アシアセラフィカ ―内なる獣―
宴(うたげ)
リーシャンの街には現在二千人余りの人々が暮している。
街の背後には広大な山林があり、その一角が広く削り取られて、人工の断崖となっている。その断崖と、強固な石の外壁とに守られるようにして、緻密な市街が形成されている。
石獣の襲来を防ぐために、遠い昔の人々が築いた場所を、今日までずっと使い続けているのだ。
近くで石灰岩が採掘できるため、建物はセメントを用いたものが目立つ。
食堂、鍛冶場、工房といった生活に必要な施設が、犇くように建ち並んでいて、その間の狭い街路は、避難先から戻ってきた人々や、アデハ達の帰還を喜んではしゃぎ回る子供達、さらには生活物資を満載した荷車などでごった返している。
石獣が倒されたという報を受けて、街は急速に本来の活動を取り戻しつつあるのだ。
さらに進むと、街の真ん中に森が見えてくる。
石床を機能させるための、光り木の森だ。
その前の広場には何体もの彫像が並んでいる。そしてその一角に、街の中心部ともいえる立派な霊廟が建っている。アデハ達の活躍を称える宴は、その広場で行われるようだった。
* * *
 ほどなく日も暮れて暗くなり、かがり火の明かりが人々の姿を照らし出していた。
大ぶりに切り分けられた肉が炭火で炙られ、食欲をそそる香ばしい匂いが広場中に立ち込めている。数名の街人が彫像の側で楽曲を奏でており、その軽快な音色に多くの者達が聞き入っていた。
そんな中でアデハは一人華やかな服装で、いかにも宴の主賓といった雰囲気を醸していた。
だが本人は気にする様子も無く、子供に混ざって焼けた肉を齧っているのだった。
「アデハさん、こっちに来て一杯やりませんか?」
そんな彼女に向かって、杯と酒瓶を携えたゲンイルが、食台の方から手招きしてくる。
「んふ? ふえあああーい」
アデハは肉を頬張ったまま、お行儀の悪い返事をすると、そそくさと食台に向かっていった。
そしてさっそく、ゲンイルの秘蔵である葡萄酒を注いでもらった。
食台には二人の他に白ひげを生やした鍛冶屋長とその妻、そして数人の弟子達が座っていた。
話題は今日しとめた巨獣のことでもちきりのようだ。早くもその牙やら骨やらを何に使うかといった、皮算用を始めている。
「はいはい、お待ちどうさま」
そこに首長の妻が食器を抱えてやってきた。その後ろからグライトが大鍋を抱えてついてくる。彼は機織場から提供された白い上衣を着て、その上に藍染めの前掛けをつけている。
グライトはかなりの大男だが、不思議とその前掛けがさまになる。
「グライトさんに教えてもらった平打を、骨の出汁で煮込んでみたの」
と、食器を配しつつ婦人は言う。平打とはその名の通り、小麦粉を平たく打ったもので、アデハ達の故郷ではよく食べられる料理だ。
「ほお、これはまた珍しいものだ。さ、熱いうちに頂きましょう」
「グライトさんのおかげで、料理の種類がずいぶんと増えたわ」
さっそくグライトが、鍋の中身を食器に移していく。アデハは彼を肘で突きつつ言った。
「また腕を上げたんじゃない?」
「ふふ、これが楽しみで各地を回っていましたから」
とグライトは得意げな表情を浮かべる。
彼はかつて、料理を学ぶために大陸中を放浪していた旅の料理人だった。今はその料理の腕前と、高い戦闘能力を買われて、アデハの世話役兼護衛として雇われている。
アデハの生まれ故郷である海那方は、世界的にみても稀なほど食材と料理の種類が豊富な場所であり、彼にとっても今の役職は、願ったりかなったりのものだった。
「んー、このお酒おいしいー」
アデハは杯を手に上機嫌だった。
平打はリーシャンの人々には食べ慣れない料理のようだったが、それでもみな次々と手を伸ばし、あっと言う間に鍋の底が見えてしまった。
もっともアデハは、肉で満腹になっていたのか、もっぱら葡萄酒ばかりを嗜んでいたが。
ゲンイルの匙が落ち着いたところで、アデハは話を切り出した。
「ところで村長。ちょっと聞きたいことがあるのだけど」
「はい? なんでしょう?」
アデハは酒を注いでもらいながら続ける。
「この辺で、緑色の眼をした少年を見たことはありませんか?」
