永久なるサヴァナ

ナガハシ

遠吠え

「ガァッ!?」


 オスカーが締めていたロンの首が一気に小さくなる。
 その緩みを利用して、ロンはすかさずエランド頭を引っこ抜いた。


「てえぃ!」


 そしてその場に飛び上がると、再度掴みかかってきたオスカーの顔を蹴り、その反動で玉座の方に飛んだ。
 一歩間違えれば、獣人化したオスカーの力を、生身の頭部にくらって終わっていた。だがロンは器用にもそれをやってのけた。そして玉座のすぐ側に転がり込み、そこに落ちていた黄金色、焼きトウモロコシを掴み上げた。


「どうどう……!」


 オスカーに向かって突きつける。もう片方の腕は手の平を高く上げ、降参のサイン。


「どうどう……」
「ウモモモ……」


 どことなく間抜けな光景。しばしロンを睨みつけていた女ミノタウロスは、やがてシュウシュウと気が抜けたようにしぼんでいった。


「まったく」


 首の骨をグキリとならし、肩をぐるぐる回しながら、オスカーは気だるそうに玉座に戻ってきた。


「やるよそれ。埃がべっとりついちまってる」


 言われてロンは、手にしていたトウモロコシを見た。


「ふーふーすれば食えるぜ?」
「あたしはここの女王様なの!」


 何事もなかったように玉座に座るオスカー。


「それで、気が済んだのか? 大方、私の地位を利用して獅子長と接触する気だったのだろう。だがそんなことをしても金の山羊は取り戻せないぞ。エランドでは獅子を倒せん。せめてサイかゾウになれ」


 その線も考えなかったわけではない。サイの戦闘力指数は700。ゾウは650。最も獅子の座に近い獣面といえるが、流石にそこまでの度胸――いや無謀を犯す気は、ロンには無かった。


「姉さんに勝てないようじゃ話しにならないだろう」
「被ったばかりの獣面で、いきなり格上に勝負を挑むな。このバカモノ」


 それを言われればもはやぐうの音も出ない。だがしかし、勝てなくても別に良いのだとロンは思う。玉座に座ったオスカーの前に回りながら、ロンは言う。


「なあ姉さん、獅子長をぶん殴りたいって思ったことはないか」
「はあ? そいつはしょっちゅう思っていることさ」
「俺はただ、一発あいつをぶん殴れればそれでいいんだ」
「ほう? あの女はどうでもいいと言うのか」
「ああ、どうでもいい。心底どうでもいい」


 むしろ忘れるためにぶん殴るのだ。


「だがこのままじゃどうにも気持ちが治まらねえ。俺が姉さんの分まで殴ってくるから……」


 トウモロコシで玉座を指す。


「一日だけその席を俺に貸してくれ!」
「断る!」


 ぴしりとそう言われて、ロンは肩をすくめた。


「そんなに安い席じゃないんだよ。むしろお前が、『絶対にあの女を取り戻したいんだ』とか熱く言ってくれれば、まだ考えないでもなかったんだがな」
「はあっ? なんだよそれ」
「ふふふ、ロンよ。私は乙女なのだ。そういう話に、胸をときめかせないわけでもない」


 ヤマネコみたいなことを言わないでくれと、ロンはげんなりする。
 トウモロコシに視線を落とし、フーフー息をふきかけて埃を飛ばす。


「やるならあの女も取り戻せ。それくらいやってくれないと、私はすっきりせん。それにな、何も牛館の主にならなくとも、獅子長と一戦交える機会はあるやもしれんのだ」
「……なんだって?」


 思わぬ意見に、ロンは首を上げた。


「どうやらお前には、テレビを見る習慣がないようだな。あれは良いものだぞ? 聞きもしないことを勝手に色々教えてくれる。それで知ったのだが、まもなくセントラルコロシアムが完成するらしい。その時にどうやら、キングが直々にイベントを開くようなのだ」
「イベント?」
「ああ。そして金の山羊はまだ使われていない。恐らくは、真っ先にコロシアムを『館化』する気なのだろう。そして、それにタイミングを合わせたかのようなイベント……」


