永久なるサヴァナ

ナガハシ

獅子奮迅

 最初の相手は、サヴァナ最強のネズミだった。


「キシャアアアー!」


 余りの素早さのために、その姿が4つに分裂して見えることから、カルテット・ミックと呼ばれているその戦士を。


「ふんっ」
「キイイィ!?」


 ジョーは開始した瞬間に叩き潰した。


 それを皮切りにして、次から次へと挑戦者達が屠られていった。
 まずはコヨーテやジャッカルといった軽量級が、その身軽さを生かして速度のある攻撃をしかけてきた。
 倒すことは出来なくとも、その顔に一撫で触れて、金の山羊を掠め取ろうという魂胆だ。
 しかしジョーは、その小型獣の速度を遥かに上回る機動を見せたのだ。


「ギャイイイン!」


 小柄な獣闘士が2階席まで吹き飛んでいく。
 瞬く間に屍の山が築かれていく中、過去のジョーを良く知る者達が、口をそろえて呟いた。


――まだ前足しか使っていない。


 眼にも留まらぬ速度で首を突き出してきたコブラを二本指で捕らえ、アルマジロの甲羅を手刀でかち割り、極彩色の羽を広げて幻惑してくるクジャクに対しては眼を閉じたまま戦った。


 ジョーが始めて後足を使ったのは、会場警備をしていたジャガーが乱入してきた時だった。
 獅子にも勝る踏み込みで飛び掛ってきた相手に対し、前蹴りによる牽制を行った。それを機にリーチを生かした猛反撃に転じると、ジャガーはあえなく白旗を上げ。


「まいったボス……解雇しないでくれ」


 と頭を下げてきた。


 その後、ついに重量級が登場した。
 身長5m、股下2m30cmの長さを持つ超長身の半獣人。キリンのジョーンズである。
 外の世界ではライオンを蹴り殺すこともあるキリン。手を伸ばせば2階席にも届く巨人を前に、流石のジョーも有効策を思いつけない。


「むううっ?」


 特注サイズのデニムに包まれた細長い脚が、ひっきりなしに振り回される。獅子は、蹴り上げと蹴り下ろしの連続攻撃を、転がるようにして回避する。
 これはもしや――? 会場にそんな期待感が生まれ始めたその瞬間。


「ふふん」


 ジョーは若干甘く振り下ろされた踵落としを交差した両腕で受け止めた。そのまま軸足にタックルをしかけ、押し倒したところで長すぎる脚を両脇に抱える。そしてなんと、身の丈5mの巨人にジャイアントスイングをかけたのだ。
 回転力が最大値に達したところで放り投げる。大木のようなキリン男は、頭から観客席に突っ込んでいった。


「あにゃー!?」
「ひいいいっ!?」


 それは丁度、マスター達の目の前だった。白目を剥き、長い舌を口から垂らすキリン男。


「これ、なんとか愛護団体に文句言われるにゃー!」
「一応みんな人間なんだけどね……」


 VIP席のヤマネコ婦人が。


「これはダメね」


 と扇子をあおぎながらつぶやく。


「ムガー! なにやってんだよ!」


 獅子長のことが気に食わないオスカーは、仕事そっちのけで挑戦者達を応援しつつ、部下のウシ男に八つ当たりをしていた。


「さあ! あと何人残っているのかな!」


 手についた土を払いながら獅子が咆える。ヒョウ面の係員がパネルを示す。先ほどまで100人以上残っていた挑戦者が、一気に減って30人程になっていた。


「おやおや! 残念なことだ!」


 呆れたように肩をすくめるジョー。挑発するようにして観客席を指差す。


「飛び入りでもかまわない! 誰かわたしに挑もうという者はいないのか!」


 強そうな観客を見繕って手招きをする。一般席の一角に勝手に特等席を作って寛いでいるゾウ館の主を指差して言う。


「わたしは是非とも貴殿と戦ってみたかったのだが?」


 直々の指名にどよめく会場。しかし煌びやかな衣装に身を包んだゾウは、ただ大らかな笑顔でもって答えるのみ。取り付く島もないその様子に、ジョーはやれやれと首を振った。
 失笑に変わるどよめき。だがその瞬間、客席から一羽の鳥が矢のような勢いで飛び出してきた。


――あれは!?
――ハヤブサのスパイクだ!


