猫たちの惑星
あさぼらけ -白猫-
東の空が明るみ始めた。
夜明けだ。
ゴミを出しにきた人々の、ガサゴソという物音とともに僕は目を覚ました。
「コンビニ」と呼ばれる建物の裏には暖かい空気のでる機械がある。
おあつらえ向きなことに、そこにダンボールが放り出されていたので、これはと思って昨夜はここを寝床に決めた。
耳がなくなるという奇妙な夢を見たが、久しぶりに良く休めたと思う。
「んんー」
日の当たる場所に出て、一つ大きく伸びをする。
昨日の夜遅くまで、知り合いになったあのオスの三毛猫とともに、とある豪邸の探索をしていたのを思い出す。
――なんだよただの財産争いか、くだらないぜ!
そんな三毛猫ふぐりのふくれ顔を思い出す。
ああいうわかりやすい猫は嫌いじゃない。
――あームカムカする! 帰って貴子ちゃんに撫で回してもらわないと気がすまないぜ。ところでおまえ、野良なんだろ? 寝る場所とかどうしてんだ? なんならうちに来たっていいんだぜ? 家の奴ら、なんかちょっと変だけど、とりあえず猫の居場所としては悪くないぜ? メシもうまいしな!
彼はそう言って僕をさそってくれたのだが、僕は丁重にそれを断った。
なんと言うか、野良猫なりのプライドみたいなものだ。
――家の奴ら、なんかちょっと変だけど。
そんな彼の言葉が、僕の気まぐれな猫脳をくすぐった。
気がつけば僕の足は自然と彼の住む家に向かって踏み出されていた。
薄汚れたコンクリ壁のアパートが連なる、雑多な住宅地。
ゴミくずや生活用品が散らばる小路を早足で抜けていく。
やがて人の背よりも高い、壁のような塀に突き当たる。
僕は近くに転がっていた「ホンカワビアー」と書かれた黄色いケースを足場にし、そこから思い切って飛び上がった。
「よっと」
壁の上に前足を引っ掛けてよじ登ると、朝焼けに照らし出されたホンカワ市の街並みが開けた。
僕がいま飛び乗った塀のこちら側は貧しい人々の町、向こう側は豊かな人々の町になっている。
富裕者の街の方は、セラミクス瓦や合成木材、プラスチックを使用した、ファッショナブルにしてトラディショナルな一戸建住宅や集合住宅が並んでいる。
一方、貧困者の街は、どこまでも続くあばらやの海だ。
どうしてこの街はこういう状態になっているのか、猫の僕にはさっぱり解らないのだけど、きっと人間にとっては大事な決まりなのだろう。
三毛猫ふぐりの飼われている家は、限りなく貧困層に近い富裕層の街にあった。
両者を隔てる壁に半ばめり込むようにして、木造瓦葺き屋根の家が建っている。
玄関前の小さな庭には、人の背ほどの松の木が立っていて、表札には『星川』と書かれている。
僕は一階部分の屋根に飛び乗ると、二階の窓の前で「ニャー」と鳴いてみた。
程なくして、細い木を組んで作られた和風な窓の向こうに、彼が顔をだした。
「うひょ!」
ふぐりは彼特有の引きつった笑みを浮かべると、窓の近くをウロウロし始めた。
すると今度は、長い黒髪がヤマト人形のように美しい、ミカン柄のかいまきを着た女の子が現れた。
女の子は僕に気づくと、ぱっと表情を明るくし、窓を開けてこう言ってきた。
「もしかしてふぐりのお友達!? 寒いでしょ? どうぞ入っていらっしゃい!」
僕はその導きに従い、かつ猫らしい警戒心も忘れずに、ソロソロと窓辺に歩みよる。
「怖がらなくてもいいのよ? 待ってて、今お御飯を持ってきてあげます!」
女の子が部屋から出て行くのを確認してから窓辺に駆け寄り、そして首を突っ込んで部屋の中の匂いを嗅ぐ。
木材とたたみ、そして女の子の体の、石鹸みたいな香りがした。
確かに、猫が暮らすには悪くない場所のようだ。
「来ると思っていたぜ」
「君のような猫を飼っている人々に興味がわいたんだ」
「ぶにゃ? それってどういう意味なんだぜ?」
部屋の扉の向こうから、人が階段を駆け上がる音が聞こえたので、僕はとっさに身を伏せた。
さきほどの女の子が、食べ物をかかえてやってくる。
「はい白猫さん! どうぞ召し上がれ!」
窓際に置かれた漆塗りの皿。
その上にコンモリと盛られた食べ物は、どうやら焼き魚をほぐしたもののようだった。
まだホクホクと湯気をたてている。
急激にこみ上げる食欲に背筋がワナワナと震え、思わず尻尾がピンと立ってしまう。
「むうう……」
「なんだ食わねえのか? じゃあオレっちが頂くぜ!」
僕が食べようかどうか迷っていると、ふぐりが先に食べ始めてしまった。
「ああ! いけませんふぐり! お客さんが先でしょ!」
そんな言葉も馬耳東風ならぬ猫耳東風。
遠慮する様子は微塵もなく、ガツガツと食らいついている。
「めっちゃうまいぜ! お前も食えよ!」
これで僕が一口も食べなかったら、女の子は面目丸つぶれだろうな。
「では、頂くことにしよう」
はらぺこの僕達が大盛り焼き魚フレークを平らげるのに、そう時間はかからなかった。 女の子は窓辺の机の上に頬杖をついて、僕たちの姿を幸せそうに眺めてきていた。
「おいしい?」
途中で女の子がそう聞いてきたので、僕はせめてもの礼儀に「にゃー」と鳴いて答えてみせた。
夜明けだ。
ゴミを出しにきた人々の、ガサゴソという物音とともに僕は目を覚ました。
「コンビニ」と呼ばれる建物の裏には暖かい空気のでる機械がある。
おあつらえ向きなことに、そこにダンボールが放り出されていたので、これはと思って昨夜はここを寝床に決めた。
耳がなくなるという奇妙な夢を見たが、久しぶりに良く休めたと思う。
「んんー」
日の当たる場所に出て、一つ大きく伸びをする。
昨日の夜遅くまで、知り合いになったあのオスの三毛猫とともに、とある豪邸の探索をしていたのを思い出す。
――なんだよただの財産争いか、くだらないぜ!
