アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

ギフト

 翌日。
 真理さんからデート・アテンションを貰った僕は、ウェブコンソールにかじりついて、デートの計画をたてていた。


 デート・アテンションは、自分とデートをするときに気をつけて欲しいことや、最近のデート履歴などをまとめたテキストだ。通常、デートの合意があった際に、お互いに交換することになっている。
 その人の苦手な食べ物や、健康上の留意点だけでなく、最近の趣味や、好きな映画のジャンルなど、デートプランを立てる際に役立つ情報が詰まっている。


 さらに、場合によっては、その人の個人履歴や、思い出のアルバムなどが盛り込まれていることもある。
 真理さんは遺伝子マッチングによって生み出されたデザインチャイルドなので、通常の人に比べると、やはり特異といえる経歴をもっている。
 そのために、過去に男性とデートをした際に、その特異な経歴を根掘り葉掘り尋ねられるという、けして愉快とはいえない経験を幾度となくしていた。
 そこで真理さんは、デート・アテンションに自分の成長過程を盛り込むようになったのだという。


 * * *


 鎬・エーセリーウ・真理は、今から26年前の春に、人材コーディネーターとして東京都内で働いていた女性の子として生まれた。
 遺伝子マッチングに用いられたDNAは、イスラエル人生物学者のもので、彼女がこの世に生を受けたその時、すでに80歳を越えていた人物だった。
 改良目的とされた遺伝的形質は、知能指数と神経質傾向、自尊感情、そして肉体的な高耐久性だった。


 真理さんの母親は、それら自分には足りないものと思っている遺伝的形質を、生まれてくる子供に受け継がせたくなかった。
 生まれてくる子供には、高い知能と、強靭な肉体、そして何より自信を与えたかったのだ。
 真理さんは母親の望み通り、知能的にも、身体的にも、期待以上に高い能力をもって生まれ、そして成長した。
 生後8ヶ月で立ち上がり、9ヶ月で最初の言葉を発し、一歳半になるころには3~4歳児向けの絵本を、一人で読むようになっていた。通常であれば、ようやく二語文を話せるようになる程度の時期だ。


 二歳当時の彼女について、こんなエピソードがある。
 本屋に連れて行った際、母親が眼を離した数分の間に、彼女は棚一列分の絵本を、映像を写し取るようにして完読してしまった。
 いわゆる、フラッシュリーディングの能力だ。
 そしてさらに、「読めない言葉があるけど、これなあに?」と母親に質問してきたのだ。


 彼女が言っていたのは、海外翻訳の絵本の表紙裏に書かれている、英語のコピーライト文だった。
 驚いた母親は、すぐにその意味を教え、そして書店においてあった幼児向けの英語教材を彼女に買い与えた。
 だが、それは挿絵が沢山入った絵本のようなものだったから、彼女はその日のうちに全て読んでしまった。
 物足りなさを感じた二歳当時の真理さんは、母親の本棚を探し回って、一冊の英和辞書を見つけた。そして想像を絶する知的好奇心を発揮して、二週間ほどで読み通してしまったのだ。


 このような有様だったので、三歳になり幼稚園入学となった時に、真理さんの母親はほとほと困り果ててしまった。
 こんなにも頭の良い子供が生まれるとは思ってもみなかった。
 IQを調べてみると、200以上のどこかという、わけのわからない数値だった。


 日本にはギフテッド教育を行っている教育機関は存在しない。
 真理さんの能力にあった教育環境を用意することは、日本国内では難しいように思われた。
 そこで真理さんの母親は、海外の教育機関で学習させることを検討した。集められるだけの資料をあつめ、真理さん本人と一緒に、このさき進むべき道を模索したのだ。


「日本の学校でいい」


 だが、それが真理さん本人の出した結論だった。
 たった3歳の子供が、海外留学か日本に残るかの選択をつきつけられて、自分の意思ではっきりと決断することが、すでに出来ていたのだった。


「私はどこでも勉強できるし、誰とでも仲良くできる。そうするべきだと思っている」


 そう力強く答えた彼女に、多くの教育関係者と彼女の母親は、ただ驚嘆するのみだったという。


 幼稚園に入学した真理さんは、周囲の予想と反して、完全と言って良いほどに周囲の子供たちに溶け込んでしまった。同じように遊び、同じように学び、そして成長した。


 誰よりも早くピアノを弾けるようになった彼女は、その技術を周囲の園児達に教え始めた。
 すると彼女の能力に引っ張られるようにして、周囲の子供たちも次々と簡単な曲を弾けるようになっていったのだ。
 これがごく自然に行われたので、幼稚園の教諭もしばらくの間気がつかなかった。
 また、彼女のいたクラスでは驚くほど喧嘩や衝突が少なかった。
 幼稚園教諭が「手がかからな過ぎて、逆に不安になる」と洩らすほどに、調和のとれたクラスになっていたのだ。


 そんな幼少の頃から発揮されていた素質は、小学校に上がってからも途切れることがなかった。
 人に何かを教えることが好きだった彼女の周りには、常に大勢の児童が集まるようになっていた。中には彼女と一緒にいる時間を出来るだけ確保するために、通っていた学習塾をやめてしまう子までいたそうだ。


 自身の学習については、朝のうちに通信教材を読み込めるだけ読み込み、そして学校で授業を受けている間にその内容を思い起こして頭の中で解くという学習方法で、小学校卒業時までに東大入試レベルの学力を身につけた。
 かといって授業に関しては上の空というわけではなく、むしろ彼女の関心は授業の中にこそあった。
 クラスメートがどんな問題にどのように苦戦し、そしてどのように教えればそれを解決できるか。それこそが彼女にとって最も難しく、そして解く意義のある問題だったからだ。


 クラスの児童も、教師陣も、真理という子供が、どれほど超越した次元で授業を受けているのかを理解していた。
 そして、その事実が子供達に、強いては学校全体に与えた影響は計り知れなかった。
 彼女のいるクラスにいじめが発生したことは一度もなかったし、学校全体でも問題を起す児童が激減していた。
 彼女の才能に感化された児童の中から、音楽や数学、スポーツといった分野で、優れた能力を発揮する者が何人も現れた。
 もはや神童という言葉すら、彼女を形容しきれていなかったのだ。


 他にも彼女の偉業を列挙すればきりがない。
 ハーバード大学の学生を論破したとか、趣味で読んでいた医学書を縦に積み上げすぎて床板が変形したとか、どれをとっても現実で起ったこととは思えないことばかりだった。


 また、小学校時代の真理さんの履歴で興味深いことが一つあった。
 彼女は小学校を卒業するまでの間に6回、学校の少年達からプロポーズを受けている。
 誰とも交際はしなかったが、ただ断るのではなく、告白してきた勇気に応えるために、必ず一度その相手とデートをしたのだ。


 僕のケースも、おそらくは似たようなものなのだろう。
 だが僕は、この事実を大したこととは思わなかった。


 このような神のごとき女性と一時を過ごせる。
 それはまさに、僥倖という他にないことなのだから。









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