永久なるサヴァナ

ナガハシ

遭遇

 ロンの仕事は、サヴァナシティ郊外に広がる農園の夜警である。


「ふあ~あ」


 夜の8時に起き出して、あくびをかみ殺して夜道を行く。
 サヴァナ世界の辺縁にある農園まで約5km。普通に歩けば一時間はかかる。
 しかしオオカミの獣面を持つロンにとっては、大したことのない距離だった。彼はその気になれば、時速30km(100mを12秒)の速度で一日中走り回れる。5km程度の距離ならひとっ走りだ。


「だりぃ……」


 しかし眠い。昼間にミーヤを追い回したせいだ。サボりたい気持ちは山々だったが、雇い主にどんなお仕置きをされるかわからない。ロンは薄汚れたオオカミ面をペチペチと叩いて眠気を払い、人気のない夜道を駆けていく。


――オオーン


 どこか遠くから獣の遠吠えが響いてきた。見上げた夜空には、体を小さく丸めた不死鳥の姿がある。その月明かりに浮かぶ高層建築は、フェンリル、エルフ、オーガの三タワー。そのさらに奥にそびえるのが、獅子長の本拠地たる、地上80階建てのキングタワーだ。


 富と権力の象徴たるその高層建築群は、獅子長キングジョーによる都市開発の要。さらにこの先、6棟のタワーが建設される。どれも厳重な警備が敷かれて、外の世界からやってきた金持ち達の住居として使われる。
 下々の者は、タワー上層に住む者達を、羨望と嫉妬の眼差しで見上げるしかない。もしくはより強い力を身につけて、少しでもその高みに近づくかだ。


「くだらねえ」


 だがロンはそう吐き捨てると、しなびたネオンサインが光る場末の繁華街へと目を向けた。都市の中心部からは離れていて、さほど賑やかな場所ではない。この辺りは、水牛のオスカーが牛耳る『牛館』の勢力範囲であるため、暴力組織や闇市場の手の者が進出しにくい。
 夜更け過ぎまで、安スナックで飲んだくれるコウモリ男達の姿を目にして、ロンは、自分にはこの程度の場所で十分だと、改めて思うのだった。


 * * *


 郊外に近づくにつれ、建物は瓦礫を集めて作った掘っ立て小屋が中心になっていく。大通りらしきものは一応あるが、どの道もジグザグに曲がりくねっていて秩序がない。そしてどこもかしこもゴミで散らかっている。
 この低層スラムを抜けた場所に農園がある。近くには湖があり、その水面はスラム世界の辺縁部を彩る、虹色の壁まで続いている。
 あと少しで仕事場につく。今日も遅刻せずにすんだと胸を撫で下ろすが――その時だった。


――いやあー!


 突如、ロンの安堵を吹き飛ばすように、女の悲鳴が響いてきた。
 近くで狼藉を働いている者がいるのだろう。特に感慨もなく、ロンはそう思った。婦女暴行は普遍的に見られる行為である。その叫びを聞くたびに、どうしてこんな場所にのこのこ女がやってくるのかと首を傾げるロンだったから、今の叫びにも特段の注意を払わなかった。


――はなしてー!


 躊躇なくそれを無視して走る。ここでは基本、自分の身は自分で守らなければならない。男も女も関係ないのだ――――しかし。


「へっへっへ、変なマスク着けてるやがると思ったら、そういうことだったのか」


 その男達は、まさにロンの行く手を塞いでいたのだ。
 下卑た笑みを浮かべながら女に迫るのは二人のハイエナ男。朽ちたあばら家の、泥によごれたコンクリート塀に女を押し付けて、その風変わりな黄緑色の獣面を引き剥がそうとしている。


「やめてー! いやあ! 誰か助けてえー!」


 時速30kmの速度で巡航していたロンは、そこに突如として現れる形になってしまった。


「やべえっ!?」


 慌てて進路を変えて、彼らとの衝突を回避する。だが間の悪いことに、男達の姿に目をとられていたロンは、そのまま近くの小屋の壁に激突してしまった。


「うがっ!?」


 ドシンッ、と交通事故でも起きたような音がこだました。
 ロンがぶつかった小屋の中には、あきらかに面無し達が暮らしていたが、誰もが恐怖に身をすくめているようだった。
 さわらぬ獣にたたりなしである。


「いててて……」


 トタンの壁をボッコリとへこませて、ロンは地べたに倒れ込む。


「なんだてめえ」


 そんな彼に向かって、ハイエナ男の一人が不機嫌な顔で歩み寄ってきた。
 胴回りにたっぷりと肉をつけた大男だった。いかにもサイズの合っていない黒ジャンバーは、ファスナーを閉じることも出来ないらしい。ハイエナの獣面はどう贔屓目にみても不恰好で、目と口の部分にだけ穴が開き、全体的に黒ずんだ黄色をしている。それを被っている男の風体ともあいまって、いかにも悪漢めいた雰囲気が醸し出されていた。


