アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

開墾

《マインド・ログ 2032.4.10-2032.11.2》


 僕はまず、地元の業者に頼んで、一番広い畑に機械をいれてもらった。


 ブルドーザー引きの多連プラウが入り、その巨大な鉄の刃で土壌を反転させていく。雑草ごと地面が切り返され、黒々とした土が露わになっていく。
 続いてパワーハローをかけて土塊を粉々にしていく。その日一日、僕の農地では重機のエンジン音が鳴り止まなかった。


 その後、ローラーで鎮圧して、光発電性植物の種を撒く。
 最後に畑の一端に電力抽出用の端子を埋め込んで作業は終了する。


 シバムギを品種改良して作られたその植物の品名は「エレノア」
 学名、エリトリジア・エレクトリカ。
 見た目は米ぬかのようにしか見えないこの植物の種子が、この先ずっと僕の生涯を支えることになる。
 残りの小さな畑は、中古の農機を買って、僕がコツコツと耕すことにした。


 ひと通りの作業が終わり、様子を見にきてくれていた保坂さんも帰っていく。
 一人になった僕は、道路脇に腰を下ろすと、土色になった広い畑をぼんやりと眺めた。


 耕されたばかりの土の匂い。
 風にふかれてざわざわと揺れる、山森の音。
 冷たい北国の春風。
 どこまでも孤独で、そして自由だった。


 自分の人生に、こんな空虚な時間が訪れたのだという事実に、僕は感動を通り越して畏怖の念さえ抱いた。
 二週間ほどすると、土色一色だった畑に、ぽつりぽつりとエリトリジアの芽が生え始めた。
 僕は毎日のように畑に出て行って、その芽の生育を見守った。


 そのあいだに、プレハブ小屋の周りの土を耕して野菜畑を作った。
 中古の小型トラクターに、借りてきた二連プラウを付けて土を切り返し、耕運機で均して、10アール程の面積にジャガイモと大豆とトウモロコシを植えた。
 少しでも食費を浮かせて、家計にかかる負担を下げるためだ。


 僕のエリトリジア畑から得られる電力は、3ヘクタールの農地で約300kw。
 これは多結晶シリコン型ソーラーパネルの10分の1程度の発電効率だ。さらに冬場はまったく発電できなくなるから、いくら広大な敷地で発電を行ったとしても、年間の収入額は微々たるものになる。
 車など当然持つことは出来ない。
 街に出掛けるときは、農道から2キロ先にあるバスの通る国道まで歩かなければならなかった。
 もしくは、街までの10km以上の道のりを自転車を漕いで走っていくかだ。


 雨水をドラム缶にためることで水道代まで節約した。
 一番大きな支出は通信費。光回線はおろか、電話回線すらない状況だったから、情報収集はもっぱら、回線価格の高い、無線のインターネットに頼ることになった。
 テレビは当然、買わなかった。


 そうしているうちに、やがて夏の盛りとなった。充分に成長してあとは枯れるだけとなったエレノアを、業者に頼んで刈り取ってもらった。
 ある程度成長したエレノアは、こうして一度刈り取ってやらないと、夏以降の生育に支障をきたすのだ。
 一時的に発電量が激減するが、これは必ずやらなければならないことだった。
 刈り取った草は家畜の飼料や敷わらとして売却するのだが、エレノアの元になっている品種であるシバムギは、牧草として積極活用されることはない植物だった。
 場合によっては値が付かないこともあるとのことだ。
 幸いその年は牧草が不作で、僕の畑で作られた、42個のロールベールは一個あたり2千円で売却することができた。
 もっとも、きちんとしたロールベールであれば、ひとつ六千円以上にはなるらしいが。


 夏の終わりにとうもろこしを収穫し、天日で干して袋につめる。
 秋に収穫したジャガイモは土を掘って作った保管庫に保存する。
 気温はすでに一桁で、日陰においておくだけで十分に発芽を抑えることが出来た。
 最後に大豆を収穫し終えたころに初雪が振った。


 エレノアの葉が雪に覆われ、さらに発電量は低下する。11月の末に根雪となり、以後、電力畑からの収入はほぼ0になった。
 ここから先は、春の訪れまでじっと断熱プレハブに篭って過ごすことになる。
 雪が積もれば、除雪の仕事などもある。
 これは地域の人と交流する、良い機会でもあった。









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