アシアセラフィカ ―内なる獣―

ナガハシ

鳥人

 森や野山に入った時、ふと鮮やかな羽色の鳥と出会って、思わず息を飲むことがある。
 鳥の名に由来する色は、枚挙に暇がない。
 鳥の羽の色は色素によるものの他に、光の散乱や干渉によって生じる色、いわゆる構造色に基づくものがある。鳥の羽はその原理をも利用して、様々な色彩を獲得してきた。


 この現象は、鳥類のみならず人類にもその影響を波及させていた。
 ヒトの中にも、構造色に由来する『青毛』を持つ個体が現れたのだ。ヒトはその色の組み合わせによって、ほぼフルカラーの毛髪を持ちうるようになった。


 まさにその青系色の髪を持つ少女こそが、エラン=ミーだった。
 少女は火山質の岩が剥き出す、粗野な高台の上に立ち、その下に広がる森林に向かって琥珀色の瞳を光らせていた。
 肩ほどの長さで荒く刈られたその髪は、日の光に痛んで縮れている。
 構造色の青の上に黄色系の色素が重なった明るい緑色であるが、毛先に行くほど黄の色素が薄れて青みが濃くなっていく。


 歳は十をやや過ぎた頃。小柄な体を包んでいるのは、首から被った一枚の筒衣のみ。その姿はまるで巣を失った雛鳥のようで、見る者全てに否応ない愛惜を抱かせる雰囲気を纏っていた。


「エラン、何か変わったことはあったかい?」


 そんな少女の元に、一人の中年の男が、食料の入った籠を携えてやってきた。
 籠の中に入っているのは、黒麦のパンと茹で卵、そして幾つかの果物だった。男は籠を少女の足元に置くと、すでに置いてあった別の籠と取り替えた。


「とてもいい天気だ。遠くまで良く見える。もう秋だから、山の動物も随分と肥えてきたんじゃないかな。どうだい、何か見えるかい?」


 しかし少女は、眉一つ動かさない。
 男は取り替えた方の籠の中を覗いた。そこには朝に運んできた食料が手付かずのまま残されていた。


「ふう……」


 男は小さくため息をつくと、少女の頭に手をやった。
 そしてその緑色の髪を撫でつつ言う。


「食事、ちゃんと食べなきゃだめだよ。食べなきゃ元気でないんだから……」


 少女の視線が僅かに落ちた。足元の籠を気にしたのか、それとも何かを思ったのか。


「じゃあ、おじさんもう行くね。また夕方に来るから。ちゃんと食べるんだよ」


 そして男は踵を返そうとするが、その時。


「おじさん」


 少女がぽつり呟いた。それは今にも空に溶けてしまいそうなほど、か細い声だった。


「おおっ、なんだい? エラン」


 男は、歳の割には皺のよった表情を躍らせつつ言う。


「人が来るよ」


 と言ってエランは男に視線を送り、そしてまた森の方に戻した。


「えっ、もしかしてグライトさんかい? そりゃあ、急いで仕度をしとかなきゃな」
「うん、あの乗り物、人が増えてる……え?」


 エランの瞳が鋭く光る。明らかな警戒の色が、その双眸に浮かび上がった。


「どうしたんだい?」
「見てくる」


 と言ってエランは、高台の下に向かって走り始めた。


「え? ちょっと待ちなさ……うわ!」


 ベルドンが言うか言わないかのうちに、エランの体が飛び上がる。
 まるで足の裏に火薬でも詰まっているかのような爆発的な跳躍。
 少女は見上げるほどの高さまで飛び上がると、そのまま身に纏った布を広げて滑空の姿勢に入った。
 その姿はまさに鳥そのものだった。


「おおーい! エラーン!」


 叫んでみるものの、少女はすでに遥か彼方だった。
 身に纏った布を器用に広げて、ムササビのように飛んでいく。
 そしてあっと言う間に森の中へと吸い込まれていった。


「あああ……」


 残された男は成すすべなく、ただ一人丘の上に立ち尽くす。


 * * *


 森の小道を、青い翼をはためかせながら一羽のオオルリが飛び抜けていく。
 一行は、グライト達が見つけた人里の一つ、温泉村のチャプラールに向かっているところだった。
 リーシャン方面にかなり引き返すことになったが、近くに温泉があるを耳にして、アデハが行くと言わないはずがなかった。


