ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

先端技術の使い方 10

 ナナがニワイ達の思想を良しとしなかった理由はいくつかある。
 まず第一に、多くの人々の生活を著しく阻害するものだからだ。


 2つめには、やはりロジカルな矛盾があるためだった。
 彼らの言う『ヒトを超えた存在』なる者は、結局のところ機械に支えられることで成り立つものだ。
 彼ら自身の言う『機械に飼われる豚』とどこが違うと言うのだろう。


 最後に、彼らの想像する未来には、学芸員の仕事は無いからだった。
 それどころか、イルカ調教師もメイド喫茶店員も無いだろう。
 ナナの心理プロセスは、そのような世界で活動し続けることをまったく支持しなかった。


「具体的な内容を教えてもらえませんか」


 ナナは超然とした態度で問いかける。


「んん? まるで、そういう目にあってみたいとでも言うようだけど……?」
「はい、確かに興味がありますね。ミナミさんの言う、選ばれた存在の生活というものは体験させてもらいましたが、女として最悪の最後というのはまだ経験がありません」
「まあ……!」


 いよいよミナミは、その瞳を大きく見開いた。
 その後ろで男たちが、これは予想外だと言うように肩をすくめる。


「あなた……まともじゃないわね」


 ミナミさんだけには言われたくない――そのような言語生成を隠しつつ、最適な行動プロセスを検索する。
 ナナからすれば、要はELFだとバレなければ良いだけの話である。
 腹部を切り裂かれるといったことでもない限り大きな問題はないのだが、一応その可能性についても確認する。


「例えば……ムチなどをご使用になるのですか?」
「あなた……顔に似合わずそういう趣味があるの?」


 一体どのような趣味かはわからないが、ミナミはそこでゴクリと生唾を飲み下した。
 質問の内容が、一種の心理攻撃として機能したようだ――ナナの内部で高まっていた危機感が低下を始める。


「世間には、人体損壊に対する嗜好もあると聞いています。豚を枝肉にするように、私の体を切り開いて弄びますか? あ、でもそれでは単にひどい死に方であって、女として最悪とは言えませんね」


 ミナミらはいったん集まって、早口でなにやら会議を始めた。


 こんなケースは初めて――どんな神経をしているのか――ただの世間知らずという可能性も――だったら薬を入れてみればわかるな――どこまで耐えますかね――いや案外あっさり落ちるかもしれんぞ――いずれにしても面白そうね――。


 察するに、主に薬物を利用した責め苦を与えることが主眼のようだ。
 ポールダンスを踊った妊婦達の体にも、特に傷は見当たらなかったことから、心理的に屈服させて産む機械にすることが目的なのだろう。
 ならばいずれ医者に見せる必要があるため、その身体に傷を付けるようなことは避けるだろう。


 やがて顔を紅潮させたミナミが、ナナに向かって言ってきた。


「だったらとことん教えてあげるわ。きっと10分もしないうちに別の生き物になっているわよ、あなた」


 続いて男たちがナナの両腕を掴んでくる。
 抵抗はせず、ナナはだまってその誘導に従う。


 資材の搬入口とおぼしきアルミ製の扉を開き、その先に進んでいく。
 通路の途中にある部屋に入ると、目の前にはニワイ邸の屋上にあったのと同じ、木製のデッキチェアが置かれていた。
 さらに壁にはロープ類が吊るされ、ガラスケースの中には注射器と粉の入った袋、そして薬瓶類が見えた。


 そしてナナはデッキチェアの上に寝かされる。
 男たちが慣れた手つきで両手足をしばっていく。


「まさか、本当に自ら処刑場に飛び込んでくるなんてね」


 やがてナナは、純白のドレスを着たまま完全に身動きが取れなくなった。


 ニワイと思しき男は、注射器を薬瓶に差し込んでその中身を採取した。
 そしてこれ見よがしに目の前に突き出してくる。


「豚用の鎮静剤だ。人間にもよく効く」


 声紋も完全に一致していた、間違いなくニワイ本人だと断定する。


「大量に摂取すると昏睡状態になり、抵抗する気が一切起きなくなる。言われたこと、されたことを全て受け入れるようになる」
「洗脳ですか……?」


 ニワイはゆっくりと首を横に振る。


「いいや教育だよ。我々を試そうとする悪い子のためのね。それが済んだら今度はご褒美だ。この白い粉が何だかわかるかな?」
「メタンフェタミン……」
「その通りだ、案外簡単に作れるからな。私の仕事にも一役買ってくれている」


 今の発言を重要証拠として記録する。
 同時に、彼らが単なる快楽主義者であると断定する。


「ミナミさんもですか?」
「ええそうね、私はとことん楽しみたい時とかに使うかしら……? 貴方もすぐにわかるわ……。この世のものとは思えない快楽がその先に待っているから……。きっと私達に楯突いたことも忘れてしまう……」


