ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

優しさは忘れない 3

「竹下さんは、昔はプログラマーをやっていたんですってね」
「ええ、そうですけど……」


 その日の夕方、各棟に設けられた共有スペースで寮長と竹下さんが話し合いを始めた。


 私もまたその場に同席する。
 監視という役割もあるが、それ以上に今は、場の雰囲気を和ませるという効果を期待されてのことだ。
 寮に配備されているELFの多くが女性型なのは、その心理的効果を狙ってのこともある。


 ELFはここで記録係と仲裁者を兼ねた存在として機能し、1対1の話し合いで生じがちな軋轢を緩和する効果をもたらす。


「子供たちの中に、ELFに興味を持っているのがいるんですが、どうですか、講師をやってみませんか? 給料もつきます」
「ええ……?」


 寮長が単刀直入に提案すると、竹下さんは露骨に嫌そうな顔をした。
 彼はかつてプログラマーとして働いていたが、激務が祟って鬱病になってしまった経緯がある。 


「なんでまた、僕なんか……。最近のAIのことなんて全然わかんないし……」
「それでもいいんですよ。なんとなく概略みたいなものでいいんで、教えてやってもらえませんか。きっと子供たちも喜びます」


 何かしらの役割を振ってみるというのは、住民の意欲を回復させるための常套手段だ。
 特に趣味もなく、生き甲斐もなく、ただ漫然と日々を過ごしていると、人はどんどん生きる意欲を失っていく。
 大会などのイベントに参加するだけでもかなり違うのだが、竹下さんは自分からは何もしようとしない。これで寮長の勧めにも応じないようであれば、通院勧告などの厳しい措置を取らざるをえなくなるのだが、今も竹下さんは、陰鬱な表情を崩していない。


「竹下さん、言いにくいんですが、このままだとダメになってしまいますよ」
「う……」


 寮長はそこでズバリと切り込んでいった。
 竹下さんは一瞬、助けを求めるような視線を私に送ってきたが、すぐにそれが意味の無いことだと気づいてうつむいてしまう。


「とにかく今は目標を持つことです。すぐに講師をやるのが難しいのであれば、少しづつでも勉強しましょう。私も手伝いますから」
「でも、昔のことを思い出しちゃうんです……」


 そう言う竹下さんの目には、長年に渡って差別的な扱いを受けてきた人に特有の萎縮が見られた。
 過去に相当なストレスに苛まれてきたことが伺える。 


「何もしなかったら何も変わりません。今度の相手は、無茶な要求をしてくるクライアントでも上司でもないんです。好奇心に目を輝かせた子供たちなんですよ? きっと良いことが起こると私は思うんです」
「でも……もう何もしたくないんです! わかっているんですけど……何も」


 竹下さんはそう言って深くため息をついた。
 寮長もまたがっくりと肩を落とす。


 しかし私は、竹下さんの言葉の中に、まだ消えきっていない火種があることを感じていた。
 何か背中を押すものが必要なのだ。


「ELF、について、学ばれるのですか?」


 気づけば私は口を挟んでいた。


「えっ?」「ええ?」


 予想だにしない私の言葉に、2人とも慌ててこちらを振り向く。
 何らかの指示を受けない限りは、こういった場面でELFが自ら口を開くことはない。


「もし、ELFについて、学ばれるのでしたら、私にも、お手伝いが、できそうです。私は、私自身の構成情報について、ある程度の、解説をすることが、可能です」


 私は、呆然としている竹下さんに向かって、あえて人間らしい笑顔を浮かべた。


「お、おおお……」
「ELFのことは、ELFに聞くのが、一番でしょう。是非とも私を、竹下さんの、再学習に、参加させてください」


 竹下さんは流石プログラマーなだけあって、私が今、自発的に発言したことの異質さに気づいたようだ。
 これなら望みは十分にある。


「あ、あの、こちらのELFはいったい……」
「ええ、知人からレンタルしているんですが、やけに性能がいいというか、気が利くんですよね。技術の進歩ってのはすごいもんですねえ」
「いやあ、それにしても……これは」


 まるで本当の人間のようだ――そう竹下さんが言いかけたのは間違いない。
 これ以上は正体がバレてしまいそうなので私は口をつぐむ。
 ELFのふりをするのも大変だ。


「で、どうですか? ナナさんも応援してくれてますよ」
「ううん……その……ちょっとナナさんに聞いても?」
「はい、なんなりと」
「その……TPUはどれだけのものを積んでいるんです?」


 そう私に聞いてくる竹下さんは、少しだけ技術屋の顔を取り戻していた。







コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品