猫たちの惑星
テスト -博士-
丘の上の公園、その上空1000mを私は漂っている。
月の光に照らされて、ボンヤリと浮かび上がる地上の風景。
地平線の向こうまで続く緑の芝地の上に、直径10km程度にまとめられた《市》が点々と散らばっている。
市と市は幾つかの幹線道路とリニア鉄道で結ばれ、その間を埋めるようにして無業者達の集落が広がっている。
この日の混乱にもまれて孤立し、市と市の間を徒歩で渡ろうとしたあの少女は、今はゼムとヒムの隠れ家に居る。
欲望とは、人を一定の習性を持つ生物種とみなしたとき、その生態の中心に常に存在し続けるキーワードだ。
原始の時代より数えて一万と数千年、私達はずっとこの欲望という名の鎖に繋がれて生きてきた。
どんな生き物にも欲はある。
より豊かに生きたい、より快適に生きたい、より効率よく増えたい。
全ての生き物の行動は、それらの欲求を満たすために行われている。
食料を確保し、外敵から身を守るための環境を作り、そして繁殖を行う。
生態系とは、それらの行動が自然のうちにパターン化されたものに他ならない。
人々の富を巡る争いは文明開闢の頃より絶えず続けられている。
人間の生態系とは、金、土地、名声、権力、愛、それらを他者より多く得るためのゲームのことなのだ。
そしてこの終わりなきゲームは、こうして地球を遠く離れた星にまで引き継がれてしまった。
私たちの文明はいま、全ての人間に対して『永遠の幸福』を約束できるほどに発達しているというのに、そんな時代遅れの生態系がその選択を拒んでいて、いまも我々を不幸においやっているのだ。
居場所をなくした少女。
夢を壊された青年。
親に利用され捨てられた娘。
己の無力さを知った父親。
かつて全てを奪われた猫。
誰もが不必要な不幸をその身に背負っている。
――アップデートされなければならない。
旧時代より続く人類の生態系――生きていくためのソフトウェアは、もはやそれ自身が生み出した環境――ハードウェアに適合していない。
人間そのものを、新しい姿に作り変える必要があるのだ。
それも、人々が心より望んでいる姿に。
私は地上施設のナノマシンを一斉に開放した。
250京個のナノマシンは月明かりの力を受け、静かな闇の粒子となって地表を満たしていく。
私という存在の意志を得て、この星に生きる全ての人々に向って飛んでいく。
人々をみな猫に変えて、そして長きに渡った人類という悲劇に終止符を打つのだ。
ナノマシンは拡散していく。
私という存在がゆっくりと、しかし確実に広がっていく。
この星で起きているあらゆる営みが、私の意識の中にへと飲み込まれていく。
月夜の下を、自動操縦のヘリコプターが飛んでいた。
その中に私は、ある重要な人物の姿を発見する。
これまでの私の体ではどうしても見つけられなかったその人間は、この大きくて広い体を手に入れるやいなや、ほとんど一瞬で発見することができてしまった。
私は私の一部を、静かにヘリの中にへと忍び込ませた。
その者の姿は薄暗くてよくわからなかった。
もしかするとその薄暗い闇そのものが彼なのかもしれなかった。
その者は口元に薄気味悪い笑みを浮かべながら、空間に投影された画面を見渡していた。
どうやらホトトギスの状況を確認しているようだ。
頭にかけた音声入力デバイスに向かって、なにやらブツブツと唱えている。
私の内部で、この男に対する情報が次々と結合されていく。
それは間違いなく、あのドロシーと呼ばれる娘を作り出した者だった。
彼はこの星にひっそりと潜伏し、様々なコネクションを密かに形成していた。
かつて惑星ターミガンの混乱を引き起こし、今はホトトギスの経済を転覆させている最中であり、その混乱に乗じて彼は、星系中の人々から巨万の富を奪い取ろうとしているのだ。
おそらくこれから宇宙港に向かって、そこからユートピア衛星に上がるのだろう。
そしてこの星系で大金を得た者がみなそうするように、ユートピア衛星の永久住民になるのだろう。
彼が稼いだ金の額を考えれば、永久住民の中でも特に際立った待遇を受けられるのは間違いない。
ともすれば、ユートピア衛星の実権すらも握ってしまうかもしれない。
まさに彼は、人間社会におけるヒエラルキーの最上位に立とうとしているのだ。
しかし残念ながらその望みは叶えられない。
何故ならば、私が今ここにいるからだ。
私は私の体を、少しずつ彼の体内に侵入させていった。
イリジウム・オブ・ホトトギスを正常に操作できるか、テストしておく必要がある。
そして私は、彼をその実験材料とするのに、いささかのためらいもなかった。
私はナノマシンを密集させ、ヘリの内壁に回路を組みあげ、ヘリそのものを光の部屋に作り変えた。
地上に展開したナノマシン群を使って月の微弱な光をかき集め、実験に必要なエネルギーを確保する。
そして最後に呪文を唱えた。
――お前はいったい何をしたのか?
