ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

先端技術の使い方 4

 その後、20分ほどかけて育成舎を見て回った。


 工場内には至る所にバイオテクノロジーが使われており、豚の排泄物はすべてバイオマス設備で電力に変換されていた。
 豚にストレスをかけない工夫も随所に見られ、家畜福祉の理念を巧みにブランド価値へと変えていた。 


「イメージと生産性を両立のために知能を尽くす。それが我が社の社是よ」


 広大な育成舎の途中で、ミナミが足を止めてそう言った。


「今も技術改良は進められているの。あなたにもいずれ企画立案を行ってもらうことになるわ。これだけはまだ自動化できないからね」


 と言ってミナミは、皮肉っぽく笑った。


 200mほど歩き、育成舎の一番奥までたどり着く。
 そこでは体重120kg前後にまで成長した豚が、機械の手によって1頭ずつストールの中に誘導されている。


 ストールはプラスチック製で、豚の体型にフィットするよう調整されている。
 殆ど身動きがとれなくなった豚達はストールごとベルトコンベアで運ばれていくが、向かう先は分厚い隔壁の奥だ。


「あれは……」
「出荷前の処置よ。1週間エサを止めて、お腹の中を空にするの」


 そんなにエサを止められたら、さぞかし豚はストレスをためるだろう――。
 とナナが推測したのを見抜いたのか、ミナミの方から説明してきた。


「我が社のウェルフェアは完璧よ。区画の中は2階の制御室で見ることができるから。コーヒーでも飲みながらやりまそう」


 2人はクリーンルーム用の服に着替えると制御室に向かった。
 しかしそこは、制御室と呼ぶにはあまりに素っ気ない場所だった。
 設置してあるのは、ガラス素材のコンソールと2脚のシステムチェア、そして壁に設置された3台の薄型ディスプレイだけだった。


 窓際に観葉植物らしきものが配置されているが作り物だった。
 まるで月契約のワンルームマンションのような場所で待っていると、香ばしい匂いが嗅覚センサーに感知された。


「おまたせ、砂糖はきっちり4杯入れておいたわよ」


 ハンドドリップのコーヒーを持ったミナミが給湯室から戻ってくる。
 制御室は休憩室も兼ねていて、簡単な食事を摂れるようになっている。


「ありがとうございます」


 ナナはニワトリのイラストが描かれたマグカップを受け取ると、息を吹きかけて表面温度を下げた。
 ナナの唇の人工蛋白は50℃で変性してしまうのだ。


「うふふ、子供みたいね」


 それを知る由もないミナミは、そう言って目を細める。


「猫舌なんです」
「しかもすごい甘党ね」


 ミナミはクスクスと笑うが、それは蔑みではなく純粋にナナのことを可愛らしいと思ってのようだった。 


「私はコーヒーに砂糖って苦手なのよね。やっぱりコーヒーはうんと濃くて苦くないと、畜舎を歩き回ったあとなんかは特に」


 そう言いつつミナミは、濃厚すぎて粘性を帯び始めている漆黒の液体を、顔をしかめながらすすった。


「ふう……ひと心地ついたわね。それじゃあ、さっき言っていた区画について説明するわ」


 ミナミがテーブル上のコンソールに指を走らせると、壁面ディスプレイに工場内の映像が映し出された。
 さらに何度かコンソールをタップすると、先程の区画の内部と思しき映像に切り替わる。
 同時に、制御室内に穏やかなクラシック音楽が流れ始める。


「これは……」


 ナナは視覚センサーを調整し、ディスプレイに映し出されている光景に目を凝らした。


 予想していたものと違い、区画の中は静謐そのものだった。
 体重120kgの生物を納めたストールが整然と立体配置され、身体の自由を奪われているにも関わらず、鳴いたり暴れたりする豚は1頭もいなかった。
 室内のいたる箇所に設置された映像照射器から緑を基調とする光が放たれ、迷彩色に似たその色調が、区画内に擬似的な自然環境を作り上げている。


 豚はみなその中で、うたた寝でもしているかのように穏やかだった。


「ここは最終エージング区画、通称FAと呼ばれているわ。内部は炭酸ガス濃度が高められていて、豚は軽い昏睡状態になっている。流れている音楽を聞いて、自然の景色に似せた光を眺めながら、穏やかに最後の時を待っているの」


 予測を越えたその光景に対し、ナナは取るべきリアクションを判断しかねていた。
 この状況がはたして豚達にとって良い事なのか、どこに基準をおいて考えれば良いのかもわからない。