そんな三毛猫ふぐりのふくれ顔を思い出す。
ああいうわかりやすい猫は嫌いじゃない。
――あームカムカする! 帰って貴子ちゃんに撫で回してもらわないと気がすまないぜ。ところでおまえ、野良なんだろ? 寝る場所とかどうしてんだ? なんならうちに来たっていいんだぜ? 家の奴ら、なんかちょっと変だけど、とりあえず猫の居場所としては悪くないぜ? メシもうまいしな!
彼はそう言って僕をさそってくれたのだが、僕は丁重にそれを断った。
なんと言うか、野良猫なりのプライドみたいなものだ。
――家の奴ら、なんかちょっと変だけど。
そんな彼の言葉が、僕の気まぐれな猫脳をくすぐった。
気がつけば僕の足は自然と彼の住む家に向かって踏み出されていた。
薄汚れたコンクリ壁のアパートが連なる、雑多な住宅地。
ゴミくずや生活用品が散らばる小路を早足で抜けていく。
やがて人の背よりも高い、壁のような塀に突き当たる。
僕は近くに転がっていた「ホンカワビアー」と書かれた黄色いケースを足場にし、そこから思い切って飛び上がった。
「よっと」
壁の上に前足を引っ掛けてよじ登ると、朝焼けに照らし出されたホンカワ市の街並みが開けた。
僕がいま飛び乗った塀のこちら側は貧しい人々の町、向こう側は豊かな人々の町になっている。
富裕者の街の方は、セラミクス瓦や合成木材、プラスチックを使用した、ファッショナブルにしてトラディショナルな一戸建住宅や集合住宅が並んでいる。
一方、貧困者の街は、どこまでも続くあばらやの海だ。
どうしてこの街はこういう状態になっているのか、猫の僕にはさっぱり解らないのだけど、きっと人間にとっては大事な決まりなのだろう。
三毛猫ふぐりの飼われている家は、限りなく貧困層に近い富裕層の街にあった。
両者を隔てる壁に半ばめり込むようにして、木造瓦葺き屋根の家が建っている。
玄関前の小さな庭には、人の背ほどの松の木が立っていて、表札には『星川』と書かれている。
僕は一階部分の屋根に飛び乗ると、二階の窓の前で「ニャー」と鳴いてみた。
程なくして、細い木を組んで作られた和風な窓の向こうに、彼が顔をだした。
「うひょ!」
ふぐりは彼特有の引きつった笑みを浮かべると、窓の近くをウロウロし始めた。
すると今度は、長い黒髪がヤマト人形のように美しい、ミカン柄のかいまきを着た女の子が現れた。
女の子は僕に気づくと、ぱっと表情を明るくし、窓を開けてこう言ってきた。
「もしかしてふぐりのお友達!? 寒いでしょ? どうぞ入っていらっしゃい!」
僕はその導きに従い、かつ猫らしい警戒心も忘れずに、ソロソロと窓辺に歩みよる。
「怖がらなくてもいいのよ? 待ってて、今お御飯を持ってきてあげます!」
女の子が部屋から出て行くのを確認してから窓辺に駆け寄り、そして首を突っ込んで部屋の中の匂いを嗅ぐ。
木材とたたみ、そして女の子の体の、石鹸みたいな香りがした。
確かに、猫が暮らすには悪くない場所のようだ。
「来ると思っていたぜ」
「君のような猫を飼っている人々に興味がわいたんだ」
「ぶにゃ? それってどういう意味なんだぜ?」
部屋の扉の向こうから、人が階段を駆け上がる音が聞こえたので、僕はとっさに身を伏せた。
さきほどの女の子が、食べ物をかかえてやってくる。
「はい白猫さん! どうぞ召し上がれ!」
窓際に置かれた漆塗りの皿。
その上にコンモリと盛られた食べ物は、どうやら焼き魚をほぐしたもののようだった。
まだホクホクと湯気をたてている。
急激にこみ上げる食欲に背筋がワナワナと震え、思わず尻尾がピンと立ってしまう。
「むうう……」
「なんだ食わねえのか? じゃあオレっちが頂くぜ!」
僕が食べようかどうか迷っていると、ふぐりが先に食べ始めてしまった。
「ああ! いけませんふぐり! お客さんが先でしょ!」
そんな言葉も馬耳東風ならぬ猫耳東風。
遠慮する様子は微塵もなく、ガツガツと食らいついている。
「めっちゃうまいぜ! お前も食えよ!」
これで僕が一口も食べなかったら、女の子は面目丸つぶれだろうな。
「では、頂くことにしよう」
はらぺこの僕達が大盛り焼き魚フレークを平らげるのに、そう時間はかからなかった。 女の子は窓辺の机の上に頬杖をついて、僕たちの姿を幸せそうに眺めてきていた。
「おいしい?」
途中で女の子がそう聞いてきたので、僕はせめてもの礼儀に「にゃー」と鳴いて答えてみせた。
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