アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

事故

 続いて、真理さんの小学校卒業以降の経歴に眼を通す。


 彼女はひとまず中高一貫の進学校に入学するが、その半年後にはインドの看護学校に転校している。
 この、あまりにも突飛すぎる展開には、2056年に起った、人類史上最悪の計算機事故が関係していた。
 デートアテンションに添付されている記事を開く。


【2056インド特異点突破事故シンギュラリティ・アウトブレイク
 インド南部のIT都市ベンガルールで稼動していた3台の大規模量子計算機が、原因不明の同期を起したことに起因する事故。


 量子コンピューターの演算性能は、使用する量子演算素子の数(qbit)によって決定される。使える素子の数が増えるごとに、演算能力が幾何級数的に向上していく。
 そのため、地上に存在する全てのコンピューターは、国際計算機力機関(International calculator Power Agency、略称:ICPA)によって厳格に管理され、安全に制御できるレベルにその能力を抑えられている。
 しかし2056年の事故では、原因不明の量子素子の同期によって、ICPAの基準を10の12乗倍も超越する演算能力が発生してしまったのだ。


 同期を起こした3台の量子計算機の一つである『ガンジスⅢ』は、当時、人の意識についてのシュミレーションを実行中だった。
 その演算能力は、一人の人間と、その周囲の直径10mの球状空間をシュミレーションする程度に抑えられていた。
 しかし、同期事故を起こしたことにより、1000億人の人間と、直径100kmの球状空間を精細にシュミレーションすることになってしまった。
 いわば、意識体の巨大な塊を、仮想空間の中に作りだしてしまったのだ。


 そうして生み出された人工意識体には、破壊と再生の神である「シヴァ」の呼び名が与えられた。
 シヴァはまず、インド国内のネットワークインフラを完全に支配し、その制御下に置いた。インド国内では有線・無線機器はおろか、スタンドアローンのコンピューターまでもが使用不能になった。
 ただちに全世界は、インドとの通信を全て物理的に遮断し、インド国内からの人の流出と、物の持ち出しを禁止した。


 完全に世界からシャットアウトされたインド国内では、全ての都市で大混乱が起こった。交通が麻痺し、商業活動が不可能になり、あっと言う間に物資不足に陥り、各地で買占めや暴動が起った。
 不運にも真理さんはその時、数人の学生とともに、夏休みを利用してインドに短期留学をしていた。
 ムンバイ中心部の経済特区にあるホテルに滞在し、世界中から超天才児を集めた教育機関で、ハイレベルな知能開発プログラムを受けていたのだ。


 超知性の暴走が始まった翌日、ホームステイ先で待機していた真理さんは、ムンバイの空に真っ黒な一つの瞳を見た。
 シヴァの瞳――そう名づけられたその怪現象は、インド国内全土で観測された。
 その瞳は肉眼でしか観測することが出来ず、どのような記録媒体をもってしても、記録することが出来なかった。
 しかし、当時17億人もいたインド国民の8割が、実際にその瞳を見たと証言していることから、その存在が確かなものであったことは間違いない。


 人々は心の底から震え上がり、みな家に引きこもったため、街角からは人の姿が消えた。
 アメリカ軍が同期事故を起こした『ガンジスⅢ』を誘導ミサイルで破壊しようと試みたが、何発打ち込んでも信管が作動せず、失敗に終わった。
 超知性シヴァが一体どんな技術を使ったのかは未だに明らかになっていないが、その時インド国内は、明らかに特異点突破後の未知の世界になっていたのだ。


 事故発生から二日目、世界中の数学者、計算機学者、エンジニア達がチームを組み、事件を解決するためにインド国内に乗り込んだ。すでにインドのエンジニアチームが、徹底的に電磁遮断された情報機器をつかって、前線基地を構築していた。


 超知性シヴァとの戦いが始まってから三日後、インドの空に浮かんでいた黒い瞳は、解決の糸口さえ見つかっていない状況だったにもかかわらず、なんの前触れもなくその姿を消した。
 そして同時に、まるで自らの義務を全て果たしたかのように、その全活動を停止したのだった。


 孤立した17億人を救うべく、世界中から救援の手が差し伸べられた。
 驚くべきことに、黒い瞳が発生している間、暴動や略奪などは殆ど起らなかったのだ。人的被害としては、自ら命を絶とうとした者が圧倒的に多く、その次が超知性シヴァと戦って精神に失調をきたした学者達だった。


 だが、黒い瞳が消え、市中に活気が戻り始めてきた頃から、眼を覆うような事件・事故が多発し始めた。
 真理さん達学生グループは、滞在先に十分な備蓄があったために、それほど深刻な被害はうけなかったが、安全性が確認されるまでの一月近くの期間をホテルの中で過ごさなければならなかった。
 しかし真理さん達の学生グループは、部屋の中で黙っていることが出来なかった。自分達に出来ることはないかと、互いに知恵を絞りあったのだ。


 ニュースではインド中の医療機関で、まったく手が足りていないことが報道されていた。
 実際、インド各地の公共医療機関では、人手不足のために、病院の入り口に患者の山が出来ているほどだった。
 そこで真理さんらはボランティアを申し出ることにした。もちろん、外出することは不可能だったので、日本から緊急輸送されてきたケアボットの操縦者としてインド国内で活動することになった。


 ケアボットは自律稼働が可能なロボットだが、非常時や、急患でごった返している施設の中では、うまく動けない。そのために、インド国内で稼動していたケアボットの多くは、実際は人の手で遠隔操作されていた。
 さらに、国外との通信は物理的に遮断されたままだったので、ケアボットを動かせるのはインド国内にいる人間に限られた。そしてやはり深刻な人手不足が生じていた。


 真理さんらのグループは、医師の認可を得た後に、それぞれのケアボットを操縦して精力的に救助活動を行った。認められていた医療活動は、圧迫による止血や人工呼吸など、基礎的なものだけだったが、それでも真理さん達は出来る限りのことをした。


 まもなく真理さんが操っているケアボットが、ある医師の目に留まった。
 彼女のケアボットは、際立った動きを見せていたのだ。真理さんは趣味で医学書を読み込んでいたこともあり、数十件もの投薬ミスに事前に気付き、当事者達に報告をしていたのだ。
 彼女のケアボットを操っているのは、実はプロなのではないかと感じたその医師は、真理さんにそのことを尋ねてきた。
 そして真理さんが日本からの留学生、それも中学生であることを知って驚愕した。


 以後、真理さんはその医師の直属になり、本職の看護師と一緒になって医療活動にあたることになる。
 そしてこのことが、彼女が看護師の道を歩むきっかけになった。









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