「はあ、緑色の眼ですか?」
「はい、昼間に荒野で会ったんです。そういう子に」
ゲンイルはひとまず酒瓶を置き、腕を組んで考えこむ。
「ふーむ、この村の者は殆ど茶色い目をしてますからな……少年ともなると、ちょっと……。緑眼というと、この辺りではかなり珍しいのです」
「その子、私達を助けてくれたんです。獣を仕留める時に。彼が飛び込んで来てくれなかったら、正直危ないところだった」
「そんなことが? いやでも、三日里も引っ張っていったんでしょう? あの辺まで行くと殆ど荒野……とても人の住める場所ではない。ましてや少年など」
「ええ、でもいたんです、確かに……。どこからともなく飛び込んできて、獣の肉を剥ぎ取って、それてどこかに消えてしまったんです」
「ううむ……それは気になりますな」
そこで一同黙り込む。
みな一様に、その少年のことに思いを巡らせているようだった。
「……ご存知ないのでしたらよいのですが」
とアデハは恐縮したように言うが。
「いえ、私どもも興味があります。もう少し詳しく聞かせてくれませんか?」
自分達の暮す街の周辺に、家なしの少年がいる。そのことはやはり、街の長として看過できないことだった。
ゲンイルは身を乗り出すようにして、アデハに聞いてきた。
「遠目でよく見えなかったのだけど、何かの毛皮を身につけていました。手には白い槍を持っていました。色合いからしてたぶん、レアニムの……」
それを聞いて鍛冶屋長とゲンイルが同時に目を見開いた。
「レアニムの槍ですと!?」
「それは大変なことだ!」
レアニムとは、古い遺跡などから時おり見つかる、形状記憶性を持つ物質のことだ。
焼いて叩いてもびくともせず、折れたり削れたりしても、くっつけて置いておくだけで元の形に戻ってしまう。まさに鍛冶屋泣かせの素材だ。
「つまりその少年は、レアニム使いということですな。自らの意のままにレアニム材の形を変えられるという、あの! いやはや……そんな者がいつからこの辺に住んでいたのか!」
そう言ってゲンイルは天を仰いだ。
「いやあ気になる。それは実に気になります……!」
「ええ、私もとても気になるんです。何せまだ、年端のいかない少年でしたから」
「はい、まったく、どんな事情でそうなったのでしょう……。誰か、心当たりのある者はいないか? どんな些細なことでもいい!」
と言って村長は、その場にいる他の者達に話をふった。
彼らはしばし互いに目線を交わしていたが、やがて一人の青年が、どこか申し訳なさそうな顔をしながら手を上げた。
「長、前に狩りで森に入ったとき、ちょっと珍しいもの見たんです」
「む? なんだそれは。報告はしてなかったのか?」
「すんません。大したことだとは思わなかったので」
「いやいい。それで、何を見たんだ?」
青年は、果たしてそれを言って良いものかどうか迷っているようだったが。
「光る虫を見たんです。夕方薄暗くなってきた頃に、青っぽい光を出す虫が茂みの中にいるのを、遠目に見たんですよ。珍しい虫もいるんだなって仲間と話してたのを、今、何となく思い出したんです」
「ふむ、光る虫なんぞ、この辺ではまず見ないがな……」
みなそれぞれ顔を見合わせて、そして一斉に首を振った。
「その光り虫と、翠眼の少年との間に、何か関係があるとお前は思うのか」
「ええ、いや……どうなんでしょう?」
若者は、何をどう答えてよいものかわからないでいるようだった。
ただ『青っぽく光る何か』を、少年の緑色の瞳と関連させて想起しただけなのだ。
そこでグライトが、何かを思いついたように首を上げた。
「話には聞きたことがあります。ある種の遺伝を持つ者は、石化した体の部位が発光することもあると」
ふむ……と宴席から声が上がった。
ある種の遺伝とは何なのか。
光るというのはやはりアウラのことなのか。
実際に見たことのない者達にとっては、全てが謎だった。
アデハは言う。
「言われてみば、あの子の眼……やけにギラギラと光っていたわね」
「はい、アデハ様。しかもその腕に炎をまとわせるという離れ業までやってのけたのです」
グライトの言葉に、再び宴席からどよめきの声が上がる。
――腕から炎を?
