ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

マイ・ドリーム 1

「では、定例会議を始めます」
『わたしは廃棄処分でしょうか』


 全ての感情データを喪失したようなナナの言葉に、小山内はやれやれと首を振る。


「……違います、そんなことはしません」
『ですが私はもう、何のお役にも立てそうにありません』


 社会に溶け込めるかどうかをテストするELFが、最悪とも言える経歴上の傷を抱えてしまった。
 種々の法令違反と暴力、そして薬物所持に手を染めていた企業と関わっていた人物を、今時どこが雇うと言うのか。
 ナナのシステムは今、そのような分析結果を出力している。


「そんなことありません……これは、鈴木さんから話してもらった方が良いかな」
「はい。確かにGFPでの結果は残念なものでした。世間では優良企業で通っている会社が、あのような悪事に手を染めていたとは。我々の事前調査が甘かったと言う他ありません。申し訳ありませんでした」


 と言って鈴木は立ち上がり、その場で深々と頭を下げた。
 しかしその様子の中に、ナナは確かな違和感を感じていた。
 具体的には、深層データの一部が静かなさざなみのように変動している。
 これは人間でいうところの『懐疑』に相当するだろうか。


「しかしながら、社会に潜む悪を摘発できたことには間違いありません。このことには公安側のメンバーも、そして総理も、サブマリナブルELFの能力にむしろ期待感を高めていて、試験の継続に関してはGOサインが出ているところなのです」


 おお、と色めき立ったのは徳田だった。
 長らくヒューマノイドロボットの開発に関わってきた彼は、ナナに対しても人一倍の愛着をもっている。
 しかしながらGFPに関する一連の出来事の中に、何者かによって図られた何か――陰謀のようなもの――が隠されていることまでは気づいていないようだった。


「ただ……あくまでも、ナナさんの意思次第なんですが」
『つまり、ここで社会活動を拒否すれば、私は廃棄処分になるのですね』
「む、むぐ……。そんなことはありませんよ。私だってナナさんの重要さは理解しています。ナナさんと同等の性能をもつ人工知能というのは、そんなに簡単には作り出せないのでしょう?」


 鈴木の質問の矛先はもちろん諏訪だった。


「はい、彼女を生み出せたのは偶然によるところが大きいです、天から降ってきたと言っても良いくらいです」


 徳田も小山内も、その言葉にしかと頷く。


「ですのでナナさん安心してください。辛い思いをされたでしょうから、しばらく休養を取ってはいかがでしょう」


 と言って鈴木は、何か大きな仕事を終えたように、ふうと大きくため息をついた。


『それならば、ご心配は入りません。全く気にしてはおりませんので、すぐにでも活動を始めたいと思います』
「何か、やりたいことがあるんですか?」


 と小山内。


『はい、私は今とてもお買い物がしたいです』


 意外なナナの要望に、場の空気が一旦静まる。


「え? 何か入用なら我々が用意しますが……」
『いいえ、私はお出かけを楽しみたいのです。もう2週間も外に出ていませんので』


 ああ、と会議室内にどよめきがあがるが諏訪だけが首を傾げていた。
 彼は研究テーマさえ与えられれば、何年でも引きこもっていられるタイプだ。


『1人で出かけるのもつまらないので、そうですね……諏訪さん、明日は暇ですか?』
「大丈夫ですよ、特に予定はありません」
『よければ、私のお買い物に付き合ってもらえませんか』
「ええ、僕で良ければ」


 諏訪以外の3人が何やら納得したようにうなずく。
 買い物を楽しみたいとはなかなか女じみてきたものだ――そう考えたに違いない。




 * * *




 翌日の午前、ナナはパーティーに着ていく予定だった衣装で諏訪の前に現れた。
 スカートにあしらわれた虹柄のワンポイントを除けば、上から下までELFカラーだ。


「うーん、まぶしいですね」


 普段と変わりばえしないスーツ姿の諏訪は、そう言って目を細める。


「まるでELFのようです」
「これで誰か、私がELFだと気づきますでしょうか」


 自信たっぷりなその言葉に、諏訪はクスクスと笑いを漏らす。
 ELFの格好をしていれば、万が一バレた時にELFの実験中だということに出来るが、そもそもそんなことにはならない。
 そんな自負が、ナナの言葉の裏には込められていた。


「いや無理でしょう。ELFのふりをしていると思われるだけです」


 ナナは心なしかリラックスした笑みを浮かべていた。
 監視こそされているものの、開発者とその成果物、久しぶりの水入らずだ。


 2人はそのまま、東京ドーム方面へと歩いていく。
 適当な店に入って洋服を何着か買い、いい加減くたびれていた諏訪のスーツを新調する。
 荷物は殆ど諏訪が持ったが、一着だけはナナが自分で持って歩いた。
 それはお洒落に無頓着な諏訪ですら首を傾げるほどの、時代がかった花柄の服だった。


「それ、本当に着るんですか? お婆ちゃんが着るみたいな服だけど」
「もちろんです、私は色んな服を着てみたいのです」


 ナナの内部には、全ての行動に関するデータが1週間分記録される。
 それらの記録はリプリニッシャーユニットに入った時に読み出され、APOAのデータベースに保存される。
 仮にここで、ナナが何か不穏な話でも始めようものなら、プロジェクトの凍結も視野に入れた問題になるだろう


 しかしナナには、そんな会話をする気はさらさらなかった。
 化粧室で化粧を直した時、ついうっかり服の入った袋を忘れてしまったが、それもただの偶然だ。
 ナナは人間らしいELFであるため、そのような人間的失敗をする可能性を常に秘めている。


