永久なるサヴァナ

ナガハシ

憂鬱の獅子

 獅子長の間。
 がらんとした広間の一角に設えられた、応接用のテーブルとソファー。
 その一つに腰掛けて、ジョーはB4紙ほどの大きさがある分厚い本をめくっていた。


 それは歴代獅子長の写真とプロフィール、そして簡単な実績が書き綴られた目録である。
 一冊1000頁。計4部あるその書物には、数十万年分の獅子長の記録が残されている。いつぞやの代の獅子長が、金の山羊の願いで、戯れに作ったものだ。
 その目録は獅子の力を持ってしても破くことが出来ず、灼熱の業火に放り込んでも、焦げ痕の一つとして付かない。


 そんな摩訶不思議な書物に収められている獅子長の人数は、実に三万八千六百四十一人に及ぶ。
 そのNo.38641として記録されているのは、もちろん現職獅子長のジョーだった。


「ふふっ……」


 流石のジョーも笑わずにはいられなかった。
 現職のみカラー印刷で、それ以下は全てモノクロ。そしてどの獅子長も同じ獣面を被っているので、大して変わり映えがないのである。
 ジョーはこの目録を見る度に、一体どんな皮肉なのかと問わずにはいられなかった。


 自分が命がけで得たこの地位も、かつて3万8千余人もの人物が経験してきたものなのだという事実を突きつけられ、そのありがたみが一瞬にして吹き飛んでしまうのだ。
 唯一無二などという言葉はありはしない。たとえ獅子長とて、長い目で見れば数多ある前例の踏襲でしかない。
 その目録は、はっきりそう告げてくるのだった。


 ジョーはぼんやりと宙を眺めてから目録を閉じた。
 そして卓上のリモコンで窓際の照明を落として、ソファーから立ち上がる。
 サヴァナシティは夕日に染まっていた。


 昼間ユニコーンタワーの建設について牛館の面々と一悶着を起こしてきた。その一件の舞台となった郊外の農園は、ここキングタワーの一室からでもしっかりと見渡せる。
 農園の奥に輝く湖の水面。そして茜色の夕日を跳ね返している光の壁。
 この直径15kmの円形大地は、高く見下ろすほどに箱庭めいてくる。すなわち、取るに足らない趣味。暇を持て余した獅子達の戯れ。そういったものの舞台として。


 多くの人物がこの都市に己という永遠を刻もうとしてきた。そして恐らくはその多くが果たされなかった。その事実に思いを馳せ、これまで幾度となく苛まれてきたように、ジョーは自分の気持ちが沈んでいくのを感じた。
 この感傷は、獅子長になってからというもの殊更に強くなっている。有り余る獅子の力のために、彼はもう長いこと闘士として仕合っていないのだ。


 こうして窓辺に沈む夕日を眺めていると、若き日のことが思い出された。
 ジョー・ザ・ターキーと呼ばれ、三倍以上の格差がある相手を、軽々と屠って喝采を浴びていたあの頃が、間違いなく彼にとっての絶頂期だった。


 ターキー。すなわちシチメンチョウの戦闘力指数は僅か20。
 その獣面をもって彼は、戦闘力指数60のコヨーテ、50のマングース、70のフクロウなどを相手に、無敗の戦績を残してきたのだ。
 相手が強ければ強いほどジョーの心は燃え上がり、獣闘賭博の掛け金も同じように膨れ上がっていった。


 ファイトマネーは彼の獣面ランクではありえないほど破格なもの。戦いを終え、一歩闘技場を踏み出せば、夥しい数のメスが群がってきた。
 その中から三人を見繕い、すべて一晩で昇天させるのがジョーの日課だった。
 あの頃は何をやっても心が躍った。経験する全てのものが栄光に輝いていた――。


