猫たちの惑星

ナガハシ

夜明け -白猫-

 音の鳴る箱の演奏が終わってから、僕たちは座布団の上で少しだけ眠った。
 疲れてはいたけれど、知らない場所ではそうそう熟睡できない。
 女の子はソファーの上に丸くなってぐっすり眠っている。
 よほど疲れていたのだろう。
 辺りはシンと静まりかえっていて、ストーブの中でガスが燃焼する音だけが微かに聞こえている。
 起き上がって体を伸ばし、そして座布団の上に丸くなる。


「なあお前、この匂いってさあ」
「ああ、彼らの体の匂い、あの建物の中でもしていたね」
「何か関係があるんだろうな。あんな猫みたいな人間みたことねえ」


 僕は天井を見上げる。何かが僕の頭の上を飛び回っているような気がした。


「どしたんだぜ?」
「いや、なんでもないよ」


 僕の頭の中に一つのイメージが浮かび上がってくる。
 白い服をきた男の姿だ。
 その人の膝の上で僕は眠っている。
 その記憶には多くの欠落があったけど、確かにそれは僕が生きて経験した記憶だった。
 その人はたくさん僕の体を撫でてくれた。
 おいしい食べ物と水を与えてくれた。
 一見親切で優しそうだけど、どこか人間ではないような、そんな雰囲気を漂わせている人だった。
 僕はどうしてその人と別れてしまったんだろう。


 たぶん、とても嫌なことがあったのだろう。
 気づいてはいけないことにうっかり気づいてしまって、気づいてしまったら憎まずにはいられなかった。
 おそらくは、そんなところなのだろう。


 僕は何を憎んだのだろう。
 僕自身の非力さだろうか、その人の行いだろうか、それともこの世界そのものだろうか?
 その憎しみは僕の体を蝕んで、死の様な苦しみをもたらしたのだ。
 そして僕はどこかの時点で一度死んで、この奇妙な記憶の断片だけを残して、その他の全てを失ったのだろう。


 それでも僕は気づくことが出来て良かったと思う。
 気づかなければ僕はきっと、一生あの白い場所で暮らしただろうから。
 暖かい籠の中で、十分な食事を与えられ、何も考えることなく一日中寝て過ごして、そのまま歳をとって、きっと死んだことにすら気づかなかっただろう。


 でもそれは幸せなんかじゃない。
 それはきっと、死んでしまっているのと大して変わらないことなのだ。


 気づくことから全ては始まった。
 僕は外の世界を見た。
 この世界もまた、さらに大きな世界の一部に過ぎないのかもしれないけど、それでも僕の世界は確実に広がった。
 ふぐりに出逢えた。
 あの女の子に出逢えた。
 多くの者達の営みを見ることが出来た。
 みんな考え方に違いはあるけど、それぞれの望む明日はおよそ同じであるように、今の僕には感じられる。


 もっと色々なことがシンプルになればいいのにと思う。
 友と食事と暖かな場所。
 それさえあれば、僕らはひとまず幸せになれるのだから。


「ねえ、ふぐり」
「なんだぜ?」
「今日、僕は色んなことを考えたよ。この世界に生まれて知った、全てのことについて。そのうえで一つ君に伝えたいことがあるんだ」
「お、おう?」
「一度しか言わないからよく聞いていて欲しい。ふぐり、僕の世界に現れてくれてありがとう」


 ふぐりは、口を半開きにして、しばらく僕を眺めていた。


「なんというかな……」


 だがやがて、彼は表情を緩めて、いつものニヤけたような顔をしならが言ってきた。


「俺っちもな、お前みたいな変な猫に逢えてよかったんだぜ! お前みたいな猫、一生に一度逢えるかどうかだ!」


 僕はそんな彼の言葉に、思わず吹き出しそうになってしまった。


「それって褒めてるの?」


 ふぐりは何も言わずにニヤリと笑った。
 今度ばかりは僕の方が一枚とられてしまったな。


 窓の外が少しだけ明るくなった。
 僕は外の様子を見たくなる。
 台所まで歩いていって上に飛び乗り、そこの窓から外を眺める。
 遠くの地平線にうっすらと青みがさしていた。


「……ん?」


 目をこらしてみると、微かな明けの光を受けて、空中で何かが光っていた。
 それはだんだんと密度を増してゆき、やがて小さな粒となって空から振ってきた。
 ふぐりが隣にやってくる。


「雪だな」
「雪?」
「ああ雪だ。年に一度くらい、空から白いものが降ってくるんだ」


 僕はこんな光景は見たことがなかった。
 少し驚いたけど、とても綺麗だと思った。


「でもなんかちょっと変だぜ。こんな時間に降っても仕方がねえからな。雪は人間が見て喜ぶために降るもんだ。あれが降るとな、人間達はやたら着飾ったりご馳走をつくったりして騒ぎ出すんだ。なんでか知らんけどな」
「そういうものなのかい?」


 雪と呼ばれる白い粒は、どんどんとその量を増してゆき、一つ一つがたんぽぽの綿くらいの大きさになる。
 いつしか薄闇の空は真っ白な綿で埋め尽くされていた。 


「なんだか不思議なものだね、ふぐり」
「ああそうなんだぜ。この世はな、俺っちたちが知らないことでいっぱいなんだ」


 僕たちはうなずきあって、再び窓の外を見渡す。
 雪はほんのりと光を帯びていて、部屋の中まで明るく照らしてくるようだった。
 あの子にも見せてあげたい。
 そう思って、僕が女の子の方を振り返った――その時だった。


「……なんだ!?」


 僕は思わず声をあげた。
 ふぐりも驚いて振り返る。


 薄暗かったはずの部屋の中が、どういうわけか青白い光に満たされていた。
 その光の中心にあるもの。
 それはまさに、あの女の子の体だったのだ!


