アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

不幸

《マインド・ログ 2036.8.16》


 草の収穫が終わってしばらく経った日のことだった。
 僕が10km先にある町のコンビニエンスストアまで、自転車で買い物に行った時のことだった。
 町に住んでいる男の人がが僕に話しかけてきた。


「なああんた、人殺したって本当なのかよ」


 僕はその場ですっかり固まってしまった。
 頭の中が真っ白になり、しばらく何も考えられなかった。


「どうなんだよ。そういう噂がたってるんだ」
「え、ええと……」


 僕が目を伏せたのを、相手の男は肯定の印と捉えたらしい。
 何も言わずにしばしジロジロと僕の顔を睨みつけると、不貞腐れたようにそっぽを向いて店から出て行ってしまった。


 僕はしばしその場で呆然と立ち尽くしていた。
 何を買いに来たのかもすっかり忘れて、買い物かごに入っているものだけをレジに持っていって清算してもらった。
 レジに立っていたのは、白髪の混ざり始めた初老の女性だった。
 女性もまた、僕に時おり奇妙な視線を向けてきた。そしていつもより商品のバーコードを読み取る手の動きが早いように思えた。


 その日の夜に、保坂さんから連絡があった。


「三春さんとこの息子さんが喋っちまったみたいだ。もう町中に広まっちまってる」


 ずっと恐れていた事態が、ついに起ってしまった。
 僕は仕方ありませんと保坂さんに伝え、三春さんには気にしないように言ってもらえるようお願いした。




《マインド・ログ 2036.8.25-2037.10.10》


「大変申し訳ない、謝って済むことじゃないが」


 三春さんが、下のお子さんを連れて僕の住んでいるプレハブまでやってきた。


「ごめんなさい」


 息子さんもそう言って僕に頭を下げてきた。彼の頬には痣が出来ていた。
 三春さんが殴ったのだろうか? だとしたらなんということだろう。
 そんなことをしても、喋ってしまったものは戻らない。


「いつかはこうなることでしたから、気にしないでください」
「しかし……」
「謝られても、どうにもなりません。仕方ありません」


 僕はそう言って二人に深くお辞儀をし、そして断熱プレハブの扉を閉めた。


 その日以来、僕は町にはいかなくなった。
 買い物は月に一度だけ。50kmほど離れた場所にある街にバスで行くようにした。
 その人口二万人ほどの市には、ショッピングモールや総合病院などがあり、いずれ僕が年老いて農地発電を続けられなくなったら、移住してお世話になとうと考えている場所でもあった。


 町の人と付き合いはすっかり無くなった。
 冬場の除雪の依頼も来なくなったし、酪農ヘルパーの仕事も契約が打ち切られた。
 僕はただ一人、『人を殺した』という事実がもつ力に震え、プレハブ小屋に篭って過ごすようになった。
 保坂さん達からの連絡も何故か途絶え、僕は完全に孤独になっていた。


 秋の中ごろに、町役場から僕の携帯に電話がかかってきた。
 僕はその内容を聞いて驚愕した。


「なんですって……」


 保坂さんが細菌性髄膜炎で亡くなったという連絡だった。
 亡くなる一週間前までは、誰がどうみても健康体だったそうだ。しかしある日突然高熱を出して病院に運ばれ、検査の結果、髄膜炎をおこしていることがわかった。
 そして治療の甲斐なく、あっさりと逝ってしまったのだという。
 通話を終えると同時に、僕は膝から崩れ落ちた。
 既に葬儀は終わっていて、役場の職員の人はどこか申し訳なさそうな口調で、保坂家の墓地の場所だけを言い残していった。


 葬儀の日取りの連絡すらなかった。僕は町ぐるみで退けられたのだ。
 この一件でも僕は理解した。僕が頼りに出来る人は、もうこの町にはいないのだ。
 そしてまた、いまさら街に戻るということもできない。


 こうして僕は、完全に世間から隔離されてしまった。




《マインド・ログ 2038.6.7》


 次の年から、僕は牧草の収穫をしなくなった。
 一切人の手を借りずに農地発電を続ける覚悟を決めたのだ。
 完全に孤独になった状態で一冬を過ごしたことで、僕は逆にふっきれてしまったのだ。


 合計5ヘクタールの草地の全ての草を、手持ちのプラッシュカッターで刈り取る。
 刈り取った草をフォークで集めて積み上げ、そのまま堆肥にして翌年以降の肥料にする。
 普通なら、こんなことは思いつきもしないことだ。しかし、今の僕が生きていくためには、これくらいしか方法がないのだった。


 どんなにがんばっても、一日5アール(10m×50m)が精々だったので、毎日少しずつ刈り取ることにした。毎日5アールの面積を刈り取れば、丁度100日で5ヘクタールを刈り終える。
 最後の草を刈り終える頃には、一番最初に刈り取った草が人の背丈ほどにも伸びているといった状況だった。


 ブラッシュカッターは充電式のもので、畑で発電した電気を使って充電した。
 経費を節減するために、作業着や長靴などの消耗品は限界まで使い古した。
 携帯も解約し、ネット環境も放棄した。


 食料は野菜畑で作った穀類、豆、野菜。
 月に一度、遠くの街まで足を延ばして買ってくる小麦粉などの安価な食材。
 そして定期的に新谷さんから送られてくる、味覚プリンターの要素カートリッジのみになった。









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