アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

検査

 翌日、僕はMRIと全方位脳波スキャニングの検査を受けることになった。
 圧迫感の少ない解放型MRIは学習机と同じくらいのサイズにまで小型化され、いまやどこの病院にも複数台設置されている。


 一方、脳波スキャニング装置は少々大掛かりで、無数の測定端子でハリネズミのようになった装置の中にすっぽりと頭を収めなければならない。
 その状態で、指を動かしたり、検査技師の質問に答えたりしながら脳波の動きを計測し、10分近く首を突っ込んでいなければならないのだ。細い針の先端が頭皮との接点になっているのでちくちくとする。
 顔をすっぽりと覆われてしまうので、開放型MRIと違って少々息苦しい検査になる。


 この二つの検査データを照合し、計算能力を『医療用レベルに制限された』専用のコンピューターで解析すると、僕の脳機能のほぼ全てがわかってしまう。
 前日の夜に見た夢を映像化したり、誰かと会話した内容をテキストファイルに出力したりすることもできてしまう。
 また、本人がすっかりと失念していた情報まで、条件次第では引き出すことが可能なので、医療以外の分野――例えば犯罪捜査とか――にも利用されることが多い。


 こういった医療技術が実現されたのは、検査機器よりも計算機械の発達によることが大きい。
 検査機器そのものの技術は2030年までにはほぼ確立し、そこから先はデータ解析技術の開発と、計算機能力の問題だった。
 脳波解析に用いるコンピューターは、医療現場で使用できる計算機械の中でも、最も性能が高い部類に入るが、その計算能力は僕が学生であった2010年代に作られたスーパーコンピューターの500倍程度。
 人間一人の脳内活動を解析するのには、この程度の計算力で充分なのだ。


 午前中に検査を終え、昼食をとった後に、ドクターが今から回診に来るとの連絡をケアボットがしてきた。
 僕の脳内状況を詳細に出力したログは、長編小説ほどの情報量になるのだが、ドクターはそれを、フラッシュリーディングの能力を用いて、一分もかからず読み取ってしまう。
 ドクターもまた、真理さんと同じく、遺伝子マッチングによって生み出された人間であり、旧来の人間とは一線を画す頭脳の持ち主なのだった。


《まもなく、ドクターが参ります》


 M-278がそう報告してくる。僕は身を起し、入院着の襟を直してドクターを待った。
 間もなく、白衣を着た小柄な若い男性が、僕のパーテーションの中に入ってきた。


「失礼します」


 そして僕のベッドに腰掛け、白衣のポケットから聴診器を取り出す。
 そして何も言わずに入院着の前を開き、僕の胸に聴診器をあてる。


 ドクターの人並み外れたサイズの前頭葉が、僕の視界に飛び込んでくる。
 黒くてまっすぐな髪の毛は左右にわけられ、ドクターの動きに合わせてふさふさと揺れる。
 髪の量が多い上に頭蓋骨まで大きいので、まるでヘルメットを被っているように見える。


 ドクターの頭脳には、人が生み出したおおよそ全ての医療知識と、病床数が500を超えるこの総合病院の三分の一の患者のデータと、そして僕のこの三日間の間の行動記録が収納されている。
 その中には、僕が先日見た幻覚の少女の情報もあるだろうし、その後、僕が真理さんに抱いた感情の記録も含まれているだろう。


 ドクターは聴診器をしまうと、僕の目を調べ、首のリンパ節を触診し、最後に手首の脈を測った。
 そして、ひとつゆっくりと呼吸をしてから切り出した。


「かなりはっきりとした幻覚を見たようですね」
「はい、どうにも温室に行くと見るみたいなんです」
「ええ、脳波解析にもそう出ていました。温室の監視カメラにもその時の様子が記録されています」


 僕は昨日、病室に戻ったあと、真理さんに温室の監視カメラの映像を見せてもらった。
 そこで僕は見えない何者かとお喋りをしたのち、立ち上がって樹の肌に手を置き、そしてしばらくして後ろ向きに倒れたのだった。


「夢でも見たかと思っていたのですが」
「いえ、実際に体が動いていました。意識の覚醒水準にも問題はなかったようです」
「白昼夢とも違うんですかな」
「そうですね、白昼夢というのは、本人が無意識のうちに見ようと願ったもの、いわば空想なのですが、脳波を見た限りでは、そういった傾向は見られませんでした。少なくとも、能動的に見た光景ではなかったようです」
「能動的ではなかった」


