猫たちの惑星

ナガハシ

パニック -父親-

 朝一番の特急に乗り、二ヶ月ぶりに出社する。
 大抵の仕事はネット上のやり取りで済ませることができる世の中ではあるが、口頭による議論を頻繁に交わさなければならないような緊急時には、やはりこうして出社する必要がある。
 まだ殆どの社員が出社しておらず、デスクルームは閑散としていた。


 デスクの上には紙切れはおろか、ホコリの一つものってない。
 そのかわりに電子ビジョンがいたる所に展開されていて、星系中のニュースが鳴り響いていた。
 オフィスの中央で腕を組んでモニターに見入っている室長の姿が見えたので、私は早速話しかけてみた。


「おはようございます」
「おおフジキ君か、久しぶりだね」


 室長が見ていたのは株式市場の動きを表すチャートだった。
 どうやら世暇HDの株価が大変なことになっているようだ。


「これは酷い……もう半値近くまで落ちていますね」
「星系中のSRIファンドが懲罰的な資金引き上げを行っている、これは大事になるぞ、フジキ君。確か君の家は、世暇家の邸宅に近かったね?」
「はい、歩いて数分です。先日、家族と一緒に温泉に浸かりにいったばかりなのです」
「なにか、気になったことはないのかね?」
「いいえまったく。黄硫の匂いもいたしましたし、本当の温泉だと信じて疑いませんでした」
「そうか……近頃の入浴剤はよくできているからなあ」


 私はひとまず空いているデスクに腰を下ろし、電子ノートを開く。
 ディスカッションが始まるまでに、できる限りの情報を調べておかなければ。
 まだ市場が明けてから30分も経っていないのに、もう数千件の株式分析が星系中のメディアからアップされている。
 私達のように、ネットと口頭の議論を中心にして仕事を進める会社ではまず不可能なことだ。
 彼らは電脳リンケージを使用して脳と脳を直接繋いで議論をするのだ。
 今日のような騒動があると、必ず何人かの記者が精神破綻を起こす。
 WEB上に山ほど溜まった情報を前に私はやれやれと首を振った。
 彼らが何を考えて生きているのか、私にはさっぱり理解できない。
 仕事というものは、人々がより快適に生きていくために行うもであって、その仕事のために精神をおかしくしてしまうというのは、まったくもって本末転倒なことなのに。


 私は世暇家に関する数多くの記事の中から、一番古いものを選んで開いた。
 Z新聞社の記事だった。
 公開時刻は本日午前2時……どうやらここが震源らしい。
 その後、各社こぞってこの話題を持ち上げている。


 世暇HD株の最近の動向を調べてみる。
 昨年のターミガン戦争と、合成餅への投資の失敗から、世暇HD株はずっと低迷を続けていた。
 しかし、先日のあの温泉騒ぎ以来、一転して高騰の一路を辿っている。
 昨日など、市場が終わる寸前に3割以上も値が吊りあがっている。
 この現象を分析した記事の一つによれば、何者かが温泉詐欺の内部告発のタイミングを完璧に把握していた可能性があるのだという。
 もし昨日のうちに売り抜けている者がいれば、その人はどれだけの利益を上げたかわからない。
 しかし一体だれが世暇家の不正を告発したのだろう。
 そう思い、洗いざらい記事を漁ってみるものの、その者の名は見つけられなかった。


 そうこうしているうちに社員が集まり始める。
 デスクルームのあちこちで議論が交わされ、社内は活気を帯びてくる。
 時刻10時、電子ビジョンの全チャンネルの映像がいっせいに切り替わった。
 全員が注目するなか映し出された映像は、見慣れたあの世暇家の正門前の光景だった。 景気良く吹き出す温泉の前に記者会見場が作られ、詰め寄せた記者達に…………どういうわけかカレー雑煮が配られている。


《……えー、世暇邸の中庭に設けられた会見場よりお伝えしております。あたりにはカレーの匂いが立ちこめております。先日、世暇HDの代表取締役に就任したばかりの世暇誠氏の会見が間もなく始まる模様です》


