アシアセラフィカ ―内なる獣―

ナガハシ

賊徒

 彼ら着ている服はどれも黒で統一されていた。
 振り返れば、吊橋の反対側にも同様の男達が控えていた。


「小僧、その槍をこっちに投げろ」


 どう見ても賊徒の類だった。
 シェンはアデハをちらと見る。アデハは口元を強張らせながら、その視線に対して頷いた。シェンは白磁の槍を男達に向かって放り投げた。


「よし、そのままゆっくり歩いて来い」


 二人は言われるまま、ゆっくりと吊橋を渡っていく。


「おお、これはレアニムの槍だ」
「どうやら、高貴なお方々のようだな」
「なかなかの獲物だぜ」
「はやく親分に知らせてこよう」


 男達は舐めるような目つきで二人を眺めてきた。
 こういった賊徒の類はいつの時代、どんな場所にも存在しうるものだが、通人の間では、お互いの感情が強く共有されているために、滅多なことでは発生しない。
 相手を略奪する時の痛みが、直接自分達に返ってきてしまうからだ。


 だがしかし、集団を構成する者の大多数が、人を傷つけ、また自らをも貶めることに馴れるという、歪んだ精神状態に犯されてしまった場合はその限りではない。
 今目の前にいる男達のように、他者から略奪することを生業とする、ならず者の集団に堕してしまうこともあるにはある。
 そして、そのきっかけは粋人の存在によるところが多い。


「よし、そこで止まれ」


 言われて二人は歩みを止めた。吊橋を渡りきるまで、あと数歩といったところだった。
 賊徒達の背後から、頭領と思しき男が進み出てきた。
 黒衣の上にまとった毛皮が、彼の存在感をひと際目立たせている。丸坊主から伸ばしたようなその髪は、綺麗に長さが揃っていた。


「おいおい、一体どこのお偉いさんがノコノコと。無用心にも程があるぜ」


 シェンにはすぐ解った。通覚の波動がないのだ。
 そのことをアデハにだけ聞こえる声で言う。


「……粋人」


 アデハはその言葉に答える代わりに、さも残念そうにため息をついた。そして言った。


「あなた、インの人ね?」
「ああ、ちょっと前まではそうだった。でも今は違うぜ」
「古習を守り継いで来た一族の者が、どうしてこんな外道に堕ちたの?」
「説教か? 聞き飽きたぜ。生まれた時から聞かされてきたからな」


 アデハはさらに大きくため息をついた。


「グライトの言う『賛同しかねる』は、所詮この程度のものよね……」
「なにブツブツ言ってやがる。っつかおめえも粋だな。こりゃあいい! ちょうど退屈してたところだ。インの里にゃ尼しかいねえ。ちょっくら相手してもらおうじゃねえか」


 といって男は、口元に下卑な笑みを浮かべた。


「そっちのガキも、よく見りゃなかなかのもんじゃねえか。そのうちいい女になりそうだ……。ディシェンデレ・コルプス」
「――ぐ!」


 男の言令がシェンの体にかけられた。
 まるで巨大な荷物を背負わされたように全身が重くなり、シェンはその場に屈み込んだ。


「さあ女、大人しく手をあげてこっちにくるんだ。なあに、大事にしてやるさ……」
「それはどうも」


 アデハは冷めた眼差しで彼を見据えつつ、橋を渡りきりった。
 男の一人がその手を掴んできた、その瞬間――。


「うおぉ!」


 男の体が、アデハの手を軸にして大きく回転した。そのまま天と地がさかさまになり、頭から地に突き刺さる。


「そんなに退屈なら、いっちょ相手してあげようじゃない!」
「くっ、てめえらやっちまえ!」


 男達が一斉に飛び掛ってきた。彼らの体であっと言う間にアデハの姿が見えなくなる。


「はっ!」


 アデハは腰を落とし、男の一人の膝に蹴りを放った。そしてよろけて倒れたその者の横を、ひらりと身を翻して抜けだす。
 さらにそのまま流れるような動きで掌打を放つ。それを顔面にくらった男は、鼻孔から血を撒き散らして吹き飛んだ。


 数的不利の状況を、一瞬にして一対一の連続にもちこむと、後はアデハの独壇場だった。軽やかに放たれる打撃技、その全てが人体の急所を的確に捉えた。容赦ない膝蹴りがみぞおりに叩き込まれ、剣の如き抜き手が喉仏に突き刺さる。
 さらに鞭のような前蹴りが、男の急所を丁寧になぶった。
 この世の終わりのような苦悶をその顔に浮かべつつ、次々と賊徒は地に伏せていく。


「ぐ、ぐえええ……」


 最後の一人が白目を向いて打ち倒された。しかし。


「そこまでだ、後ろを見な!」


 遠まきに眺めていた頭領の男が叫んだ。
 アデハはシェンの方を振り向いた。橋の反対側から渡ってきた男二人が、鋭利な刃物をシェンの首元に突きつけていた。


「とんでもねえ女だ。あっと言う間に伸しちまいやがった……。おっと、動くなよ」


 アデハは大人しくその言葉に従った。
 彼は腰にぶら下げていた縄を取り出すと、アデハの腕を後ろ手に縛り上げた。


「あの子には手をださないで」


 アデハは男を鋭い眼で見据えながら呟いた。


「連れがいれば安心とは限らねえな。あんた甘すぎるぜ、こんな所に小娘と二人で」


 シェンの性別を勘違いしているその男は、アデハを縛り終えるとその縄を引きつつ叫んだ。


「おいお前ら! いつまでも伸びてねえでそのガキをとっとと縛れ!」


 男達はよろよろとと起き上がると、橋の上のシェンを引きずり始めた。
 頭領の男はそのまま高笑いをしながら去っていく。シェンの眼には、どんどん遠ざかっていくアデハの姿だけが映っていた。体は鉛のように重く、身動きはまったく取れない。


――私を守ってね。


 アデハの言葉が脳裏によぎった。
 しかしこれでは、守るどころかいい足手まといだ。あの女一人だったら何とかなっていた。
 だが少年には、この状況を悔やむべきかどうかさえわからなかった。むしろアデハを憎むべきなのかもしれなかった。このままでは自分の身も危ういのだから。
 そう、このままでは。


「……ふん」


 シェンは鼻をならした。シェンのアデハの間の距離が一定の値を越えようとしている。男達は怪訝な表情を浮かべながらシェンを見てきた。
 シェンの右腕が、ぶるぶると震えだしていたのだ。


「こ、こいつ……」
「言令がかかってるのに、何で!?」


 シェンはその右腕を地について、ありったけの力をこめて上体を起こした。
 男にかけられた言令の力が明らかに弱まっている。


 シェンの右腕には、ある複雑な言令が組み込まれていたのだ。もし不測の事態に陥って、アデハとの間に距離を置かざるを得なくなった場合、その他全ての言令を無視して、アデハの元に帰還せよという言令が。


 やがて右腕の震えが最高潮に達した。瞬間、シェンの体が一気に軽くなった。


「――シイィッ!」


 取り囲んでいた男達が見ている前で、シェンはその姿を消滅させた。
 爆発的な瞬発力でその場から飛び出したのだ。
 男達が気付いた時には、その遥か前方を疾走していた。


 そして、あっと言う間にアデハの元に到達する。
 少年に右腕に燦然と、アウラの光りが輝き始めた。シェンはその腕を振り上げると、容赦なく男の顔面に叩き込んだ。


「――うおぶっ!」


 拳は爆炎を伴った。
 その威力に吹き飛ばされ、男の体はゆうに五十歩は舞い飛んだだろう。









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