魔法学園の料理当番

ナガハシ

 なんとなく重たい気分で午前の補習を終え、俺達は昼飯を食べるためプールへと向かった。


 なぜプールなのか?
 それはもちろん、リリアの気まぐれである。


「やはり水辺はおちつくな」


 そんなことをのたまいながら、リリアはプールサイドのベンチに腰掛けた。
 半屋内の25メートルプールにはたっぷりと水が張られている。
 俺は鞄からバスケットをとりだした。


「ほら、約束のサンドウィッチ」


 と言って中身を開けてリリアに見せる。
 両手にかかえるほどのバスケットに、ぎっちり詰め込まれたサンドウィッチ。
 ちょっと量が多かったか。


「本当に作ってきたのだな。お前は本当にラノベのヒロインみたいな男だのう」
「俺の補習のために、半日も潰してもらったんだからな、このくらいのお礼はするさ」
「うむ、私も一度、お前さんの本気の料理を食ってみたかったのだ。どれどれ……」


 リリアはバスケットの中からツナサンドを取り出して口に運んだ。


「いただきまーーはむっ、もぐもぐ……ふぉぉぉおおお!」


――ピシャーン!


「おわっ!」


 突然背後に雷が落ちた。
 リリアの髪がざわざわと逆立つ。
 そして両目を最大限に見開き、手にしたサンドウィッチを凝視してワナワナと肩を振るわせる。


「こ、こ、こ、これはなんという……!」
「……マスタード、効きすぎてたか?」
「意識が吹っ飛ぶかと思ったぞ!」


 そんなにか!?


「いや……美味すぎて気絶するかと思ったのだ。なんだこれは……クワの実か……」
「そんなもん入ってないぞ!」


 なんでみんな、俺の料理を食うとそんなにオーバーリアクションなんだ?


「これはやはり魔法だろう、五日よ。無意識に使用している可能性もある。そうでなければ、この美味さに説明がつかん……もぐもぐ」


 リリアはもしゃもしゃとツナサンドを頬張り、あっと言う間に食べてしまった。


「次!」


 と言って今度はタマゴサンドに手を伸ばす。


「もぐもぐ……んぐふぅぅぅうううう!?」


――ザッパーン!


「げえぇっ!」


 プールの水が噴水のように吹き上がった。
 俺は慌てて水しぶきからバスケットを守る。


「おい! なにしてる! サンドウィッチが濡れちゃうだろ!?」
「うまい……次をくれ……!」
「お、おう……たくさん作ってきたらな、ゆっくり食えよ」


 それからというもの、リリアは無我夢中で俺の作ったサンドウィッチを口の中に放り込み続けた。
 そんなに腹が減っていたのだろうか?
 しかも口に一つ運ぶたびに、あちらこちらで電撃がスパークし、つむじ風が舞い上がり、レーザーイルミネーションが発生し、それはもう大変な超常現象パーティーになってしまった。


 そんな落ち着かないことこの上ない状況で、俺はけっきょく三切れほどしかサンドウィッチを食えなかったのだが、まあ、リリアがオーバーリアクションをしても可笑しくないかなと思える程度には良く出来ていたと思う。
 パンくず一つ残さず平らげて、リリアはごくごくとペットボトルのお茶を飲み干した。


「ふう~食った……もういつ死んでもよい……」
「このくらいで死ぬなよ! どんだけ食い物に飢えてたんだよ!」
「土日はいつもパンかカップ麺だからな」
「むう、それはけしからん食生活だな……」


 けしからん、実にけしからん。
 俺が作ってやっても良いんだが、流石にお節介かな。


「たのむ!」
「うえっ?」


 リリアはガシッと俺の手を握ってきた。
 早くも口端から涎が零れていた。
 さっき食ったばかりじゃないか。
 それに……珍しく目元に感情が出ているな。
 期待に満ちた目だ。


