猫たちの惑星
意志 -博士-
けたたましい叫び声とともに、紫電の刃が空を切る。
男は身を反らしてそれをかわした。
「殺してやる……みんなみんな殺してやる……!」
女は酩酊したように足をもつれさせながら、それでも身を振り回すようにして刃を振るう。
恐ろしい剣幕で相手を睨みつけるその瞳には大粒の涙が溜まっている。
動きにあわせて飛散しては、夕日を受けてキラリと光る。
「……哀れ」
そう言って男は、自分の胸元めがけて突き出されてきた女の腕を掴んだ。
「諦めたまえ。君はずっと前から負けていたのだ。生まれ落ちた時からすでに」
「うるさい……うるさい! 放せ! 絶対に許すものですか!」
そう叫びながら、女はエナメルの靴で男の腹を蹴る。
「むぐっ……!」
女はその反動で後ろによろけて倒れこむ。
脱げかけたローヒールを投げ捨てて立ち上がり、再び刃を構えて男に突っ込む。
男は身を横にしてそれをかわすと、女の背中を手で押し出した。
勢いをつけられた女の体は、そのまま前のめりに転倒する。
「もう、楽にしてあげよう」
そう言って男はトリガーを引く。
そして青白い電撃が弾ける端子を女の背に押し付ける。
「……まだよ!」
振り返りざまに振るった刃がその手を掠めた。
「うっ!」
護身用ビームナイフは肉を切らず神経のみを一時的に断絶させる。
切られた箇所が電気ショックを受けたようにビクリと跳ね、スタンガンが地に落ちる。
女はさらに、返す刃で片足を切った。
男はたまらず膝を手で抱えて後ずさり、力の入らなくなった足を折ってしゃがみこむ。
女はその身を被せるようにして切りかかった。
「わああああー!」
男は振り下ろされた手を片手で受けると、もう片方の手を女の脇にくぐらせた。
そして腰を落として女の体に背中を押し付け、片膝立ちの体勢のまま投げ飛ばした。
「ああ!」
悲鳴とともに女の体が宙を舞う。
そして背中から地面に叩きつけられる。
「が!……はっ……」
その様子を見ていたギャラリーから拍手があがる。
女は全身に強い衝撃を受け、仰向けに倒れたまま苦しみもがく。
呼吸もままならないらしい。
喘ぐように口を開け、肺のなかに酸素を取り入れようと悶えあがく。
そして最後の気力を振り絞り、男に向かってナイフを掲げる。
男はその弱々しく震える腕を掴むと、あっけなくナイフを奪い取り、電源を切って放り投げた。
それと時を同じくして、シャトル発射場に向う列車が入ってきた。
「気がすんだかね? 君は父上の遺伝情報を受けているだけあって有能だ。記憶を失った後も、そこそこ良い人生を送れるだろう。君の人生はこれからなのだ。君の記憶を奪うのは、悪魔から天使へと生まれ変わる私の、せめてもの情けでもあるのだ……」
男は落としたスタンガンを拾い上げ、スーツケースにもたれながら立ち上がり、呟いた。
「……さらばだよ、お嬢さん」
そして片足を引きながら列車に乗り込む。
扉が閉まり、列車は再び動き出す。いくつかの視線が女の上を通り過ぎていく。
女はホームの上に伸びたまま、列車が彼方へ消えていくのを見つめていた。
泣き濡れたその瞳が、急速に輝きを失っていく。
やがて完全に薬がまわった彼女は、しずかに両目を閉じた。
* * *
夕日に染まる西の空から、キラキラと光る粒子が飛んできた。
振り分けておいた私の体の一部だ。
私はそれらを取り戻し、速やかに情報の結合を行う。
どうやら人々の問題は個人のレベルを遥かに超えて、この惑星全体を覆いつくしているようだ。
何とかできないものかと思うが、しかし一体私に何が出来るというのだろうか。
この場に倒れている女性一人救えない今の私に。
それに、一人一人の問題にそれぞれ対応していても、はっきり言って埒があかないではないか。
東の空がキラキラと光る。
また私の一つがやってきた。
中央コンピューターのある施設に飛ばしていた集まりだ。
直ちに情報の結合を行う。
それらは中央コンピューターのシステムへの介入に成功したらしい。
この星を管理する、幾つかの施設を実際に動かすことができたようだ。
