アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

告白

《マインド・ログ 2032.3.10》


 農地の選定はネットで簡単に行うことが出来た。
 近隣の環境、住宅地までの距離、交通の便。
 それら条件の絞り込みを行い、残された幾つかの候補のなかから、僕は北海道の中央部に位置する、川と山に挟まれた土地に移住すること決めた。


 まずは、その地域の農業委員会と連絡を取った。
 電話で新規参入したい件を伝えると、先方は、まずは直接会って話しがしたいと言ってきた。


 僕は早速、翌朝の便で北の地へと飛んだ。
 そして、閑散とした市街にぽつんと立つ、木造の町役場へとやってきた。
 まだ雪が多く残り、吐く息も真っ白で、僕は寒さにガタガタと身を震わせていた。
 木目の美しい立派な入り口を開くと、森の中のような香りが僕を出迎えてくれた。役場の一室で僕を待っていた三人の男性は、みな地元で農業を営む方々だった。


「おお、随分細いな。本当にやれるのか?」


 そう言って僕を迎えてくれた会長の保坂さんは、黒々とした顔をした恰幅の良い人で、とても70を過ぎているとは思えないほど逞しい人だった。
 農業委員会の方々は、全員ジャンバー姿だった。
 そんな中、まるで採用面接を受ける時のように小奇麗にして、しっかりとスーツを着てきた僕は、酷く浮いていた。


「農業の経験はほとんどありませんが、精一杯やってみたいと思っています」
「まあ、そう硬くならんで。難しい話するわけでもねえしさ」


 少し緊張しながら返事をすると、保坂さんはにこにこと笑いながら、革張りの椅子を僕に勧めてきた。そして、缶コーヒーを一本振舞ってくれた。


 濃い色合いの板材が張られた、森の匂いのする会議室。
 僕は農業委員会の方々と、農地発電を始めようと決意した経緯や、今後の取り組みなどについて、しばし話し合った。


 * * *


 僕は前科があることを、農業委員会の方々に、隠すことなく打ち明けた。
 かつて僕は、一人の人間を殺害した。
 後でそのことがばれて、致命的な事態に至ることだけは避けたかったのだ。


 刑務所への服役という形で失われた十数年。
 その空白期間の理由を知った保坂さんは、その黒々とした瞳を大きく見開いた。
 そして「たまげたな」と一言だけ言って腕を組んだ。
 役場の一室にいた委員会の方達もまた、一様に深刻な表情になっていた。


「後でトラブルになることだけは避けたいので、今のうちに申し上げておこうと思いました。厳しいようでしたら、いますぐ打ち切っていただいてかまいません」
「いやぁ……あんたみてえな真面目そうな人がなぁ……うーん」


 そう言って保坂さんは、何度もその日焼けした頬を手でさすった。
 農業委員の一人が、僕が起した事件のことを知っていた。何度かニュースで見たのを覚えていたとのことだった。


「うーん、見ての通りこの町は役場ばっかり立派で、あとは何にもねえ場所だ。あんたみたいな真面目でやる気のある人が来てくれるのは、正直すごい助かるんだ。うーん、でもやっぱ町のもんの中には、よく思わないのも出てくるだろうな」
「はい、そう思います」


 僕は震え始めた右手を左手で押さえながら言った。


「別に、黙っときゃいいんじゃねえの? もう十分罪はつぐなったんだろう」


 保坂さんの右隣に座っていた白髪頭の人が言う。


「みんなに言う必要は、俺もないと思いますね」


 左隣の、比較的若い男性がそう付け加える。
 保坂さんは二人の意見を聞いて、うんと頷いた。


「ひとまず、町のみんなには内緒でやってみるってことでどうだい? もしバレちまった時は、俺たちが説得に回るからさ。そういうことで」
「良いのですか?」


 意外なほどにあっけらかんとしている委員会の方達。
 僕は思わず拍子抜けしてしまう。


「ああ。聞く話じゃ、あだ討ちみたいなもんじゃないか。あんた自身は全然悪い人じゃねえ。俺は気にしないよ」


 んだんだ、と言って他の二人も頷いてきた。
 そんなお三方に、僕はただ頭を垂れるのみだった。
 北海道の人はおおらかだと聞いていたが、ここまでとは思わなかった。


「ありがとうございます。町のみなさんの助けになれるよう、全力を尽くします」


 * * *


 当時、少なからぬ人達が、僕と同じように過疎地の農地を買うようになっていた。
 都会を離れて暮らしたい。
 さらに言えば、人の社会から離れて暮らしたい。
 そんな、仙人のような生活に憧れる人は、けして少なくなかったのだ。


 土地を耕し、光電性植物を栽培し、そこから発生する電気を売却することで、日々の糧を得る。
 何も無い片田舎の農地に小屋を建てて、自給自足の生活を送る――。


 過密化の進んだ都市部で、人波に揉まれるような生活を送っていれば、ふとある時この場所から逃げ出して、どこか辺境の地でひっそりと暮したいと思うようなこともある。
 光発電性植物の発見と、それにともなう農地発電の普及は、そいういった人々のニーズに確実に沿うものだった。
 そしてなおかつ、極限まで高齢化の進行した地域にとっての、起死回生の手段でもあった。


 僕は、あの男を殺したその直後から、まったく笑顔を作れない体質になってしまった。
 出所後は、幾つかの仕事に手をつけてたものの、周囲の人たちと本当に意味の笑顔では接することは出来なかった。
 自分の過去を隠して生きるという行為は、あまりにも苦しいことだ。
 僕はしばしば心を病んで、医者の世話になった。


 このまま両親の遺産を食い潰すようにして、死んだように生きることが、果たして正解なのか。
 僕は一年以上も考え続けた末、両親が残してくれた庭付きの家を売って、北海道への移住を決意した。


 農地発電事業という新しい可能性に、賭けてみたのだ。




《マインド・ログ 2032.4.8》


 川沿いに広がる2ヘクタールの平らな草地。
 そこから道路を挟んだ山沿いに並ぶ、いびつな形の3箇所の草地。
 あわせて3ヘクタール。サッカーグラウンド4面分の面積をもつこの土地が、僕個人の所有物であるということに、しばらく実感がわかなかった。
 保坂さん達が言うには、こんな猫の額みたいな土地で申し訳ないということらしい。


 どの土地も、もとは牧草地として使われていたのだが、放棄されてから5年ほど経過して、硬い雑草が枯れて出来た残骸に埋め尽くされた、まさに原野と化していた。
 僕はその農地の一角に、断熱性能の高い6畳のプレハブ小屋を置いて住居とすることにした。
 トラックで運ばれてきて、クレーンに吊るされて山沿いの土地にポンと置かれただけのプレハブ小屋は、一言で言えばただの白い箱だった。
 南側にはめ殺しの二重窓がつけられたその小屋は、宇宙船なみの断熱性があるというのが売りの代物で、北国の冬場でも電気ヒータだけで暖を取れるというものだった。


 続いて、そのプレハブ小屋の側面に、電気畑を管理するための制御板を取り付けて、近くの電線に繋いだ。これでプレハブ小屋に電気が通り、また、農地で起した電力を電力会社に売却できるようになる。
 ライフラインはこの電力と上水道のみ。ガスは欲しければLPガスのボンベを頼むことになる。
 下水は僕一人分であれば、丁度良い野山の養分になるのだそうだ。


 人が生きるための、必要最低限の環境が、こうして整った。









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