アシアセラフィカ ―内なる獣―

ナガハシ

石人

 その後、村の三人の口から過去の石獣襲来についての顛末が語られた。


 今から五年前、ある夏の日の深夜、村に大きな犬の姿をした石獣が現れた。
 飼育場の近くに住んでいたベルドンは、けたたましい鶏の叫び声によって、いち早く獣の襲来に気付いた。
 だがすっかり気が動転してしまった彼は、鶏と番犬が食われ、さらに次々と村人達が襲われていくのを、ただ物陰に隠れて見ていることしか出来なかった。


 多くの者が無抵抗のまま、その獣の餌食になっていった。
 獣は食らい甲斐のありそうな、若い男から狙うようにして食っていった。
 怪我人の救助のために外に出ていたトートスが無事でいられたのは、まさに運が良かったからとしか言いようがない。


 だがその間に、エランとその一つ年上の少女が、その石獣に襲われてしまった。
 家から出てはいけないと堅く言われていたにも関わらず、友人のことが心配になったエランは、外に飛び出してしまったのだ。
 石獣の足に踏み潰されたエランは、見るも無残な状態で発見された。
 まず助からないだろうと思われた。


 だが石床に運び入れて調べてみると、奇跡的にも生命反応があった。
 その時既に、若い者から順に助けるという決断がされていたため、エランは最優先で治療にまわされることになった。
 友人の少女もまた、エランのすぐ側で発見されたのだが、腹部を強く噛まれていてほぼ即死だった。
 当時、マウソレムで怪我人の治療にあたっていたユイランは、そのことだけ、どこか念を押すようにして言った。


 人々を食らい、ますますその体を膨れ上がらせた石獣は、より大きい獲物を求めるようにして、村の外へと飛び出していった。
 その後まったく目撃されなくなったことから、おそらくは荒野のトラに食われたのだろうと考えられている。
 トートスは続ける。


「エランの治療には、一月以上もかかりました。殆どそっくり体を作り直すようなものだったんです。結局最後まで残った生身の部分は、頭の中の一部だけでした」


 石化割合が七割を超えた辺りから、ウィタリスの表示の一部が変化する。通人を意味する『ハルモニクス』から、石人を意味する『マイオリタス』に変わるのだ。
 エランの場合その比率が実に九割九分に達していた。あと少しで完石体『ウルティマ』になってしまうところだったのだ。


 完石となったヒトの体は、もはやその者の意思で動くことはなくなり、周囲の者の指示や、場の雰囲気に従って、回帰的な行動を続けるだけになる。
 エランの場合、そこまでには至らなかったが、その行動特性が非常に限られたものになってしまった。
 僅かに残ったヒトとしての部位が生じさせている、エラン自身の意思。
 それは亡き友への思いであり、そして、二度とこの惨劇を起こさせまいという決意なのだった。


「それが……いまのエランを自立させている唯一のものなんです。だからエランは、僕達がどんなに言っても聞かずに、ずっとあの高台に立って、村を守り続けているんです」


 トートスはそこまで話すと、深く息をついた。ずっと誰かに話したいと思っていたことを、今ようやく吐き出すことができた、そんな安堵の表情がその顔には浮かんでいた。
 過去のことを話したがらなかったユイランとは、どこか対称的だ。だがそのどちらも、チャプラールの村人達が、その胸のうちに抱えている真実なのだった。


 炭火の明かりが消えかけていた。
 その代わりにアウラの光を纏った周囲の樹木が、その穏やかな光りで、その場にいる者の姿を照らし出していた。
 アデハは一度顔をあげ、エランが飛び乗った木の上を見た。そこにはアウラの輝きにまぎれるようにして、白い姿のエランが佇んでいた。


 彼女は帰るべき巣を失った鳥ではなかった。
 失ったものは自分自身の肉体、心、そして、供にさえずるための仲間だったのだ。


「お話、しかとお聞きしました」


 アデハは顔を戻すと、凛とした口調で言った。


「少し、考えてみようと思います。私達にも何か、力になれることがあるかもしれない」


 トートス、ベルドン、ユイラン、グライト、そしてシェン。みなそれぞれの思いを胸に秘めながらも、一様に真剣な表情を浮かべていた。


 * * *


「すっかり酔いが覚めちゃったな……」


 トートス達が帰った後、天幕の中でアデハはそう呟いた。
 彼女は地面の上に茣蓙を敷いて寝床を作っているところだった。その側で調理器具を片付ていたグライトが返す。


「明日の朝に、痛む頭を抱えなくて済みます」
「ふふ、確かにね。でも明日は、別の意味で頭を痛めなくてはならないわ」
「そのことですが、ここには長居しないほうが……いや、すべきではないと思うのです」


 そのグライトの言葉に、アデハは手を止めて振り向いた。


「言い切ったわね、グライト。そんなにまずいの? ここの空気は」
「はい、村の痛みが度合いを増して……殺意のようなものに変化しようとしています」


 流石のアデハも、言葉を失った。
 そして理解に苦しむといった表情を浮かべた。


「殺意ってあなた……、いったい誰がそんなことを……なんの意味があって」
「この村はとても飢えています。我々は幾分肥えている。考えられる理由の一つです」
「そんな……でも、殺意なんて強い気持ちを抱いている人がいるのなら、すぐに誰だかわかるんじゃないの? 貴方達、通じ人同士でなら」
「いえ、それが……。村全体に暗い気分があるせいで、ぼやけてしまっているのです。とにかく長居は避けるべきです。正直なところ自分も、この村の影響を受け始めています」