 会見の予定時刻はもう過ぎているはずだが、代表はまだでてこない。
 記者達はざわめきつつも、寒空の下、渡されたカレー雑煮を大人しくすすりながら待っている。
 何か問題がおきているようだ。
 ただボーっと電子ビジョンを眺めていても仕方がない。
 今のうちにもうひと調べしておく。


 世暇HD以外のホトトギス主要株の動向を確認する。
 相場は不穏な空気に包まれているようだ。
 世暇HD株に歩調をあわせるようにして下落する銘柄もあれば、それに反して上昇を続ける銘柄もある。
 先物価格の変動が激しくなってきているせいか、コンピューターを使った裁定取引が活性化してきているようだ。


《ただいま世暇夫稀子取締役が会見場に姿を現しました!》


 慌てて電子ビジョンを見る。
 表情を強張らせた夫稀子婦人が、夥しいフラッシュがたかれる中、歩み出てきた。
 記者会見場は騒然とした空気に包まれる。


《みなさん、落ち着いて下さいませ! どうやらわたくしめ、大変なお知らせをみなさま方にしなければいけないようです》


「うおお!」という喚声の後、再び激しくフラッシュがたかれる。


《世暇HDの代表取締役である世暇誠は失踪いたしました》


 失踪? デスクルームにどよめきが走る。


《私どもの温泉が偽物であるとう情報は、まったくもって寝耳に水でしたわ! もうすぐ査察が入りますので、真偽はまもなく明らかになるでしょう》
《今後の経営についてはどうなりますでしょう? 温泉は? 株価が大暴落していますが!》
《温泉については何ともいえませんけど、できれば続けたいと思っておりますわ! 経営については厳しいことになるでしょうけど、必ずや私どもの力で復興せしめますわ! ホトトギスのある限り世暇は不滅です! 私からは以上です、お雑煮はまだまだたくさんありますから、たくさん召し上がっていってくださいね! オーホホホ!》


 放送を見終わった我々はみな一様にポカーンと口をあけていた。
 なんと豪胆な方なのだろう。
 詐欺の嫌疑をかけられ、夫に逃げられ、株価に至っては破滅的であるというのに。
 必ず復興させると言い切った上に、怪しげな料理まで振舞うとは。


 午前のディスカッションで私達のグループは、世暇HD株は暴落したものの、それに対する世暇家の対応がはっきりしたことにより、今後少しずつ値を戻し、暴落に起因する株式市場の混乱も今週中には収まるだろうという、希望観測的な予測をたてた。
 だが、午前の会議を終えた私達が一息ついていると、昼食を買いに行っていた社員の一人が、血相を変えてデスクルームに飛び込んできた。


「大変です! 今朝1kg100ウェンだった合成餅が250ウェンに跳ね上がってます!」


 どういうことか?
 考えられるのは合成餅への大規模な投機が行われているということだ。
 誰かが買い浴びせて波を起こし、今日の暴落相場を嫌った資金がそれに乗っかってくる、そういったシナリオか?
 私達は慌ててホトトギス中の物価変動を調べる。
 合成餅の価格上昇率が異常な数値を示していた。
 こうして調べている間にも、みるみる値が上がっていく。
 合成餅の値段が高騰すれば、当然消費者はその代替物であるパンやうどんの購入に走る。
 結果、合成餅の需要は下がり、値段も下がる。
 そして貧乏クジを引かされたどこかの投機ギャンブラーが破滅的な損をする。
 こういった消費者の意志が市場価格のスタビライザーとして働くことを想定して、現在ホトトギスでは物価変動がすぐさま店頭価格に反映されるような仕組になっているわけだが……。


「うどんの値段も上がっている……米も、パンも、そばも」


 社員の一人が悲観的な声色で呟く。
 会議室は再び重い沈黙に包まれた。
 物価が度を越えて高騰し続けるのは大変危険な事態だ。
 この状態が続けば最悪、ウェンの信用が崩壊してしまう。
 通貨暴落、ハイパーインフレ――そんな古典的な経済クラッシュは中央コンピューターが暴走でもしないかぎり起こらないと思っていたが……。
 何だろうこの胸騒ぎは?
 何故だか本当にそうなりそうな予感がしてならない。


