永久なるサヴァナ

ナガハシ

地下水道

 ゴルゴンタワー周辺の瓦礫地帯を出たところで、カカポの女がロンを待っていた。


「何やってるんだお前……」
「待ってたの。お礼を言わなきゃと思って」


 平然とした顔でそう言ってきた女を見て、ロンは愕然とした。


「はあっ!? 何で逃げねえ!?」


 ロンはこれから古い時代の地下水道を通って、店に戻るつもりでいた。
 ひとまず後ろを確認して、追っ手が来ていないことを確認すると、市街地に向けて走り始めた。


「まって、置いて行かないで! ここがどこだかわからないの……!」
「ちっ……つくづく面倒な女だぜ」


 ロンは人の気配に注意しながら通りを進んでいく。その後を女が追いかけてくる。
 比較的まともな形状を保っているビルは、全ての窓に鉄格子がはめられている。
 それは人を閉じ込めるためではなく、外部からの進入を防ぐために設置されているものだ。
 辺りは廃墟のように静まり返っているが、そこは間違いなく人が住んでいる場所だった。


 少し行ったところに雑草が伸び放題になっている空き地があった。
 ロンはあたりを見渡すと、その空き地の中に入って行った。


「あ、あの……」
「静かにしてろ」


 苛立ちながら、ロンは茂みの中に隠れているマンホールを見つけ出す。
 そして古めかしい石板の蓋を持ち上げた。
 地下水道の入り口だ。
 ロンはその入り口の中を指し示し、下に降りるよう女に促した。女はごくりと喉を鳴らすと、鉄の手すりに手をかけて地下へと下りて行った。


 地下には人が立って歩けるほどの通路があった。
 ロンは石蓋を閉じて通路に下り、ライターを点して周囲を照らす。ここは200年ほど前の獅子長が、外の世界を真似て作った下水施設だ。今も細々と街外れの湖に向かって汚水を流している。


「どうやって助かったの?」


 地下に降りて安心したらしいカカポの女は、幾分表情を明るくしながら聞いてきた。
 先ほどまで生命の危機にあったはずなのに――。
 意外と腹の据わった女なのかもしれないとロンは思う。


「掘っ立て小屋をクッションにした」
「そうだったの? 凄いわね! 私ぜんぜん気づかなかった」


 取り壊しが行なわれた場所には、未練を捨てきれない住民が戻ってきて、仮の棲家を作ることがある。
 ロンはその中から目ぼしい小屋を見繕い、そこをめがけて飛び降りたのだ。


「あんたも中々まともに飛んだな」


 月夜に舞うカカポを思い起こして言う。
 そしてすぐに必要のない会話だと思って後悔した。


「正直自分でもビックリしたわ。それにちょっと……楽しかった」
「はあ?」


 剛毅な言葉を返してくる女を見て、ロンは少なからず困惑した。
 ここサヴァナにおいては、人助けは時として命取りになる。正義漢ぶってヒーロー家業をする輩もいないではないが、それはよほど力が有り余っている者にだけ許される贅沢だ。
 そして今のロンに、その余裕はなかった。


「なんなんだ、アンタは……」


 だからさっさと会話を切り上げた。
 そして黙って地下通路を進んで行った。


 * * *


「うふふふ……」


 女は当然のようにその後を付いてくる。
 いかにも機嫌が良さそうなオーラが背中ごしに伝わってきて、ロンはひどく落ち着かない気分だった。
 どうやって別れたら良いものかと思案するが、これといった策を思いつかない。
 置き去りにしてしまうことも出来るが、それそれで後味が悪い。
 そのくらいの甲斐性はロンにもあった。


「私、カプラっていうの。貴方のお名前を聞かせてくれないかしら」


 予想していた言葉が早速来た。
 ロンはぎくりとしながらも、平静を装ってそれに答えた。


「聞いてどうする。もうこれっきり会うこともないんだ」
「そうかしら? 私は運命じみたものを感じているのだけど」


 ロンはため息をついた。
 やはり置き去りにしていくか。しかし、胸のうちにわだかまる厄介な感情が、直ちにそれを行うことを妨げているのだった。


「私ね、わけあっていま一人ぼっちなの。仲間が一人もいない。有り金はたいてこの獣面を買ってはみたけど……全然だめね。このままじゃ私、さっきみたいな人に捕まって嬲り殺されてしまう」
「それがサヴァナだ」


