永久なるサヴァナ

ナガハシ

正体

 閉店時間が近かった。店の扉は開いていた。
 中から電球の明かりがこぼれてきている。サヴァナシティに発電所はないが、電気が不足することは何故か無いのだった。


「いんすたんと……めん?」


 いい具合に傾いた木の看板を見上げて、カプラが間の抜けた声を漏らした。


「こんな場所だぜ? 本当にいいのかよ」
「うん、是非も無しよ。紹介してもらえるのなら」
「そうかい」


 ロンから先に店内に入る。
 テーブル席には空のどんぶりが放置されている。
 カウンターの奥では、イノシシが椅子に座ったままいびきをかいていた。


「おい、おっさん。客だ」
「……ん? ほえ? 今日はもう店じまいだよ……って、えええ!?」


 ロンの隣に立つ美女を目にした瞬間、マスターは一気に意識を覚醒させた。座っていた椅子がガタンと傾き、そのまま転げ落ちそうになる。


「うわわわっ!? ど、どーしちゃったのロン!? 女の子なんか連れてきちゃって!」


 何とか姿勢を立て直すと、マスターは眼をひん剥いてロンに迫ってきた。


「ちょっと訳ありでな……おい」


 言われてカプラは前に出る。
 いままで暗がりにいたために良くわからなかったが、実際彼女は、眼を見張るほどの美女だった。
 その印象を一言で表すとすれば『高潔』という言葉がしっくりくる。背はさほど高くなく、短く切りそろえられた後ろ髪からのぞくうなじは、幼ささえ感じられるが、全体的に育ちの良さを思わせる気品があるのだ。


 小造りな顔の輪郭、スッと通った鼻筋、透き通るような青色の瞳。
 もともとの素質が良いことは間違いないが、彼女の場合、特筆すべきはその体に一切のくすみがないところだった。
 サヴァナのような殺伐とした環境で暮らしていれば、女とて生傷は絶えず、体のあちこちが擦れて黒ずんでくる。
 猫面のミーヤなどは、しょっちゅう四つん這いでいるものだから、膝の皮が擦れて厚くなっている程だ。


 しかしこのカプラという女の肌は、くるぶしから耳の先まで、剥き立てのゆで卵のように透き通っている。
 今でこそ土埃をかぶっているが、湯を浴びて清めれば、見違えるような輝きを放つことだろう。


「ほ、ほげええ……」


 マスターは、美の女神もかくやという姿を前にして言葉もない。
 普段からよほど丹念に管理をしていなければこうはならない。日頃からの絶え間ない努力によって獲得された美質。カプラという女が持つ魅力は、そういった部分にこそあった。


「私はカプラと言うものです。悪い人に襲われていたところを、ロンに助けてもらいました」
「そ、そうなんだ……」
「訳あって、住む場所も頼る宛てもない身の上なんです。どうか軒下だけでもお貸しいただけないでしょうか」


 そう言ってカプラは、深々と頭を下げた。
 マスターはしばし途方に暮れ、やがてロンに、無言でカプラに関する情報を催促してきた。


「すまねえな、おっさん。場の流れで助けざるを得なくなっちまったんだ」
「うん、それはなんとなくわかるよ。ロンってば、案外押しに弱いから……」
「おっと、そいつは言わないでくれ」


 帽子を深く被りなおすと、ロンはカウンター席に腰を下した。そしてこれ以上言うことは何も無いという素振りを見せた。
 カプラは頭を下げたまま、じっと店主の返事を待っている。


「帰るところ、本当にないの?」
「はい、ないんです」
「外の世界にも?」
「……はい」
「うーん、そいつは困ったね。あんたみたいな別嬪さんが、何の庇護もなく生きていくのは難しいだろうし……。まあ座りなよ。いままでどうやって暮らしてきたのさ?」


 マスターに促されて、カプラは下げていた頭を上げた。
 そしてロンの隣に腰掛けた。


「踊り子をしていました」
「なんて店?」


 カプラは静かに首を振った。言えない、ということだ。
 マスターもまた、難しい顔をして首を横に振った。
 自らの素性を明かせない者を抱え込むような余裕は、この店には無かった。


「だから言っただろう。素性もわからねえ女を紹介できるあてはないって」
「そうだねえ……。正直、そういうのは困るねえ……」


 さも申し訳ないといった様子でマスターは獣面の上から頬をかいた。
 美というものは、それ相応の災厄をおびき寄せてしまう。
 そのことを承知していない二人ではなかった。


「そうですか……。わかりました。ではせめて一晩だけでも」


 すっかり意気消沈してしまったカプラを前に、ロンとマスターは、腕をくんでうーむとうなる。
 そうして今しばらく、沈黙の時が流れた。


 * * *


「んで結局、泊めるわけか」
「だって仕方ないじゃん。僕らだって結局は人の子なんだし」


 マスターは袋麺に入れる具を刻んでいた。あとでカプラに振舞うためのものだ。
 その当人は今、店の奥にある浴室でシャワーを浴びていた。せめて身体を綺麗にして、一晩ゆっくり休ませて、後は目立たない服の一つでも分けてやろうという話になったのだ。
 それでロンとマスターの中で燻っている、なけなしの良心は救われる。