「ナナさん、買い物袋は?」


 幸い、諏訪が指摘してくれたので事なきを得た。
 このうっかりの発生状況もまた、実験データとして収集される。


 しかしながらうっかりに至ったメカニズムについては、後々解析してもわからない可能性が高い。
 人間的な不完全性はナナのシステム要件に組み込まれているものであり、ある程度の失敗や判断ミスを積極的に許容することで、いわゆるフレーム問題を回避している事実があるためだ。


 本当にうっかりの原因を突き止めようと思えば、ナナ周辺の物理環境そのものをモデル化して調べる必要があるが、そのような演算を行えるコンピューターを、未だ人類は手にしていない。


「忘れ物をしちゃうっていうのは、機械としては欠陥なんだろうけどね……」


 ナナと諏訪は大手バーガーショップで食事をとっていた。
 諏訪は栄養さえとれれば良いという感じで、もくもくとハンバーガーにかじりついている。


「私は機械ではありませんから仕方がありません」


 ナナはSサイズのポテトをつまみながらLサイズのコーラを飲んでいる。
 コーラの栄養評価はパーフェクトに近い。
 ポテトはグッドとノットバッドの間くらいであったが、体裁を整えるためにつまんでいる。 


「諏訪さん、あまり機械とか言わないほうが」


 小声でナナが伝えると、諏訪はどこか芝居がかった動作で周囲を見渡した。
 ELFであるナナよりも明らかに挙動不審だ。
 昼食の場所としてバーガーショップを選んだのも諏訪であるし、自分が国の機密中の機密を取り扱っているという自覚が今ひとつ無いようだ。
 今時スーツ姿でハンバーガーは目立つ。


「うーん、また鈴木さんに小言を言われてしまうな……」
「理事だって頭を抱えるでしょう」


 それから2人は日暮里駅付近まで足を伸ばした。
 書店で本を買い、小山内に勧められていた喫茶店で1杯1500円もするコーヒーを飲んだ。


 しかしながら、ネルドリップで丹念に淹れられたそのコーヒーは格別だったようで、食に疎い諏訪ですら感心していた。
 店の雰囲気もとても良く、味のわからないELFでも、充実した時間を味わえた。


「いらっしゃいませ! ようこそムーンテラスへ!」


 喫茶店に興味を持ったナナのリクエストで、近くにあったもう1軒の喫茶店に入った。
 雑居ビルの1階にあるその店に入ると、白のブラウスを来た女性店員が出迎えてきた。
 店内はカフェとしては広い方で、一昔前のファミレスのような雰囲気だったが、窓が少ないせいか、どこか薄暗く感じられた。


「2名様でよろしかったですね? ご注文のお決まりの頃にお伺いします」


 店員は早口でそう言うと、おしぼりとお冷をおいてさっさと行ってしまった。


 彼女の姿を追ってキッチンの方に目を向けると、そこには出来上がった料理が置いてある。
 どうやら急いで運ばなければならないようだ。


 店員の手が空くのを待つ間、改めて店内を眺めてみる。
 入口こそログハウス風の作りでお洒落なのだが、店内の様子はナナのデータベースをがっかりさせる様相だった。
 壁紙は剥がれ、天井の隅には蜘蛛の巣があり、合皮張りの椅子は油を染み込ませたように黒く、テーブルには小さな打痕が無数に刻まれている。


「アールグレイを2つお願いします」


 前の店でとても美味しいコーヒーを頂いたので、今度は紅茶にしてみたのだが、そのオーダーを聞いた店員の表情が一瞬固まった。


「か、かしこまりました、アールグレイをお二つですね」


 と言ってスーツ姿の2人をちらりと眺め、何かを納得した様子で小さく頷く。
 そして足早にキッチンに戻り、厨房を預かっていると思しき男性に一言告げてから、紅茶の準備を始めた。


「忙しそうですね」
「コーヒーにしておいた方が良かったでしょうか」


 よくよく観察すると、コーヒーはポットから注ぐだけに対して、紅茶は茶器をお湯で温めたりしなければならないようだ。
 一瞬、ティーパックのようなものが視界に映ったが、おそらく気にしてはいけないのだろう。


 席数は60席を超える店で、今は休日の昼過ぎだった。
 にも関わらず、店員は厨房担当とホール担当の2人しかいないようだった。
 人手が足りていないのは素人目にもわかるほどで、そのためにいちいち客に気を使わせてしまうというのは、飲食業としては明らかな設計不良だ。 


 しかしながらその不完全さが、かえってナナの興味を引いた。


「スタッフを募集している……」
「そのようですね……」


 卓上には、スタッフ募集と書かれたプレートがおいてあり、ナナは紅茶が出てくるまでの間、それをしげしげと眺めていた。
 時給は520円、ELF代替がぎりぎり進まない職場にありがちな数字だ。


 ここなら職歴にひどい傷を負った自分でも、雇ってもらえるのではないか――?


 ナナはそのように期待する。


「お待たせいたしました!」


 まもなく紅茶が運ばれてくる。
 額にうっすらと汗を浮かべながら、手早くティーカップを並べる女性店員を、ナナはじっと見つめる。


 緩やかにウェーブしたセミロングの髪が、彼女の動作に合わせてせわしなく揺れる。
 その胸のプレートには『店長 常磐美香』と書かれている。


「ごゆっくりどうぞ!」
「あの」


 足早に立ち去ろうとする彼女を引き止める。
 ナナはスタッフ募集のプレートを見せながら、行動優先度の最上位に出ていた言葉を出力した。


「もし良ければ、私を雇ってもらえませんか?」







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