ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜
先端技術の使い方 8
その後、酔いが深まってきたところで幾つかの催し物があった。
ブラスバンドのような本格的なものから、下らない宴会芸まで様々だったが、通路で控えていた妊婦達が披露したのは、見ている方がハラハラするほどの激しいポールダンスだった。
アルコールが入っていないからこそ出来ることだが、普段から相当練習していたことは間違いない。
最後にミナミのバイオリン独奏で締めくくられ、この日の宴はお開きとなった。
「菜奈さん、少しばかり2人で話をしないか」
後片付けをが始まった頃、ニワイがそう誘いかけてきた。
「はい」
様々な事態が想定される誘いだった。
ナナはきっぱりと意思のこもった口調で肯定するが、その裏に否定のニュアンスをこめることも怠らなかった。
ニワイは軽く肩をすくめる。
彼の表情は赤ら顔を通り過ぎ、白みを帯び始めていた。
「君は随分と酒に強いんだな……まあいい少し涼みたい、屋上に行こう」
まだ飲み足りない女達が10名ほど居残っていたが、その全員がナナが通り過ぎる際に怪しい微笑を差し向けてきた。
玄関まで送りにきていたミナミに目を向けると、彼女は慈しむような視線を返しつつ言う。
「ごゆっくり」
* * *
屋上にはドローンの格納庫があり、その隣にあずま屋が建っていた。
雨よけの下に1台だけおいてある木製のデッキチェアにニワイは腰掛ける。
ナナはその隣に立ち、眼下に広がる夜景を見渡す。
タワーマンションの高さは近辺でも群を抜いて高く、遠くにそびえるスカイツリーですら、どこか見下ろしているように感じられた。
「やはりこの夜景を見てこのマンションをお選びになったのですか?」
しかしニワイはそれには答えない。
ただ、口をへの字に曲げて不満そうにしている。
あなたの座るスペースをわざと開けてあるのだが――?
そう言いたそうに見える。
「私はね、人に見下ろされるのが好きではないのだよ」
ナナはハッと息を飲んで、すぐにその場に膝をついた。
「失礼いたしました……」
ふんっ、と鼻をならしたニワイは、やはり『そうじゃない』と言いたそうに見える。
「ここなら都心でも本社でもすぐに移動できる、ただそれだけだ。夜景を楽しもうなどとは考えたこともない」
「そうなのですか?」
「ああ、自分の居場所を確認できればそれで十分だ。人によっては星が輝いているようで美しいと思えるのかもしれん。だがその輝きの正体を知っている私には何の意味もない。菜奈さん、それがなんだかわかるかね?」
意味深な問いであり、AIである彼女にはうまく答えられない類のものだった。
「いいえ、判じかねます」
ナナは正直にそう言うしかない。
そして人間ならばその問にどう答えるのかと期待感を高めた。
「トリュフだ」
「え?」
しかしその回答が、かろうじて予想できたキーワードのどれにも引っかからないものだったので、ナナはその価値すら評定できなかった。
「トリュフだよ」
と言ってニワイは何かを諦めたようにして足を伸ばし、デッキチェアを占領した。
「豚が好むものの1つだ」
「はあ……」
トリュフについて知っている限りのことを検索する。
きのこの一種であり、その採取にはしばしばメスの豚が使われる。
高級食材として知られ、世界三大珍味に数えられる――。
しかしながら、都市の夜景と繋がりそうな部分はまるで検索できなかった。
「あの光は言わば、豚どもを誘き寄せるためのトリュフだ。見給え、あのスカイツリーの夥しい光を。関東一円のみならず、日本中から豚を呼び寄せている」
ああ、なるほど――。
そう口にすべきとする探索結果が得られたが、有効時間内に推奨値が一定値を下回ったので口にはださない。
人を豚に例えるのは、言語の組み合わせとしては推奨されない。
「そして我々は、誘き寄せられる側ではない」
ニワイの言わんとしていることを分析する。
その論理が、人と豚をイコールで結ぶことによって成り立っていることを理解すると、あとは難しいことはなかった。
「つまり私達は、豚に食べさせる肉を作っているのですか?」
「フフ、そうだな。明かりに吸い寄せられた豚にうまいエサを与えてやっているにすぎない。君は無人ファミレスに行ったことはあるか」