 オスカーはぺろりと唇を舐める。


「これは何かあるぞ、ロン。もう少し様子を見てみるんだな」


 ロンは改めて、カプラを連れ去って行った時の獅子長の微笑を思い出した。
 今にして思えば、あれは何かを企んでいる顔だったのかもしれない。


「ううむ……」


 手にしたトウモロコシをじっと見つめる。そして綺麗なところを一口齧ってビビる。


「う、うめえっ!」
「だろう? 一本500サヴァナだ」
「ふーん……って、ふざけろ!」


    * * * 


「一日働いてこれ一本ってことじゃねえか……ありえねえよ」


 ブツブツ文句を言いながら猫館に向けて足を進める。
 エランドの口をこじ開けて、縦に焼きトウモロコシを突っ込んで無理やり齧る。食べにくい。オオカミ面もたいがい食べにくいが、エランド面はさらにひどかった。


――ゲラゲラ!


 すれ違う者がロンの顔を見て笑う。そんなに変だろうか?
 ルーリックはわりと格好よく被りこなしていたが、人を選ぶのかもしれない。ひとまずこれを被っていれば、金の山羊のことで難癖をつけられることはない。だが二度とこの獣面を被る日は来ないだろうとロンは思った。


 猫館の正門まで来る。館を囲む高い塀の上で、数匹の猫が日に当たっている。もうすっかり顔馴染で、ロンが館の敷居を跨いでもそ知らぬ顔をしているのだが、今日だけは違っていた。


――プーッ!


 どの猫も、ロンのシカ顔を見るや否や、猫の顔のまま吹き出してくるのだ。塀の上で身をよじって笑い転げ、そのまま塀の下に落ちていく。


「笑うなっ」


 せめて人の顔で笑ってくれ。小さな手で地面をペンペン叩いてヒィヒィ言っている猫たち見て顔をしかめながら、ロンは別館へと向かって行った。


 * * *


 オオカミ面に着替える。
 別館を出て今度は本館へ。迷惑ついでにテレビを見せてもらおうと思ったのだ。
 テレビは外の世界では当たり前のように使われている装置だが、サヴァナではようやく普及し始めたところだ。


 玄関を入った所でかすかなタバコ臭がした。マスターが来ているなとロンは思った。その臭いを辿っていくと、その先にある応接室から話し声が聞こえてきた。


「ああロン! 丁度良いところにきた!」


 そこにはマスターとミーヤ、ヤマネコ婦人がいた。三人とも興奮しているようだった。
 壁掛けの薄型テレビがONになっていて、サヴァナで最も人気のあるチャンネルである『ストリートファイトTV』が映し出されている。


「なにやってんだ、おっさん」
「いやぁ、店のことで相談しようと思って来たんだけど、それどころじゃなくなって……」
「ライオン様の記者会見がもうすぐ始まるんだにゃ!」
「重大発表があるんですって。ロンも座って見ていきなさい」


 婦人に言われてひとまず座る。テレビ画面の中では、セントラルコロシアムを背景画面にして、タスマニアデビルの獣面をつけたニュースキャスターが、砕けた口調で喋っていた。


『よし、おまえら、今のうちにセントラルコロシアムの構造を確認しておくぜ』


 大きなパネルが登場する。コロシアムを上から見た図だ。


『見ての通り、コロシアムはカタツムリを潰したような造りになってやがる。渦の真ん中らへん、長い部分で200mもあるこの場所がまさに闘技場だ。獣闘をやらかすフィールドの大きさは、長い部分が60m、短い部分が40mもあるんだ。これは今までサヴァナで作られたどコロシアムよりも広いんだぜ?』


 と言ってキャスターは、カメラに向かって悪魔的な笑みを飛ばす。


『客席は三階建てだ。収容人数は全部合わせて8万人。ニ階と三階は外から来た奴ら専用で、一階が俺たちサヴァナ民専用だ。この二つは完全に隔離されてて行き来できねえ。そんでもって、その客席の外側の部分なんだが……』


 闘技場をカタツムリの殻とするならば、今キャスターが指し示しているのは、カタツムリの腹足にあたる部分だった。
 闘技場を囲うように広がる全長300mほどの半螺旋の空間。その先端部にはサヴァナゲートがすっぽりと収められてる。
 建物全体が、要塞のように白い壁と天井で覆われ、資材の搬出口を除いて一切の出入りが出来ないようになっていた。


