アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

病棟 ―2070年―

 病棟の洗面所に行って顔を洗う。
 清潔なステンレス槽に電子制御された蛇口が7つ、利用者は僕一人。
 一面に張り巡らされた鏡が、無数のAR情報とともに、もう一つの世界をその向こう側につくり出している。


 洗面器にお湯を溜め、タオルを浸し、骨と皮だけになってしまった手でゆっくりと水気を絞っていく。
 顔を拭く。一つ一つの皺を押し開くようにしてタオルをあて、潤いと疎水性を両方とも失ってしまった、ハリもツヤもない皮膚の水分を取り除いてく。


 タオルをおろして顔ををあげる。
 目の前の鏡に映っているのは、すっかりと年老いた僕自身の顔だった。
 髪は細く真っ白で、頭皮が透けて見えるほどに薄くなっている。前頭部の皮膚だけが生々しく皮脂で光っているが、あとは全部皺だらけだ。眼下は落ち窪み、眉間に鋭い縦皺がいくつも走っている。
 ほとんど笑うことなく生きてきた僕の人相は、お世辞にも良いと言えるものではなくなっていた。


 入院着の襟を直し、くしで髪を整える。
 スキンクリームを指先ですくって、手の平、手の甲、首筋、そして顔全体にへと馴染ませていく。
 そうして朝の支度を終えると、僕は洗面道具を、人型医療補助ロボットのシンクM-278に渡した。


《お足元に、お気をつけてください》


 女性型の声が僕にささやかな忠告を与えてくる。
 彼女の先導を受けて、杖を突きながらゆっくりと病室へと戻っていく。


 M-278はこの病院に321体配置されているメディカルボットの278号機で、二足歩行をして患者の身の回りの世話をするタイプのものだ。
 人工知能開発の世界最大手である、アメリカのシンク社によって開発された医療用コミュニケーションOSを搭載し、日本製の運動制御システムを組み込んだ擬体で駆動する。


 穏やかなライトグリーンのレンズアイと、薄いピンク色の四肢をもつそのロボットは、見る人しだいで女性型にも男性型にも見える中性的なフォルムを持っている。
 全身がソフトシリコンで覆われているので、万が一患者と接触しても大事に至ることはない。
 足の裏にとりつけられた吸音パットで、音もなく歩き続けるM-278は、最短にして最安全のルートを確保しながら、僕を病室のベッドまで導いてくれた。


《まもなく朝食の時間です。昨日のニュースの確認をお忘れなく》


 そう言って恭しくお辞儀をすると、M-278は病室の入り口まで歩いていって、そのまま待機状態になった。
 病室は6人部屋だが、全てのベッドがパーテーションで区切られているので、殆ど個室と言っても良いものだった。
 僕はリクライニングをあげてあるベッドに身を預けたまま、ベッドサイドのコントロールパネルを操作して、テーブルを胸の前までスライドさせた。
 そしてその表面にニュースポータルの画面を表示させ、昨日のニュース記事にざっと目を通していった。


 記事の内容を、僕は半分ほど忘れていた。


 最も重要な記事である、アメリカ合衆国大統領による「テロ根絶宣言」のことについてはきちんと覚えていた。
 非殺傷性自律裁定端末(Non-INjury Judgementive Agent)
 通称NINJAと呼ばれる自律機械の稼動台数が10万機を越え、地球上にテロリストが潜伏できる場所がほぼ無くなったのだという。


 NINJAはその呼び名から想像される人型ではなく、バスケットボールほどの大きさをした、針の塊のような自律機械だ。地上を跳ねたり転がったりして自由に移動でき、テロリストをその行動パターンから判別し、発見次第、麻酔薬を仕込んだ針を飛ばしたり、極指向性音響をぶつけたりして気絶させる。
 テロ活動だけではなく、紛争の抑止能力をも持ったこの機械の発明により、銃火の犠牲になる者の数は激減した。


 今人類は、自分達の軍事力のありかたを根本的に見直す時期にさしかかっている。
 戦争という、人間の体で言うならば大掛かりな外科手術に該当する行為を実行せずとも、小型の自動機械をその体内で活動させることで、より穏やかな治療が可能になったのだから。


「ふう……」


 ひと通りの記事を読み終え、テーブル上の画面を今日のものに切り替える。
 少し疲れた。
 軽く目頭をおさえ、深く息を吸い、そして吐いていく。


 僕は5年前に膠芽腫グリオブラストーマを発症した。
 直ちに外科手術によるがん細胞の摘出を行い、放射線治療、化学治療、そして癌ワクチンによる分子治療まで使って、なんとか寛解に持ち込んだ。


 昔はごく一握りの富裕層しか受けられなかった癌ワクチン治療も、今では一般的に行われるようになっている。おかげで僕は、本来ならば一ヶ月もつかどうかもわからない、甚急性の脳腫瘍を再発しながらも、こうして5年以上も生きながらえている。


 発病を機に、僕は農地発電をやめた。
 住んでいた断熱プレハブを撤去し、農地を売却して、50kmほど離れた場所にある中核都市に住居を移した。
 寛解後は通院の必要も殆どなく、脳内に監視用分子機械を入れた状態で、昨年の冬まで普通に暮していた。
 しかし、年の暮れに脳内分子機械からの警告があって、さっそく病院に行って精密検査をしてみると、残念なことに再発が認められたのだった。


 僕は即日入院となり、病状は思わしくないまま、すでに半年以上が経過している。


 2070年6月12日。
 僕は76歳の老人になっていた。









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