――そんなものはお伽話でしか聞いたことがない……。
このまま話を続けても埒が明かない。
アデハは、ひとまずここで話を切ることにした。
「何にしろ、この辺りにそういった少年がいることは間違いないんです。この眼でしかと見ましたから。なので、もし見つけることができたら、保護してあげて欲しいんです」
「ええ、そうですね。お任せください、アデハさま」
そう言って、ゲンイルは深く頷いた。
* * *
その後すぐに、夜警の人員が増やされた。
そして、明日にでも平原を見て回ろうという話になった。
宴は夜遅くまで続き、ゲンイルが六本目の葡萄酒を開けようとするのを、しぶしぶグライトが止めて、そこでようやくお開きとなった。
そして翌日、二日酔いで頭を抱えていたアデハの元に、思わぬ一報が舞い込んでくることになる。
街の背後には広大な山林があり、その一角が広く削り取られて、人工の断崖となっている。その断崖と、強固な石の外壁とに守られるようにして、緻密な市街が形成されている。
石獣の襲来を防ぐために、遠い昔の人々が築いた場所を、今日までずっと使い続けているのだ。
近くで石灰岩が採掘できるため、建物はセメントを用いたものが目立つ。
食堂、鍛冶場、工房といった生活に必要な施設が、犇くように建ち並んでいて、その間の狭い街路は、避難先から戻ってきた人々や、アデハ達の帰還を喜んではしゃぎ回る子供達、さらには生活物資を満載した荷車などでごった返している。
石獣が倒されたという報を受けて、街は急速に本来の活動を取り戻しつつあるのだ。
さらに進むと、街の真ん中に森が見えてくる。
石床を機能させるための、光り木の森だ。
その前の広場には何体もの彫像が並んでいる。そしてその一角に、街の中心部ともいえる立派な霊廟が建っている。アデハ達の活躍を称える宴は、その広場で行われるようだった。
* * *
 ほどなく日も暮れて暗くなり、かがり火の明かりが人々の姿を照らし出していた。
大ぶりに切り分けられた肉が炭火で炙られ、食欲をそそる香ばしい匂いが広場中に立ち込めている。数名の街人が彫像の側で楽曲を奏でており、その軽快な音色に多くの者達が聞き入っていた。
そんな中でアデハは一人華やかな服装で、いかにも宴の主賓といった雰囲気を醸していた。
だが本人は気にする様子も無く、子供に混ざって焼けた肉を齧っているのだった。
「アデハさん、こっちに来て一杯やりませんか?」
そんな彼女に向かって、杯と酒瓶を携えたゲンイルが、食台の方から手招きしてくる。
「んふ? ふえあああーい」
アデハは肉を頬張ったまま、お行儀の悪い返事をすると、そそくさと食台に向かっていった。
そしてさっそく、ゲンイルの秘蔵である葡萄酒を注いでもらった。
食台には二人の他に白ひげを生やした鍛冶屋長とその妻、そして数人の弟子達が座っていた。
話題は今日しとめた巨獣のことでもちきりのようだ。早くもその牙やら骨やらを何に使うかといった、皮算用を始めている。
「はいはい、お待ちどうさま」
そこに首長の妻が食器を抱えてやってきた。その後ろからグライトが大鍋を抱えてついてくる。彼は機織場から提供された白い上衣を着て、その上に藍染めの前掛けをつけている。
グライトはかなりの大男だが、不思議とその前掛けがさまになる。
「グライトさんに教えてもらった平打を、骨の出汁で煮込んでみたの」
と、食器を配しつつ婦人は言う。平打とはその名の通り、小麦粉を平たく打ったもので、アデハ達の故郷ではよく食べられる料理だ。
「ほお、これはまた珍しいものだ。さ、熱いうちに頂きましょう」
「グライトさんのおかげで、料理の種類がずいぶんと増えたわ」
さっそくグライトが、鍋の中身を食器に移していく。アデハは彼を肘で突きつつ言った。
「また腕を上げたんじゃない?」
「ふふ、これが楽しみで各地を回っていましたから」
とグライトは得意げな表情を浮かべる。
彼はかつて、料理を学ぶために大陸中を放浪していた旅の料理人だった。今はその料理の腕前と、高い戦闘能力を買われて、アデハの世話役兼護衛として雇われている。
アデハの生まれ故郷である海那方は、世界的にみても稀なほど食材と料理の種類が豊富な場所であり、彼にとっても今の役職は、願ったりかなったりのものだった。
「んー、このお酒おいしいー」
アデハは杯を手に上機嫌だった。
平打はリーシャンの人々には食べ慣れない料理のようだったが、それでもみな次々と手を伸ばし、あっと言う間に鍋の底が見えてしまった。
もっともアデハは、肉で満腹になっていたのか、もっぱら葡萄酒ばかりを嗜んでいたが。
ゲンイルの匙が落ち着いたところで、アデハは話を切り出した。
「ところで村長。ちょっと聞きたいことがあるのだけど」
「はい? なんでしょう?」
アデハは酒を注いでもらいながら続ける。
「この辺で、緑色の眼をした少年を見たことはありませんか?」
「はあ、緑色の眼ですか?」
「はい、昼間に荒野で会ったんです。そういう子に」
ゲンイルはひとまず酒瓶を置き、腕を組んで考えこむ。