 意思を強く持って突き放す。


「そうね。でも助け合って生きている人達もいるわ。貴方にだっているんでしょう? お仲間さん。せめてその人達を紹介してもらえないかしら。私は仲間が欲しいの」


 無言で歩き続けるロン。
 しかし女があまりにピッタリとくっついて歩いてくるものだから、だんだんといたたまれなくなってきた。


「私、手先は起用な方だし、細かい仕事をして役に立つことはできると思う。あと踊りも出来るし、楽器も一通り弾けるの。そういう商売をしている人の所なら、色々と役にたてるわ」
「悪いがそんなアテはねえな」


 ロンの仲間と言える人物はイノシシのマスターくらいだった。
 あの安っぽい袋麺の店に、踊り子や歌い手が必要だとは思えなかった。
 そして何より女の素性がまるで知れない。ハイエナ達に目をつけられてもいる。関わり合って良いことなど、どう考えてもなさそうだった。


「この先に、コロシアムの近くに出れる場所がある。その近くにゲートがあるのは知ってるな? そこをくぐって外の世界に出るんだ。そして二度と戻ってくるな」


 お前はサヴァナで生きられる人間じゃない。
 法と秩序に守られた世界で、平穏無事な人生を送れば良い。
 ロンの言葉は暗にそう告げていた。


「それは出来ないの」


 だがカプラは、すぐに否定してきた。


「それだけは……だめなの」


 押し絞るような声で告げてくる。どうやら込み入った事情を抱えているらしい。
 ロンは帽子を脱ぐと、ライターを握った方の手で、獣面の上から慎重に頭をかいた。


「じゃあ適当な出口から外にでろ。それで娼館の扉でも叩くんだな」
「…………」


 ロンがそこまで言いきると、カプラはさすがに黙ってしまった。


 地下水道には、しばし二人の足音だけがコツコツと響いていた。
 表情にこそ出さないが、ロンはすっかり困りきっていた。
 このままカプラを置いて走り去ってしまうことは可能だった。しかしその行為に対して、後ろ髪を引かれる思いがあるのも確かだった。


 先ほどタワーから飛んだ辺りから調子がおかしい。そして恐らく、そんなロンの中にある葛藤を、カプラという女が気付いているであろうことも、過去の経験から何となく推察されるのだった。
 やがて『いんすたんとめん』のある街区に一番近い出口まで辿り着いた。


「俺にしてやれるのはここまでだ」


 ロンはカプラの方を振り向くと、毅然とした口調でそう告げた。


「後は自分の力で生きろ」


 カプラはうつむき加減で、両拳をきつく握り締めていた。
 これまで見たなかで、最も深刻な表情を浮かべている。
 何か重要な決意が、彼女の中で下されようとしていた。


 ロンは壁面に打ち付けられた鉄の手すりに手をかける。
 するとその腕に、スッと女の細腕が伸びてきた。


「お願い、私を連れていって」


 ロンはやれやれと首を振った。カカポの獣面の奥から、湖のように透き通った瞳が見上げてきていた。


「どうしても仲間が欲しいの」


 カプラはもはや、その身の全てを投げ出さんと言った様相だった。ロンの袖をにぎる弱弱しい手。もう片方はきつく胸にあてがわれている。
 いかにも高価そうなベージュのドレスは、ハイエナ達の攻撃によって見るも無残にボロボロで、足が膝の上まで露出している。


 ロンはしばしその姿を見下ろした。


――ゴクリ。


 喉をならしたのは女の方だった。
 彼女がいよいよ最後の手段を用いようとしていることをロンは感じた。
 そして、彼女がその言葉を口にする直前に、手の平で制したのだった。


「わかったよ……。わかったからそんな眼で俺を見ないでくれ」


 その瞬間、女の表情が氷解した。そして瞳の下の雫となって、ポロポロと滴り落ちていく。


「泣くな!」
「ふえ……ごめんなさい、つい」


 幾度か目元を拭って気を取り直すと、カプラは再びまっすぐにロンを見上げてきた。


「ひとまず、知り合いの店を紹介してやる。もしかすると部屋くらい貸してくれるかもしれねえが、上手くいくかどうかはお前の交渉しだいだ」
「うん、ありがとう! 頑張ってみるわ!」
「まったく……今日はとんだ一日だぜ」


 イノシシのマスターが、さて一体どんな顔をするか。ロンは複雑な気持ちだった。
 女に甘いおっさんのことだから、案外あっさりOKするかもしれない。
 しかし、素性もしれない女を匿うことの危険を知らないわけでもないだろう。
 金もあまり持ってそうにないし、養うとすればただの石つぶしになる。一体どうなることやらと、先が思いやられて仕方なかった。


「ねえ、名前を教えてくれない?」


 ロンはしぶしぶその名を告げる。


「覚えやすいわね!」
「よく言われるよ」


 だからむやみに教えたくなかったんだ。
 胸のうちで毒づきながら、ロンは手すりを掴んで地上へと昇って行く。









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