ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

マイ・ドリーム 4

 夕方のアイドルタイムが終わる頃に、マスクをした石沢がゴホゴホ言いながらやってきた。
 予想以上にエネルギー残量が減っていたので、ナナは余計な残業はせず家路につく。


 そして道すがら一日の反省――終わりなき最適化計算――をするが、改善事項として浮かび上がってくるのは、自分自身の行動よりも、むしろ店舗設計の不備だった。
 パフェの注文が入るだけで作業が手詰まりになるなど、原理的に回避不能な不具合があるのだ。


 せめて会計とオーダーをスマート化することができれば、たちどころに改善されるのだが、経営者はあくまでもムーンテラスを昔ながらの喫茶店にとどめておきたいらしく、ナナが考えているような改善が実施される気配はまったくなかった。
 

 あとは人員を増やす以外に術はない。
 そのためには時給額を上げる、もしくは就業環境を改善する必要があるが、店の経営内容からいってそのどちらも難しそうだった。 


 ムーンテラスでは、全ての商品を庶民的な価格に抑えるため、すでに限界を超えたコストダウン策が講じられている。
 肝心のコーヒーに至ってはインスタント製品が用いられており、給仕に関わるサービスの質も相当に落ちてしまっている。


 そのような状況で、スタッフ確保のために賃金を上げるという発想など出て来るはずもなく、ただひたすら今いる人員に負担を強いるしかないのだった。
 美香がしばしば厳しく当たってくることも、上層部からの重圧によるストレスが原因となっているようだ。


 つまりは人の手によるサービスを指向していながら、実際にはそれに重きをおけていないという矛盾の中で、ただ安価に時を過ごせる場所を提供することに固執しているだけと言える。
 それならば客としても、他に様々な選択肢があることだろう。
 魔法瓶に淹れたインスタントコーヒーを持って出掛けても良いし、コンビニのイートインで済ませるにしても、今はかなり質の良いコーヒーが飲める。


 ナナは当初、ムーンテラスを訪れる客の動機が『人間が働いている喫茶店でとにかく安く寛ぎたい』というものだと考えていた。
 しかしながら、実際の客の殆どはナナの接客に関心を示さないことから、今では『検索意欲の低い顧客がたまたま居着いている』だけではないかと考えている。


 ならば尚の事、他の代替手段に客が流れていってしまうのは時間の問題だった。
 そのような危機的状況にある店で美香が働いている理由は『子供の頃からの夢』という極めて純粋なものだった。


 今も昔も『食べもの屋さんで働く』というのは、お嫁さんに次ぐ女子児童の憧れではあるが、今ではその仕事も減ってきている。
 経営状態が良く、給与と環境が素晴らしい職場となると、かなりの競争率となるだろう。


 そこで妥協を重ねていった結果、高めの時給を設定してもスタッフが集まらないような店に行き着いたと推測される。
 果たして今の状況が本当に彼女の求めるものなのか、それはナナには判断のつかないことだったが、喫茶店で働きたいという意欲のみで支えられている彼女の心理は、実際かなり儚いものなのではないかと推測された。 


 ともあれ、店舗運営に口をはさむような権限を持っていない以上、このようなことを考えることに意味はない。
 ナナは『家で野菜カットの練習をする』ことが、現状最も好ましい行動であると判断し、包丁と野菜を購入するべく、帰宅路の途中にある100円ショップに入った。


 100円ショップはその名の通り、全商品が100円に統一されているため、精算にあたっては購入した品物の点数だけがわかれば良い。
 そのため、AIカメラによる行動分析との相性が良く、比較的簡単に無人店舗を構成できる。
 客は好きなように商品を選んでバッグに入れたら、あとは出口に置かれた読み取り機で決済するだけだ。


 店内でキャベツを探していた時、ナナは不審な行動をする女性を発見する。
 その客は、お惣菜をマイバックに入れたり出したりし、時々読み取り機に向かっては会計金額を確認して戻ってくるという行動を繰り返していた。
 どうやらカメラが見間違いを起こすのを期待しているようだが、現代技術をごまかすことは難しいようだ。


「……ゲ、ゲフンッ」


 ナナの視線に気づいた女性は、咳払いをするとそそくさと店から出ていった。
 ナナは売り場の前で意味もなく荒らされた惣菜のパックをしばし見つめ、綺麗に並べなおしてから買物に戻る。
 ムーンテラスで働くようになってから、こうした物品の乱れに対する注意の優先度が有意に上昇しているが、その理由は定かではない。


 このようにして、国家機密としては妙に所帯じみた日々が過ぎていった。


 喫茶店の仕事は、一定のイレギュラー要素――いわゆる理不尽さ――を伴っていて、ナナの演算機能に適度な負荷を提供した。
 また、職業安定所とは違った人々との触れ合いがあり、より実体に近い人間像をデータベースに提供した。


 なぜ人は喫茶店を利用するのか。それが目下、ナナの興味を引くところとなった。


 コーヒーにカロリーは殆ど無く、食事は家で作ったほうがよほど安く、なおかつ店内がいつも快適であるとは限らない。
 合理性だけを突き詰めていけば、喫茶店そのものが不要との結論は避けられないにも関わらず、その場所は今も世界中で必要とされている。


 ナナが観察した限りにおいて、喫茶店に訪れる人間は大きく2つに分類される。
 1つは習慣としてそこを訪れる者、もう1つは、他にすることを思いつかず暫定的にそこを訪れる者だ。
 前者の注文は聞くまでもなくわかり、後者は席についてからしばらく悩み続ける。


 習慣という言葉を習性と置き換えるとしっくりくる。
 街灯に虫が吸い寄せられるように、人もまた喫茶店に吸い寄せられる習性を持っているのだと考えると、それ以上余計なことを検討しなくて済むのだ。
 きらびやかな夜景のことを、人を誘引するためのキノコだと言った男の言葉を、ナナは不覚にも否定できない。


 どんなに考えても喫茶店はただの喫茶店であり、人々を誘引することで資金を得る場所であり、あってもなくても生活上の不便が無い場所だった。
 もし仮に、世界から一切の喫茶店が消え失せたとして、失われるものはただ一つ『喫茶店で時を過ごすという体験』でしかない。 


 ある日、家で大量のキャベツの千切りを作っていた時、ナナはあるひらめきを得る。


――全ての人間は、喫茶店に行くために生まれてくるのでは?


 喫茶店に行くことが生きとし生ける者全ての目標であるならば、喫茶店の存在に合理性が伴わないことにも説明がつく。
 さらには、喫茶店を定義する要素たる『空間・給仕者・飲食物』の3つを備える場所を限りなく普及させることが、人類の究極目標であることも決定する。


 これは不毛な思考循環を断ち切り、計算リソースを節約するという点においても、まさに画期的な発見だった。
 人には様々な嗜好があり、各々が常に自分にとっての最高の喫茶店を求めていると仮定する。
 その場合、最も喫茶店から遠くにいる人物を、その者が望む喫茶店へと到達させることが出来れば、人類の究極目標は達成されると言えよう。


 ナナは自身が知る限り、もっとも喫茶店から遠い人物は誰かと検索し、それを諏訪真司その人であると断定する。
 およそ喫茶行為を嗜むという概念から遠い彼が、唯一関心を示したものは何だったか。


 それはコーヒーの味である。


 コーヒーの味を向上させることが、唯一人類を究極の場所へと導き得るのではないか。
 そんな考えに至ったナナは、包丁を握りしめたまま、しばしキッチンで立ちつくした。







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