 そういうミナミの様子は、既に忘我の境地だった。
 おそらくは既に、何らかの薬物を摂取していたのだろう。


「これまでも同じことを、他の人達にしたんですか?」
「……そんなことを知ってどうするの?」
「したんですね?」


 改めて問うも、ミナミはもはや取り合わない。
 拘束されて自由を失ったナナの頬を、ただ慈しむように撫で上げる。


「悪事はいつか必ずバレます。あなた達は全てを失います」


 もはや遅きに失した警告ではあるが、言わないという行動をナナは選択しなかった。
 彼女たちがいずれ考えを改める日が来ることも、無いとは限らないからだ。 


「うふふふ……もし本当に、本当に本当の最悪を知りたかったら、もっと凄い薬もあったりするのよ……ナナちゃん?」
「おいおいミナミ……使いものにならなくなるぞ」


 そう言うニワイの口調は、むしろそうしようと言っているようにも聞こえた。
 どうやら最後の祈りも届かないようだった。
 ナナは密かに、彼女のお腹の中にいる命に向かって侘びの言葉を生成した。


「まあしかし、あまりにも強情なようなら、そうする必要も出てくるかもしれないな。よし、教育が上手くいかなった時はアレを打つとしよう。頭が壊れていても、美人であることに違いはない。子供を生ませることくらい出来るだろうしな……フ、フフフ」
「まあ、恐ろしい……! ああ、ナナさん。さっさと詫びを入れてしまったほうが良いんじゃなくて? 最悪の最後がどういうものか、大体わかったでしょう? アレはヒトを終わらせるものよ。あなたは自分という存在がグズグズに溶けていくのを自覚しながら、朽ち果てるように死んでいくわ……ああ!」


 そこまで言うとミナミは、一つの頂に達したようにぶるりと身体を震わせた。


「ミナミさんの歩いて行く先に喜びはありません。どうか一日も早くそれに気づいて、人としての幸せを取り戻して下さい」


 しかし、もう何も聞こえてはいないようだった。
 目の焦点がまるであっていない。
 極度の精神の高揚がもたらす、過剰な脳内物質の働きに支配されてしまっている。
 ナナの髪をさらりと撫でつつ、ミナミはその首筋に舌を這わせる。 


「ねえ……ニワイさま、早くやっちゃいましょうよ……私もう我慢できない……」
「フフ、仕方のないやつだ」


 ニワイが覆面の下で笑みを浮かべるとともに、注射器の針がナナの肩に突き刺された。


「あああ! やってしまったわナナさん! 本当に、本当に残念だわ!」


 といってミナミは、貪るようにナナの唇い吸い付いてきた。


「ああ……何も知らない少女の味がする……ああ勿体ない、勿体無いわ……大人しく詫びをいれておけば、ちょっとしたお仕置きで済んだのに!」


 言っていることと裏腹に、この世の終わりのような表情でミナミは歓喜に打ち震える。


「あれはあれでいいものなのよ……。思い出すわ、ニワイさんとの初めての時を……。あの屋上のデッキチェアーの上で、夜景を眺めながら……ああ、私はまるで、獅子に腸を食われる子鹿のように……」


 目を閉じ、当時の記憶を慈しむかのようにうっとりと首を振る。


「そして私は、ヒトを超えた存在に生まれ変わったのよ! あなたはそれを知ることが出来ないのね! わからないまま人生を終えるのね! せっかくのチャンスだったのに! あなたはこれから壊れた人形になって、最高の恥辱を味わいながら朽ちていくのよ!」


 そこまで言い終えると、ミナミはさらに強く全身を震わせた。


「でも安心して頂戴、私達が隅々まで味わってあげるから……。ねえ知ってる? ヒトがブタに勝っている点が一つだけあるのよ? ブタは鳴き声だけは食べられないけど、ヒトはその悲鳴もごちそうになるのよ! ああ! 若く美しく、そして今も少女みたいな心を持つあなたの絶望は、さぞかし美味でしょうねえ! あああああ!」


 見るに堪えないという概念が、超えてはいけない閾値を超えていた。
 その他の3人は幸いというべきか覆面をしているため、その下に浮かんでいる表情までは読み取れない。
 しかしながらナナの聴覚センサーは、彼らの破滅を告げる足音を確実に拾っていた。


「……うむ、効きが悪いようだ」


 ニワイがその理由を知ることはない。
 彼が追加の薬剤の準備を始めた時、通路の方から重機で扉をこじあける音が響いた。


「な……」


 ニワイの手から注射器が落ちる。
 ナナの内部は、ミナミが言ったとおり『残念』という言葉で埋め尽くされている。


 せっかく人間らしい体験が出来ると思ってパーティーに参加したのに――。


 それが、彼女の心理プロセスの導き出した最終回答だった。


「うそよ……」


 ミナミの紅潮していた顔が一瞬にして凍りつく。
 まもなく内扉にバールが突き込まれ、バリバリと音をたてながらこじ開けられていく。


「どういうことよ!」


 ミナミは本能的にニワイ以外の2人を睨みつけるが、男たちは必死になって首を振るのみだ。
 そしてついに、プロテクターに身をかためた捜査員がなだれ込んできた。


――全員その場から動くな!


 怒号が響き渡り、次々と男たちが組み伏せられていく。


 ミナミはその間、ずっとナナを睨んでいた。
 あれだけの狂乱の境地にありながら、短時間でナナが囮捜査員であったと判断したことは、流石と言うしかなかっただろう。


「この……!」


 しかしその理性はぐるりと転移、名状しがたい形相へと変遷する――そして。


「メスブタアアァアァァァァァァ!!!」


 天を貫く絶叫となり、工場中に轟いた。







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