「……あの光も、やはりAI制御なのですか?」
「そうよ、豚の外見上の動きから神経活動を分析して、最大限のリラックス効果をもたらすよう調整されているわ」


 どこか冷えた眼差しでモニターをにらみつつ、ミナミは続ける。


「FAに入る手前で、全ての豚をお風呂に入れて洗います。清潔にすると同時にリラックスさせて、その間にカテーテルを取り付けます」


 モニターの映像が別角度のものに切り替わる。
 豚の胸元、中心静脈の部分に太い管が取り付けられている。


「あのカテーテルから栄養が補給されるから、豚が空腹で騒ぐことはありません。ストレスと栄養不足による肉質低下を防ぐと同時に、ウェルフェアの向上をもたらします」
「なるほど……」


 ひとまず定型的な返事を発しておいて、区画内の様子に目を配る。


 1頭の豚が物欲しそうに口元をくちゃくちゃさせると、それをユニットが認識して口元に給水装置をあてがう。
 豚は満足げにストロー状の飲み口から水をすすると、再びまどろむように静かになった。
 定期的に左右に傾斜するストールが豚の体にかかる負担を低減させ、排泄も股間に取り付けられたカップで処理されている。


「何もかもが満たされた……揺り籠」
「その通りよ。考えようによっては、自由を奪われて気の毒に見えるかもしれないけど、空腹でストレスを溜めた豚は、互いの体をかじり合うことだってあるの。それに比べれば天国と言えるんじゃないかしら」


 ナナの様子を伺いながら、ミナミはその目を怪しく光らせた。
 この光景を是とするかどうかが、恐らくはこの工場で働いていく上での重要な分岐点なのだ。


「食肉生産において最も人々の忌避感が高まるのが屠畜に向けた工程。この部分の作り込みを怠るとブランドイメージに傷がついてしまう。だから我が社は、このFA区画に最も力をいれています」
「はい、肝に銘じます」


 その後2人は、しばし何も言わずにコーヒーを飲み、そしてモニターに映し出されている光景を眺めた。


 室内に流れるクラシック音楽。
 人工的な木漏れ日に満ちた空間。
 最後のうたた寝を楽しむ豚達。


 それはある種の現代芸術のように、ナナのシステムに認識される。




 * * *




 その後は加工施設の説明だった。
 この工場では肥育と加工の設備を一体化することで、豚の移動にかかるコストと、人や車両の出入りにともなう伝染病リスクを低減している。


 FA工程を終了した豚は、高濃度CO2設備に入れられて完全に意識を失う。
 その際にカテーテルを用いて血抜きを行うが、気圧がかかっているため短時間で終了する。


 頭部の切断から背割りまで、解体にはNCマシン群が担当する。
 一昔前の食肉加工施設でよく見られた、血まみれの豚がコンベアに吊るされて運ばれていくといった光景はどこにもない。
 その代わりに、整然と並んだマシンの列がある。


 フォークリフトに宙吊りにされた豚は、X線によって内部構造の確認をした後に、そのマシン群の前に運ばれる。
 全てのマシンが並列稼働し、アームの先に取り付けられた専用工具がリズミカルなモーター音を奏でながら、豚の身体を解体していく。


 バリカンで毛を剃り、残りの毛をバーナーで焼き、メスで腹を開いた後に、膀胱、腸、胃、腎臓、心臓、肺、肝臓と、一切傷つけることなく取り出していく。


 最後に電動ノコギリによって背骨が割られると、少し前までうたた寝をしていた豚は、すっかり2本の枝肉に変えられてしまった。


「ここまで来ればもう、ただの美味しそうなお肉にしか見えないでしょう?」


 畜産における最も過酷なはずの工程が、いともあっさりと終わってしまった。


「……はい」


 他に言葉が出てこなかった。
 ナナは肉があまり好きではないが――変換効率が悪い――言われてみれば、美味しそうだという感想以外に表現が見つからない。


 熟成を終えた枝肉は、そのまま出荷される場合もあれば、精肉にしてから出荷する場合もある。
 精肉加工の工程も、概ねNCマシン群による作業だった。
 肉と骨を切り分け、余計な部位を取り除き、運搬機に乗せて出荷前検査の工程に送り出し、さらには清掃・消毒まで行ってしまう。


 設備内は完全クリーンルームで、その清潔度は手術室と同レベル。
 外観も工場というより医療施設に近いものだった。


 最終段階である出荷前検査の工程で、ようやく人が作業をしていた。
 とは言え、直接肉に触れて作業しているわけではないようだ。
 1人の男性が、ゴーグル状の3D映像装置を覗き込んで、複雑な機械が取り付けられた両手を動かしている。