「ねえグライト、この辺って鳥が多いわよね。なんだか海那方の森を思い出さない?」
「ええ、地下に良い水脈があるようで。この辺りは木々の実りも豊かです」
「うん、きっとエサになるものが多いのね」


 と言ってアデハは陽気な表情で森を見渡した。降雨量の少ない地域にもかかわらず、密度の濃い、豊かな森が広がっている。
 針葉樹と広葉樹が万遍なく分布し、地の草も多様。一部の木々は僅かに紅葉を始めているが、まだ大部分が濃い緑色の葉を茂らせている。
 遠くには幾つかの小高い山が聳えているが、その全てがここ三百年ほどのあいだに起きた火山活動による、単成火山だった。
 アデハは言った。


「この分だと、今夜も美味しいものにありつけそうね、グライト、献立は?」
「少々気が早くありませんか? さきほど昼食をとったばかりですが」
「でも気になるのよ。だって今夜はヤポンを開けるのよ? 温泉に浸かった後にね」
「わかっております。村で面白い食材を見つけてありますので」 


 アデハは待ちきれないといった様子で荷台からヤポンの瓶を取り出した。
 そしてその瓶の匂いを嗅いだり、日に透かして色合いを確かめてみたりと、始終落ち着きがなかった。
 シェンも瓶の中身が気になるらしく、荷台の方からちらちらと視線を送っているが。


「だめよシェン、まだ貴方には早いんだから」


 と、あっさり言い捨てられてしまった。


「二人とも、少々よろしいですか?」


 グライトが少々深刻な様子で話しを切り出した。
 アデハは酒瓶をしまい、シェンは横目で注視する。


「ここから先、少し気を付けていて下さい。出迎えがあるかもしれないので」
「出迎え?」


 アデハは首を傾げる。


「ええ、昨日来た時にも会ったのです。気をつけていないと驚きますよ」
《そうそう。とーっても可愛らしいお出迎えが来るんだから》
「ふーん……可愛らしいお出迎えねえ」


 アデハはしばしグライトの言ったことについて思いを巡らせていたようだが、すぐにまたヤポンの酒瓶に興味を移してしまった。
 一方シェンは、そのお出迎えというのは番犬か何かではないかと想像していた。
 こういった森の中にある村は、大抵が犬を飼っているものだ。犬がいると野山の害獣が寄り付きにくくなる。もちろん完全に防げるわけではないが、いるといないとではかなり違う。
 シェンは遠くに視線をむけると、どこか物憂げな表情をうかべた。


「おや、もう来たようです。随分と早い」


 言われて一行は、前方に目を向けた。
 遠くの樹木の梢がガサガサと、騒がしく揺れている。樹木の上を飛び跳ねるようにして、何かがこちらに進んできているのだ。


「猿? いえ……鳥!?」


 アデハは驚いて身を乗り出した。その先に見えたのは、黄緑色の髪をなびかせ、白い翼をはためかせて飛んでくる、一羽の大きな鳥――。


「いいえ子供ですよ、アデハさま」
《しかも女の子なんだなこれが》


 グライトは神駆を停止させた。
 一行の前に、木の上を飛んできた少女が降りてきた。


「エラン=ミー。また少しやっかいになりたいのだ。通っても良いだろうか?」


 グライトがそう問うも、エランと呼ばれたその少女は眉間に力をこめたままだった。明らかな警戒、いや敵意が、一行に向けて注がれていた。


「む、様子がおかしい」
《あんな怖い感じじゃなかったんだけど……》


 エランはグライトから視線を移し、その隣のアデハを睨んだ。
 続いて荷台の奥にいるシェンの姿を視界に捉える。


「ギイイッ!」


 その瞬間、少女の内部から闘争の波動が吹き出してきた。


「いかん! 伏せろ!」


 グライトが叫んだ瞬間、エランが弾けるような勢いで神駆の荷台に突っ込んできた。


「――っ!」


 シェンは反射的に飛び退いた。











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