ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

先端技術の使い方 2

 メイド喫茶はハイレベルな感情労働であり、萌えはあまりに深淵だった。


 結局ナナはメンバーの進言に従って、ある畜産工場のオペレーターを目指すことになった。
 ウェブエントリーをして手書きの履歴書を送付すると、あっという間に面接の日取りが決まった。
 人あまりの時代にあって、これは一つの快挙である。


 面接当日、ナナは自宅として設定されている文京区西片のマンションを出ると、新御徒町からつくばエクスプレスに乗った。
 40分かけて守谷に到着し、そこからバスで20分ほど揺られる。
 住宅地を抜けたところで、1ユニットの全長が400メートルにも達する巨大な箱型の工場群が見えてくる。


 近年急成長した関東地域有数の自動畜産企業である。
 通勤には少々時間がかかるが、2週間の研修を終えた後は在宅就業が可能になる。
 それがナナの運用試験をする上での揺るぎないメリットだった。


 試用期間も設けられており、その間はいつでも辞めることができるので、プロジェクト内からも反対意見は出なかった。


「本日面接の予定を頂いておりました、野原菜奈と申します」


 正面ゲートの守衛所で、ナナはスマートフォンに身分証明書を表示させて提出する。
 それを確認した守衛の男は、読み取り装置を操作してリンクを求める。
 本人確認が終えるとナナに道を伝え、どこか覚めた口調で「お気をつけて」と付け加えた。


 社屋へと続く道は広く、両脇の芝生は機械によって綺麗に刈り込まれていた。
 社名を記した看板も、設置したばかりのような光沢を放っている。
 社屋に入る直前にナナは周囲をぐるりと見渡すが、半径100メートル以内に存在する人間は、守衛の男ただ1人なのではないかと思われるほど、あたりは静かだった。


 臭気をサンプリングするために空気を吸い込むと、鼻腔に備え付けられたセンサーが、メタン、アンモニア、鉄といった、畜産現場にありがちな成分を検知する。
 ガラス張りの玄関をくぐると自動で照明が点灯し、ロビーの片隅にある人影を照らし出した。


 一瞬、人と認識するが、すぐにELFだと判明する。
 生体皮膚の用いられていない、ごく初期型のものだ。
 恐らくは、工場見学の時などにガイド役として使われるのだろう。


 ナナは暗がりの中で虚ろに佇むELFを横目に通路を進んでいき、エレベーターに乗って最上階の4階まで上がった。
 人の気配はおろか、物音一つとしてない。
 エレベーターの静粛性も抜群だ。あまりに静かなので、来るべき場所を間違えたという可能性が、ナナの内部で1桁上昇した。


 しかし杞憂だったようだ。
 エレベーターを降りたところで、女性の職員が待っていた。


「お待ちしておりました、野原菜奈様ですね」


 ELFであるナナが羨みかねないほど、鼻梁の整った美しい女性だった。
 すらりと背が高く、ひと目見ただけで品格の高さが伝わってくる。


「はい、野原菜々と申します。わざわざお迎え頂きありがとうございます」
「まもなくCEOがまいりますので、こちらにかけてお待ち下さい」


 エレベーター近くの革張りの椅子を勧められ、ナナは恐れ入りますと言って腰掛けた。
 腕時計を確認すると予定時刻のちょうど2分前だった。
 見える範囲には、それぞれ『制御室』『応接室』と書かれた2つの扉しかなく、至って簡素なものであったが、高度自動化企業の本社としてよくある作りだっだ。


 ナナはCEOの訪れを待つ間、万が一ELFだとバレた時の対応を復習する。
 まず、何が何でもそれを認めないこと。
 それから人間であることを主張しつつ、すみやかに退出すること。


 ナナは現時点で予想される状況を推論して、時間が許す限りシュミレートしておいた。
 本来ならば面接に向けた心の準備をするところだが、今はどうでも良いことだった。
 目的は面接に受かることではなく、ELFだとバレないことである。


 やがてオフィスフロアの扉が開かれ、赤いスーツを来た男と数名の女性が出てきた。


「初めまして、野原菜奈と申します。本日はよろしくお願いします」


 ナナは立ち上がり、男に対してお辞儀をする。


「ほお……」


 しかし男はそれには答えず、代わりにしげしげとナナを眺めてきた。


 40を過ぎたあたりの、体格の良い男だった。
 顎ひげをさすりながら、まるで値踏みでもするような態度だ。
 えんじ色のスーツとピンクのYシャツ、そして輝くような光沢を放つプラチナ色のネクタイをつけている。
 あとから聞いた話しでは、そのあまり見ない色の組み合わせは、肉の赤身と脂身を意味しているらしい。


 そうしてナナも負けじと相手を見定めていると、ふいに男の口元がゆるんだ。


「いや失礼、写真で見るより遥かに可愛らしくみえたものでね」


 いかにもプレイボーイを気取って、さらには遠慮なくナナの肩に手を乗せてきた。


「よし、合格だ」
「え?」


 あまりの判断の速さに、言葉が追いつかなかった。周囲から笑い声があがった。


「ふふふ、当社の採用面接は大体こうなるんだ。これはと思った人にだけ声をかけて、確実に採用する方針なんでね。つまり君は、ここに呼ばれた時点で採用されたも同然だったというわけだ」
「は、はあ……」


 言葉を失っているナナに代わって、最初に出迎えにきていた女性が口を開く。


「わかりやすい反応ね、ウフフ。まあ、大抵の子はそうなるんだけど」
「そうでしたか、このような形でご採用頂けるとは思ってもいませんでした。若輩者ながら力をつくしたいと思います」


 ナナはなんとか言葉を生成するが、その生真面目な回答が気に入らなかったのか、女は口を尖らせてきた。


「ナナちゃん? あなたはもううちの社員なのよ?、ほら、もっと肩の力を抜きなさい」


 と言ってナナの肩に手をのせて、微笑みながら揉みほぐしてくる。


――これがアットホームな職場というものだろうか?


 そんなことを推論しつつ、ナナは人間らしい柔らかさを演出するため、人工筋肉を弛緩させた。







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