アシアセラフィカ ―内なる獣―

ナガハシ

静寂の村

 少女の瞬発力は凄まじかった。
 まるで全身が一個の砲弾と化したようだった。
 白い筒衣につつまれた肢体が、一筋の残像を引いてシェンの体に激突する。その衝撃で神駆の機体がぐらりと揺れた。
 シェンはそのまま後方に突き飛ばされ、地上に転がり落ちた。


「ぐううっ!」


 飛び退いていなければ、激突の衝撃で気を失っていただろう。シェンはすかさず受身をとり、その反動でさらに後方に跳ねて距離をとった。槍を構えて追撃に備える。


「魔物は出て行け!」


 少女が叫んだ。


「……な!?」


 そのエランの言葉に、シェンは表情を凍りつかせた――なぜ、そのことを。
 しかし考える間もなく、さらにエランが突撃してきた。一瞬で間合いをつめられる。
 そして空中で放たれる蹴り。シェンは槍で防ぐも、その小柄な姿からは想像も出来ないほどの威力に弾かれ、その衝撃で大きく身をのけぞらせる。


「ぐぐっ! 何だってんだ!」


 負けじとシェンも槍をふるって迎撃するが、さらに驚いたことに、エランは身に纏っている布を翼のように羽ばたかせて空中で一回転した。
 軽々とシェンの一線を回避して、さらにシェンの胸元を蹴ってきた。


「ぐっ!?」


 体が浮き上がるほどの一撃。そのままシェンは吹き飛ばされて、仰向けに倒れこむ。


「ギアアアア!」


 そこに怪鳥の叫び思わせる奇声を上げながら、エランの体が飛び掛ってきた。


「……なんなんだよ!」


 だがシェンも負けていなかった。
 転んだ状態が飛び跳ね、空中にいるエランにその両脚をぶち当てる。


「ギャ!?」


 大きく姿勢を崩して地に落ちるエラン。さらにシェンは反撃に出た。
 白磁の槍をさらに長い棒に変え、腰溜めにして突進、全身のバネでもって鋭い突きをくり出す。
 エランはふわりと身を羽ばたかせてその棒を回避するが、シェンは棒の長さを縮め、さらに素早い横薙ぎの一線をふるった。


「ギウウ!」


 エランはさらなる空中回避を試みる。レアニムの棒は布の一部をかすめるのみ。シェンは、右腕に燐光をたぎらせ、炎の追撃を少女に見舞った。


「落ちろ!」


 肉体の一部を燃料とする炎が、エランの布衣に着火した。瞬く間に火の手があがる。


「!?」


 見たこともない生身の腕による炎撃。エランはその敵意に固まった表情に、初めて驚愕の色を浮かべた。そして慌ただしく着火した布を脱ぎ捨てた。


「はあ!?」


 今度はシェンが驚く番だった。エランのその布の下に、一切の衣服を身につけていなかったのだ。
 どういうことだ――。だがそうシェンが思う間もなく、エランの手足が、白い刃となってシェンに襲い掛かってきた。


「ぐぐっ! こいつ!」


 その一撃一撃が鋭く重い。槍で受け流すの精一杯だ。少女の瞳は、人のものとは思えないほどにぎらついている。それはまさに、天敵に出会ったときの獣の瞳だった。
 相手が本気で殺しにきていることを感じたシェンは。エランに背を向けて、全力で逃走を始めた。


「出ていけー!」


 だがエランは追いかけてきた。このままでは、アデハにかけられた言令の影響で動けなくなる。今シェンの体は、アデハから一定以上の距離を離れられないようにされているのだ。
 そこでシェンは疑問に思う―ーあの女、いったい何をのろのろと。


「ギェヤアアアアアー!」


 全裸の少女が高く宙に舞い上がった。なんと彼女は一足で樹木の天辺まで飛んだのだ。そしてそのまま、猛禽が獲物を狩る時のような姿勢で飛びかかって来た。


――やるしかない。


 シェンはそう決意せざるを得なかった。レアニムの棒にアウラをこめて、槍の形に変化させる。少女の体を刺し貫くことになるが、このままではこちらがやられてしまう。
 シェンはエランに向かって槍を構えると、翠眼の能力をつかってエランの体の欠陥を走査した。


 だが――その体には一点のくもりもなかった。頭の天辺からつま先にいたるまで、綺麗にくまなく石化され、ヒビ一つ見当たらなかった。
 どこを狙っても有効な一撃になりそうもない。終わったか――そうシェンが思ったその時。


「ぎゃひ?!」


 突如、エランが妙な声を出して空中で硬直した。
 アデハの言令だった。
 身動きをとれなくなったエランは、そのまま頭から地面に墜落した。生々しい衝突音とともに、相当な勢いで地面に叩きつけられたエランは、そのまま目を回して伸びてしまった。
 シェンはその様子を恐る恐る覗き込む。