「お疲れ様です」


 ミナミが声をかけると、マスクで顔を覆った白ずくめの男性は、一瞬だけ視線をこちらに向けて会釈をした。
 どうやらクリーンルーム内の機械を遠隔で操作しているようだ。
 同型のインターフェースが、作業者の隣にもう1台設置されているが、恐らくは故障時のバックアップだろう。 


 近くのモニターを使って彼が行っている作業を見学する。
 次々と運ばれてくる様々な形状の肉をチェックし、必要があればロボットアームに取り付けられた刃物を使って、不要な部分を除去する。
 その速度は、職人技の領域だった。


「この工程は、自動化できないのですか?」


 ふと疑問に思ったことを聞いてみる。
 しかしそれに答えたのはミナミではなかった。


『AIでも判別不能な精肉が時々出てしまうんだ。それを人間が見て判断するのだよ』


 モニターの映像に突如割り込んできたのは、CEOのニワイだった。


『さきほど取引先との会談が終わったところでね。今少しだけ、菜奈さんの研修の様子を見させてもらったよ。随分と落ち着いているね。FAエリアを見て青ざめてしまう者も少なからずいるのだが』


 おそらくは監視カメラに記録されていた映像を確認したのだろう。
 豚を監視するものやロボットアームの先端に取り付けられているものも含め、この工場にはあらゆる場所にカメラが取り付けられている。


「どこまでも考え抜かれた、非常に洗練されたシステムだと思いました」
『そう言ってもらえて何よりだよ。他に何か、気になったことはあるかね?』
「はい、働いている人がこんなにも少ないとは思いませんでした」
『フフフ、だろうね。今のところその本部第一工場に存在する人間は、君たちも含めてたったの5人だ』
「そんなに……」
『本社工場群では、関東エリアの豚肉需要の11%を賄っている。そのために投入されている人員は、現場勤務者は1工場あたり3から5名、在宅オペレーターが4から10名だ。しかし、これでもまだ多いと私は思っている。生産設備の故障・誤作動、これらの発生頻度を下げ、レイアウトの改善を進めれば、半分以下にできると考えている。菜奈さんにも現状に満足することなく改善をすすめてもらって、さらなる収益向上に繋げて欲しいと思っている』
「はい、力を尽くします」


 ナナがそう言うと、ニワイは満足そうに頷いた。


『特に、その出荷前検査の工程はなんとかしたいと思っているんだ。その工程があるせいで、我が社の製品の全てをPMP認定することが出来ない。食肉生産の完全PMP化を達成出来れば、とてつもないアピールポイントになるし、莫大な特許収益も見込める。どうかね菜奈さん、何か良いアイデアは浮かばないだろうか?』


 ナナは反射的に、すぐ側で仕事をしている男性の様子を伺う。
 もしそのアイデアが実施されたら、彼の仕事がなくなってしまうわけだが。


『ああ、その男のことなら気にしなくていい。仕事が減ることを恐れるような者は我が社にはいないからね。彼は豚の体について極めて精通している。以前は2人で行っていたその工程が、今は1人で済んでしまっているのは、彼の改善活動のおかげだ。我々の活動の最終目標は、人の仕事をなくしてしまうことにある』


 そのニワイの言葉は、ナナの深層データに無視できないゆらぎを発生させた。
 仕事をすることの目標がそれ自体をなくすことであるというのは、なんとも深淵だ。


『で、どうだね。研究職にあった君なら、何かしら思うところがあるのではないか?』
「そうですね……」


 確かにそのアイデアはあった。
 むしろナナ自身がそのアイデアである。


 自分が食肉加工の全行程に精通し、その最終チェックが行えるようになれば、今目の前で作業をしている人物に取って代わることができる。


「最新のAI技術を取り入れることで、何かしらの解決策が得られる可能性はあるでしょう。ですが私の専門は生物学でして、今のところはっきりとしたアイデアを出すことは難しいです」


 と言ってナナは肩をすくめるが、ニワイは概ねその回答に満足したようだった。 


『君なら必ず我が社の技術に貢献してくれると信じているよ。さて、そろそろお昼になるね。菜奈さんの昼食はミナミに用意してもらう。我が社に社員食堂はないが、その代わり工場でしか食べられない特別な料理を用意できる。是非とも堪能していってくれたまえ』


 ニワイは不敵な笑みを浮かべると、そのまま返事を待たずに通信を切った。







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