ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

認識の峠 1

「サブマリナーが移動を開始します」


 スーツの上に白衣をまとった若い男がモニターを眺めながら言った。


 窓辺から皇居の深緑を望む32階建ての新合同庁舎ビル、ここはその最上階の一室だ。
 10人がけの円卓がちょうど収まる程度のオフィスルーム。
 床には赤い絨毯が敷かれ、壁には大樹を描いた油彩画がかけられている。


 重要な決定を行うための場であることが感じられるその一室には4人の男がいた。
 みな手持ちのノートパソコンを熱心に眺め、時々刻々と変化する映像とデータに目を光らせている。


「衛星接続も良好です。遅延は発生していません」
「HDIのリソースも使っていない……完全に自立稼動の状態か」
「すごいです、誰もELFが歩いていると思っていません」
「やはり、最初の関門は職探しになるか」


 ノートパソコンの1つには、街頭の監視カメラから拾ってきたと思われる女性型ELFの姿が映し出されている。
 どうやらこれまで務めていた職場を出て、近くの駅に向かっているようだ。
 責任者と思しき男が窓の方に身体を向け、そして一つ大きく息を吐いた。


「セブンシー計画……果たしてどうなりますか」


 その問に答えられる者は、もちろんいない。




 * * *




 社会の自動化はある時点を境に一気に進んだと、多くの人々が認識している。


 東京オリンピックに際して自動運転のデモンストレーションが行われたが、その時にはまだ大部分の人がそれを身近なものとは感じていなかった。
 普及すればさぞかし便利だろうと考えはするものの、胸の内にわだかまる漠然とした不安を払拭できず、誰もが自動化に対する肯定的なイメージを持てずにいた。 


 まもなく運転手のいない車の群れが通りを往来するようになり、ネットで買い物をすると見知ったドライバーではなくドローンが荷物を運んでくるようになった。
 ここまできてようやく、人々はしぶしぶのように時代の変化を認めたが、その時すでに社会の自動化は相当なところまで進んでいた。
 人がほとんどいない工場は普通に存在したし、小売店やサービス業の無人化も、技術的には十分可能な水準にあった。


 つまり自動化が一気に進んだという感覚は、その多くが錯覚に過ぎず、自動化の進行が良くない結果をもたらすと感じた人々が、その得体の知れぬ不安から目を背けてきた結果なのだった。


 その怖れの正体は長い間判然としなかったが、まもなく白日の下に晒される。
 人の集団がその思考能力を結集して判断したことには、それ相応の意味があったということだろう。
 実際、その時に起こっていたことは、人類史に刻まれるべき事象であったし、その変化を受け入れる準備がまったく出来ていなかったのは、間違いのないことだったのだから。


 自動化技術は理論上、経済成長率を加速度的に上昇させることが知られている。
 注意すべきは、増えるのは『量』ではなく『率』であるということだ。
 つまり、時を追うごとに1%、2%、4%、8%……と、成長率そのものが加速度的に増えていく。


 ここでパン屋を例にとって考えてみる。
 そのパン屋は完全自動化されているので人件費がかからず、また新設するにあたって人を雇う必要もない。
 1件あたりの建造費は1000万円であり、10年で100万個のクロワッサンを焼き、1000万円の利益を上げられるものとすれば、10年後に2軒目のパン屋を建造できることは子供でもわかるだろう。


 高度に自動化された産業は、新たな生産設備を作るのに労働力を投入する必要がない。
 自動化されたパン屋は、次の10年間では2000万円の利益を得て、人を雇い入れることなく、さらに2軒のパン屋を新設するだろう。


 そして生産力は順次増強され、4000万円、8000万円、1億6000万円と、時を追う毎にその収益は倍増していく。


 このように10年ごとに成長率が倍増していくわけだが、実際は資金の借り入れによる新設の前倒しが行われるので、その増加はさらに加速度的なものとなる。
 山のように焼き上げられたクロワッサンで、人類の胃袋が満たされるのは時間の問題だ。


 これだけ見れば、自動化は良いことしかないように思える。
 しかし実際には、人々がこれまで培ってきた経済基盤を、根底から破壊する可能性を秘めていた。
 極大化する生産力に社会制度が追いつかないことによる弊害。
 多くの人が抱いていた怖れの正体が、まさにそれだった。


 消費が生産に追いつかないと、一般にはデフレ――平たく言えば豊作貧乏――になる。
 商品価格の低下を余儀なくされ、いかに自動化を推し進めようとも、企業は思うように利益をあげられなくなるのだ。
 やがて投資に回せる資金もなくなり、生産力の上昇は頭打ちとなる。


 また雇用機会が失われることにより所得水準が低下し、個人消費が低迷する。
 ますます景気悪化に拍車がかかり、せっかくの生産能力が十分に生かされない事態に陥る。


 そのまま何もせずに放置すれば、経済は連鎖的に縮小していき、最後には朽ち果てた工場とテーマパーク、そしてショッピングモールだけが残されたディストピアへと至る。
 自動化されたパン屋が新たなパンを焼く日は、未来永劫、訪れないであろう。


 その道程を変えられるのはひとえに政治の力であるが、その肝心要のシステムが一体何をしていたのかといえば、全てが間違っていたとまでは言わないが、概ね地獄への道を突き進んでいたと言って過言はない。


 過度な自動化推進、財政均衡政策への執着、政局という名の足の引っ張り合い――。


 それらの複合的な要因により、日本人の生活水準はもちろんのこと、その精神性や文化さえもが、かつて無いダメージを負うことになった。


 失業率の記録的な改善が見られた時代。
 それと同時に、多くの企業が人手不足に喘いでいた時代。
 経済成長のためには、自動化する社会に人々を順応させる必要があると考えられていた。


 進まない小売店の無人化、キャッシュレスの普及。
 それらの問題を解決して、労働力を創出しようとしたのだ。


 総務省に設置された行政自動化推進局は、IT導入による公務員削減を進めるため、自動化の成果を各メディアに報道させた。
 霞が関の職員が減れば減るほど内閣支持率は上昇したので、この動きにはますます拍車がかかった。


 そこに財政再建論が便乗し、さらには経費削減を目論む大手企業がコストカットの大義名分としたため、生産性の悪い社員、及び下請け企業が、次から次へと切られていく事態となった。


 確かにある面では便利で効率的になった。
 あらゆる行政業務が電子化され、住民票の移動が3タップで済ませられるまでになり、企業の統廃合が進んで経営は合理化され、能力のある若手社員をハラスメントで追い出すような悪い風習も姿を消していった。


 だが、各メディアがこれを勇んで報道した結果、気づけば失業率の増加が良いことのように語られるようになってしまった。
 消費は低迷し、経済は縮小の一途を辿っていたが、働かなくても良いユートピアと、失業率の高いディストピアを完全に履き違えた結果、国会は社会保障と国債償還のための増税、そして極端な緊縮政策をいともたやすく承認してしまった。


 そこからはまさに地獄だった。
 自殺率が急増し、全国各地で飢餓が発生した。
 都市部はおろか、辺縁・離島にいたるまでモノに倦み飽きた時代であるにもかかわらず、先進国であるはずのこの国において飢餓が発生してしまったのだ。


 唯一良かった点があるとすれば、犯罪がさほど増えなかったことだろうか。
 失政による貧困下にあっても略奪に走らず、高潔な死を遂げる者のあまりに多かったことは、あまねく歴史家によって後世まで語り継がれることだろう。







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