「ちょっと外をみてきます!」


 そういって私はデスクルームを飛び出した。


 私が最寄のコンビニに立ち寄ったときには、すでに合成餅は1キロ1000ウェン台になっていた。
 それと連動して他の食品の値も凄い勢いで上がっている。
 これまでに前例のない異常事態に、客も店員も目を白黒させている。
 預金封鎖を恐れた人々が預金の引き出しに走ったようだ。
 ATMの前に行列ができている。
 銀行の方に向かって足早に駆けていく人もいる。
 今のうちに生活必需品を買っておくべきか、それとも事態が収集するのを待つべきか。
 市中の人々は戸惑っているようだ。
 商品に貼られた電子値札を眺めながら、携帯電話で家族と相談している人たちの姿が目立った。
 しかし一体どんな猛烈な買いオペレーションを行えばこんなことになるのか?
 そもそも、ホトトギスの合成餅の殆どは世暇家の過剰投資によって買い込まれていたのではなかったのか……。


「……はっ」


 ありえないことではない。
 あの世暇誠氏が失踪しているのだから。
 もし、世暇家の内部告発を行った人間が誠氏本人だったとしたら?
 そして彼が、どこぞの資本と口裏合わせをおこなっていたとしたら?
 内部告発はホトトギスの経済を不安定にさせて、パニック相場を作り出すためのいわば火種。
 そして合成餅の売りと買い戻しを意図的に繰り返し、価格を異常なまでに急騰させようとしているのではないか?
 いやしかし、それだけでは合成餅以外の食品まで高騰していることの説明がつかない。
 同調者がいるのか?
 ともかくもっと情報が必要だ。


 そう思って私が社内に戻ろうとしたとき、とうとうホトトギス中の全物価の上昇が始まった。
 いや、ウェンの価値が下がりだしたのだ。
 インフレーションの始まりだ。
 一人の主婦が決死の形相で冷麦の束と果物ジュースの箱をレジに持ち込んだ。
 それが起爆剤となったのか、店内で悩んでいた客が一斉に品物の物色を始めた。
 割安なものから順番に陳列棚から消えていく。
 インフレ率がいかほどになるか、今はまったくもって未知数だが、ともかく無事ではすまないだろう。
 我が家には幸い、世暇の奥様がバラ巻いた合成餅の備蓄がだいぶある。
 いざとなれば、高騰した合成餅を売って、他の生活必需品に変えることもできるのだが。


 いくつかの店でシャッターが下ろされ始めた。
 それと同時にコンビニATMも使用不能になったらしい。
 あちらこちらから怒鳴り声が聞こえてきた。


 私は会社に戻ると、可能な限り情報を集めることに奔走した。
 しかし結局のところ、右手に持っていた紙を左手に持ち変える作業をしただけのようだった。
 私は何も変えられない。
 私の思考はまるで無力だ。
 宇宙のどこかで、この星の経済をむちゃくちゃに引っ掻き回している連中に対して、私はビンタ一つ張ってやれないのだ。


 とうとう治安維持ロボットが緊急出動を始めた。
 どこぞの銀行で取り付け騒ぎが起きたらしい。
 幾つかの電子ビジョンに、現場の物々しい光景が映し出される。


 そういえば清美さんに連絡をいれると言っておいて、すっかりわすれていた。
 慌てて携帯で電話をかける。
 しかし、電話はひどい輻輳を起こしているようで、まるで繋がらない。
 社員もみな、家族のことが心配で仕方ないらしい。
 逃げるようにして帰宅する者の姿が目立った。


 私は夕方まで粘ってみたが、状況はまったくもって改善されなかった。
 むしろ悪化する一方だった。
 とうとういても立ってもいられなくなって、私は明るいうちにと会社を飛び出した。


 貴子、清美さん、私はこれから一体何をすれば良い?













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