魔法学園の料理当番

ナガハシ

 そうして瞬く間に一週間がすぎた。


 本来ならばお休みである土曜の朝。
 俺は校門の前から新築中の魔法実習棟を眺めていた。


「オーライ、オーライ」


 作業服を着た人たちが、声を掛け合いながら鉄骨を組み上げている。
 しかし、クレーンなどの重機は一切使われていない。
 その代わりに、魔法を使っているのだ。


 作業員の中に、大きな星のマークが付いた作業服を着た人がいる。
 ヘルメットの色も金色なのでとても目立つ。
 魔法施工技師というらしい。
 その人がステッキを振るだけで、何百kgという重量のある鉄骨が、風船のようにふわふわになってしまうのだ。


 そんな不思議な光景を眺めつつ、俺は学園の敷地内へと入っていった。
 今日は土曜日なわけだが、補習を受けるため学校にきている。
 誰もいない廊下を渡って、俺はまっすぐ理科室に向かった。
 魔法に関する授業はもっぱら理科室か体育館だ。


 理科室のドアを開く。
 当たり前のことだが誰もいない。
 俺はひとまず教卓の近くの席に座って、総合魔法実習のテキストを眺めた。




原理――魔法の使用と心の消耗


『魔法を使うと心が磨り減る感じがする――これは、魔法能力を持つ者の多くが訴えることである。長時間連続して魔法を使用すると、めまい、立ちくらみ、息切れ、などの症状が出ることがある。また、症状が慢性化した場合、意欲の低下や感情機能の混乱などの症状を引き起こすこともある。魔法と心の関係を説明する、現在のところ最も有力な説は、フォビアン・J・エリトン氏の提唱する『事象改変の意識的許容説』である。これは心という概念を、人の意識として捉えなおし、意識の力によって物理現象を改変しているとする説である……』


 テキストを閉じる。そしてため息を一つ。
 魔法とは良くわからないものだということが良くわかった。
 このあとテキストは【実技】の項目に移るわけだが、具体的にどうやって魔法を出すか、なんてのは全然書かれてなくて、もっぱら魔法使いの人たちの体験談、『私はこんな感じに魔法を出してます!』的な記述が続く。


 うーん、特に『意識的許容』ってのがわからない。
 意識と心っていうのは、似ているようで違うものだと、俺は思うのだけど……。


 その時ガラガラと理科室の扉が開かれた。


「やあやあ、早かったな五日君。ごくろうごくろう」


 そしてリリアがやってきた。
 今日の補習の先生は、なんとリリアなのだ。


「今日の補習が楽しみで、昨夜はろくに眠れなかったようだな。眼の下にクマができておるぞ?」
「ぐぬぬ……」


 悔しいが反論できない。
 事実そうなのだからな。
 リリアと二人っきりで授業を受けることになるのだと思うと、俺の胸はどうしようもなく高まってしまった。
 そしてリリアに頼まれていた昼食のサンドウィッチまで、早起きして作ってしまった。
 だがその眠気も、リリアが隣の席に腰をおろした瞬間、綺麗さっぱり吹き飛んでしまった。


「この方がはかどるだろう? 家庭教師みたいで」


 確かにそうだけど、これじゃ授業というより秘密の面談みたいだ。


「ふふふ、そう考えるのも面白いな。では始めよう。テキストの12ページを開いてくれ」




 * * *




 リリアは流石に心を読めるだけあって、俺が理解できていない箇所を的確に探り当て、そして意外なほど丁寧に教えてくれた。


「例えばだな、この下敷きを使えば、静電気など簡単に起すことが出来るわけだ」


 と言ってリリアは、自分の下敷きで俺の頭を撫でる。
 静電気が発生し、髪の毛が逆立つ。


「これだって立派な魔法なのだ。要はこれを手の平で行えば良い」


 といって今度は、手の平で俺の頭を撫でてきた。
 理科室で二人っきり、クラスメートの女子に頭をなでられてしまっている俺。
 なんなんだこの状況。


「ほうら、この通り」


 すると俺の髪の毛がバリバリと逆立ち、リリアの手の平に張り付いてしまった。


「なっ? 簡単だろ?」
「だからさ、何で手の平でそんなことが出来るんだ? 俺にはそれがさっぱり理解できん」


 それが『意識的なんたら』というものなのか?


「意識的許容だ。お前さんは、自分の意識の中でそんなこと出来るわけないと思っている。だから実際出来ないし、理解もできない。まずは手の平で静電気を起すということを、お前さんの意識の中で許容して、受け入れる必要があるのだ」
「許容して……受け入れる」
「ほれ、やってみろ、私がやってみせた通りにな」


 と言ってリリアは、その蛍光バイオレットの頭をこっちに向けてきた。


「うむむ……」


 俺は半信半疑なまま、リリアの頭に手を載せた。
 しっとりさらさらだ。
 これを俺の魔力でバリバリにする。


「むむむむ……」


 俺は、リリアの髪がバリバリに逆立つ光景をイメージしながら、何度かその頭を撫でた。


「おおおっ!」


 リリアの髪の毛がボワッと広がり、そして俺の手に張り付いた。
 出来た!?