と。
やがてヘリの内部が、青白い光に満たされ始めた。
男はようやく異変に気づく。
自分の体がボンヤリ光っているのを見て、慌てふためいている。
しかし次の瞬間にはもう、男の意識はどこかへ飛んでいってしまう。
やがてその姿はおぼろになり、光とともに消え去ってしまう。
男の着ていた服がへなへなとしぼんで、その中で小さな生き物がうごめき出した。
主人を失ったヘリは、ただプログラムされた通りに目的地へと飛んでゆく。
やがてチューチューいうか細い鳴き声が、どこかともなく聞こえはじめた。
男はネズミになった。
テストは成功だった。
月の光に照らされて、ボンヤリと浮かび上がる地上の風景。
地平線の向こうまで続く緑の芝地の上に、直径10km程度にまとめられた《市》が点々と散らばっている。
市と市は幾つかの幹線道路とリニア鉄道で結ばれ、その間を埋めるようにして無業者達の集落が広がっている。
この日の混乱にもまれて孤立し、市と市の間を徒歩で渡ろうとしたあの少女は、今はゼムとヒムの隠れ家に居る。
欲望とは、人を一定の習性を持つ生物種とみなしたとき、その生態の中心に常に存在し続けるキーワードだ。
原始の時代より数えて一万と数千年、私達はずっとこの欲望という名の鎖に繋がれて生きてきた。
どんな生き物にも欲はある。
より豊かに生きたい、より快適に生きたい、より効率よく増えたい。
全ての生き物の行動は、それらの欲求を満たすために行われている。
食料を確保し、外敵から身を守るための環境を作り、そして繁殖を行う。
生態系とは、それらの行動が自然のうちにパターン化されたものに他ならない。
人々の富を巡る争いは文明開闢の頃より絶えず続けられている。
人間の生態系とは、金、土地、名声、権力、愛、それらを他者より多く得るためのゲームのことなのだ。
そしてこの終わりなきゲームは、こうして地球を遠く離れた星にまで引き継がれてしまった。
私たちの文明はいま、全ての人間に対して『永遠の幸福』を約束できるほどに発達しているというのに、そんな時代遅れの生態系がその選択を拒んでいて、いまも我々を不幸においやっているのだ。
居場所をなくした少女。
夢を壊された青年。
親に利用され捨てられた娘。
己の無力さを知った父親。
かつて全てを奪われた猫。
誰もが不必要な不幸をその身に背負っている。
――アップデートされなければならない。
旧時代より続く人類の生態系――生きていくためのソフトウェアは、もはやそれ自身が生み出した環境――ハードウェアに適合していない。
人間そのものを、新しい姿に作り変える必要があるのだ。
それも、人々が心より望んでいる姿に。
私は地上施設のナノマシンを一斉に開放した。
250京個のナノマシンは月明かりの力を受け、静かな闇の粒子となって地表を満たしていく。
私という存在の意志を得て、この星に生きる全ての人々に向って飛んでいく。
人々をみな猫に変えて、そして長きに渡った人類という悲劇に終止符を打つのだ。
ナノマシンは拡散していく。
私という存在がゆっくりと、しかし確実に広がっていく。
この星で起きているあらゆる営みが、私の意識の中にへと飲み込まれていく。
月夜の下を、自動操縦のヘリコプターが飛んでいた。
その中に私は、ある重要な人物の姿を発見する。
これまでの私の体ではどうしても見つけられなかったその人間は、この大きくて広い体を手に入れるやいなや、ほとんど一瞬で発見することができてしまった。
私は私の一部を、静かにヘリの中にへと忍び込ませた。
その者の姿は薄暗くてよくわからなかった。
もしかするとその薄暗い闇そのものが彼なのかもしれなかった。
その者は口元に薄気味悪い笑みを浮かべながら、空間に投影された画面を見渡していた。
どうやらホトトギスの状況を確認しているようだ。
頭にかけた音声入力デバイスに向かって、なにやらブツブツと唱えている。
私の内部で、この男に対する情報が次々と結合されていく。
それは間違いなく、あのドロシーと呼ばれる娘を作り出した者だった。
彼はこの星にひっそりと潜伏し、様々なコネクションを密かに形成していた。
かつて惑星ターミガンの混乱を引き起こし、今はホトトギスの経済を転覆させている最中であり、その混乱に乗じて彼は、星系中の人々から巨万の富を奪い取ろうとしているのだ。
おそらくこれから宇宙港に向かって、そこからユートピア衛星に上がるのだろう。
そしてこの星系で大金を得た者がみなそうするように、ユートピア衛星の永久住民になるのだろう。
彼が稼いだ金の額を考えれば、永久住民の中でも特に際立った待遇を受けられるのは間違いない。
ともすれば、ユートピア衛星の実権すらも握ってしまうかもしれない。
まさに彼は、人間社会におけるヒエラルキーの最上位に立とうとしているのだ。
しかし残念ながらその望みは叶えられない。
何故ならば、私が今ここにいるからだ。
私は私の体を、少しずつ彼の体内に侵入させていった。
イリジウム・オブ・ホトトギスを正常に操作できるか、テストしておく必要がある。
そして私は、彼をその実験材料とするのに、いささかのためらいもなかった。
私はナノマシンを密集させ、ヘリの内壁に回路を組みあげ、ヘリそのものを光の部屋に作り変えた。
地上に展開したナノマシン群を使って月の微弱な光をかき集め、実験に必要なエネルギーを確保する。
そして最後に呪文を唱えた。
――お前はいったい何をしたのか?
と。
やがてヘリの内部が、青白い光に満たされ始めた。
男はようやく異変に気づく。
自分の体がボンヤリ光っているのを見て、慌てふためいている。
しかし次の瞬間にはもう、男の意識はどこかへ飛んでいってしまう。
やがてその姿はおぼろになり、光とともに消え去ってしまう。
男の着ていた服がへなへなとしぼんで、その中で小さな生き物がうごめき出した。
主人を失ったヘリは、ただプログラムされた通りに目的地へと飛んでゆく。
やがてチューチューいうか細い鳴き声が、どこかともなく聞こえはじめた。
男はネズミになった。
テストは成功だった。
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