『ここは外から来た連中が、メシ食ったり寝泊りしたりする場所だぜ。コロシアム開業と一緒に、ここに入った店やらホテルやらも営業を始める。そんでもって、サヴァナと外を行き来するシステムがガラッと変わるんだ。いいかお前らよーく聞けよ。これを知らない奴は、バーで大恥かくこと間違いなしだぜ!』


 いちいち挑発的なキャスターの物言いに首を傾げつつ、ロンはマスターに問いかけた。


「何が始まるってんだ?」
「たぶん、前から言ってたイベントの告知じゃないかな」


 そう言えばオスカーも似たようなことを言っていた。ふと思い返される獅子長の不敵な笑い。ロンは嫌な予感がしてならなかった。
 タスマニアデビルは続ける。


『なんと開業後は、サヴァナに入ってくる奴全員が、コロシアムの土を踏まなきゃいけなくなるんだぜ!? 出て行く奴も同じだ。闘技場の一階席と、ニ階より上の席とは完全に隔離されてて行き来できねえ。そんでもって、ゲートの方から来る奴らはニ階席と三階席しか使えないようになっている。つまり、ゲートをくぐってきた奴らが、コロシアムの外に出る手段が一つもないってわけだ! おったまげだな! じゃあどうやって外の奴らはサヴァナに入ってくりゃいい? まさかニ階席からフィールドに飛び降りるのか? そう思った奴。正解だぜ!』


 キャスターは指示棒でパネルをピシリッと叩いた。


『この獣闘士入場口の上の部分から、長い階段が下ろせるようになっているんだ。外から来た奴らは、全員ここから降りて闘技場の土を踏む。そしてサヴァナで死ぬ覚悟を決めるんだな』


「知ってたにゃ?」


 ミーヤがロンを見て言ってくる。


「いいや、今知った」
「にゃふふ、ミーヤは知ってたにゃ!」


 と言って得意げな顔をしてきたが、ロンはまったく気にしなかった。それよりも、獅子長の重大発表とやらについて、胸騒ぎが収まらなかった。
 もったいぶってないで早く出て来いと、舌の先まで出かかっていた。


『そもそも今までは、無断でサヴァナに入ってくる奴が多過ぎた。しかも大抵は死ぬ覚悟はおろか、戦う気概もない連中だ。でもこれからはそんなことをしたら大変だぜ? 例外なく死刑だからなぁ! 無断入国者の処刑は、ここセントラルコロシアムの新しい見世物になる……。生き残ることが出来たら恩赦もあるんだが……まあ、あてにしない方が懸命だぜ……? っておっととお? 今入った情報だ。お前ら記者会見が始まるってよ!』


 映像が切り替わった。
 キングタワーの一室に作られた記者会見場。外の世界からも大勢の記者が詰めかけてきている。
 開け放たれる扉。夥しいフラッシュが焚かれ、ジョーが数人の部下を従えて入ってきた。足早に進んで、一礼することもなく椅子に腰を下ろす。そしてゆっくりと室内を見渡しつつ、フラッシュが落ち着くのを待つ。


 ダークグレーのスーツに包まれた肉体からは、周囲の景色を歪めるほどの闘気が放たれている。
 大量の筋肉を積載したその体に合わせて作られたはずのスーツが、今にも千切れて吹き飛んでしまいそうだった。
 やがてジョーは、手の平を記者団に向けた。何気ないそのジェスチャーは、しかし驚異的な制圧力を持っていた。会見場が水を打ったように静まり返った。


『本日は、遠い所をお集まり頂きありがとうございます。本日申し上げることは2点』


 獅子はまず指を一本立てる。


『1点目、一週間後の午前9時に、セントラルコロシアムを全面開業いたします。そしてその時点をもって、サヴァナシティの出入国システムを新しいものに切り替えます』


 再び盛大に焚かれるフラッシュ。どことなく得意げな表情の獅子。


『続いて2点目。開業にあたって、オープニングセレモニーを開催いたします。10時入場、12時開演。サヴァナ演劇楽団による上演、下級獣闘士によるバトルロワイヤルを行った後』