「彼女の獣面、なんて言ったっけ?」
「カカポ」


 具を刻み終えたマスターは、棚から一冊の本を取り出した。


「カカポね……カカポ、カカポ……っと」


 サヴァナシティ虎の巻。かなり厚めのその本には、獣面の一覧も載っている。


「あった、カカポ。戦闘力指数は……うわ! たったの2だ……」
「はあっ? ネズミより弱いのかよ?」


 弱者の代名詞とされるネズミでさえ、その戦闘力指数は3である。カカポはそれよりさらに弱い。面無しと一対一で戦うことさえ危うい弱さだ。


「特徴はね……脚力が強い……だって。あと、翼はあるけど空は飛べない。いい匂いがする」
「しょうもねえな」


 確か、足を踏みつけられたハイエナ男が飛び上がっていたなとロンは思い出す。
 あれが恐らく、カカポ面の唯一の武器なのだ。


「うひゃー、しかも外の世界では絶滅危惧種なんだって!」
「良いとこ無しじゃねーかっ」


 ロンは獣面の中が痒くて仕方なくなってきた。


「そうだねえ、ある意味レアだけどこれは使えないね。なんでこんなの被ってるんだろう」


 戦闘力としては無いよりはマシかもしれない。
 だが、悪目立ちする分かえって身を危うくする可能性もある。
 実際、あの獣面が原因でハイエナ達に睨まれてしまったのだろう。


「顔に傷でもつけられたんじゃねえか?」


 と、冗談まじりに言って見るが、自分で言ったその言葉に思わずハッとなる。


「ロン、それはありえる話だよ」
「そうだな……」


 あんな綺麗な女の顔に、もし醜い傷跡があったとしたら、それはなんともやりきれないことだ。
 サヴァナには人の数だけ不幸がある。彼女はその中でも、飛び切り厄介な不幸を抱えているのではないかと想像された。


 店の奥からはチョロチョロと水が滴る音が聞こえてきている。コンクリートうちっぱなしの朽ちた浴室には、水桶とじょうろで作った粗末なシャワーをぶら下げてある。コンパネ板を打ち付けただけの引き戸はギシギシと歪んでいて、最近では閉じることすらしない有様だ。
 その水音のする方向に目を向けて、マスターはやれやれと首を振った。


「掃き溜めにケツァールってのは、このことを言うんだ」
「カカポだけどな」
「随分ゆっくり入ってるね。お湯、足りるかな」


 と言ってマスターは戸口から顔を出して浴室の方を覗き込む。


「ぶほっ!?」


 そして盛大に噴き出した。


「ちょ、ちょっとロン……! 大変大変……!」
「な、なんだよ……?」
「いいから、ちょっと! 静かにこっちきて……!」
「ああ?」


 言われてカウンターの奥に移動する。マスターは鼻息が荒く、耳が赤い。そしてブタのようにブヒブヒ言っている。


「静かにね……ソーッとね? いいもの見られるから……ぶひひ」
「うむむむ……」


 何となく事情がつかめてきたロンもまた、首の辺りを赤くした。
 二人はそのまま顔を二段重ねにして、ソーッと浴室の方を覗き込んだ。


「……おお」
「……人助けはするもんだねえー」


 浴室の扉は半分ほど開いていた。恐らくは建て付けが悪いために、上手く閉まらなかったのだろう。
 その奥の、水に濡れて黒々としたコンクリート壁に浮き立つように、カプラの艶かしい素肌が見えていた。
 服を着ていたときより一回り膨らんだかのように見えるその姿は、まさに完成された大人の輪郭だった。
 浴室には煌々と灯りがともっているので、向こうからこちら側は見えずらいだろうと二人は高を括る。
 もしバレたとしても、今宵限りのことだ。オオカミ男は遠慮がちに、イノシシ男はしげしげと、その眼福な光景をしばし堪能する。


「……ん?」


 だがその時、ロンは異変に気付いた。


「獣面を外してやがる……」


 獣面は命の次に大切なもの。
 殆どの者は湯に浸かるときも脱がずに身につける。
 しかしカプラは気にもせずに、生まれたままの姿で湯を浴びているのだった。


 必然、ロン達の視線は女の顔に向くことになった。
 いつしか胸の内には、その顔に醜い傷跡がついてないこと祈るような気持ちが生じていた。
 そしてマスターがついによだれを垂らし始めた時、カプラが一瞬横を向いた。


 彼女の素顔が二人の前にあらわとなった。


「……な!?」
「……ぶひ!」


 そして、二人は同時に仰天することになった。


「嘘だろ……?」
「そんなあ……!」


 すかさず戸口から顔を引っ込め、愕然とした表情で互いに視線を交わす。
 先ほどまでの気分の高揚は、すっかり吹き飛んでしまっていた。


 そしてロンは、何故ハイエナ男達が、あんなにも執拗にカプラを追い回していたのか、その理由を理解した。


「み、見た? ロン」
「ああ……生えてたな」


 二人はカウンターの奥にへたり込み、天井にぶら下がっている裸電球を見上げる。
 そして二人同時に呟いた。


『……ひげが!』









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