をしていた。


「こんにちは。お洗濯ですか?」


 早速挨拶をする。その女は、昨夜アデハ達とともに炭火を囲んだ子供の母親だった。彼女はアデハの方を向くと、意表をつかれたように口をポカンとあけた。話しかけられるとは思っていなかったのだ。


「ああ、はい、ええと……、昨日ご馳走になった料理がついてしまったみたいで」
「え? もしかして焼鳥のタレかしら……、取れそうですか?」
「全部はちょっと……。でもいいのよ。もともと綺麗なものじゃないんだし」


 女はしぶしぶといった口調でそう言った。洗い物も仕方なくやっている様子だ。
 しかしアデハは、さらに一歩踏みよって、彼女との会話を続けた。


「私達も、道中で溜め込んだ洗い物が一杯あって。出来れば川の水をお借りして洗えたらなって思ってるんです。この川の水って温かいから、洗い物にはもってこいでしょう?」
「そうね、冬でも手が冷たくならないのは助かるわ。でも、服に温泉の匂いがついてしまうんです。それでもよければ、どうぞ好きに使っていってください」
「はい、では遠慮なく。でも私、この温泉の匂いって結構好きですよ。住んでる場所に温泉があるなんて、羨ましいです」
「旅の方はみんなそう言いますね。私が小さかった頃は、もっとたくさん旅の人が来ていたんです。それで、そこらじゅうの川で色んなものを洗っていました」
「またそのうち、そうなりますよ。なんたって、あのトラが退治されたんですから」


 アデハは胸を張ってそう言うが、女は逆に表情を硬くする。


「だそうですね……ふん……。あの石獣が現れてから誰も来なくなった。それでまた戻って来るなんて。本当に気ままな人達」


 と言ってますます不機嫌な様子になった。


「あはは……確かにそうですね。でも、旅人は旅人でけっこう命がけですから……。本当はみんな来たかったんだと思いますよ。この辺では滅多に湧きませんから、温泉って」
「ふふん……」


 と、女は笑って話を濁した。もうこれ以上、会話を続ける気はないようだ。


「では、また後で伺いますね」


 と言ってアデハは一礼すると、その場から立ち去った。


 * * *


 そして次にアデハは、露天の裏にある、鶏の飼育場に向かった。


「ベルドンさーん。いませんかー?」


 だが周囲に彼の姿は見えなかった。


「エランに朝ごはんでも届けに行ってるのかしら……」


 アデハは、また昨日のように飼育場を眺めた。鶏がぎっしりと詰まっていて、非常にうるさい。しきりに地面を突いては高い鳴声を上げている。
 そこから少し離れたところで、三頭の番犬が、昨日と変わらず石の上に寝そべっていた。


 そこからアデハは当て所なく歩みを進めた。
 一軒の民家の前で、猟師の男が罠の手入れをしていた。バネの力で、その上を通った獲物を挟み込む罠だ。


「こんにちは。どこか調子が悪いんですか?」


 猟師の男は、白い毛が混じりはじめた髭を持つ、初老の男性だった。
 獲物から剥ぎ取ったと思しき毛皮を身に纏っている。
 アデハに声をかけられると彼は嬉しそうに鼻の下を伸ばした。


「これはこれは、旅のお方。そうなんです、動きが悪いんですよ、これ」


 その罠は随分と使い込まれていて、可動部が錆び付いていた。バネも相当に弱っているようだ。猟師は石獣の髭で作った堅い刷毛で、その錆びをこすり落としていた。


「もう、何十年も使っているので。まあ、ガタがきてもしょうがないんです」
「どんな獲物がかかるのかしら。その毛皮のもこれで取ったんですか?」
「ええ、そうです。いやあ、こいつはでかいシカだった。お頭と、その息子さんと、私の三人がかりで生け捕りにしたんです。あそこに架かっているのが、その時の角です」


