魔法学園の料理当番

ナガハシ

 風呂に入った後、外出許可をもらって近くのスーパーまで買い物に行った。
 いざって時に、栄養のあるものを作れるようにしておかなきゃならない。
 米、梅干、かつお節、ツナ缶、ホールトマト、パスタ、乾燥パセリ、海苔、納豆、味噌……等々、とりあえず保存のきくものを買って寮にもどってきた。


「クカー、スピー」


 明かりをつけっぱなしの部屋の中、ヒロミ君がはだけた格好で眠っていた。
 風呂から上がってマンガ雑誌を読んでいるうちに寝てしまったらしい。
 半袖ハーフパンツ姿で、抱き枕をがっちりと抱え込んで寝ているけど、肝心の布団はかかってなくて、手足がほとんど丸出しになっている。
 風邪ひくぞ……。


「仕方ないな」


 俺はそんなヒロミ君の布団を直してあげた。
 いつもは後ろで束ねてある金髪がほどけていて、一瞬、女の子のように見えた。
 でも別に、ドキドキなんてしなかったんだからなっ。
 部屋の電気をおとし、卓上ライトだけをつけて授業の復習を軽くすます。
 少し早いが、今日はもう寝ることにしよう。これからも色々と疲れそうだからな。


「…………しかし眠れん」


 住み慣れない部屋で早め寝るというのは中々に困難なものだった。
 小一時間ベッドの上でゴロゴロした後、俺は諦めて部屋を出た。


 通路の明かりはすでに落とされて薄暗かった。
 ひとまず共用棟に行って洗面所で顔を洗い、さっぱりとする。
 玄関ロビーに三台並んでいる自動販売機だけが、煌々とした明かりを放っていた。
 俺はその光に吸い寄せられるように、近くに置かれているベンチに腰掛けると、特に理由も無く自販機の明かりを眺め続けた。


 ふと窓の外に目をやる。こんな時間なのにまだ車がひっきりなしに走っている。
 東京っていうのは、本当に忙しい街なんだなと改めて思う。 
 玄関の鍵はしっかりと閉められていてもう外出は出来ない。
 隔離環境。
 ふとそんな言葉が脳裏をよぎる。


 俺達はもう、ここから出られない。


 上手く部屋の窓から逃げ出せたとしても、国家権力という、個人の力ではどうしようもない力に捕らえられ、元の場所にもどされてしまう。
 嫌だといっても仕方が無い。
 俺たち魔法使いに出来る精いっぱいの抵抗は、この状況そのものを、最大限に楽しんでしまうことくらいなのだろう。


 そんな魔法使い達のささやかな抵抗まで奪う気は、この国にはないらしい。
 俺たち魔法使いには、ここで大人しく生活する分には最大限の自由が与えられている。
 どんな格好したっていいし、どんな趣味を持ったっていいし、髪の毛をきんきらきんにしたっていいし、どピンクにしたっていい。
 異性交遊に関しても、一切の禁止事項がないというのだから驚きだ。
 全ては当人達の良識にゆだねられている。


「自由……か」


 女子棟へと続く渡り廊下を眺めながら、俺はぽつり呟いた。
 ただし、この寮という名の鳥かごの中に限定される自由だが。
 小さな自由はたくさん認められている。
 その代わり、大きな自由が奪われてしまっている。
 ただ、魔法使いであるというだけで。


「……う」


 不意に、ゾクリと肩が震えた。
 今になってようやく実感が湧いてきたのだ。
 俺は、魔法使いになってしまった。
 そして、この先もずっと魔法使いであり続ける。
 魔法使いである自分からは、けして逃げられない――。


「ううう……」


 腹の底から、何かどす黒い感覚がせり上がってきた。
 絶望とも違う、恐怖とも違う、もっとこう……言葉では語りつくせぬ感傷の塊のようなものに、俺は襲われていた。
 強いて例えるならホームシックだろうか?
 胸の奥がしめつけられ、理由もわからず泣き出してしまいそうになる、そんな感覚だ。


 だが、この感傷を慰める方法はないのだ。
 もし家に帰れたとしても、俺が魔法使いじゃなくなるわけではないのだから。
 どんなに嫌だと叫んでも、俺はずっと一生、この能力と付き合っていかなきゃならないのだから……。


「くそ……!」


 そう思うと、不安で不安で仕方がなくなった。
 たまらず頭を抱えてしまう。
 そしてどうしようもなく七日に会いに行きたくなった。
 走れば3分もかからない場所にいる家族だ。


