秩序

　古ぼけた雑居ビルが立ち並ぶ路地裏。
　ゴミ屑が散らばる小路にしゃがみ込んで、湿気たタバコをくゆらせる柄の悪い連中。
　再開発が進んでいない旧市街はどこもかしこも荒んでいる。


　サヴァナシティに秩序はない。
　法は獅子長の腹の中にだけある。
　加えて、この土地そのものが不思議な力に満ちているから、『外の世界』からゲートを通ってやってくる欲深い者達は後を絶たない。
　大通りから一歩でも小路に入ればそこは退廃の楽園。薬に酔って目も虚ろな獣面が、ゴミ溜めに埋もれている屍骸に向かってくだを巻く。
　道路は瓦礫を並べて踏み固めただけの粗末なもので、その両脇に立つ建物も、瓦礫の道路と大して変わらぬ惨状だ。


　街の景色はどこまでも朽ちて薄汚れているが、不思議と腐臭はしなかった。ゴミにハエがたかることもない。汚物は自然と浄化され、天に輝く不死鳥の元に煙となって還っていくのだ。
　だからゴミは外に投げ捨てる。死骸は道の脇によけておく。直径１５ｋｍの円形の土地に築かれた窮屈な都市の、これが当たり前の風景だった。


「まてこらぁ！」


　そこにけたたましい男の怒号が響いてくる。


「肉返せ！　この泥棒ネコ！」


　その声の主から逃げるように、瓦礫の道の上をピョンピョンと跳ねてくるのは一匹のネコ――もとい、ネコの獣面マスクをかぶった少女。


「ひにゃーん！　ひつこい！」


　薄汚れた街には不釣合いな白のワンピース。
　その少女は口に一切れのステーキ肉を咥えていた。
　すらりと伸びた足には革のブーツを履き、手には肉球付きの指貫きグローブ。そして四本足で地面を蹴って、本物のネコのように逃げ回っている。


「今度ばかりは容赦しねえ！　徹底的に懲らしめてやる！」


　それを追うのはオオカミの獣面をかぶった男。
　デニムのジーンズとジャケットを着て、頭には萎びたウェスタンハットを被っている。
　二本の足で疾走し、逃げ回るネコ娘を追い回している。
　二人は名も知れぬ死骸が埋まっているゴミの山を蹴散らすと、そのまま稲妻のように大通りへと抜けて行った。


「うにゃー！」


　少女の前に立ちはだかる、無数の人の群れ。
　一人の面無し（ゼブラ）が、びっくりして身をかがめる。少女はその男の頭に手をつくと、ひらりと宙に舞い上がって飛び越えていった。


「ひゃあ！？」


　その時、ワンピースのスカートがひらりと舞い上がった。
　必然、後を追うオオカミ男の目に、その中身が丸見えとなる。つるりと磨き上げられた幼い尻は、覗けば己の顔が映るほど。穿いてる下着は大胆にもＴバック……と思いきや、それはヤマネコ印の貞操帯。


「みたにゃロン！？　これでチャラにするにゃ！」
「うるせえ！　てめえのウンコ臭えケツなんざ見たくもねえんだよ！　ミーヤ！」
「んにゃにゃ！？　ウンコなんてついてないにゃ！　ピカピカにゃ！」
「知るか！　いいから肉かえせ！」
「諦めるにゃー！　もう半分食べちゃったにゃー！」


　ミーヤと呼ばれた少女は、そう言って、食べかけの肉片をヒラヒラと振った。


「んな！？　て、てめえええー！」


　ロンは目を血走らせて叫ぶ。いよいよその怒りが頂点に達しようとしていた。


「人の一月分の稼ぎを！　ぜってえ許さねえ！　かっさばいてラーメンの具にしてやる！」


　するとその怒りに呼応するかのように、ロンの顔が本物のオオカミへと変貌していく。
　獣のマスクが顔と一体化し、その縁からザワザワと青灰色の毛が生え始める。


「マジにゃ！？」


　驚愕する少女。
　オオカミへと姿を変えたロンは、人型だった時とは比べ物にならない速度で追走を始める。
　ミーヤは慌てて肉を咥えて四本足。少女もまたその背筋から、茶トラの毛を生やし始めた。


「ギニャー！？」


　完全な獣と化した二つの肉体は、そのまま盛大な土煙を巻き上げながら、面無し（ゼブラ）の群れが跋扈する、殺伐とした街角を駆け抜けていく。


　　　　＊　＊　＊


　獅子長の間は、部屋と呼ぶには余りにも広すぎる空間だった。
　天井までの高さは優に１０ｍを越える。つややかな石材が荘厳な光沢を放つ聖堂のような場所だ。一面は巨大なガラス窓、空に輝く不死鳥の光を余すところなく取り込んでいる。


　その広すぎる部屋の中央に置かれているのは、両手で抱えるほどの大きな水晶球。サヴァナ世界の天変地異、その全てを操るための制御装置だ。
　太古の昔に、ゲートとともに発見され、今はここ都庁舎の最上階、大理石の台座の上に置かれている。
　その台座を取り囲むように張り巡らされた無数のセンサー。そして光学的な入出力装置。綺麗に束ねられた配線類は、一機のタワー型サーバー装置へと結線されている。