「いいや、出来てない」


 リリアがそう言った瞬間、俺の手の平付近に発生していた静電気が消えうせ、リリアの髪の毛は元通りのしっとりさらさらになってしまった。


「今のは私がやったのだ」
「あう……」


……すごいガッカリ感だ。


「お前さんは今、私の髪の毛が逆立つ光景をイメージしたな? それではダメなのだ。肝心な静電気をまったくイメージできていないのだからな」


 確かに。
 でも静電気なんて目に見えないもの、どうやってイメージすればいいんだ?


「日常的に体感していることであろう? 冬の乾いた季節に服がパチパチするあれのことだ」
「むう……最近の柔軟剤は性能良くてパチパチしないんだぜ?」


 柔軟剤というものを初めて使った時、静電気さえ防げることを知って愕然とした覚えがある。
 科学の力ってすごいなと。


「帯電防止剤というものだな。導電性を高めて電子の抜けを良くするものだ。静電気は主に、電子の偏りによって生じるものだからな」
「つまり俺は、その電子の偏りってやつをイメージするべきだったのか」
「その通りだ。私の髪の毛はお出かけ前にしっかりリンスをしておいたから、そう簡単には帯電しない。最近はリンスやシャンプーにも帯電防止剤が入ってるからな。だからお前さんの手の平に、何らかの方法で電子を蓄えなければならないわけだ」
「そうだな……って、ん?」


 リリアはそれだけのために、朝シャンしてきたのか?


「そうなのだぞ? 嬉しいか?」
「くっ……!」


 くやしいが嬉しい。
 でもなんでそこまでしてくれるんだ?


「無粋な男め」
「え?」
「いいからはようやれ。よいか? 電子なぞ、それこそ空間を埋め尽くすほどに存在しておるのだ。そのうちの一%でも意のままに出来れば、それで大抵の光子系魔法は使えてしまう」


 相変わらず簡単に言ってくれるなぁ……。


「じゃあ、やるぞ」


 俺は再びリリアの頭に手を載せる。
 そしてゆっくりと撫でる。
 へばり付け電子……こびりつけ電子……飛んで来い電子……!


「おおっ!」


 俺の手の平に、リリアの髪の毛が三本くらい引っ付いていた。


「これでいいのか!?」
「うむ……まあ……一応は出来ていると言えような」


 おお、すげえ。
 ほんのちょっととはいえ、炎以外の魔法を使うことが出来た。


「もとより炎を出せるのだから、光子系の魔法だって使えるはずなのだ。着火源としてスパークを起す必要があるからな。お前さんは、一体どうやってあの炎をだしておる」
「それが、よくわからないんだ」
「科文省の人に何か言われていないのか?」
「いや、それが。あんまり時間がなかったからさ、詳しくは教えてもらってないんだ」
「ふむ、そうか……、ちょいとその炎、出してみてくれないか?」


 俺は言われたまま、手の平に炎を出して見せた。


「オレンジ色の炎か……」


 リリアは俺が出している炎の上に、試験管をかざす。
 試験管の底が黒くなる。


「煤がつくな、普通に有機物を燃やしておるのか。もう消してよいぞ」


 するとリリアは、俺の手の平を自分の顔に近づけて、なにやら匂いをかぎ始めた。


「くすぐったいんだが……」
「クンクン……ぺろりっ」


 舐められた!?  


「やはり、ほんのりと甘い。どうやら糖分を燃料としているようだ」
「糖分? そんなもんどこから?」
「きまっておるだろう。お前さんの体の中からだ」


 な、なんだって……? 


「炎の魔法を使い続けると、気分が悪くなったりはしないか?」
「確かに、たくさん使うとクラクラしてくるけど」
「それは恐らく低血糖の症状だ。小さな炎を出す程度では、たいして心は消耗しないからな。お前さんは、自分の血液中に含まれる糖分を、体の外に転移させて燃やしているのだ。なるほど……政府の連中が転校手続きを急いだのはそのためか」


 リリアはなにやら一人で納得している。


「物質の転移は、生成系魔法に属する能力だ。無から有を生み出し、また有を無に返す。一見すると、そのように見える魔法のことだ」


 生成系魔法は対消滅と対生成を司る魔法であるらしいが、その原理は、俺にはさっぱりちんぷんかんぷんだ。


「完全な真空中では、どのような現象も起きていないと思われているが、実は絶えず対生成と対消滅が繰り返えされている。通常は、両者の間に均衡が保たれているから、マクロな視点でみれば真空はただの真空に過ぎない。だが、然るべきエネルギーを加えることでその均衡を破れば、そこに正と反の物質が対となって生み出される。この均衡の破壊を人為的に行う魔法。それが生成系魔法だ」