 今頃、寝息を立てて眠っているのだろか。
 寮のルームメイトと夜更かしをしているのだろうか。
 それとも、今の俺みたいに突然の感傷に襲われて、肩を震わせているのだろうか。


「七日……」


 いかん……いかんぞ、しっかりしろ俺。
 もう高校生なんだ。
 いまさら人に甘えようだなんて、ましてや実の妹などに。
 俺は兄として、頼りになるしっかりした兄として、これからも七日の前にあり続けなければならないのに……。


 あいつだって寂しかったんだ。
 今の俺みたいに、どうしようもない不安に襲われたことも、一度や二度じゃなかったはずなんだ。
 それでもあいつは、父さんや母さんを気遣って、ずっとあのオトボケな態度で、気丈に明るく振舞ってきたんじゃないか。
 俺も頑張らないと。
 こんなんじゃ妹に顔向けできない。


 頑張れ俺、負けるな俺。男子はこんなことでめげちゃいけない。
 俺は頭をきつく抱え込んだまま、腹の底にありったけの気合を込めた。
 不安なんて飛んでいけ。
 この先どんな試練が待ち構えていようとも、俺は俺らしく、精いっぱい胸を張って生きていくんだ。


 強く生きるんだ。


 息を吐く。
 吐けるだけ吐く。
 そして吸う。
 ゆっくり、ゆっくりと。
 深く大きく、息を吸う。


 そして吐く。


「……ふうーー」


 よし、少し落ち着いた。そして俺は顔を上げ――。


「よう青年! 早くもホームシックか!」


 そのまま引っくり返った。




 * * *




「り、リリア……、おお、お前……お前と言うやつは……!」
「そんなに驚くことないだろう? 相変わらず大げさな男だな」


……ビックリしすぎてうまく声が出ない。
 いつからそこにいたんだ?


「お前さんが『七日……』って呟いた辺りからだな」
「はうっ!?」


 穴を掘りたい。
 そして埋まりたい。


「良いではないか良いではないか……くくく、妹思いの良い兄貴で。とにかく起きろ、みっともないぞ」
「あ、ああ……」


 何とか踏ん張って身体を起す。
 リリア……本当に心臓に悪いやつ!


「お前、こんな時間にいったい何をやって……おわぁ!」


 俺の前に仁王立ちしていたリリアは、何故かスクール水着だった。
 驚いて後ろに飛び退いた拍子に、自販機に頭をぶつけてしまった。


「いてて……な、なんて格好してるんだよ!」


 暗くて良くわからなかったのだが、さらに黒いマントを羽織い、黒のニーソックスを穿き、右手には魔法のステッキと思しきもの、左手にはスマホを持っていた。
 そして髪の毛は、どこかの繁華街のネオンサインのような、いかがわしげなピンクに輝いていた。


「うむっ、みての通りの『スク水魔女』だぞ?」


 どこの世界から湧いてきましたか!?


「いやな、今からこのスマホを使って日課のネット配信をしようと思っておったのだが、どうにも繋がりが悪くてな。ここなら電波が良いのではないかと思って来てみたのだ。そうしたら、悩める青年が頭を抱えて悶々としておるではないか………くくく。そこで一つ脅かしてやろうと、恥を忍んでそのままの格好で来てやったというわけだ」
「恥を忍んでって……お、お前……」


 そうかお前、俺の心……完全に読んでたんだよな?
 だよな?


「ふふふ……『頑張れ俺、負けるな俺!』だったかな?」
「う、うわあああああ!」
「男子はこんなことでめげちゃいけないぞ!」
「やめろおおおお!」


 殺せ! いっそ殺せええええ!
 俺は頭を抱えてガンガンと自販機に叩き付けた。
 あまりにも青くさい10秒前の俺を殺したい!


「もっと恥らうがいい。そして私の心の糧となるが良い……むふふふ」


 お、鬼だ! 目の前に鬼がいる!


「だが心配はするな。みんなには内緒にしておいてやる」


 そうか、それを聞いていくらかホッとし……。


「お前はこの私が独占して辱めるのだからな!」


 やっぱり鬼……いや、魔女だったアアア!