 サヴァナ最速の戦士の登場に、再び会場が活気付く。
 鳥人は、ひらりと場内に舞いあがるとそこから急降下。その速度を利用して、つむじ風のような鋭さでジョーの周囲を旋回した。あまりのスピードについていけない。翼の先が体をかすめ、ナイフのように皮膚を切り裂く。


――おおおおおおっ!


 あの獅子長が苦悶の表情を浮かべている?
 ざまあみろと咆える声。にわかに巻き起こるスパイクコール。寡黙なハヤブサは、そのまま天高く舞い上がった。
 三階席を超え、コロシアムの屋根に達し、中央に大きくあいた吹き抜けからさらに飛ぶ。夕暮れかけた空に赤々と燃える不死鳥に飲み込まれ、その姿が一切見えなくなる。


 ジョーはその空を注視する。
 次に来る攻撃は一撃必死。金の山羊どころか、己の命まで奪われかねない一撃だ。両腕を広げ、腰を落とし、全方向からの攻撃に備える。


 瞬間、空に一閃の軌跡が描かれた。
 戦闘機と化した鳥人が、時速390kmの急降下。夥しいショックウェーブを伴った弾丸が、ジョーの顔面めがけて飛び込んできた。


――ウオオッ!?


 爆裂する噴煙。見間違いようもない直撃。周囲に飛び散るハヤブサの羽。


 ついにやった――!
 誰もがそう思った直後――。


「ガルウウウウ……」


 ゾウほどの大きさのある獅子がそこに居た。
 その異常な存在感のために、広大なフィールドが今や箱庭のように見えていた。全身の毛を黄金色に輝かせる獅子。その鋭い牙に咥えられている、一羽の鳥人……。


――ヒイイイイィッ!


 獅子は最高速の攻撃をその口で受け止めたのだ。
 歓声は一瞬にして悲鳴に変わった。


    * * *


 随分と楽しそう――。
 透明なカプセルの中、高い位置から戦場を見下ろしつつ、カプラはそう感じていた。


 獅子長が自らの地位に退屈していることは、ずっと以前より知っていた。余りにも強すぎる彼は、もう久しく戦っていないのだ。
 今でも全力は出せてはいまい。獅子長という立場にあるジョーは、公の場で人を殺めることが出来ないのだ。
 顔を殴られてはいけないだけでなく、その立場もジョーにとってのハンディとなっていた。


 それでも、次々と戦いを挑んでくる相手と戯れている男の姿は、まるで子供のように無邪気で、それを見ているカプラまで、不思議と楽しい気分になってくるのだった。
 観衆の注目は、今はカプラから離れている。一人の観客として純粋に獅子の戦いに興じつつも、彼が危機に瀕する度に強く自覚されるは己の立場だった。


 無数に振りかざされる爪が、ほんの一度掠るだけで、私はその人のものになってしまうという思い。
 獅子によって、飢えた獣達の贄とされながらも、その獅子の手によって守られているというこの状況は、考えれば考えるほど滑稽だった。
 ふとした瞬間、この透明な檻から開放されて、天に輝く不死鳥の元へと、翼を広げて飛んで行ってしまいたくなる。


 抱かれるならば獅子が一番だろう。それがカプラにとって最も天に近い。
 だから何事もなく無事に終わって欲しいと、気付けば獅子の無事を願っている。


 だが、それと同時に、いつまでもこの戦いが終わらずにいて欲しいという気持ちも抱えていた。
 二律背反。この期に及んで自分は、何かを待ち続けている。
 このまま終わってしまっては何か物足りない――。


