猫たちの惑星

ナガハシ

湯煙ハニートラップ -メイド-

 世暇家の若旦那、世暇誠――。
 彼があのジジイを騙して温泉詐欺を行っていることに、どうやら紀夫ボウヤは気づいたようです。


 さっきは少しヒヤっとしました。
 私とあのボウヤが内通していることを誠さんに知られるわけにはいかない。
 私は生きるために若旦那にすがっている哀れな妾として、ユートピア衛星に連れて行ってもらわないといけないのですから。


 しかし、あのボウヤがこの温泉の秘密を握ったとなると、少しやっかいです。
 勝手にこの温泉の秘密を暴露されたりしたら計画が頓挫してしまいますもの。
 温泉バブルが高騰して弾けるその裏で、密かに資金を動かしてボロ儲けする計画が。


 これって犯罪ですよね?
 まあ私には関係ありませんけど。
 ともかくバブルが弾けるタイミングを逃せば、あの人がユートピア衛星に逃れる時期も遅れてしまいます。
 さて、どうしたものかしら。


 お風呂場に入るとさっそく好奇の視線が飛んできました。
 物珍しげに私の体を見つめる黄色人種ども。
 その煩わしい視線を振り払いながら、入口から三番目の隙間の前まで行って腰を下ろします。


 胸を少し持ち上げるようにして腕を組み、湯面の上に少しだけ、胸の谷間を晒します。
 あのボウヤは仕切り板に沿って視線を走らせ、女湯を覗こうをする不埒な輩共を追っ払っているようですが。


「紀夫さま……参りました」
「ああ、待っていたよ、ドロシー」


 人のことを気安く呼び捨てにして。
 お前が横目で私の体を見ていることなど、すっかりお見通しなのです。
 若いわりには我慢できているみたいだけれど、本当は欲しくて仕方がないのね?


「紀夫さま、この温泉のこと、一体どういたしますの?」
「どうもしないさ。放って置いてもいずれ明らかになる、そうなれば世暇家の信用は地に落ちるだろう。だからそうなる前に祖父の財産を頂いて、その資金で新しい事業を起こす」


 温泉のことなどどうでも良いと?
 それも何だかつまりませんわね。


「まあ……でも、そんなことが出来るのですか?」
「お爺さまがあの父や母、愚鈍な兄達に財産を相続したがっているとは思えない。僕は母と父の悪巧みをお爺さまに教えるつもりだ。そして僕の事業計画を伝える。お爺さまは怒り狂うだろうけど、きっと僕に資産を分けてくれる。なぜならこの家でお爺さまを愛しているのは僕だけだからだ。この温泉の後始末は、みんな父と母が背負えばいいさ」
「大旦那様にはいつお話に?」
「出来るだけ早いほうが良い、明日にでも」
「そうですか……うまくいくことをお祈りしておりますわ」
「ありがとう」


 このとき私は、このボウヤが予想以上に使える人間だということに気づきました。
 このボウヤは今、ホトトギスの経済情勢を揺るがすほどの情報を握っているのです。
 これを利用しない手はない。
 私は慎重に言葉をえらんで、ボウヤに提案してみます。


「差し出がましいことを申し上げますが、紀夫さま。温泉の件につきましては、きっと紀夫さま自身の口でホンカワ市のみなさんに伝えるのが良いと思うのですわ」
「僕に内部告発をしろと言うのかい?」
「はい、ホトトギスの人達はきっと紀夫さまの潔白な人柄に心打たれると思いますわ。それはきっと、紀夫さまの今後の事業にも良い影響をもたらすはず……」


 私がそう言うと、板の向こう側がやけに静かになりました。
 ボウヤはまるで呼吸まで止めてしまったかのように黙り込んで、そしてなにやら頭の中で色々な思索をめぐらせているよう。
 竹筒から流れ出るお湯の音だけが、私達の間に流れます。


「ドロシー、君は本当に素晴らしい女性だ。事業が上手くいって、僕が新財閥を作り上げた時には、必ずやメイド長になっておくれ」


 ふふふ、かかってきたわ。


「はい、その時を待ちわびておりますわ……紀夫さま」


 温泉の効果で今頃、世暇HDの株価は急上昇しているはず。
 お父様はこの波にのって、一体どれだけお稼ぎになったかしら。
 そしてその波は必ず急降下する。
 このボウヤの告発によってね。
 そしてそのタイミングさえ今は私が握っている。
 急降下にあわせて大量の資金操作を行えばホトトギスはどうなることやら。
 うふふ……約束の時は間近ですね。


「紀夫さま、わたくし少しのぼせてきたようです……」


 そう言って私は、仕切り板に体をもたれさせ、板の隙間に胸を少しだけ押し込みます。
 さあボウヤ、男と女がお湯につかって秘密の会話をしましたよ?
 そのあと殿方がご婦人に対してとる態度がどんなものかくらい、お分かりのことでしょう?
 さあ!


「そうだね、そろそろ上がろうか。ドロシー、僕は本当に信頼できるパートナーを求めている。君が本当に信頼できる人かどうか、実はまだ確信を持てていないんだ」


 さあもっと、もっと思い上がりなさい。


「無理もありません、お金のことが絡むと人はとんでもない化け物になりますもの」
「そうだ、そうなんだ。僕は嫌というほどその例を見てきた。だからこそ、本当に心から信頼できる人を求めているんだ。僕はのぼせ上がったことを言っているかもしれない。だけどあえて言わせてもらうよ。僕に……僕に君を信じさせて欲しい。今夜、君を部屋で待っている」


 私はおかしさに顔が引きつりそうになるのを抑えて、しおらしい口調でこう伝えます。


「……はい紀夫さま。必ず参ります」


 彼が生唾を飲み下す音がはっきりと聞こえました。
 その音を聞いて私は、私の中で空回りし続けていた幾つかの歯車が、全てかみ合ったのを感じたのでした。















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