 * * *




「というか、ネット配信ってのはなんなんだよ」


 ひとまずベンチに座った俺は、隣でレッドブルをゴクゴク飲んでいるリリア聞いた。
 ちなみに、おごらされた。


「ふむ、ネットを使って個人的な生放送が出来ることは知っているであろう?」


 ああ、あれか、七日が昔やっていた。


「私は毎晩、消灯時間の後に一時間ほど、そのネット配信をすることを日課としておるのだ」
「そして、今日はスクール水着でやってみようと……?」
「うむ、何となく気が向いてな。久々にエロい格好をしてみようと思ったのだよ」


 久々に? つまり普段はまともな格好でやっているということか。
 少し安心するな。しかし本当に目立つのが好きなんだな。


「当たり前であろう。私は心奪者のリリアだ。人の関心を集めてその心を奪って糧とするのが生業の魔女なのだ。ちなみにこの間ちょうど、コミュニティレベルが100を超えた」
「ひゃ、百!?」


 かなりの大手コミュニティじゃないか……。
 数万人規模のファンがいて、放送するたびにわんさか視聴者がやって来るレベルだ。


「なあに、ただ視聴者の心を読んで、みんなが喜ぶようなことやって見せていただけだ。これで非常に効率よく心を奪えるのだ。しかし困ったことに、今日はやけに電波の繋がりが悪いのだ……」


 と言ってリリアは、自分のスマホをいじる。


「ちょっと待て、俺のも見てみるから」


 通信環境の方に問題があるのかもしれないぞ?
 俺は自分のスマホで適当なサイトに接続する。


「うん、やっぱり俺のスマホも繋がり悪い」
「そうなのか……? いやまて、おや? 突然繋がるようなったぞ?」
「え? なんで?」
「知らぬ。お前さんがそのスマホを出してから、何故かすいすい繋がるようになった」
「良くわからんな……って、あれ、こっちも良くなったぞ?」


 俺たちは同時に首を傾げた。
 これは何かおかしいぞ。


「まさか……魔法汚染か?」


 魔法汚染の一つに『無線通信の混乱』というのがあったはずだ。
 これだけ魔法能力者が密集している場所なら、そういったことも起るんじゃないだろうか。


「可能性はある。だが、しかし……」


 そこでリリアは表情を曇らせた。
 何か思うところがあるようだ。


「もしこの電波の混乱が、魔法汚染によるものだとすれば、その発生源はこの寮内にいる誰かということになる。だかそれは考えにくいことなのだ。今のところ寮内にいる生徒で、制御不能の光子系能力を持つ者はいないからな」


 うちの妹みたいなのはいないってことか。


「じゃあ、どっかの基地局の近くで魔法使いがいたずらしているとか?」
「それもないな。この寮には独自の高速通信設備が備わっているからな。しかも魔法関連施設専用の、とびきり信頼性を高めてあるシステムがだ」


 そうだったのか。すげーな。


「それに、特定の無線機器に対して個別に遠隔ジャミングをかけるというのは、実に高度な技術なのだよ。この国でそのような魔法を使える者は、私の知る限り一人しかいない」


 誰なんだそれは?


電子妖精シルフィードの二つ名を持つ少女…………小石ノアのことだ」
「ええっ?」


 シルフィード……小石さんってそんな格好良い二つ名を持っていたんだ。
 どうせなら俺も、そういうのが良かったな……料理当番クッキングヒーターって何だよ。
 いやでもまて、小石さんは魔法が使えないのではなかったか?


「使えなくなった……というのが正確なところだ。かつては使えたのだ。しかもバリバリな」


 そう言うとリリアは、どこか物憂げな表情を浮かべ、遠い目をした。


「使えた……などというレベルではなかったかもしれん。もはや小石の存在そのものが魔法だったといって良いだろう。能力者と認定された時点で、すでに世界有数の魔女だったのだよ」
「一体、どんなことが出来たんだ?」
「うむ……小石は自分の意識を、電子機器の中に溶け込ませることが出来たのだ」


 電子機器? それってつまり、魔法を使ったハッキングみたいなことが出来たってことか。


「その通りだ。この私をもってしても及ばないほどの、光子系魔法の使い手だったのだよ」


 と言ってリリアは、俺が買ってやったエナジードリンクを一気に流し込む。
 ふうと息をついて黒ニーソの足を組み替え、そしてしばし目を閉じて、何かに思いをめぐらせているようだった。


「ここからは少し込み入った話になる……聞きたいか? 五日よ」
「むむ……」


 まあ、俺は結局、眠れなくてここに来たわけで。
 寝る前の小話を聞かせてくれる相手がいるというのは、とても助かるわけで。
 そいでもって、リリアや小石さんの過去の話も……気にはなるわけで。


「というか、お前、俺の心が読めるんだろ?」
「おお、そういえばそうだったなっ」


 と言ってリリアは不敵に笑う。
 あざといな!


「ふふふ……では話そうか。私と小石の、保護研時代の話をな」


 そうしてリリアは、自分達の過去について語り始める。









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