 とリリアは、大学レベルと思われる知識をあっさりと披露した。


「生成系魔法を使える者は少ない。実を言うと私も、生成系だけは操ることができないのだ」
「そうなのか?」


 魔法に関しては大体なんでも出来るんだと思ってた。


「残念ながら、私には適性がないようなのだ。そして生成系魔法を、使用者自身の肉体に適用できる者は、世界的に見てもごく僅かしかいない。そしてお前さんは、その中の一人なのだ」


 と言ってリリアは俺の正中を指で突いた。
 そんなレアなケースっだのか俺……。


「全然実感ないんだけど」


 だって小さな炎を出せるだけなんだぞ?


「訓練次第ではどう化けるかわからん。自分の体内の物質を転送することができる。これが一体、どんな能力に繋がると思う?」


 さて……?


「ワープ能力だ。お前さんは、訓練次第では空間跳躍の能力を得られるかもしれんのだ」
「空間跳躍!?」


 ちょっともう、想像が追いつかない。
 この炎が、そんな能力に結びつくなんて考えもしなかった。


「科文省のお役人方も、いきなりそんな荒唐無稽なことを、お前さんに教えることはできなかったのだろう。だがそれでも、お前さんの身柄の保護は、何にも増して急がなければならなかった。何故だかわかるか?」
「……危険能力者とか、そんな風に思われたのか?」


 俺は恐る恐る口にする。しかしリリアは、いつに無く生真面目な視線を維持したまま首を横に振った。


「いいやちがう。危険なのはおまえ自身の身の安全なのだ。お前さんは、いつどこの機関に拉致されてもおかしくないほどの能力を持っているのだからな」
「はっ?」


 拉致……という物騒な言葉が飛び出した。
 俺の背筋に冷たいものが走る。


「いや、でもさ……俺はここまで自分一人で来たんだぞ? そんなに俺の身が危ないんだったら、もっとこう、厳重な保護とかされてたんじゃないのか?」
「されていただろうよ、お前さんの気付かないうちにな。GPSだって付けられただろう?」
「あ……これか」


 俺は自分の右手首を見る。
 プラチナメッキされたGPSブレスレットが巻かれている。
 これは自分では絶対に外せない。
 手首でも切り落とさない限りは。


「学園の周囲には、絶えずその道のプロが巡回している。生徒達どこかに出掛ける時も、それとなく付いてくるのだ。我々魔法使いはGPS衛星によって常に監視され、なにか不審な動きがあれば、いつでも特殊部隊が飛んでこられるようになっている」


 そういえば、このGPSは俺の身を守るためにも重要なものだって、お役所のおじさんが言っていたな。
 でも、そんなSPみたいなものまで付いてたなんて。


「学園の周囲は、この国のどこよりも厳重に警戒されている。だからワープ能力の可能性を持つお前は、能力者認定されてからここに来るまでの期間が、ことさらに短かったのだ」


 言われてみれば、七日の時よりもあわただしかった。
 能力認定されてから転校まで一週間もなかったもんな。
 七日の時は確か一ヶ月くらいの猶予があった。


「魔法使いは、決して安全な身分ではない。そのことを良く心得ておくことだな」
「……そう言われても、何をどう気をつければ良いか、見当もつかないんだが」


 あんまり外出とかしない方が良いんだろうか?


「それをこれから学んでいくのだよ。ここ魔法学園は、魔法が使えるようになってしまった若者に、魔法使いとしての生き方を教える場所でもある。魔法能力の開発もその一環なのだ」
「自分の身を、自分で守れるようになるためにか」
「うむ。魔法使いは自己防衛のためなら魔法を使っても良いことになっている。それと、他にも能力開発には目的があってな。その能力者がどれほどのポテンシャルを持っているかを、見極めて管理するためでもあるのだ」
「そうか、それで先生達は、魔法の授業のあとに何かメモをしていたのか」
「魔法学園の生徒の成績は、定期的に国に報告されることになっているからな」


 どうやら魔法使いってのは、思っていた以上に面倒くさい身分のようだ。


「そう落ち込むな」


 と言ってリリアは俺の肩を叩いた。


「これでも昔よりは良くなっている」


 リリアが言うととてつもなく説得力があった。
 時代が時代なら、俺は外の空気を吸うことさえ出来なかったのだ。


「これからも、もっと良くなっていく……いや、良くしていくのだよ、五日」
「ああ……」


 是非そうしたいものだと、俺は心の底から思った。









コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品