「ふーむ、この村の者は殆ど茶色い目をしてますからな……少年ともなると、ちょっと……。緑眼というと、この辺りではかなり珍しいのです」
「その子、私達を助けてくれたんです。獣を仕留める時に。彼が飛び込んで来てくれなかったら、正直危ないところだった」
「そんなことが? いやでも、三日里も引っ張っていったんでしょう? あの辺まで行くと殆ど荒野……とても人の住める場所ではない。ましてや少年など」
「ええ、でもいたんです、確かに……。どこからともなく飛び込んできて、獣の肉を剥ぎ取って、それてどこかに消えてしまったんです」
「ううむ……それは気になりますな」
そこで一同黙り込む。
みな一様に、その少年のことに思いを巡らせているようだった。
「……ご存知ないのでしたらよいのですが」
とアデハは恐縮したように言うが。
「いえ、私どもも興味があります。もう少し詳しく聞かせてくれませんか?」
自分達の暮す街の周辺に、家なしの少年がいる。そのことはやはり、街の長として看過できないことだった。
ゲンイルは身を乗り出すようにして、アデハに聞いてきた。
「遠目でよく見えなかったのだけど、何かの毛皮を身につけていました。手には白い槍を持っていました。色合いからしてたぶん、レアニムの……」
それを聞いて鍛冶屋長とゲンイルが同時に目を見開いた。
「レアニムの槍ですと!?」
「それは大変なことだ!」
レアニムとは、古い遺跡などから時おり見つかる、形状記憶性を持つ物質のことだ。
焼いて叩いてもびくともせず、折れたり削れたりしても、くっつけて置いておくだけで元の形に戻ってしまう。まさに鍛冶屋泣かせの素材だ。
「つまりその少年は、レアニム使いということですな。自らの意のままにレアニム材の形を変えられるという、あの! いやはや……そんな者がいつからこの辺に住んでいたのか!」
そう言ってゲンイルは天を仰いだ。
「いやあ気になる。それは実に気になります……!」
「ええ、私もとても気になるんです。何せまだ、年端のいかない少年でしたから」
「はい、まったく、どんな事情でそうなったのでしょう……。誰か、心当たりのある者はいないか? どんな些細なことでもいい!」
と言って村長は、その場にいる他の者達に話をふった。
彼らはしばし互いに目線を交わしていたが、やがて一人の青年が、どこか申し訳なさそうな顔をしながら手を上げた。
「長、前に狩りで森に入ったとき、ちょっと珍しいもの見たんです」
「む? なんだそれは。報告はしてなかったのか?」
「すんません。大したことだとは思わなかったので」
「いやいい。それで、何を見たんだ?」
青年は、果たしてそれを言って良いものかどうか迷っているようだったが。
「光る虫を見たんです。夕方薄暗くなってきた頃に、青っぽい光を出す虫が茂みの中にいるのを、遠目に見たんですよ。珍しい虫もいるんだなって仲間と話してたのを、今、何となく思い出したんです」
「ふむ、光る虫なんぞ、この辺ではまず見ないがな……」
みなそれぞれ顔を見合わせて、そして一斉に首を振った。
「その光り虫と、翠眼の少年との間に、何か関係があるとお前は思うのか」
「ええ、いや……どうなんでしょう?」
若者は、何をどう答えてよいものかわからないでいるようだった。
ただ『青っぽく光る何か』を、少年の緑色の瞳と関連させて想起しただけなのだ。
そこでグライトが、何かを思いついたように首を上げた。
「話には聞きたことがあります。ある種の遺伝を持つ者は、石化した体の部位が発光することもあると」
ふむ……と宴席から声が上がった。
ある種の遺伝とは何なのか。
光るというのはやはりアウラのことなのか。
実際に見たことのない者達にとっては、全てが謎だった。
アデハは言う。
「言われてみば、あの子の眼……やけにギラギラと光っていたわね」
「はい、アデハ様。しかもその腕に炎をまとわせるという離れ業までやってのけたのです」
グライトの言葉に、再び宴席からどよめきの声が上がる。
――腕から炎を?
――そんなものはお伽話でしか聞いたことがない……。
このまま話を続けても埒が明かない。
アデハは、ひとまずここで話を切ることにした。
「何にしろ、この辺りにそういった少年がいることは間違いないんです。この眼でしかと見ましたから。なので、もし見つけることができたら、保護してあげて欲しいんです」
「ええ、そうですね。お任せください、アデハさま」
そう言って、ゲンイルは深く頷いた。
* * *
その後すぐに、夜警の人員が増やされた。
そして、明日にでも平原を見て回ろうという話になった。
宴は夜遅くまで続き、ゲンイルが六本目の葡萄酒を開けようとするのを、しぶしぶグライトが止めて、そこでようやくお開きとなった。
そして翌日、二日酔いで頭を抱えていたアデハの元に、思わぬ一報が舞い込んでくることになる。
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