「はい、あります」
つい先日のことを思い出しつつナナは言う。
「どう思った」
「安くて、手軽に栄養を取れて、便利だと感じました」
するとニワイは軽く鼻で笑い、さも残念そうに首を振った。
「だが、客層の殆どはロクな仕事につけないBI生活層だ。仕事をしないものは機械に給仕される時代。この事実に、思うところはないのか?」
ナナはこれまでの経験から、ニワイが自分に言わせようとしていることを検索する。
「家畜の自動肥育システム……?」
「その通りだ。仕事をしない者、創造性のない者、文化を持たない者。そんな輩はもはや我が社で生産される豚と区別がつかない。どっちがヒトでどっちがブタでも、経済的には何の変わりもないのだ」
ニワイはそう、咎めるような口調で言ってきた。
ナナはFA区画でうたた寝をする豚達の姿を思い浮かべ、そしてその映像を人間に置き換えて考えた。
無人ファミレスで過ごす人々との類似性は無いとは言えないが、高いというほどでもない。
その結果を正直に伝える。
「それほどでしょうか。無人ファミレスでは、殆どの人がテーブルを綺麗にして帰っていましたが」
「豚だってそれくらいのことはする。エサは一滴たりとも残さないし、排泄だって決まった場所でする」
ナナの内部でヒトとブタの類似度が上昇する。
「だからAIで管理しやすい。そういう意味ではヒトはブタ以下かもしれんな。ヒトがもう少しまともな習性を持っていれば、社会の維持コストは格段に安くなるだろう。問題ばかり起こす下らない輩が多すぎるのだよ」
理論的ではある――ナナのシステムはそのように評定する。
無人ファミレスでも、平気で店内を汚したまま帰る客が少なからずいた。
彼らのために店舗運営のコストが増大してしまっているのは間違いのないことだった。
しかし、ニワイの論理には何か重大な欠落があるようだと、ナナの深層は告げていた。
「さきほど君は『豚が豚でなくなれば』と言った。私は本当に面白いアイデアだと思ったよ。豚が豚である限りは限界がある。おそらく君は、遺伝学的な見地で言ったのではないかね? 品種改良の末に豚とは呼べなくなる存在にまで至らしめる。確かにそれは究極と言っても良い考えだ」
表層情の自覚としては、そのような事を考えたつもりはなかった。
しかしナナ自身に深層を解析する能力がない以上、知らずにそう考えてしまった可能性は否めない。
「そもそも豚とは、イノシシから品種改良されたもの……」
「そうだ。ならば豚も品種改良を重ねれば、豚ではない何かになりうるのではないか?」
それはまだ、空想の域を出ない発想ではあった。
しかしながら、現在のペースで遺伝子工学が発達した場合、いずれは可能になりそうなアイデアでもあった。
「そして我々もだ……。ヒトはむかしサルだった。それがいつしか直立するようになり、脳の容積を増やし、体毛を減らしてヒトになった。道具を使い、服を着るようになった」
「イノシシがブタになったように……」
ニワイの口元が怪しく歪む。手の平で膝を打ち、その身を乗り出す。
「そうだ! ブタの場合、それは品種改良によって達成された!」
この時、ナナの内部に簡潔な答えがもたらされた。
ニワイの論理に感じられた違和感の正体、それはまさに、彼が『自分たちはヒトを超えた存在である』と確信していることだった。
「そしてヒトの場合は経済淘汰だ。優れた者に富が集約され、より高度な教育と医療、そしてより優れた配偶者を得続けた結果、我々はヒトを超えたものに『なった』のだ!」
そこまで言うと、ニワイは立ち上がった。
その瞳は黒い輝きを帯び、全身には万能感がみなぎっている。
「もう一度見てみたまえ、この豚が豚を誘き寄せる光の瞬きを! 君には何が見える、何を思う、何を想像する!」
ここでついに、ナナの言語生成機能が回答不能をはじき出した。
唯一言語化できる回答は『あなたはわたしに十分な負荷を与えた』であったが、口に出すことはもちろん出来ない。
「私とともに、その先を見る気はないか? ヒトという存在を超えて、新しい世界を統べる道をともに歩んでいくのだ。私にはそれを与える力がある。そして菜奈、君はその世界に行く資格が『まだ』あるのだ!」
ニワイは最大限の情熱をもってナナの手を握り、そして引き寄せる。
心臓エミュレーターは今までにないほどに高鳴ってたが、それが愉快なものでないことは確かだった。