 アデハはしばし、沈鬱な面持ちで考え込んだ。グライトがこのような弱音を吐くということは相当なことなのだ。
 だがそれでも、アデハの胸の内に、このまま何もせずに村を去るという選択肢はなかった。


「もう一日ぐらい頑張って、グライト。それなら尚のこと、見過ごすわけにはいかない」


 グライトもまた、その答えがわかりきっていたかのように、アデハに向かって頷いた。


 その時、天幕の入り口の布が上がった。
 そしてそこからシェンが顔を出してきた。
 少年は困り果てた様子だ。目には力がなく、表情も冴えない。 


「こいつをどうにかしてくれ……」


 と言って指差したところに、エランがひょっこりと顔を出した。


「指を差すな! シェン!」


 と言ってエランはその指をカチンっと噛む。寸でのところでシェンは指を引っ込める。


「……くそっ、これじゃあ休めない。言令で何とかならないのか」
「うーん……出来なくもないけど、シェンに逃げられるのも嫌だしぃ……」
「に、逃げねえよ……」


 とシェンは、後ろめたそうな顔で目を反らす。


「ふうーん……」


 だがアデハは懐疑の視線を彼に向けた。


「逃げるつもりだったのね?」
「……うぐっ」


 じっとりとしたその瞳に睨まれて、少年は冷や汗を浮かべた。


「うふふ、私を欺こうなんて百年早いんだから。でもまあ、夜にゆっくり休めないのも可愛そうね……。うん、良いこと思いついた。こうしましょう」


 アデハは腕輪をシェンの方にかざす。そして言令を唱えた。


「ウェニー!」
「――な!?」


 するとシェンの足が勝手にアデハの方に向けて踏み出された。
 運動中枢を言令によって制御されたのだ。シェンは下半身だけを紐で引っ張られているような、非常にぎこちない格好で動き出した。


「うわっ、うわわわっ!」


 そのままシェンがよたよたと突進してきて、ぶつかりそうになってきた所を、アデハはその身で受け止めた。そして足払いをかけて茣蓙の上に押し倒す。


「なにする!?」


 仰向けに倒れたシェンは、その手でアデハを押しのけようとするが。


「大人しくしなさい。ここで川の字になって眠ればいいんだわ、みんなで」
「どういう理屈だ!」
「こういう理屈よ。おいで、エラン。どうせならぴったりくっついて見張ってて」
「わかった! アデハは頭がいい!」


 言われてエランは、一足で飛び込んできた。
 アデハは、エランと二人掛りでシェンを抑え込む。


「うおおぉぉ!」


 シェンは手足を振り回して這い出そうとするが、多勢に無勢だ。


「ほら、エラン! しっかり掴んでないと、シェンが逃げるわ!」
「シェン! 逃げる許さない!」


 言われてエランは、シェンの上に馬乗りになった。


「うぐっ!」


 そのまま恐ろしい力で襟を絞められたシェンは、顔を青くして地を叩く。


「観念しなさいシェン。今日はみんなでお泊りよ」


 アデハは、さらに毛布を被せた。シェンの体が、徐々にぐったりとしていく。
 シェンは必死で抵抗するも、まるで歯が立たない。ただ徒に体力を消耗していくその姿は、まるで可愛がられすぎて衰弱していく愛玩動物のようだった。
 その一部始終を見届けていたグライトが、調理器具を抱えて立ち上がりつつ言った。


「ではお休みなさいませ。自分は風呂を頂いてきます。その後は神駆の上にいますので」
「はーい、ゆっくりしてらっしゃーい」


 アデハは軽く身をおこし、ひらひらと手をふってグライトを見送る。
 そしてその時一瞬だけ、アデハは深刻な表情を浮かべた。
 だがすぐにその顔を切り替え、わざとらしい程の陽気さで、再びシェンを取り押さえにかかる。


「今夜はただじゃ寝かせないんだからねシェン、ふふふふ」


 何事も気の持ちようだというこを、アデハは知っている。特に、通じ人の間においてそれは顕著だ。互いの感情を通覚で結び付けている彼らは、全体が暗く沈みこむと、抜け出すことが難しくなる。
 だが、ある一点において強い灯火を点すことができたなら、そこを始点として、全体の再起を計ることも可能になるのだ。


「あらっ、お風呂に入ったらいっそう髪が綺麗になったわね。すごい、真っ白でさらさらだわ。エランも触ってみなさい。なかなか無いのよ、ここまではっきりした銀髪って」
「さわさわ……もふもふ……くんくん……シェン、犬臭い!」


 そして、その最初の始点になる者は、えてして子供であることが多いのだ。
 だからアデハは今、全力ではしゃがなければならない、村のためにも、少年のためにも。


「やめろおぉー!」


 女二人の嬌声とシェンの悲鳴で、天幕の中はしばらくの間にぎやかだった。









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