猫たちの惑星

ナガハシ

矯脳器 -青年-

「それでは紀夫お坊ちゃま、お勉強を始めましょう」
「ああ、始めておくれ、セバスチャン」


 堅いセラミクス椅子が一つだけポツンと置かれた広い部屋。
 ここが僕の学習スペースだ。
 床にはどの部屋よりも毛足の長い絨毯が敷かれ、壁はクッション材で覆われている。
 万が一、気のふれた僕が暴れまわっても大丈夫な作りになっているのだ。
 僕は一通り部屋を眺めてから深呼吸をする。
 そして椅子に腰をおろした。


 セバスが僕の足元に剣山プレートを置く。
 僕はそれを強く踏みしめる。
 これは意識を高いレベルに保ち続けるための、僕独自の工夫だ。
 そして頭の上にボウル型の矯脳器を取り付け、体が勝手に動いてしまわないよう、ベルトで椅子に固定していく。


「もう少しきつく」
「はい、お坊ちゃま」


――ガガガガゴゴゴゴ


 屋敷の外から岩を削るような音が聞こえてくる。
 祖父が庭で何かをやっているのだ。


「耳栓をしてくれないか?」
「はい、ただいま」
「今日の科目はなんだい?」
「量子サイコロジー理論とギャラクティック為替取引の相関についてでございます」


 ハイパー吸音ポリマー製のやたらと高機能な耳栓がされると、何も聞こえなくなった。
 目をつぶるとそこには静寂なる闇が広がっていた。


「ふむ、では始めてくれ」


 僕は静寂の闇に向かってそう投げかける。
 程なくして闇は反転し、限りない光の渦が僕の意識を満たしてゆく。
 その光の中に僕は様々なイメージを見る。


 両手に「嘘」の文字を持った人々が笑っている。
 スキンヘッドの男が頭の上に靴を載せて舌を出している。
 星と星の間にプラスとマイナスの粒子が漂っている。
 X-Y軸に描かれた曲線群が複雑に絡みあって竜になる。


 それら抽象的なイメージの数々が、稲妻の如く僕の頭に打ち込まれていく。
 強いストレスのために、僕の体は憑かれたようにビクンビクンと跳ね上がる。
 そのたびに僕は足の裏の剣山を強く踏みしめて、霞む意識にムチを入れる。
 歯を食いしばり、腹の底から脳天めがけて突き上げる、針のむしろのような不快感に耐える。


 時間にして10分たらずの矯脳学習は、通常学習の一週間分に及ぶ学習効果を僕にもたらす。
 しかしそれ相応の苦痛は覚悟しなければならない。


 矯脳学習が終わり、僕の世界に再びもとの静寂が訪れた。
 矯脳器を外され、耳栓を取られ、拘束を解かれる。
 僕のワイシャツは汗でじっとりしていて、肌にピタリと張り付いている。
 なんともえぬ不快感。
 まるで脳みそが岩になってしまったようだ。


「お疲れ様でございます」


 セバスから手渡された補強液をグッと飲み干す。
 そしてよろよろと立ち上がり、寝室に向う。
 記憶を定着させるための睡眠をとらなければならない。
 廊下に出ると、先ほどの掘削音がより大きく聞こえてきた。
 岩のように凝り固まった僕の意識に、それは例えようもなく不快に響く。
 祖父は温泉を掘って、その泉源を担保とした為替取引を行おうとしているのだ。


「時は金なりじゃ! 早く始めるほど、事業を大きく膨らませることができるのじゃ!」


 時折、作業員の肉体にムチが入れられる音が聞こえる。
 それとともに響く「アー!」というむさくるしいあえぎ声。
 祖父はこうした肉体労働が大好きなのだ。
 機械は人から働く喜びを奪う……とかなんとか、訳のわからないことを言って。


「お疲れ様です、紀夫様」


 寝室ではドロシーさんが蒸しタオルと着替えを用意して控えていた。
 僕が汗ばんだ下着を脱ぎ捨てると、彼女は蒸しタオルでせっせと僕の体を拭い始める。
 僕もそれを一枚もらい、顔の汗をぬぐい、脇の下を拭き、睾丸の裏側を拭く。
 さっぱりしたところで、ドロシーさんに手伝ってもらいながら、シルクの寝具を着る。


「それでは失礼します、おやすみなさいませ」


 そう言って退出しようとするドロシーさんの腕を掴む。
 そしてベッドに引きずり込む。


「紀夫さま!?」


 彼女の柔らかな体を抱きすくめ、接吻する。
 そのしっとりとした感触と甘い味わいは、僕の凝り固まった精神を解きほぐすのにうってつけのようだった。


「ん……んん! い、いけません紀夫さま……学習効果がなくなってしまいますわ!」


 彼女は僕の腕を振り解くと、泣きそうな顔をしながら部屋を飛び出していった。


「ふふふふ……」


 僕の鼻腔から自然と含み笑いがこぼれ出る。
 確かにね、ちゃんと勉強しないと、お爺さまがうるさいからね。


 僕は導眠剤のアンプルを腕にインジェクトしてベッドの中にもぐりこんだ。
 枕には少しだけだが、ドロシーさんの残り香がしみついていた。















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