 僕は噛み締めるように言う。


「はい。昨日、ご覧になった子供の姿というのは、やはりなんらかの理由で、頭の中に注ぎ込まれたイメージだったのです。症状としては癲癇に似ています。脳のある部分に起った神経細胞の発火が、他の脳の部分に伝わることで生じたイメージです」
「ふむ……」


 ドクターはしばらく間をおいて、僕に言葉を理解する猶予をくれた。
 ドクターの言葉は、70を過ぎた老人に対して言うにはやや難しいものだったけれども、それはきちんと計算した上でのことだった。
 ドクターは受け持った全ての患者の知能レベルを把握している。だからこうして、僕に対しては少し複雑な文脈を使って話してくる。
 そして実際、その方が僕にはありがたかった。


「脳の配線工事が上手くいってないのでしょうか」


 僕の頭のなかでは、いまでも無数の分子機械が働いてくれていて、損傷を受けた脳細胞を擬似細胞で繋ぎ合わせてくれている。
 それが上手くいっていないために、僕は幻覚を見たのだろうか。


「そうでもないようです。私も始めは、症状的に見て神経架橋のエラーかと思ったのですが、どうにもそれは上手くいっているらしい」
「はい」
「幻覚に至った神経の発火は、視覚野と聴覚野から同時に発生しています。これは、あまり例のないことです」


 そしてドクターは、珍しく考え込んだ。左の眉を上げ、手であご先をこする。


「温室でのみ幻覚を見るというのも、不思議なことです」
「僕自身の経験と関係があるのかもしれません」
「それはどういった?」


 ドクターの目の色が変わる。大陸系アジア人を思わせる切れ長の目の奥に、好奇心の光りが宿る。


「僕はずっと農地発電をしてきたので、芝生の上に立つと、何か特別な気分になるんです。当時のことをよく思い出す」
「なるほど」
「何十年も前の話ですが、僕は一度、幻聴を聞いているんです。嵐の夜に、女の人の悲鳴のようなものを聞いたんですよ」
「はい、古いカルテの情報にありましたね。しかし、その時には薬は処方されていないし、カウンセリングも、大したものは施されていませんね」
「そうです。犬を飼うよう勧められただけでした」
「犬、ですか……?」


 ドクターは首を傾げた。
 おそらくカルテにはなかった情報なのだろう。
 通常の医療行為からは、離れていることなのかもしれない。


「たぶん、僕の暮らしの状況と性格から考えて、個人的に進言してくださったのだと思います。犬を飼うようになってから、僕の精神は確かに安定しました」
「そうですか。なるほど……ふむ」


 しぶしぶと言った様子で納得したドクターだったが、僕が先日見た幻覚とは関連が薄いことと思ったようだ。


「脳の働きについては、今もってよくわからないことが多いです」


 と言ってドクターは、医療端末を手に取った。
 画面を指で弾いて、僕のバイタルデータを確認する。


「精神活動は、脳の中だけで起っているわけではありません。その人の体を刺激するものであれば、なんだってその人の心に作用しますから。今のところ言えるのは、脳の配線工事のせいで幻覚を見ているわけでは無いということです」
「温室には、もう行かない方が良いでしょうか」


 ドクターは端末から目を離して首を振る。


「私どもの方からは、特に制限はいたしません。安全上、ケアボットの同伴は受けたほうが良いでしょう」


 そう言ってドクターは、僕の目をじっと見据えてきた。
 ドクターが先ほど医療端末で確認したことは、言うまでもなく僕の精神余命だ。
 今朝の時点で、僕の精神余命は56日だった。


「外出についても、特に制限はいたしません。身体機能にはまったく問題ありませんので、自由に出歩いていただいて結構です」
「残り少ない時間、ということですか」
「はい。あと一月の間は保障できます。しかし、その先はわかりません」


 僕は静かにうなずく。


「私どもも、全力でバックアップいたします。何でも遠慮なくおっしゃってください」
「わかりました。お世話になります」


 そう言って頭を下げる。
 ドクターもまた、深々とお辞儀を返してきた。









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