猫たちの惑星

ナガハシ

破滅の序曲 -メイド-

 朝の食卓に食器の鳴る音が響きます。
 窓から差し込んでくる日差しが銀の食器をキラキラと輝かせています。
 こんな儚い食卓の光景はついぞ見たことがありません。


「あなた、合成てんぷら油が値上がりしますわよ。さっき近所の奥さま方に根も葉もない噂を撒き散らしましたからね」
「ああ、わかっているよフキコさん」


 あの女が作り上げたご近所ネットワークは、光の速度で噂話を広める能力を持っています。
 噂から出た本当という言葉の通り、大体の噂は現実のものとなるようです。
 あの女はその力を利用してこれまでネチネチと稼いできたのです。
 そしていずれは温泉詐欺の責任を全て夫に押し付けて追い払い、世暇家の全権を掌握しようという計画なのです。


 なんて腹黒い!
 でもその野望も今日で終わりなんですよ。


 長い長い忍従の時にも終わりが近づいてきました。
 今から半日もすれば、この星の経済は大恐慌さながらの混沌に堕ちていて、そして私はユートピア衛星の住民になっているのです。


「ドロシー! このオムレツ、皿が冷たいじゃないの!」
「申し訳ありません、奥さま。すぐにお取替えを……」
「もういいですわ! 卵も料理人もタダではないのですよ! 下がりなさい!」


 言われるままに食堂の隅にへと下がります。
 大旦那のいない食卓はあの女の独壇場のようでした。
 もうすぐ世暇家の全財産が手に入る、そんなことを考えているのでしょうか。
 さも得意げな表情で、そして「オーホホホ」という、あの特徴的な高笑いを鳴り響かせています。


「ごちそうさまです」


 若旦那様が食事を半分以上残して立ち上がりました。


「あらあなた、どうなさったの?」
「今日の商談の見積がまだなんだ」
「まあ呆れた。そのようなもの昨日のうちに済ましておきなさいな」
「ああ、すまないねフキコさん」
「謝っている暇があったらさっさと仕事をはじめなさい! 今やあなたがこの家の主なんですからね。わかっているんですか?」


 若旦那は何も言わず、食卓の人達に一礼すると、そそくさと食堂を出て行きました。
 かのボウヤはそれを見送ると、私の方をチラと見て、不敵な笑みを浮かべてきました。
 私もそれに合わせて、他の人に気づかれないよう微笑を浮かべます。
 この意味をあのボウヤはどう捉えているのでしょうね。
 下らない茶番も、もうすぐ終わり。
 そう思うと、このメイド衣装も少々名残惜しい気がしてきました。
 あのボウヤ、服を選ぶセンスだけはまともでしたから。


 必ずやコスモニア家を復興させ、再びバラの咲く花園で茶会を開こう。
 そう誓い合って散り散りになった愛しの私の家族達。
 お姉様方、お父様、花の季節まであと少しですわ。


「奥さま! 奥さまー!」


 使用人の一人が息を切らして駆け込んできました。


「なんですか! 騒々しい!」
「屋敷の門の前に! 門の前にー!」
「門の前になんですか!」
「す、す、すごい数の記者たちが押し寄せてきています!」
「なんですって!?」


 そう言って彼女はは立ちあがり、窓辺までズカズカと歩いていくと、そっと外を窺い、さっと青ざめた表情を浮かべます。


「……彼らは何と言っているの?」
「お、温泉は偽物との情報を得たと……」
「なんてこと! 一体どこのネズミが……ちっ、まあいいですわ、いずれはバレることでしたもの。おまえ、今すぐ屋敷中の使用人を集めて庭に会見場を作りなさい。私が直々に説明します!」
「は! はいぃ!」


 使用人が慌てて飛び出していくと、食堂は深刻な空気に包まれました。
 事情を知らない長男と次男はポカーンとした表情のまま固まっていて、あのボウヤだけがしたり顔です。
 叔父と叔母にいたっては顔面蒼白です。
 奥さまにまっ先に疑われたしく、恐ろしい眼差しで睨まれ、そして小刻みに顔を横に振って、必死に否定しています。


「息子達や、自室に戻って情報収集なさい。どこぞの投資機関が私達の屋敷にスパイを潜入させているわ。どこのどいつか突き止めて、身包み剥いでケツの毛までむしってやるのよ!」


 三人の息子は何も言わずに席を立ちます。


「ドロシー! 記者達をおもてなしします。すぐに食事を用意なさい! そうね、頭がボーっとなるくらい甘いものがいいわ。そうシェフに伝えなさい! そして必要な材料を直ぐに買ってくるのよ。いいわね!」
「はい、ただちに……」


 私も食堂を後にします。お台所に向かい、うたた寝をしていたシェフを起こして用件を伝えます。
 シェフが必要な材料を書き出している間中、食堂の方から奥さまが声を荒げる音が聞こえていました。
 材料が書かれたメモを受け取って、買い物かごをもって勝手口から外に出ます。
 こちらにも何人かの記者が群がっていて。
 私を見つけるや否や、マイクとカメラを突きつけてきました。


「ひ、ひいぃ! 私はただのメイドですので……!」


 悲鳴を上げながら後ずさり、目に涙を浮かべながら、哀願するようにして記者達を睨みます。
 するとバツの悪そうな表情を浮かべた記者達が、そそくさと道を開けてくれました。
 私はそのむさ苦しい人だかりを小走りで通り抜けると、二つ角を曲がった先で立ち止まります。
 そして誰も居ないのを確認してから、買い物カゴの隠し底を開けて、その中身を懐に移し変えます。


「……うふふ」


 自然と笑みがこぼれます。
 あとは駅のロッカーにしまっておいた荷物を持って、宇宙港に向かうだけ。
 ああ、なんていい気分なのかしら。
 自由!
 やっと手に入れた自由!


 眩しい午前の日差しの中、遠い空の向こうに浮かぶユートピアを目指して走り出す。
 まるで足に羽でも生えてたかのように、軽やかに。















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