 そんな気分がするのだ。


    * * * 


 獅子長戦が開始されてから一時間半が経過しようとしていた。
 火花のような速度で走り回るマングースの猛攻、サヴァナシティのパウンド・フォー・パウンドたるカンガルーのマッハパンチをかいくぐり、ジョーは最終挑戦者であるヒグマのバンデムと戦っていた。


「グオオオオオ!」


 戦闘力指数500を誇る、サヴァナ世界のビッグ5。
 後ろ足で立ち上がり、両手を高く掲げてジョーを威嚇する。身の丈は4mに近く、体重は600kgを超える。
 その拳は水牛の角をへし折り、その牙は大亀の甲羅をも噛み砕く。


 だが、その眼前に獣人形態を取っているジョーは、それよりさらに大きいのだった。


「グ、グオオオオオー!」


 溶岩のように赤い瞳。威圧的なオーラを放つたてがみ。常識外の筋肉を積載した五体は金色の毛に包まれて、もはやどこにも付け入る隙が見当たらなかった。


 ズン――。


 一歩踏み出しただけで建物全体がミシミシと揺れた。全身の毛をハリネズミのように逆立てて、ジョーの全身から放たれる破滅的な波動に抗うヒグマ男。
 だが場内は既に悟っていた。まるで話にならなかった――と。
 獣人形態となったジョーを見た全ての者が思った。これでもまだ彼の20%ほどでしかない。これが『戦闘力指数1000』の意味なのだと。


――GYAAAAAASS!!


 そして咆哮を上げる獅子。それだけで観衆の半分が膝を折り、そのうち2割が気を失った。
 ついに心が折れたヒグマのバンデムは、その場でゴム鞠のように丸くなった。


「GRRRRRR……」


 ジョーはその黒い毛の塊を、前足でコロコロと転がす。
 そして爪で引っ掛けて持ち上げて、お手玉のようにポンッと宙に放った。


「GAAAAAA!!」


 バレーボールのアタックの要領で下に突き落とす。
 黒いゴム鞠はボムンッと思いがけない弾力を発揮して地を跳ね、そのまま一階席に飛び込んでいく。
 慌てて観客達がよけたところに突っ込んで激突、そこに大きなクレーターを作った。


――ドヨドヨドヨ……。


 客席からは動揺の声が上がっていた。時々「アウッ!」と痙攣したような叫び声が響く。
 何をどう収拾すれば良いかわからない状況。とにかくこれで、獅子長戦に臨んだ全ての挑戦者が敗残を喫したことになる。
 シュウシュウと、風船の気が抜けるようにして、獣人化したジョーが人の姿に戻っていく。そこでようやく、獅子長戦が終わったのだという実感が訪れた。


 二階席の最前列で、トウモロコシを齧っているオスカー。


「あんにゃろうはクビだな……最後までヘタレやがって」


 VIP席でマッサージ師に肩を揉んでもらっているヤマネコ。


「まったく、つまりませんこと」


 そして一階席のマスターとミーヤ。


「何で来ないんだよロン~~。あれだけ特訓したのに」
「流石に幻滅したのにゃ!」


 ため息に満たされる場内。圧倒的な実力を見せ付けられたことで、すっかり骨抜きになってしまった人々。
 戦いを終えたジョーが大階段の方を振り返る。その直上に位置する透明な檻。
 金の山羊たるカプラだけが、始まった時と変わらぬ精彩を保っていた。


「終わったぞ、我が金の山羊」


 ジョーは片手を高くかざし、もう片方の手で胸を押さえて、静かにカプラの元へと向かっていく。
 その表情には、祭りが終わってしまったことに対する、一抹の寂しさが浮かんでいた。
 これほど勝ち誇れない完全勝利はないと獅子は思った。あとは金の山羊を連れ帰って、機械的に事を済ませるのみ。なんとつまらないことだろう。


 今一度、この胸を熱くたぎらせてくれる戦士は現れないものか。
 奇跡を願うような気持ちで、ジョーは可能な限りゆっくりとフィールドを歩く。
 そして、大階段に足をかけた。


――待ちやがれ! このライオン野郎!


 入場口からその男の声が響いてきたのは、まさにその時だった。









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