――いっそあのユートピア衛星を引きずり落としてしまおうか。
ふとそんな考えが頭に浮かぶ。
あんなものがあるから、他者を蹴落としてまで富を得ようとする者が現れる。
だがそれは同時に、他の多くの痛みを生むことになるになるかもしれない。
ユートピア衛星は今やこの星系の要だ。多くの人々があそこにたどり着くことを目的として生きていて、世界の秩序そのものになってしまっている。
そんなものをいきなり消したりしたら、世界に深刻な歪みが生じてしまうかもしれない。
その他多くの受難者を生み出してしまうかもしれない。
一部を変えるだけではだめなのだ。
悲劇は人間という生き物の性質の中に組み込まれてしまっている。
根本的な部分を覆さなければならない。
人を、世界を、まったく新しい形に作りかえるくらいのことをしなければ、我々は次の時代には進めないのだ。
私の中の一部が、ある可能性を提示していた。
私の体が、この星全体を包み込むほどに拡張され得るという可能性だった。
現在、地上の生産施設には250京個のナノマシンがあると言われている。
そして稼動間近のイリジウム・オブ・ホトトギスには7800京個。
そしてユートピア衛星のドリームキャスター本体に5000京個。
総重量250万tのナノマシンが存在する。
そしてどうやらそれは、私の意思一つで動かせてしまうらしい。
これだけのナノマシン容量があれば、実際にかなりのことができてしまう……。
町の一区画であれば、一瞬で砂に変えてしまうことが出来る。
すこし時間をかければ山脈を一つ作ってしまうこともできるし、この星に住む全ての住民の血糖値を、いっぺんに調べることだって出来るだろう。
そう、惑星中の住民の体を……同時に光の部屋に入れたのと同じようなことが出来てしまうのだ。
――はっ。
そこまで思い至った、その瞬間だった。
――おお……!
私の脳裏に、あたかも稲妻のようなアイデアが閃いた。
それこそ視界が真っ白になるほどの衝撃を伴って。
新しく生まれ変わった、惑星ホトトギスの姿。
その光景を想像して私は驚愕する。
そこには途方もない可能性が示されていた。
そうだ、みんなみんな、猫になってしまえばいいのだ……!
ついに私は気づいてしまった。
今もし、声を発せる口があったなら、私は地平の果てまで響かんばかりに叫んだだろう。
限りなく無力であると思い込んでいたこの姿には、その実とんでもない力が与えられていたのだ。
有史以来人間が抱えてきた業苦、その何もかもを覆してしまえるほどの能力が、この身には確かに秘められていたのだ。
みんなで猫になる。
つまりこれが答えなのだろうか?
私達人類が、数千年の時を経て辿りついた、究極の答えなのだろうか?
今の技術をもってすれば、猫が生きていく為に必要な物資くらいは完全に自動生産することができる。
人がみな猫になれば、人としての苦しみはこの星から消えてなくなる。
不幸のない世界を望むなら、私は今、人々をみな猫に変えなければならないのだ。
私の思考はそこで完全な到達点に至る。
もうこれ以上、なにも考える必要のない境地に至る。
――おお……。
ふと見渡した空が、いつのまにか紫のグラデーションに変わっていた。
西の地平に日は沈み、まもなく夜が訪れようとしている。
私はこの砂の粒子のような体を目一杯に拡散させる。
視界を閉じ、耳を澄ませ、少しでも人々の営みや思いを感じとろうと努めてみる。
遠くから街の音が響いてくる。
行くあてをなくした人々の嘆きが聞こえてくる。
ありとあらゆる命の音が大きな波のうねりのように轟いて、まるで星全体が苦しみに呻いているように聞こえる。
私は私がどこにいるのかだんだんわからなくなってくる。
私の心がどこにあるのかわからなくなってくる。
全てが夕闇の空に溶け込んで、私の意識は雲散霧消する。
――あの白猫は、私の出した答えをどう受け止めるだろう。
ただその思いだけが、この世界のどこにあるとも知れぬ、私の心の中に響いていた。