 死んじまったんじゃないか?
 一瞬シェンはそう思ったが、運動能力だけではなく、身体そのものもやはり別格に出来ていたようだ。手足をひくひくと痙攣させているが、骨身には異常がないようだった。
 間もなく後ろから、肩を怒らせたアデハが大股で歩いてきた。とても怒っている。手には割れたヤポンの酒瓶。


「おーでーむーかーえー、感謝するわー。どこのお子さんかはー、知らないけれどー!」


 どすの利いた声でそう言いつつ、アデハは地面に伸びている素っ裸の少女を抱え起こす。
 そして小脇に抱え、尻叩きの姿勢をとった。
 アデハの口端に、鬼の歯が光る。


「これはそのお礼よ!」
「ふいぃぃ!?」


 目を見開いて戦慄する少女の尻に、容赦ない平手打ちが見舞われた。


――パシーン!


 それと同時に、天をつんざく少女の悲鳴。
 驚いた森の鳥が一斉に飛び上がった。


 * * *


 チャプラール村は『素朴な』という形容がまさにしっくりとくる、枯れた風情を感じさせる村だった。
 民家が見え始めてすぐの場所に、大きな旅の館が建っていた。
 しかし、長い間使われていないらしく、破れた窓には蜘蛛の巣が張り、屋根もすすけて傾いている。
 かつては療養地として栄えていたであろうことが、その館の姿から伺えた。やがて村の全景が見えてきた。


 村は一本の川を挟むようにして拓かれていた。川には源泉から湧き出た湯が混ざっているようで、河川敷の石はその成分によって青みがかっている。所々に橋が渡されていて、その周囲に家屋が立ち並ぶ。
 川の水は生活用水として利用されているようで、板張りの足場があちこちに設置されている。


 温泉の酸による影響のためか、川沿いには植物が殆どみられない。ごく一部に果樹が植えられているのみだ。その開けた場所に向かって周囲の山肌から木々がせり出してきて、日の光りを求めるようにして枝葉を広げている。


「静かで良いところね」


 と、アデハはうっとりとした表情。だが、シェンは首を傾げる。


「……そうか?」


 確かに静かなところではある。しかしシェンの通覚に訴えかけてきている村の波動は、けして良いものとは言えなかったのだ。
 それは氷のような静けさ。それも、触れれば直ちに痛みを伴うような、どこまでも冷え切った静けさだった。


「むっ……まあ、お子様にはわからないでしょうけど」


 だが、そんなことを知るはずも無いアデハは、すっかりシェンを子ども扱いしてしまった。しかし少年は怒る気にはならなかった。むしろ感慨を覚えたくらいだ。
 この周囲に満ちみちている感情の波動をアデハと共有できないということが、不思議でならなかった。


「うぅぅ……痛ぃぃ……」


 そのとき隣で少女が呻いた。
 シェンの横では、尻を赤く腫らしたエランが、うつ伏せになって伸びているのだ。一行はまず、エランの怪我の具合を調べるため、村の霊廟へと向かった。


 * * *


 チャプラール村の霊廟は、村から少し奥まった所に広がる森の中に建っていた。石作りの建物であるが、作られてから相当な年月が経過しているようで、その石壁は深く苔むしている。その上部はすっかり崩落してしまっていて、木材の屋根が雨避けのようしてに建て付けてあった。


 霊廟は人々の暮す場所にとって極めて重要な施設だが、その建物には、どことなくぞんざいな印象が漂っている。人手をかける余裕が無いのだ。
 だが、その周囲は。


《わあお、すごいじゃない。この辺全部、光り木の自然林だわ!》


 神駆の言うとおり、霊廟の裏手にある森林はその全てがエレクトリカ――光発電性植物で構成されていた。鬱蒼とした葉の茂りの中に、時おりアウラが光る。夜になればその光はさらにはっきりと現れてくることだろう。


「と言うことは、ここのマウソレムは、もう相当に古い時代から使われているのね」


 停止した神駆から降りつつアデハは言う。グライトが補足する。


「最初の住民がここに住み始めた時には、既にこのような状態だったそうです。大昔に植樹された光り木の森が、長い時を経て今の姿へと成長したのです」


 グライトはそう言いながら荷台の方に回り、その中で伸びているエランを抱き上げた。


「シェン、少しここで待っていてくれ。エランの具合を調べてくる」
「神駆、シェンが逃げないように、ちゃんと見張っててね?」


 そうしてアデハとグライトは、エランを抱えてマウソレムの中に入っていった。









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