ブラスバンドのような本格的なものから、下らない宴会芸まで様々だったが、通路で控えていた妊婦達が披露したのは、見ている方がハラハラするほどの激しいポールダンスだった。
アルコールが入っていないからこそ出来ることだが、普段から相当練習していたことは間違いない。
最後にミナミのバイオリン独奏で締めくくられ、この日の宴はお開きとなった。
「菜奈さん、少しばかり2人で話をしないか」
後片付けをが始まった頃、ニワイがそう誘いかけてきた。
「はい」
様々な事態が想定される誘いだった。
ナナはきっぱりと意思のこもった口調で肯定するが、その裏に否定のニュアンスをこめることも怠らなかった。
ニワイは軽く肩をすくめる。
彼の表情は赤ら顔を通り過ぎ、白みを帯び始めていた。
「君は随分と酒に強いんだな……まあいい少し涼みたい、屋上に行こう」
まだ飲み足りない女達が10名ほど居残っていたが、その全員がナナが通り過ぎる際に怪しい微笑を差し向けてきた。
玄関まで送りにきていたミナミに目を向けると、彼女は慈しむような視線を返しつつ言う。
「ごゆっくり」
* * *
屋上にはドローンの格納庫があり、その隣にあずま屋が建っていた。
雨よけの下に1台だけおいてある木製のデッキチェアにニワイは腰掛ける。
ナナはその隣に立ち、眼下に広がる夜景を見渡す。
タワーマンションの高さは近辺でも群を抜いて高く、遠くにそびえるスカイツリーですら、どこか見下ろしているように感じられた。
「やはりこの夜景を見てこのマンションをお選びになったのですか?」
しかしニワイはそれには答えない。
ただ、口をへの字に曲げて不満そうにしている。
あなたの座るスペースをわざと開けてあるのだが――?
そう言いたそうに見える。
「私はね、人に見下ろされるのが好きではないのだよ」
ナナはハッと息を飲んで、すぐにその場に膝をついた。
「失礼いたしました……」
ふんっ、と鼻をならしたニワイは、やはり『そうじゃない』と言いたそうに見える。
「ここなら都心でも本社でもすぐに移動できる、ただそれだけだ。夜景を楽しもうなどとは考えたこともない」
「そうなのですか?」
「ああ、自分の居場所を確認できればそれで十分だ。人によっては星が輝いているようで美しいと思えるのかもしれん。だがその輝きの正体を知っている私には何の意味もない。菜奈さん、それがなんだかわかるかね?」
意味深な問いであり、AIである彼女にはうまく答えられない類のものだった。
「いいえ、判じかねます」
ナナは正直にそう言うしかない。
そして人間ならばその問にどう答えるのかと期待感を高めた。
「トリュフだ」
「え?」
しかしその回答が、かろうじて予想できたキーワードのどれにも引っかからないものだったので、ナナはその価値すら評定できなかった。
「トリュフだよ」
と言ってニワイは何かを諦めたようにして足を伸ばし、デッキチェアを占領した。
「豚が好むものの1つだ」
「はあ……」
トリュフについて知っている限りのことを検索する。
きのこの一種であり、その採取にはしばしばメスの豚が使われる。
高級食材として知られ、世界三大珍味に数えられる――。
しかしながら、都市の夜景と繋がりそうな部分はまるで検索できなかった。
「あの光は言わば、豚どもを誘き寄せるためのトリュフだ。見給え、あのスカイツリーの夥しい光を。関東一円のみならず、日本中から豚を呼び寄せている」
ああ、なるほど――。
そう口にすべきとする探索結果が得られたが、有効時間内に推奨値が一定値を下回ったので口にはださない。
人を豚に例えるのは、言語の組み合わせとしては推奨されない。
「そして我々は、誘き寄せられる側ではない」
ニワイの言わんとしていることを分析する。
その論理が、人と豚をイコールで結ぶことによって成り立っていることを理解すると、あとは難しいことはなかった。
「つまり私達は、豚に食べさせる肉を作っているのですか?」
「フフ、そうだな。明かりに吸い寄せられた豚にうまいエサを与えてやっているにすぎない。君は無人ファミレスに行ったことはあるか」
「はい、あります」
つい先日のことを思い出しつつナナは言う。
「どう思った」
「安くて、手軽に栄養を取れて、便利だと感じました」