　カチリ――。


　『ライオン』をクリックする音が響く。
　それと同時に、１００インチを越える超大型ディスプレイに映し出された都市の光景に、赤い輪が付け加えられた。現代風の広々としたシステムデスクに座る獅子長ジョーは、今まさに仕事の最中である。


「ふむ……」


　都市の一角。バラックの上にバラックを積み重ねたいびつな建築物が群れ成すスラム。ライオンのポインターは、まさにその区画に照準されていた。
　カチリ――しばし思案した後、再びライオンの左ボタンをクリック。
　ディスプレイ上に表示される警告メッセージ――『本当に取り壊しますか？』


　獅子はそのメッセージをしばし眺め、首を曲げてゴキリと鳴らした。天井を見上げて背伸びをする。
　しばし丹念に獅子面のたてがみを撫で、やがて「うむ」と頷くと、ジョーは『ＯＫ』とかかれたボタンにカーソルをあわせて――――クリックした。


――ズゴゴゴゴゴ……。


　突如、窓から差し込んでくる日差しが薄れ、厳かな雷鳴が轟いてきた。
　ジョーは頑強な作りの椅子をギシリと軋ませて立ち上がると、カツカツと高い靴音を鳴らしながら窓辺に向かって歩いていった。
　彼が窓際に達する頃には、空はすっかり暗雲に覆われている。
　見下ろした街は怯えていた。


「さあ諸君」


　獅子が静かな声でささやく。


「パーティーの時間だ」


　　　　＊　＊　＊


「ぜえ……ぜえ……。やっと捕まえたぜ」
「ふ、ふにゃあ……。そんなに押し倒されたら濡れちゃうにゃ……」
「うるせえ！　このマセ猫！」


　ミーヤを押し倒したロンは、その口から肉を引き剥がした。彼が一月分の貯金を叩いて買ったステーキは、その３分の２ほどが蹂躙済みだった。


「あーあ……」


　肉片についた土ぼこりをぺっぺと払い落とす。そうして、さてどんな折檻をくれてやろうかとミーヤを睨みつけるが、少女はむしろそれを望んでいるような様子だった。


「にゃああ……猫鍋にされてしまうにゃあ……どきどき……はあはあ」


　気持ち悪い虫を見るような目つきで少女を見下ろす。とたんに肩から力が抜け、先ほどまでの怒りがどこかへと飛んでいってしまう。いつものパターンだ。


「やれやれ……」


　仕方なくその場に立ち上がる。そして取り返した肉を齧りつつ、すっかり悪夢のような曇天になってしまった空を見上げた。


「また、いつものやつか」


　肉を咀嚼しながら呟く。
　雷雲の狙いは、近くの１５階建ての高層スラムだった。


「はにゃっ！」


　ミーヤが軽い身のこなしで跳ね起きる。


「今度はどこの貧民窟にゃ？」
「あそこだ」


　ロンが指差した先、危機を察知した住民達が、窓からありったけの荷物を放り投げ、さらには自らの体までも躍らせている。
　５０ｍ四方もない窮屈な土地にそそり立つ巣窟。一体何千人が潜んでいたのか、無尽蔵に人が飛び出てくる。


――カッ！


　その直後、鋭い閃光が都市の空を駆け下りてきた。ロンとミーヤは目をつぶった。
　光の筋はまっすぐに建物を貫き、その基底部分で炸裂した。
　大地を揺るがす爆音が周囲に轟く。
　内側から膨れ上がるように炎が上がり、バラックの内容物が握りつぶされたトマトの種のように、窓や出入り口、建物の継ぎ目などから飛び出してきた。
　建物自体の自重で外壁が内側に潰れ、すぐに噴煙に紛れて見えなくなる。


――クソ野郎が！
――地獄に落ちろ！


　あちらこちらから怒号が響いてくる。獅子長の権限による、情け容赦ない建物の取り壊し。サヴァナではよくあるその光景を、ロンは心底くだらないと言った様子で眺めていた。


「あんなあばら屋、いままで壊されなかったのが不思議なくらいだろ」


　手についた肉汁を尻で拭きながら言う。壊されるのがわかってるのに、何でもっと早く逃げないのか。貧民窟の崩壊を目の前にして、ロンはいつものようにそう思った。


「アレでも住めば都だったりするにゃ」
「そうか？」
「にゃむ。どんなに酷い場所でも、生まれた場所は特別にゃ」


　ロンもミーヤも、貧民窟の生まれだった。
　ロンにはその場所に対して、良い思い出など一切ない。ミーヤにいたってはもっと酷いものであったはずだ。しかしその場所に対する考え方はそれぞれ異なるようだった。


「あんな場所、さっさとなくなってしまえば良いと俺は思うぜ」
「ロンは過去にはとらわれないタイプにゃ？」
「そうかもしれねえな」
「じゃあ、お肉のことも忘れてくれるにゃ！」
「それとこれとは話が別だ」


　ロンはミーヤの襟首をつまんで、子猫のように持ち上げる。


「次やったらぜってーさばく！　さばいて肉屋に売り飛ばしてやる！」
「にゃあぁ！？」


　そうしている間に、崩れた建物の噴煙が迫ってきた。


「おっと、こいつはマズいな」
「さっさとずらかるにゃ！」


　二人の獣はそそくさとその場を離れる。