猫たちの惑星

ナガハシ

猫の咲く丘

 この世のどこか、不思議な花の咲き乱れる丘に男は立っていた。
 色とりどりの花々は、よく見ると全部猫だった。
 葉は尻尾だった。花弁は耳だった。
 そして花弁の芯は猫の目だった。
 澄み渡る空と、萌え盛る大地。
 その間を吹き抜ける風に揺られて、猫の花達は笑っていた。


 男は呼吸さえままならない。
 胸がつまって苦しくて、心臓がドクドクと脈打っている。
 男は何とか一つ息をつく。
 その音に気づいた花々が、いっせいに男の方を見た。


“おまえは誰だ”


 無数の視線はそう問うた。


“お前はいったい何をした”


 無数の視線はそう問うた。


 無数の視線が投げかける詰問が、男の体の細胞を一つ一つ潰していく。
 男は思わずうめき声をあげ、体を抱えて震えだす。


『これが猫に裁かれるということか。なんと不思議で美しく、そして恐ろしい光景なのだろう!』


 男は心の内で叫ぶ。


 無数の猫の花に足が生え、男のまわりにザワザワと寄り集まってきた。


“お前をどうしてくれよう”


 無数の足音はそう言った。


“お前にはどのような姿がお似合いだろう”


 無数の足音はそう言った。


 猫の花達は、男に向かい、一斉に触手を投げかける。
 クモの糸のように細い触手が、幾重にも束ねられ、男の全身をなめ回していく。
 男の体は憑かれたように震えだし、やがて体中の穴という穴から液体が吹き出した。
 男の体がグズグズに溶けていく。
 男の魂が水飴のようにとろけていく。


 そして男はネズミになった。
 ネズミになって猫に追い回された。
 必死になって逃げるネズミを、何匹もの猫が面白そうに追いかけていく。
 すぐには捕まえず、もて遊ぶようにして追い詰める。
 恐怖のあまり、糞尿をたれながすネズミ。
 猫達はネズミを岩の窪みに追い詰めると、前足で蹴り始めた。
 ネズミは掠れた声で泣きわめく。
 泣く力すらなくなった頃に、ネズミはようやく解放される。
 四肢を千切られ、腹わたを食われて、最後に頭をガブリとやられた。


 そしてネズミは魚になった。
 小さく透明な稚魚の姿で、海を目指して泳いでいく。
 大きな魚に食われたり、ひどい乱流に飲まれてバラバラになったり、仲間達は次々と力尽きて川の底に沈んでいく。
 それでも魚は海を目指した。
 食べる側にまわれる程に大きくなれた者は一握りだった。
 魚は真っ暗な海を泳ぎまわって大きくなり、あるとき何かに引っかかって海の上に引き上げられた。
 魚の体は生きたまますりつぶされ、猫のエサとなった。


 そして魚はミジンコになった。
 触覚をせわしなく動かしながら水の中にプカプカ浮かんで、真っ黒な目で辺りを見渡している。
 同じような姿をした生き物がたくさん浮かんでいて、とても気持ちが悪かった。
 ミジンコは目の前に浮かんでいた丸い物を口の中に押し込んだ。
 噛んでつぶすと中から甘い液体がドロリと出てきて、腹の中に溜まった。
 これでもうしばらく世界を見つめていられる。
 そうミジンコが思ったとき、辺りがザワザワと揺らめいて、あっという間に真っ暗になった。
 一つの方向に水が流れてゆき、体が勝手に押し流されてゆく。
 やがて体中がピリピリしだした。
 魚の腹の中で少しずつ溶けているのだ。辺りは真っ暗で、たくさんの声なき悲鳴に満たされている。
 もう少しの間、明るい場所に居たかった。
 最後にミジンコはそんなことを思ったのかもしれない。


 何度も何度も生まれ変わり、生まれる度に何かに食われた。
 そうして男の魂が、綺麗さっぱり微塵と化した頃、光が渦巻く部屋の中、一匹の白い猫が姿を現した。


“君は君か? それとも私か?”


 男は白猫に向かってそう問いかける。
 猫はその白い不思議な眉毛をピクリとさせる。


“さあ、もうあと一息だ。私の全てを飲み込みたまえ”


 まもなく猫は目覚めるだろう。
 新しい体と心を得て甦った猫は、一体どんな世界を見ることになるか。


 扉は今まさに開かれようとしている。



















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