「むうっ……」


 だがそこで、獅子は眉間を強く指で押さえて苦しげな表情を浮かべる。
 首筋から肩にかけて、筋肉が痙攣を起こしたように引きつる。そうしてしばらく震え続け、やがて首筋にびっしょりと冷や汗が浮かんでくる。
 今もまだ突然のようにやってくる発作を、瞳をきつく閉じてやり過ごす。
 かつて、薬物の大量投与を受けたときの後遺症だ。


 栄光に続いて思い起こされたのは地獄の日々。永遠とも思われる拷問を乗り越えて、多くの血と汗と涙を流した末に、ジョーは先代獅子長と、そして自分を絶望のどん底に突き落とした者達への復讐を果たした。


 そしてその後は、長い間もぬけの殻になった。
 獅子長の座についた今、もはや何も目指すものはなにも無いのだと思った。ただ見渡す限りの虚空と、おぼろげな足場の上にポツンと立つ、一人の力なき獣の姿。ジョーが世界の頂に見出したものは、それだけだった。


 生きる意味は自らの意志で創造する他に無い。
 やがて『空』を乗り越え『創』の境地に至ったジョーは、サヴァナシティの再開発に心血を注ぐようになった。
 外の世界より知識を取り入れ、風水師の助言を得て、ジョーは自らの美意識の赴くままに、その辣腕を存分に振った。
 うず高く積みあがった混沌でしかなかったサヴァナシティは、セントラルコロシアムとその周囲の空間を軸とする、都市らしい都市へと変遷していった。


 10棟のタワーを完成させ、その全てを金の山羊の願いによって館化する。それがジョーの目標だ。
 そうすることで、サヴァナ世界にゆるぎない竜脈を発生させる。
 100年、1000年、10000年と時が流れ、ジョーと言う名はすっかり忘却されてしまったとしても、その魂は、この大地を駆け巡る竜の流れとなって、永遠にこの世界に生き続けるだろう。
 この壮大な野望だけが今、唯一ジョーの心血を燃え上がらせているのだった。


「ふう……」


 発作の嵐が過ぎ去った。獅子の心臓が再び動き出し、火のように熱い血液を全身に送り出していく。
 そしてジョーは、先ほどから獅子長の間の片隅に立っている、一人の男に声をかけた。


「今なら私を倒せたかもしれないぞ? トラよ」


 トラ――。
 そう呼びかけられた男は、確かにトラの獣面を被っていた。その戦闘力指数は500。肉食系においては、獅子に続いて二番目に強い。最も獅子の座に近い獣面の一つだ。


「よしてくれよジョー。発作時のアンタに不意打ちかけるなんて、とんだ自殺行為だ」


 ランニングシャツとレザーパンツというシンプルないでたちで、腕を組んで壁に背をもたれているトラ面の男は、そう言ってゆるゆると首を振った。
 彼はジョーの古い友人であり、ライバルであり、そして供に先代を倒すべく戦った盟友でもある。
 獅子とトラがタッグを組んでいる状況というのは、サヴァナの長い歴史にも例が少ないことだ。故にジョーの権勢は、相当に長く続くだろうと言われている。


「ふふっ、力の加減が出来なくなるからな」
「悪いね、訓練の相手にもなれなくて」
「いや、この獅子のマスクが強すぎるのだ……。して、何の用件なのだ?」
「ああ、ちょっと面白い話が飛び込んできた」
「ほう?」


 ジョーは窓に背を向け、トラの方を見た。


「『ドリーム』の総支配人が獣面を奪われた。女がらみだ。しかもその女ってのがちょっと変わってる。突然店を飛び出して、今はカカポとかいう変な獣面を被っているんだ」


 獅子の口もとに笑みが生じる。


「気になるだろう?」
「ああ」


 獅子は素早くスーツの襟を直して、胸の内にわだかまっていた感傷を振り払う。
 そして瞬時に頭を職務モードに切り替えた。


「とても気になる」


 そしてカツカツと革靴で床を打ち鳴らし、獅子の間を後にした。









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