男は身を反らしてそれをかわした。
「殺してやる……みんなみんな殺してやる……!」
女は酩酊したように足をもつれさせながら、それでも身を振り回すようにして刃を振るう。
恐ろしい剣幕で相手を睨みつけるその瞳には大粒の涙が溜まっている。
動きにあわせて飛散しては、夕日を受けてキラリと光る。
「……哀れ」
そう言って男は、自分の胸元めがけて突き出されてきた女の腕を掴んだ。
「諦めたまえ。君はずっと前から負けていたのだ。生まれ落ちた時からすでに」
「うるさい……うるさい! 放せ! 絶対に許すものですか!」
そう叫びながら、女はエナメルの靴で男の腹を蹴る。
「むぐっ……!」
女はその反動で後ろによろけて倒れこむ。
脱げかけたローヒールを投げ捨てて立ち上がり、再び刃を構えて男に突っ込む。
男は身を横にしてそれをかわすと、女の背中を手で押し出した。
勢いをつけられた女の体は、そのまま前のめりに転倒する。
「もう、楽にしてあげよう」
そう言って男はトリガーを引く。
そして青白い電撃が弾ける端子を女の背に押し付ける。
「……まだよ!」
振り返りざまに振るった刃がその手を掠めた。
「うっ!」
護身用ビームナイフは肉を切らず神経のみを一時的に断絶させる。
切られた箇所が電気ショックを受けたようにビクリと跳ね、スタンガンが地に落ちる。
女はさらに、返す刃で片足を切った。
男はたまらず膝を手で抱えて後ずさり、力の入らなくなった足を折ってしゃがみこむ。
女はその身を被せるようにして切りかかった。
「わああああー!」
男は振り下ろされた手を片手で受けると、もう片方の手を女の脇にくぐらせた。
そして腰を落として女の体に背中を押し付け、片膝立ちの体勢のまま投げ飛ばした。
「ああ!」
悲鳴とともに女の体が宙を舞う。
そして背中から地面に叩きつけられる。
「が!……はっ……」
その様子を見ていたギャラリーから拍手があがる。
女は全身に強い衝撃を受け、仰向けに倒れたまま苦しみもがく。
呼吸もままならないらしい。
喘ぐように口を開け、肺のなかに酸素を取り入れようと悶えあがく。
そして最後の気力を振り絞り、男に向かってナイフを掲げる。
男はその弱々しく震える腕を掴むと、あっけなくナイフを奪い取り、電源を切って放り投げた。
それと時を同じくして、シャトル発射場に向う列車が入ってきた。
「気がすんだかね? 君は父上の遺伝情報を受けているだけあって有能だ。記憶を失った後も、そこそこ良い人生を送れるだろう。君の人生はこれからなのだ。君の記憶を奪うのは、悪魔から天使へと生まれ変わる私の、せめてもの情けでもあるのだ……」
男は落としたスタンガンを拾い上げ、スーツケースにもたれながら立ち上がり、呟いた。
「……さらばだよ、お嬢さん」
そして片足を引きながら列車に乗り込む。
扉が閉まり、列車は再び動き出す。いくつかの視線が女の上を通り過ぎていく。
女はホームの上に伸びたまま、列車が彼方へ消えていくのを見つめていた。
泣き濡れたその瞳が、急速に輝きを失っていく。
やがて完全に薬がまわった彼女は、しずかに両目を閉じた。
* * *
夕日に染まる西の空から、キラキラと光る粒子が飛んできた。
振り分けておいた私の体の一部だ。
私はそれらを取り戻し、速やかに情報の結合を行う。
どうやら人々の問題は個人のレベルを遥かに超えて、この惑星全体を覆いつくしているようだ。
何とかできないものかと思うが、しかし一体私に何が出来るというのだろうか。
この場に倒れている女性一人救えない今の私に。
それに、一人一人の問題にそれぞれ対応していても、はっきり言って埒があかないではないか。
東の空がキラキラと光る。
また私の一つがやってきた。
中央コンピューターのある施設に飛ばしていた集まりだ。
直ちに情報の結合を行う。
それらは中央コンピューターのシステムへの介入に成功したらしい。
この星を管理する、幾つかの施設を実際に動かすことができたようだ。
――いっそあのユートピア衛星を引きずり落としてしまおうか。