「ざ、材料代くらい出してくれよな……?」
「うむ、だす。いくらでも出す。なんなら体で払ってやってもよいぞ!」
「そこまでしなくても作ってやるって!」


 どんだけ飢えてるんだよ!
 んじゃ……帰りにでも明日の食材買っていくか。


「それにしても五日よ。どうしてお前さんはこんなに料理が上手いのだ?」
「ガキのころから家族のみんなに作ってやってたからな。うちは共働きでさ、俺たちが小さかった頃は特に忙しかったんだ。なんつったけ……なんとかの15年」
「もたらされた15年か。魔法バブルによる未曾有の好景気が起きた時代のことだな」
「そうそれだ。めちゃくちゃ景気良かった時期があっただろ? その時は両親とも日付が変わっても帰ってこれないくらい忙しかったんだ。それで俺が料理や家事全般をすることになって」
「それからずっと、お前さんが家族の食事を作ってきたのか」
「まあな。なんか店の料理より美味いとか言って、いつまでもずるずると……親バカだよな」
「うーむ……そう大げさなものでもないぞ。むしろプロが泣いて逃げだすレベルだ……」


 まさか、それはないだろー。


「つくづく己の能力に自覚のない男だな。まあ良い」


 そう言うとリリアは、立ち上がった。


「腹ごなしにちょいと復習をしておくか。五日よ、そこに四つん這いになれ」
「え? 四つん這い……? ってまさか……!」
「そうだ、そのまさかだ。ふふふ……」


 また俺を椅子にする気か!
 なんのためにだ!


「復習をしておくと言っておるだろうに。やらなくて良いのか? お前さんが今ひとつわかってなかった心の消耗について、実地で教えてやろうというのに」
「それと四つん這いとの間に、どんな関係があるんだよ!」
「大いに関係があるのだ! 良いからさっさと四つん這いになれい!」
「ぐぬぬ……!」


 今ひとつ腑に落ちない気分を抱えつつ、俺は言われたとおり四つん這いになってやった。


「そうだな。プールの方に頭を向けていた方が良いか」
「……こうか?」


 言われたように、四つん這いになったままプールの方を向く。


「それでよい。ではよっこらせっと」
「ぅいい!?」


 なんとリリアは俺の背中に馬乗りになってきた。
 大胆にもスカートをまくりあげて、ドンと腰を下ろしてくる。
 当然、俺の背中にはリリアのパンツが押し付けられているわけで。
 生々しい温もりが伝わってくるわけで……。


「そして否応なく興奮してしまうわけだな! くくく、このド変態が!」
「男なんだから仕方ないだろ!?」


 これでドキドキしなかったらホモだろ!
 それで一体どうするってんだ!?


「くくく、こうするのだ」


――パアンッ!


「ぃぎいっ!」


 ケツを思いっきり叩かれた!


「ハハハ、なかなか良い声で鳴くではないか。それ、もう一発!」


――パシィーン!


「うあぁう! なんなんだよ!」


 これが復習だって?
 復讐の間違いなんじゃないか!? 


「ふふふ、むしろこれはご褒美というのだよ? 五日君」
「わけわかんねえ!」
「そんなことを言って、本当は嬉しいのだろう? まずはお前さんに、私のことを強く想ってもらわなければならんのだ。ほれぇ!」


――すぱぱぱぱーん!


「アアアッー!」


 リリアの張り手が、俺の尻を通して脳天まで響いてくる。
 俺は不覚にも背筋がゾクゾクしてしまった。
 なんなんだ。
 女子に馬乗りにされて、尻をしたたか打ち据えられて、しかも学校のプールサイドで。


 二人きりのプールサイドで!


「ほれえええ!」


――すぱこーん!


