アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

決意

 あの二人の男が、二葉さんに対しなんらかの接触を試みたのは間違いない。
 その方法はわからないが、ともかく二葉さんを会社から離れさせ、両親に味覚デバイス研を訴えるよう仕向けさせたのだ。


 新谷室長は、すぐに弁護士を雇って原告側の事情を調べさせた。
 どうやら二葉さんは、無断欠勤をするようになった日から、ずっと部屋に篭りっきりだったようだ。もちろん、両親はとても心配していたそうだ。
 そこに、二葉さんの交際相手を名乗って現れたのが、あの背が高い方の男だった。
 彼は訝しむ両親を説得し、二葉さんの部屋の前まで通してもらった。
 すると二葉さんは、どういうわけか彼をすんなり部屋に入れたのだ。


 男はそれから、一時間ほど部屋の中にいた。
 そして何らかのやり取りを終えた後、二葉さんの両親に向かってこう切り出したらしい。


「当社の労働環境に問題があったようです」


 そして男は、この会社の社員であるにもかかわらず、当社を告訴して慰謝料を請求してみてはどうかと持ちかけたのだ。
 最終的に示談に持ち込むことになるだろうが、自分からも会社に働きかけて、できるだけ多くの慰謝料を取れるようにする。そう言って二葉さんの両親を説得した。
 加えて、自らの勤めている会社への恨みつらみを、滾々と二人に語って聞かせたのだ。


「二葉さんは洗脳されている可能性があります」


 弁護士が出した見解はそれだった。
 この場合、二葉さんを洗脳した男を告発することは非常に困難とのことだった。
 まずは二葉さんの両親を説得し、脳機能の専門家に二葉さんの精神状態を診てもらう必要があるらしい。
 そして洗脳の事実を確認した上で警察に捜査を依頼するのだ。


 これを短期間に行うことは事実上不可能で、もし立件に至ったとしても、大して重い罪にはならない。
 脳科学が発達し、人の心理や行動について多くのことがわかってきた現在においても、いまだ洗脳という行為を取り締まる法律は存在しないのだ。


 弁護士の話では、それよりも職場の労働環境の健全性を立証し、起訴内容が不適当であることをご両親に理解してもらうことが重要、ということだった。


「でも、それで二葉さんはどうなるんですか?」


 僕はそう室長に聞いた。
 この先もずっと、あの男たちの操り人形として、部屋に引きこもって生きていくのだろうか。


「彼女が家に引きこもっている以上、我々に直接出来ることはない……。とにかくご両親を説得して、ご両親の方から二葉さんにアプローチしてもらうしかない。彼女があの男達を告発してくれれば……」


 多くの問題が一気に解決に向かう。
 しかし室長は首を振る。


「期待はしてはいけないな。彼女にとってそれは、おそらくは残酷な話なのだろう……」


 * * *


 業務を続けるにも、気力が湧かなかった。
 二葉さんが、あの男たちに何をされたのか。そのことを考えるだけで果てしない無力感に襲われた。
 一方室長は、二葉さんの両親の説得と、相変わらず会社との特許権交渉に全力を注いでいた。
 本当にタフな人だと思う。


 プリント方式のアイデアは、ある意味では二葉さんの中から出てきたものだ。
 味覚デバイスの試作品が出来たとき、二葉さんはこんなことを言っていた。


「これって、私の一言がきっかけだったんですよね?」


 目をキラキラさせて装置を見つめる彼女に、僕はこう言って返した。


「もし、その気があれば、僕らと一緒に発明対価を請求するかい?」
「えー、そういう意味で言ったわけじゃないんですけど……」


 すると二葉さんは頬を膨らませてきた。
 僕はしまったと思った。


「本当に真面目な人ですよね」
「いや、悪気はなかったんだ……」
「ふふふ、わかってますよ。お金は欲しくないわけじゃないけど、なんだかそういうの面倒くさそうなんでやめときます」
「うん、確かに色々と面倒だ」
「ですよね。それに私、もう十分に報酬はもらってますから」


 そう言って二葉さんは、出来たばかりの試作機を手で撫でる。


「私の一言が、こんな形になって実現したってだけで、十分すぎるほど幸せですよ」


 まるで慈しむようにして、試作機を見つめる。


「いずれ、これが世界中のお茶の間に置かれるようになるんですね」


 二葉さんは僕の顔をみてクスクスと笑う。
 そして満面の笑顔で言う。


「そうなったら私もう、幸せすぎてわけが解らなくなっちゃいますよ」




《マインド・ログ 2020.4.8》 


 僕は、独自に調査を進めることにした。
 あの男たちに、直接アプローチをかけてみる。
 相手は歴戦の猛者なのだから、生半可な手段では返り討ちにあうだけだろう。
 僕は入念に作戦を立て、調査をし、彼らと交渉をするための武器も用意した。


 中背の男の方は、入社してしばらくは、あまり良い業績を出せていなかったらしい。
 だが、あの背の高い方の男と組むようになってから、めきめきと頭角を現している。
 この事実が意味するものは、つまり背の高い方が主で、もう一方が従であるということだ。
 二葉さんを操り人形にした技術は、おそらくは彼にしか使えないのだろう。


 その男の転勤前の会社については、どうしても足を辿ることが出来なかった。
 二年前にこの会社に就職してくる以前は、某大手商社に勤めていたという話だ。
 しかしどうして転職してきたのか、その理由がまるでわからない。リストラなどされるはずもないし、自主的な転職なのだとしても、わざわざ格下の中堅メーカーにやってくるだろうか。


「とにかく、胡散臭い男だ」


 それが、新谷室長の評価だった。
 男達は現在、五感テレビの開発を行なっているメーカー各社に対し、味覚デバイスの組み込みに関する交渉を行なっている。
 しかし今のところは、他社において開発が進んでいる電気刺激方式が優位に立っていて、我が社は苦戦を強いられているとのことだった。
 これは、プリント方式の開発に何らかの圧力がかかったせいで、より原始的なキャンディー方式で戦わなければならなくなったためだろう。


 だとしたら彼らにつけいる隙はある。僕はそう考えた。
 いまあの男達は、交渉の切り札になるようなものを欲しているはずだと。


 そして、その切り札を僕は持っていた。
 五感テレビの事業には直接的に関係はないのだが、おそらくは味覚デバイスがもたらす市場の変化、その先にあるものに繋がっているアイデアだ。
 大局的に見て、多くのアドバンテージを見込めるはずだ。


 このアイデアを武器に、僕は二葉さんの処遇についての交渉をすることにした。











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