猫たちの惑星

ナガハシ

背徳の館 -青年ー

 お爺さまが倒れられた。
 あの母や叔父たちが、熱心な看病を続けているのだから、おそらくもう長くはないだろう。
 寝室を淡く照らすランプ。
 この腕の中で心地よさげに目を瞑る悲劇の令嬢。
 僕はドロシーと二人、こうしてベッドに横たわり、まだ見ぬ明日に思いを馳せているのだった。


 僕は彼女の髪を撫でつつ、一つ大きく深呼吸をする。
 そして彼女に向かって告げた。


「ドロシー、今から決行しようと思う」


 彼女のか細い肩がピクリと跳ねた。
 ドロシーは目を開き、上体を起こして僕の顔を覗き込む。


「とうとう、この時が来たのですね、紀夫さま」
「ああ、そうだよドロシー」
「上手く行くと良いのですが……」
「上手くいくさ、きっと上手くいく」


 不安げな表情を浮かべる彼女に僕は言う。
 そして電話を手にとり、スキャンダルに食いつく能力には定評のある、Z新聞社にコールした。
 ワンコール鳴るか鳴らないかのうちに、知り合いの記者が出た。


「僕だよ」
『これはこれは、紀夫さんじゃないですか。どうしたんですか? こんな遅くに』
「実はね、ちょっと重要な情報を知ってしまってね……かくかくしかじか」
『な、なんですってー!? それは大変だあー!』


 電話の向こうにざわめきが走るのを感じる。
 僕は温泉偽造事件の真相をありのまま全て伝えると、それ以上付け足しも差し引きもせずに電話を切った。
 彼らはたぶん、今夜は眠れないだろうね。


「始まりますわね、紀夫さま」
「ああ、僕の人生の始まりだよ」
「紀夫さまは、これから一体どんな事業を始めるおつもりなのですか?」


 そうドロシーは、さも不安げな表情を浮かべながら聞いてきた。
 やはりそこが気になるか。
 僕だって自分の将来に不安がないわけじゃない。
 でもプランはちゃんとある。
 それは夢かもしれないが、きっと追い求める価値のある夢だと、僕は思っている。


「城を作ろうかと思っているんだ」
「お城ですか?」


 ドロシーは意外そうでいて、どこか期待を込めたような眼差しでこちらを見てきた。


「……とてもお金がかかりそうですが、それで収益が上がるのですか?」
「お金を出すのは僕じゃない。この星の人々さ」
「はあ……」
「僕が資金を投入するのは、城を建てる場所を確保するためだけにさ。地球で実際に作られたという城の設計図をアーカイブから引っ張り出してきて、それを人々に配るんだ。作り方のノウハウも合わせてね。そうすればみんなで勝手にお城を作ってくれる。作った城は色んなことに使えるんだ。住むことも出来るし、仕事場にもなる。娯楽施設や集会場にしたって良いし、何か面白いイベントをやるものいい。僕はそんな彼らの営みの中から、少しずつ使用料を頂くんだよ」
「なんだか夢見たいな話ですわ。でも紀夫さまが言うのだから、可能なことなんでしょうね」
「お爺様の温泉を見て思ったんだ。この星に今一番足りないもの、それはコミュニティなんだってね。みんなで集まってワイワイやれるような場所だ。いまや大抵の生活必需品は工場で自動生産されるし、イリジウム・オブ・ホトトギスが稼動すれば、暮らしに必要な様々な雑用もしなくて済むようになる。きっと暇な人達が一気に増えるだろう。ねえドロシー。何もしなくても生きていける世界を君はどう思う? 何もしなくていい代わりに、何も手にすることの出来ない世界だ」
「はい……とても虚しい世界だと思いますわ。そんなふうに生きて、そして死ぬ時がきた時に、いったい何を思えばいいかわかりませんもの」


 僕は彼女の髪を撫でる。
 そうだ、その通りだよドロシー。
 君はやはり素晴らしい。


「僕の作る城は人々の生きる意味そのものになるんだ。『あの部屋は自分が作ったんだ』とか『あの堀は私が掘ったんだ』とか。『あのふすまの絵は俺が描いたんだ』とか。城作りに関わった人達がみんな、そう思って生きていけるような、そんな場所になるんだ。時の流れとともに城は際限なく大きくなっていくだろう。僕はその城の天守閣から、そんな人々の営みを眺めながら暮らすんだ。それが僕の、今のところの未来図さ」


 ドロシーは僕の話しを聞き届けると、とても嬉しそうな表情を浮かべた。


「そして私は、そんな紀夫さまのお側でお仕えするのですね」
「ああそうだよ、ずっと僕の側にいておくれ、ドロシー」


 彼女は僕の胸に顔をうずめると、肩を震わせながらクスクスと笑い始めた。
 もしかすると半分は泣いているのかもしれない。
 彼女の唇からこぼれ出る微笑みは、そういった感じの、なんとも例えようのないものだった。
 彼女はひとしきり笑い、そして泣くと。
 体を起こしてベッドの隅に腰かけた。


「どうしたんだい?」
「紀夫さま、私なんだか興奮してしまって、とても紀夫さまの隣では眠れそうにないんですの」
「いいじゃないか、ずっとおきていれば良い」
「いいえ、いけませんわ。紀夫さまはこれからがいよいよ大変なんですもの。私がそばにいては睡眠の妨げになるだけですわ。だから今夜は地下室の自分の部屋で眠ります。おやすみなさいませ……」


 まあ、それもいいだろうさ。
 君はもうすっかり僕のものなんだからね。


 あの親父が引き継いだ世暇家の自己株や証券の類は、明日にはきれいさっぱり紙切れと化す。
 けれども僕のあの金庫の中にある、祖父の財産の価値は消えない。


 ホトトギス惑星債――。


 この星そのものを担保にして発行されている債券だ。
 ホトトギスがブラックホールにでも飲み込まれない限り、この債券の価値が消えることはない。
 世暇家の実質的な財産は、いまやこの債権と屋敷の敷地くらいのものだろう。
 この資金をどう運用すれば、もっとも効率よく事業を起こせるか、僕は眠り際に取りとめも無く考える。


 もしすべてが上手くいって、僕がホトトギス城の天守閣で暮らせるようになったら、そのとき僕の瞳にはどんな世界が見えてくるのだろう。















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