「ど、どうしちまったんだぜ!」


 僕らは慌てて女の子に駆け寄る。
 その体はますます輝きを増し、とうとう光そのものになってしまった。
 僕たちはなすすべもなくその場に立ち尽くす。
 光はまるで繭のようにして女の子の体を包んでいた。
 女の子の姿が、何か別のものにに生まれ変わろうとしている。
 僕の目にはそう見えた。


「もしかして、猫の姿に変わろうとしているのか……?」
「どうしてわかるんだぜ!?」
「わからない……でもそんな気がしてならないんだ!」


――そうだ、みんな猫になるのだ……。


 どこからともなく、声が聞こえた。
 僕はその声の主を探した。


「どうしたんだ!」


 それは確かにどこかで聞いたことのある声だった。
 夢の中でときおり聞こえる声。
 あの光り輝く部屋で聞いた声だ。


「おい、お前! どうしたんだって!」


 窓の外から光が差し込んできた。
 黄金色をした夜明けの光だ。
 この世界で何かが起こっている。
 何かが始まろうとしている。
 外に出て、何が起こっているのか確かめなくてはならない。


「外に出よう、ふぐり。何かが大変なことが起ころうとしている!」
「んなこたぁ、言われなくてもわかってんだぜ!」


 僕らは家の入り口の前に駆け寄って、硬くて冷たいその扉を爪でガリガリこすった。


「だめだ、開かねえ!」
「他に外に出られる場所はないのか!」


 僕は辺りをぐるりと見渡す。
 黒い布で目張りをされた窓が視界に飛び込んできた。


「あそこだ!」


 僕は窓辺に駆けよって、布を咥えて引き剥がす。
 強い光があふれ出てきて、僕らの瞳をくらませる。
 急いで外に飛び出して、街の景色が見渡せる場所まで走っていく。


 外はもう真昼のような明るさだった。
 あたり一面が黄金色で、遠い空に浮かぶ雲までが燃え上がるように輝いていた。
 降りしきる白いものを振り払って、僕らはひたすら駆けていく。
 やがて視界が大きく開けて、人々の住まう世界が見えてきた。


 丘の上から見下ろした地上では、無数の光柱が明滅していた。
 どうやらそれはすべて人であるらしかった。
 突然の雪に驚いて、外に出てきてしまったのだろうか?
 だが、そうやって外に出てきた人から順に、次々と光の柱にのまれていく。
 この街の、いや、この星の全ての人間が――猫になる!


「だめだ、やめるんだ!」


 僕は叫んだ。
 叫ばずにはいられなかった。
 僕の良く知っている誰かが、この星の人間をみんな猫に変えようとしている。
 それしかないと思い込んでいる。


「その答えは間違っている!」


 ふぐりが目を見開いて僕を見る。


「おめえ、いったいどうしちまったんだ!?」
「聞こえるんだ、あの人の声が。僕が良く知るあの人が……とんでもない過ちを犯そうとしている!」 
「あの人って誰なんだよ!」
「あの人はあの人だよ、僕にもよくわからないよ!」


――この答えは間違っている?


 今度はもっとはっきりと聞こえた。
 心の底から搾り出すような、とても重たい声だった。
 僕はその声に向かって叫んだ。


 どこにいるとも知れぬ声に向かって。
 光り輝く空に向かって。


 叫んだ。


「ああ間違っている。だって僕たちは生きていけるんだ、これからもずっと永遠に、この姿のままで! たしかに人間はおかしな生き物だ。意味も無く奪い合ったり、喧嘩したりする。けど、それでもこの世界から人間がいなくなってしまったら、僕はやっぱり寂しいんだ! あの女の子や家族のことをもっと見ていたい。この惑星の人々がどうなっていくのか、僕はこの目で見届けたいんだ!」


 空はなおを眩く輝いている。
 光る粒子が地表に降り積もって、この世ならざる光景を作り出している。
 もしかしたら、もう手遅れなのかもしれない。
 だが僕は叫ぶ。


 叫び続ける。


「僕は信じているんだ、人間を、生命の可能性を! それに人間はとても器用な生き物なんだ! その気になれば、いつだって猫みたいになれてしまうくらいには!」


 僕の叫びに応じるように空が揺れた。
 何かが確かに微笑んだ。


「だからわざわざ、貴方が一人で背負い込む必要なんかないんだ!」


 伝わっただろうか?
 届いただろうか? 
 僕は荒らげる息を抑えると、ふぐりの方を振り向いた。


「ねえふぐり」
「ああ、この際なんだって聞いてやるんだぜ!」
「ふぐりはさ、人間が好きかい?」
「さあどうかな! 大嫌いなのもいるけど、大好きなのもいるんだぜ!」
「うん、そうだね、そうだよね、僕もだよ!」


 白いものは降り続けていた。
 白いものが降り続けるたびに、地上の光はますます数を増やしていく。
 僕らは何が起きても大丈夫なように、しっかりと身を寄せあった。
 そして降りしきる白いものを身に受けながら、輝く世界を見つめ続けた。


 人間達はこのまま猫に変わってしまうのだろうか?
 人間達にとってそのことは、果たしてどんな意味を持つのだろうか?
 猫の僕にはさっぱりわからないことだけれど、それでも僕は信じている。
 明日は今日より良い日になるんだっていうことを。













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