 といって指差す先には、一本の長さが大人の腕ほどもあろうかという、立派なシカの角が飾られていた。
 家の軒下には他にも、かすみ網や、ネズミ捕りなどが吊るしてある。


「すごい、こんなに大きい角は見たことがないです」
「これが取れた時はお祭り騒ぎになりましたなあ」


 と言って猟師は朗らかに笑う。


「これならワシらだけでも十分食っていけるわーって、お頭達とよく話したもんです……」


 だが、そこまで言うと猟師は、今度は一転してその表情を暗くした。


「まぁ、そのお頭もとうとう逝ってしまいましたが……。ああ、旅人さん、昨日は葬式にまで出てださって、本当にありがとさんでした」
「いいえ、こちらこそ。きっと、立派な方だったんでしょうね」
「ええそうですとも。私らみんなお頭に食わせてもらってたようなもんです。私らも子供らにたんと食わせてやれるよう、頑張らねばなりませぬ。キャラバンも、そう当てにはできんので」
「ええ……そうかもしれませんね。やっぱり食べ物だけは自分達で確保できた方がいいでしょうね。畑を作ったり、鶏を飼育したりして」


 アデハは、気落ちした様子で言う。


「ああ……ううん……」


 だがそこで、猟師は表さらに情を曇らせてしまった。
 アデハは小さく息を飲んだ。


「あのニワトリはね……。あんまり言いたくはないんだが、お頭は大嫌いだったんだ」
「え、どうして……」
「もう聞いてると思うんですが、この村は前に大きなバケモノに襲われた。お頭の息子さんも、その時に命を落としちまった。お頭はそれで、ベルドンのニワトリがあの獣を呼んだんじゃないかって、そう考えていたらしい……いや、そうに違いないと思っとったんだ」
「そんな……」


 アデハは胸元で手を握りしめる。


「ベルドンがまたニワトリをやると言い出した時は、ひどい喧嘩になりましてな。お頭は、ワシが全員分の獲物を捕ってやるからやめろ、と言って止めるんだが、それでもベルドンは、このさき猟だけで食っていくのは不可能だ、と言い張って……。二人とも、それっきり口を聞かなくなってしまいました」


 そこで猟師は口をつぐんだ。罠具の錆びをこする音だけが周囲に響いていた。


「どちらにも、譲れない気持ちがあったんですね」
「ええ。二人が頑張ってくれたおかげで、私ら今日まで無事食いつないでこれました」


 アデハはその猟師の言葉に黙って頷いた。
 そして一呼吸おいてから、猟師に提案した。


「あの、私たち、機械の手入れに使う油を持ってるんです。固くて落ちにくいのを。もしかしたら、その罠の手入れにも使えるかもしれない。お貸ししましょうか?」
「えっ、本当ですかい? そりゃ助かります」
「はいっ。じゃあ、すぐ持ってきますね」


 と言ってアデハは、足早に引き返して行った。


 * * *


 まっすぐに神駆のもとへ戻ってきたアデハは、その側のマウソレムの前で足を止めた。そしてため息を一つつき、そのまま素通りしようか、それとも覗いていこうかと、しばらく足先を出したり引っ込めたりしていたが、結局その中に足を踏み入れた。


 石床の上にシェンの右腕が置いてあった。浅い褐色の、細身ながらも鍛えられた腕だ。
 こうしてよく見てみれば、その腕は、とうてい十四歳の少年が持ちうるような腕ではなかった。
 過酷な状況にさらされ続けた皮膚は堅く張っており、その上には筋肉と腱の形がくっきりと浮かび上がっている。さらに、回復しきっていない火傷の跡や切り傷などが、無数に刻まれている。
 どこか異様なまでの逞しさと生気を感じさせる腕だ。


「セジス・ミルスタラ・シェン=ウ」


 アデハは少年の名前を呟いた。切り落とされた腕を石床で処置した際に判明したものだ。
 ミルスタラは大陸中西部の大都市コンスタンから、北西に三十日里ほどの場所にある村だった。
 リーシャンからの距離は実に五百日里。およそ少年の足で踏破できる距離ではない。


 アデハはしばし思いつめたように佇んでいたが、やがて大きく頭を振った。


「知らない……」


 そしてその場で方向転換し、すたすたと足早にマウソレムを出て行く。


「……知らない知らない知らない!」


 だが、その言葉とは裏腹に、彼女は今にも泣き出しそうな表情を浮かべていたのだった。









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