「はああぁぁん!」


 い、いかん……、これは何か……目覚める! いけない扉が開いてしまう!
 父さん、母さん、七日……、俺もう、変態になってしまうかも……。


「ふふふ、良い感じに心と体が暖まってきたようだのう、ほれほれ」


 鞭の次は飴であると相場は決まっているのか、今度は俺の背中を優しくさすってきた。
 さらに8の字を描くように、いやらしく腰を振ってきた。


「あ、アアアア……!」
「ほーれほれほれ、気持ちよかろう? いやらしかろう? もっと私のことを想うのだ。お前の心の奥深くまで、このハートキャプチャー・リリアへの、愛欲の色に染めるのだ……!」
「ハアハア……」


 心拍数が上昇し、呼吸が荒くなる。
 もう何もかもをリリアに委ねたい気持ちになってくる。
 こんな気持ちは初めてだ。
 恥ずかしい……でもなんか嬉しい。
 背中から伝わってくるリリアの腰の感触に、俺はすっかりと耽溺してしまった。


「よーしいい子だ五日。そのまま静かにしておれ……今良いところに連れてってやる」


 ああ、連れて行ってくれ。
 お前の好きなところに俺を連れていってくれ……。
 もうどうにでもなれ!
 そう俺が思った、その時だった。


「はぁぁああああ!」


 リリアが両手をプールに向かって突き出した。
 そして鋭い呼吸とともに、その両手から巨大なレーザー光を解き放つ。


「……はうっ!」


 俺の視界がガクンと揺らいだ。
 麻酔をかけられたみたいに意識がぼやける。
 全身がぼーっと暖かくなり、指一本として自分の意思で動かすことが出来なくなる。


 そして信じられない光景が、俺の目に飛び込んできた。
 レーザー光が打ち付けられた場所に、巨大な水柱が巻き上がったのだ。


「はああああああ!」


 リリアが一気に身を反らす。
 彼女の全身の筋肉が跳ねるのを、俺は自分の背中を通してありありと感じることができた。
 いま俺は、リリアの魔力ポンプとして、一心同体になっているのだ。


 プールの水面に注ぎ込まれていたレーザー光が、リリアの体の動きにあわせて一気に天へと引き上げられる。
 25mプールの広大な水面が一気に盛り上がる。
 あたかもSF映画のワンシーンのように、目の前の水が一気に引いてゆき、あっと言う間に消えて無くなる。
 そしてプールの底が丸見えになった。
 水は全て一箇所に集められ、水の塔となって俺たちの目の前にそそり立った。


「あ、あ、あああ……」


 余りにも現実離れした光景に、俺は心を奪われた。


 文字通り、俺はただひたすらに――『心を奪われた』のだ。


 そしてすぐに理解した。リリアはこの感覚を俺に教えたかったのだと。
 心が消耗するとはどういうことか、俺の魔力こころを大量に奪うことで実際に体験させてくれたのだと!


「――ふんっ!」


 リリアはそのまま左右に大きく両手を開いた。
 それと同時に、水の塔を持ち上げていたレーザー光が消える。
 原理はさっぱりわからない。
 だがその瞬間、水はもとの自由な水に戻った。
 水の塔は速やかに崩壊を始め、巨大な波となってプールサイドに押し寄せてきた。


「ふっふっふ……わかったか? 五日よ」


 返事する気力もわいてこなかった。
 だがそれで良かったはずだ。
 心がまったく動かない。
 この事実こそが、もっとも端的なリリアへの返答だったのだから。


 事象改変の意識的許容――。
 魔法使いは、自分で起した事象変異を、自分自身の意識の中に受け入れなければならない。
 それが、魔法を為す者の身に宿された義務なのだ。


「よくわかったようだな」
「ああ……」


 俺はプールサイドに座り込んだまま、力なくそう答えた。




 * * *




 その後、まったく動けなくなってしまった俺は、リリアに踏んだり揉まれたりしてようやく自分を取り戻すことが出来た。
 正直、いまでも心がどこかに行ってしまっている感じだ。
 どこを踏んだり揉まれたりしたのかは……内緒だ。


「うえぇ……」


 例えるならそう、面白すぎる映画を見た後にごっそりと現実感を失ってしまうような、街の景色がいつもと違って見えてしまうような、あの感覚に近いかもしれない。


「流石は心奪いだな。もう何も言えねえ……」
「まあな。私は人の心を読むことが出来る。故に、こうして人の心を利用することもできる。まさしく魔女とは私のためにあるような言葉だ」