ふとそんな考えが頭に浮かぶ。
あんなものがあるから、他者を蹴落としてまで富を得ようとする者が現れる。
だがそれは同時に、他の多くの痛みを生むことになるになるかもしれない。
ユートピア衛星は今やこの星系の要だ。多くの人々があそこにたどり着くことを目的として生きていて、世界の秩序そのものになってしまっている。
そんなものをいきなり消したりしたら、世界に深刻な歪みが生じてしまうかもしれない。
その他多くの受難者を生み出してしまうかもしれない。
一部を変えるだけではだめなのだ。
悲劇は人間という生き物の性質の中に組み込まれてしまっている。
根本的な部分を覆さなければならない。
人を、世界を、まったく新しい形に作りかえるくらいのことをしなければ、我々は次の時代には進めないのだ。
私の中の一部が、ある可能性を提示していた。
私の体が、この星全体を包み込むほどに拡張され得るという可能性だった。
現在、地上の生産施設には250京個のナノマシンがあると言われている。
そして稼動間近のイリジウム・オブ・ホトトギスには7800京個。
そしてユートピア衛星のドリームキャスター本体に5000京個。
総重量250万tのナノマシンが存在する。
そしてどうやらそれは、私の意思一つで動かせてしまうらしい。
これだけのナノマシン容量があれば、実際にかなりのことができてしまう……。
町の一区画であれば、一瞬で砂に変えてしまうことが出来る。
すこし時間をかければ山脈を一つ作ってしまうこともできるし、この星に住む全ての住民の血糖値を、いっぺんに調べることだって出来るだろう。
そう、惑星中の住民の体を……同時に光の部屋に入れたのと同じようなことが出来てしまうのだ。
――はっ。
そこまで思い至った、その瞬間だった。
――おお……!
私の脳裏に、あたかも稲妻のようなアイデアが閃いた。
それこそ視界が真っ白になるほどの衝撃を伴って。
新しく生まれ変わった、惑星ホトトギスの姿。
その光景を想像して私は驚愕する。
そこには途方もない可能性が示されていた。
そうだ、みんなみんな、猫になってしまえばいいのだ……!
ついに私は気づいてしまった。
今もし、声を発せる口があったなら、私は地平の果てまで響かんばかりに叫んだだろう。
限りなく無力であると思い込んでいたこの姿には、その実とんでもない力が与えられていたのだ。
有史以来人間が抱えてきた業苦、その何もかもを覆してしまえるほどの能力が、この身には確かに秘められていたのだ。
みんなで猫になる。
つまりこれが答えなのだろうか?
私達人類が、数千年の時を経て辿りついた、究極の答えなのだろうか?
今の技術をもってすれば、猫が生きていく為に必要な物資くらいは完全に自動生産することができる。
人がみな猫になれば、人としての苦しみはこの星から消えてなくなる。
不幸のない世界を望むなら、私は今、人々をみな猫に変えなければならないのだ。
私の思考はそこで完全な到達点に至る。
もうこれ以上、なにも考える必要のない境地に至る。
――おお……。
ふと見渡した空が、いつのまにか紫のグラデーションに変わっていた。
西の地平に日は沈み、まもなく夜が訪れようとしている。
私はこの砂の粒子のような体を目一杯に拡散させる。
視界を閉じ、耳を澄ませ、少しでも人々の営みや思いを感じとろうと努めてみる。
遠くから街の音が響いてくる。
行くあてをなくした人々の嘆きが聞こえてくる。
ありとあらゆる命の音が大きな波のうねりのように轟いて、まるで星全体が苦しみに呻いているように聞こえる。
私は私がどこにいるのかだんだんわからなくなってくる。
私の心がどこにあるのかわからなくなってくる。
全てが夕闇の空に溶け込んで、私の意識は雲散霧消する。
――あの白猫は、私の出した答えをどう受け止めるだろう。
ただその思いだけが、この世界のどこにあるとも知れぬ、私の心の中に響いていた。
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