 獅子は記者団を見る目に力を込め、気を引き締めるように伝える。


『無断入国者の公開処刑を行います』


 会見場からどよめきが上がる。残虐行為に反対するプラカードやボディペイントを施した者も居るが、誰もが獅子の眼力に圧倒されてディスプレイ出来ずにいる。


『我々は今後、より一層、無断入国者の取り締まりを強化していく所存です。その後に、獣面をかけない獣闘“マスクレス”を行い、午後三時より、特別イベントとして……』


 そこで獅子は、サヴァナ住民に対する明確な意思表示として、ストリートファイトTVのカメラめがけて、射抜くような視線を送った。


『わたし自らが……フィールドに立つ!』


 その瞬間、会見場のボルテージが最高潮に達した。眼も開けていられない程のフラッシュ。それに負けないほど燦々と放たれる獅子の気迫。『獅子長戦』開催の宣言である。


『サヴァナに生きる獣達よ、わたしは逃げも隠れもしない!』


 そして獅子は立ち上がった。


『さらに、最初の獅子長戦である今回は、特別な“景品”も用意した!』


 強い声で言い放つと同時に、獅子は突然、後方の『壁』めがけて渾身の拳を打ち込んだ。


――ドオオオンッ!!


 巨大な鉄球を打ち込んだかのような衝撃に、会見場全体がビリビリと振動しする。この世の誰もが見たこともないような、それはあまりにも凄絶な壁ドンだった。


 獅子の一撃を受けた壁に亀裂が入り、木っ端微塵に崩れ落ちていく。
 記者団が呆然と見ているその先に、隣の部屋の内部が見えてきた。


 そこには金の装飾で彩られた大きな椅子が一脚。
 そしてその椅子に座っているのは、白い衣を身にまとった一人の女――。


「……んなっ!」


 その中継を見ていたロンは、驚きのあまり空いた口がふさがらなくなった。
 マスターも、ミーヤも、ヤマネコ婦人も、同様に驚きの表情を浮かべている。
 記者会見場の隣室。叩き壊された壁の向こうには、その白い頬に、金色の髭をフサフサと生やした金の山羊――カプラが座っていたのだ。


『金の山羊! これを特別な景品として、今回の獅子長戦に用意する。この私の顔面に“最初の有効打を入れた者”に贈呈しよう。我こそはと思う者達よ、今こそコロシアムに集え!』


 獅子は、親指を己の顔に突きつけながら言い放った。


『そして、このわたしの顔を――殴ってみたまえ!』


 ジョーはしばしそのままの体勢でじっとして、記者団に撮らせるだけ写真を撮らせていた。
 その風貌はゆるぎない自信に満ちていた。まるでこの世界に、自分の顔を殴れる戦士は一人もいないと確信しているようだった。


 そして獅子の背後に座る金の山羊カプラは、その顔に一切の感情を浮かべることなく、人形のようにまっすぐ前を見ているのだった。


「……ざけんな」


 ロンは立ち上がり、拳を強く握り締めた。


「ふざけんな!」


 そしてありたっけの力で壁にたたきつける。
 けして壊れることのない館の壁が、銅鑼金のようにワンワンと振動した。


 一発殴りに行こうと思っていたら、向こうから『殴ってみたまえ』と言ってきた。まるで全てを見透かされているようで、ロンは悔しくてたまらなくなった。
 さらに、これでは自分は、獅子に一発くらわすことも出来なくなったのだと思った。
 今自分がジョーの誘いにのって殴りに行けば、それは“カプラを取り戻しに行った”ことになってしまう。
 それはロンの本意ではないのだ。


 自分はもうあの女とは関係ない。金の山羊がどうなろうと知ったことではない! だが依然として、獅子の顔を殴らないと気が済まなかった。むしろその思いは、挑発を受けたことによって尚のこと強くなっていた。
 殴りに行きたいけど行けない。そんな、何ともどん詰まりな状況に、ロンは追い込まれてしまっていた。


 カプラを救うために獅子長を殴りに行くことに――“なってしまった”


「バカヤロウが!」


 その後、記者団による質問が始まったが、ロンの耳にはまったく入っていなかった。
 マスターも何と声をかけてよいかわからないようだった。ミーヤとヤマネコも、今は自分達が口出しするべき時でないことを理解していた。
 まさにロンの男気が試されていた。


「あのライオン野郎ーー!!」


 ロンはそのまま館の外に走り出た。そして前庭に躍り出て、オオカミ男の姿に獣化する。ありったけの息を吸い込み、まだ月も出てない昼だというのに、高い声で遠吠えた。


――ウオオオォォーン!











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