するとニワイは軽く鼻で笑い、さも残念そうに首を振った。
「だが、客層の殆どはロクな仕事につけないBI生活層だ。仕事をしないものは機械に給仕される時代。この事実に、思うところはないのか?」
ナナはこれまでの経験から、ニワイが自分に言わせようとしていることを検索する。
「家畜の自動肥育システム……?」
「その通りだ。仕事をしない者、創造性のない者、文化を持たない者。そんな輩はもはや我が社で生産される豚と区別がつかない。どっちがヒトでどっちがブタでも、経済的には何の変わりもないのだ」
ニワイはそう、咎めるような口調で言ってきた。
ナナはFA区画でうたた寝をする豚達の姿を思い浮かべ、そしてその映像を人間に置き換えて考えた。
無人ファミレスで過ごす人々との類似性は無いとは言えないが、高いというほどでもない。
その結果を正直に伝える。
「それほどでしょうか。無人ファミレスでは、殆どの人がテーブルを綺麗にして帰っていましたが」
「豚だってそれくらいのことはする。エサは一滴たりとも残さないし、排泄だって決まった場所でする」
ナナの内部でヒトとブタの類似度が上昇する。
「だからAIで管理しやすい。そういう意味ではヒトはブタ以下かもしれんな。ヒトがもう少しまともな習性を持っていれば、社会の維持コストは格段に安くなるだろう。問題ばかり起こす下らない輩が多すぎるのだよ」
理論的ではある――ナナのシステムはそのように評定する。
無人ファミレスでも、平気で店内を汚したまま帰る客が少なからずいた。
彼らのために店舗運営のコストが増大してしまっているのは間違いのないことだった。
しかし、ニワイの論理には何か重大な欠落があるようだと、ナナの深層は告げていた。
「さきほど君は『豚が豚でなくなれば』と言った。私は本当に面白いアイデアだと思ったよ。豚が豚である限りは限界がある。おそらく君は、遺伝学的な見地で言ったのではないかね? 品種改良の末に豚とは呼べなくなる存在にまで至らしめる。確かにそれは究極と言っても良い考えだ」
表層情の自覚としては、そのような事を考えたつもりはなかった。
しかしナナ自身に深層を解析する能力がない以上、知らずにそう考えてしまった可能性は否めない。
「そもそも豚とは、イノシシから品種改良されたもの……」
「そうだ。ならば豚も品種改良を重ねれば、豚ではない何かになりうるのではないか?」
それはまだ、空想の域を出ない発想ではあった。
しかしながら、現在のペースで遺伝子工学が発達した場合、いずれは可能になりそうなアイデアでもあった。
「そして我々もだ……。ヒトはむかしサルだった。それがいつしか直立するようになり、脳の容積を増やし、体毛を減らしてヒトになった。道具を使い、服を着るようになった」
「イノシシがブタになったように……」
ニワイの口元が怪しく歪む。手の平で膝を打ち、その身を乗り出す。
「そうだ! ブタの場合、それは品種改良によって達成された!」
この時、ナナの内部に簡潔な答えがもたらされた。
ニワイの論理に感じられた違和感の正体、それはまさに、彼が『自分たちはヒトを超えた存在である』と確信していることだった。
「そしてヒトの場合は経済淘汰だ。優れた者に富が集約され、より高度な教育と医療、そしてより優れた配偶者を得続けた結果、我々はヒトを超えたものに『なった』のだ!」
そこまで言うと、ニワイは立ち上がった。
その瞳は黒い輝きを帯び、全身には万能感がみなぎっている。
「もう一度見てみたまえ、この豚が豚を誘き寄せる光の瞬きを! 君には何が見える、何を思う、何を想像する!」
ここでついに、ナナの言語生成機能が回答不能をはじき出した。
唯一言語化できる回答は『あなたはわたしに十分な負荷を与えた』であったが、口に出すことはもちろん出来ない。
「私とともに、その先を見る気はないか? ヒトという存在を超えて、新しい世界を統べる道をともに歩んでいくのだ。私にはそれを与える力がある。そして菜奈、君はその世界に行く資格が『まだ』あるのだ!」
ニワイは最大限の情熱をもってナナの手を握り、そして引き寄せる。
心臓エミュレーターは今までにないほどに高鳴ってたが、それが愉快なものでないことは確かだった。
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