「オオカミ野朗が、驚かせやがって。さては今の話、聞いてやがったな」


 明らかに苛立っている男は、拳をべきべきとならしながらロンを見下ろしてきた。
 こんな夜更けに貧民街をうろついていたということは、せいぜい面無し相手の略奪行為に励んでいたのだろう。関わりたくない相手のトップ5に入るとロンは思った。


「なんのことだよ。俺はただの通りすがりだぜ?」


 ハイエナの戦闘力指数は160。
 オオカミのような持久力はないが、瞬間的な速度とパワーでは一回り以上も凌駕する。すでにロンは、どうやって彼らから逃げようかと考えていた。


「仲間でも呼ばれちゃかなわねえな。こちとら一生に一度の獲物を見つけたところなんだ」
「だからなんのことだよ、俺はなんにも聞いちゃいねえ!」


 むしろそっちからベラベラと喋ってくるではないか。
 ロンは彼らの頭の悪さに腹が立ってきた。
 ハイエナは本来、仲間同士で助け合い、巧みな狩りを行って獲物を捕らえる賢い動物である。
 しかし被っている獣の種類と本人の性格とが一致しているわけではないのだ。


「見逃してくれよ。俺はこれから仕事なんだ」


 中腰になってジリジリとあとずさるロン。
 騒ぎの原因になっている女は、その細い腕をしっかりとハイエナ男に握られている。
 纏っていたボロをはぎとられ、その下にある獣面の顔が、闇夜のなかにひっそりと浮かび上がっている。


 ロンは夜目を凝らした。
 それは、黄緑色の毛で頭部から頬にかけてをすっぽりと覆った、どこか奇妙な、恐らくは鳥類の獣面だった。
 女の外見から推測される年齢は二十歳前後。薄汚れたボロをまとった、いかにも面無し風の装いだが、その下に着込んでいる服は、いかにも仕立ての良さそうなベージュ色のドレスだった

 あの女、一体何もんだ? 一瞬、そんな疑問が脳裏をよぎる。


「どこ見てんだコラァ!」


 しかしそれを遮るようにして、ハイエナ男がロンの胸倉に手を伸ばしてきた。


「ちぃっ!」


 ロンはその手を払いのけ、鋭い身のこなしで距離を取った。
 そうして一目散に逃げ出す構えをとる。関わりあっても良いことはない。ここはさっさとずらかるに限る。


「いぎゃー!?」
「あ?」


 だが突如、女の隣にいた男が叫び声をあげた。
 女がその踵で思いっきり彼の足を踏み抜いたのだ。ロンが唖然としていると、女は一直線に駆けてきた。


「おねがい! オオカミさん! 私を助けて!」


 そして、ロンの背中にすがりつき、デニムの上着をしっかりと両手で握り締めてきた。
 これでは逃げられるものも逃げられない。


「おい! 馬鹿! 離せ!」
「いや! 私まだ死にたくないの!」


 確かに、獣面をかぶった男二人に乱暴されれば間違いなく死に至るだろうし、それ以上に凄惨な傷が彼女の魂に刻まれることになるだろう。
 だがこのままでは自分が噛み殺されてしまう。ロンは背中にしがみついている女を振りほどきにかかった。


「離れろっての!」


 手を後ろにまわしてその服を掴み、右へ左へ揺すってみる。
 だが女は、それこそ命がけでしがみついているのだ。まるでロンと一体化してしまったようにはがれない。


「ようよう兄ちゃん、どうやらあんたもここまでのようだな」
「ぐへへ、そのオオカミの獣面も結構いい金になるんだよなぁ」


 二人の男は、その表情を欲望に爛れさせながら忍び寄ってきた。
 その牙は岩をも噛み砕き、爪は鉄板をも切り裂く。どちらかでもまともに食らえば、ひとたまりもないだろう。
 ロンは腹を決めざるを得なかった。


「おい女。逃げ切れなかったら、まずてめえを盾にするからな!」


 後ろの女のそう告げると、ロンはその身をさらに低くして四つん這いになった。


「ひぇっ!?」


 必然、彼女を背負う形になる。
 他に成す術もない女は、その背に素直に身を預けてきた。


「往生しろやー!」


 そこに二人のハイエナ男が一斉に飛びかかってきた。
 ロンは地面を掴む四肢に力を込め、そして魂の雄叫びを上げた。


――ウオオオオオーン!


 銀色の光がほとばしり、ロンは一瞬にしてオオカミの姿に変化した。


「なにぃ!?」


 ハイエナ達は眼を見張った。これほど瞬時に獣化できる者は滅多にいないのである。
 ロンは彼らの間をかいくぐると、その後方に飛び出した。女のボロが風に巻かれ、闇夜の中に飛んでいく。


 ロンはそのまま、奇妙なマスクを被った女を背に乗せて、曲がりくねった大通りを駆け抜けていく。









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