 あまりに誇らしげにリリアが言うので、今度ばかりは否定できなかった。
 人の心を魅了し、人の心を奪い、そして自らの魔法の力に変える。
 まさに魔女。


 そして、さらなる事実が俺を愕然とさせていた。
 俺は、リリアに馬乗りにされて、ケツをビシバシと叩かれることによって、いとも簡単に心を奪われてしまったのだ……。
 嬉しいと思ってしまったのだ。


「ドMだからな」
「……くうぅ!」


 俺は思わず顔を背けてしまった。
 悔しい! でも事実だ!
 リリアに叩かれて嬉しかった!
 心を取り戻せたのも、リリアが踏んづけてくれたからだ。
 俺って奴は、俺って奴は……ちくしょう!


「だが私は、そんなお前のドMなところが大好きだぞ?」
「はうっ!」


 貶めるだけ貶められた後に救い上げられる。
 これがリリアの真骨頂!
 なんて奴だ! ちくしょう!
 でも嬉しがってる自分が確かにいる。ビクビクしてしまう!


「ふふふ……。言ったであろう、定期的に可愛がってやるとな」
「あああ……」


 リリアに見下ろされている。
 ただそれだけのことが嬉しくて仕方なかった。
 俺は今すぐにでも、リリアのすらりとした脚に蹴りつけられたいと思った。
 そのローファーで、俺の敏感な部分を踏みにじって欲しいとさえ思った。


「……はっ!」


 いかん! こんなことを考えてしまうのはリリアに心を奪われているからなんだ。
 振り払え。
 意地を見せろ。
 そう簡単に屈するようじゃ男がすたる。
 リリアだってそう思っているはずだ。
 リリアは俺の心を食うと同時に試してもいるんだ。
 だから負けちゃいけない。頑張れ俺、立ち上がれ俺!


「ぐ、ぐぐぐ……、うおおおおお!」


 俺はリリアの足に縋り付きたい気持ちを、渾身の理性を発揮して振り払い、そしてその場に勢いよく立ち上がった。
 頭がクラクラした。


「ほお……意思の力で我が呪縛を解き放ったか」
「ああ、まだだ、まだ負けねえよ……!」
「ふふふ、勇ましいものだな。流石は私が認めたひねくれ者だ。まあよい、まだ三年ある。くくく、三年だぞ? 耐えられるかな? くくく」
「っ!?」


 衝撃的な言葉だった。
 あと三年……俺はこのリリアの誘惑に耐えなければならないのか。
 想像しただけで発狂してしまいそうだ……。


「三年……そうだな、高校生活は三年もあるのだ……。これを短いと感じるか長いと感じるか……どうだね、五日よ」


 だがリリアは、そう言って何故だか寂しそうな顔をした。
 その表情がまた意外な感じで、俺の胸に、別の意味で刺さった。


「リリア……?」
「三年春秋、これから私と過ごす三年は、お前にとって苦痛だろうか?」
「!?」


 心臓を鋭い何かが突き抜けて行った。
 リリアの言葉とその表情に触れて、その心の一端を垣間見た気がしたのだ。
 ごく普通に、傷つきやすい若者のように、リリアもまた……他者に拒絶されることを恐れるのだと。


「いや、まてよ……そんな聞き方されたら俺としては……」


 苦痛だとは答えられないし、答えたくもない。
 実際……つらいとは思うけど。


「ふふ……やはりなんでもない、今のは忘れてくれ」


 といってリリアは首を振った。
 一瞬開きかけた扉が、すぐにピシャンと閉まってしまった感じだった。


「ああ……」
「それでは私はこれで失礼するよ。ちと……ライブの準備があるのでな。サンドウィッチ美味かった、ありがとう」


 そしてリリアは踵を返すと、そのまますたすたと歩いて行ってしまった。
 後に残された俺は、とても虚ろな気持ちを抱えながら、しばしその場に立ち尽くした。


 リリアがいなくなっても、奪われた心は戻ってこない。
 ケツを叩かれたことよりも、背中を愛撫されたことよりも、一人でプールサイドを後にするその寂しげな後姿が――。


 俺の心をつかんで離さないのだった。









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