猫たちの惑星

ナガハシ

猫の惑星

 数百年前、この星にやってきた人類は、水と岩しかなかったこの星を、途方もない年月をかけて人の住める星にした。
 そしてこの星が、発達しすぎた科学によって破滅した地球と同じ道を歩まぬよう、始めの人々はこの地にいくつもの制限――ルールを作った。
 使ってよい技術と良くない技術を選別し、人が人として生きていける仕組みを作った。


 ユートピア衛星もまたそのルールの一つだった。
 報酬の無い人生に耐えられるのは、ごく一握りの人間だけであり、人が正常な精神を保ち続けるためには、生きることに対する報酬が必要になる。
 人々の努力に対して適切な報酬を提供する、それがユートピア衛星が作られた理由だった。しかしいつの間にか、人間の限りない欲望を追求する場所になってしまった。


 私は今、そのユートピア衛星を占拠した。
 一時住民用の居住区画を全てパージして、宇宙空間に放り出す。
 そして、緩やかな突入起動へとのせていく。
 半日もすれば、そのすべては宇宙港への軟着陸を果たすだろう。


 大量のナノマシンを大量に含んだ中心部――永久住民達の楽園――は、そっくりそのままイリジウム衛星の管理下においた。惑星をまるごと包むナノマシンシステムを構築するには、彼らの魂の献身が是非とも必要なのだ。


 やがて無数のナノマシン粒子が大気圏への突入をはじめる。
 ユートピア衛星の残骸がいくつもの塊に分解し、次々と摩擦熱で燃え尽きてゆく。
 それはあたかも、数多の人々をとりこにした幻想が、色とりどりの流星となって夜空を満たしていくようだった。


 混乱は免れないだろう。
 大きな波が私たちの星系を飲み込むだろう。
 しかし私は信じることにした。
 この衛星が無くなっても、人々は自らの力で本当のユートピアを取り戻すだろうと――。




    * * *




 そして、惑星ホトトギスから人の姿は消えてなくなった。
 ただ、放棄された街のあちこちから、平和な猫の鳴き声が聞こえてくる――。




    * * *




 崖から落ちて大怪我をした猫が、病院のベッドの上でグルグル言っている――もう、あんな高い場所はごめんだ。


 耳の毛のはげた子猫と、泣きはらした目をした母猫が、身を寄せ合って眠っている――お願い神様、この子を助けて、私はどうなってもよいですから。


 しっぽだけが白いメス猫が、生まれたばかりの子猫に乳をあげている――ダーリンはどっかにいっちまったけど、これからはこの子達があたいの支えだ。


 誰もいなくなった収容所の中、太った猫が威張っている――私は何も悪くない。だって私は猫だもの。


 どこかの豪邸の庭で、年老いた猫が、若い娘猫の尻を追っている――わしはまだまだ元気じゃー!


 温泉の湧き続ける庭で、年増の猫達が井戸端会議を開いている――ここは暖かくてようございますわね!


 駅のホームの上、若いオス猫が、年頃のメス猫に声をかけている――そこの可愛いきみ。この辺りにネズミがいるんだ、一緒に狩りにいかないかい?


 メス猫は妖艶な流し目でオス猫をを見やりつつ、それに答える――あらボウヤ、それってちょっと面白そうね。




   * * *




 どこからともなく猫の鳴き声が聞こえてくる。
 みなそれぞれ、猫なりの喜びと悲しみを抱えて生きていた。
 私は猫達の様子を三日の間、観察し続けた。
 いつまで観ていても、その光景は平和そのものとしかい言いようのないものだった。
 だがしかし、あの白猫が叫んだ通り、それはどこか物寂しい光景であった。




   * * *




「ふぐり! はくびさん!」


 あばら家の扉から、艷やかな黒毛をした猫が姿を現す。
 それに気づいた三毛猫が、太い声でブニャっと鳴く。
 聡明な顔立ちをした白猫は、真っ直ぐな瞳で空を見つめ続ける。


 黒猫はいまだ状況を飲み込めない様子。
 二匹の側に駆け寄って、ともに光る景色を見渡す。
 地上を覆う無数のナノマシンの群れが、朝焼けの光を反射して輝いている。


――貴子ーー!


 少女の家族と友達が4つの足で地面をつかみ、そのしなやかな身体を躍動させて丘の道を登ってくる。
 その足音に気づいた三毛猫が、鳴き声を上げながら走り出す。
 色とりどりの猫達が、次々に黒猫の名を叫びだす。
 黒猫の顔は喜びに満ちて、その頬に一筋の雫が流れ落ちたかのようだ。
 仲間の呼び声に導かれるまま、その小さな一歩を踏み出していく。


「……みんなが私を呼んでいる!」


 どこまでも澄んだ黒猫の声は、冷たい星の大気に、確かなる振動をもたらした。
 その震えに答えるように白猫が、新しい日々の始まりを告げる光に向かって一声――。


 ニャーと鳴いた。




    * * *




 会いたい者と出会えた猫達が、夢を叶えた猫達が、一匹、また一匹と家路についていく。
 その一部始終を観測し終えた私は、これ以上にないくらい満足した気持ちで、光の部屋の制御パネルをもとの状態に戻していった。
 もはや惑星サイズに拡張された光の部屋――それそのものが私の血肉である――そのパラメーターを調整するためのスイッチやつまみの類を戻していくにつれて、私という存在そのものも、本来あるべき「無」の状態へと還っていく。
 この魂に課せられた使命を果たし、全てを完遂して限りない満足を得た私に、この世界にとどまる理由が無いことは、自ずから明らかなのだった。


 猫の惑星は存在し得ない。
 だがそれで良い。


 もはや、この星のどこにあるのかすらわからない私の心が、最後にそのような言葉をささやいた。













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